きらきら 5

 こうして会うのも七回目、と綱吉は声には出さず数える。
 獄寺と会うときのパターンはいつも同じだ。綱吉からの電話で会う予定を決め、あの交差点で待ち合わせて、少し離れたこのコーヒー専門店まで歩き、一時間程、茶飲み話をして別れる。
 いつもその繰り返しだった。
 別にそれが嫌だと言うわけではない。
 綱吉が電話をかければ、必ず獄寺は応答したし、どんなに仕事が立て込んでいようがスケジュールはいつでも空いていると言い張った。
 だから、獄寺なりに自分との時間を大事に考えていてくれるのだろうということは分かる。
 けれど、と綱吉はコーヒーを飲むふりで、獄寺の表情を窺った。
 南欧と北欧、そして東洋の血が入り交じるがゆえの華やかで端正な顔は、一見、物憂げな無表情に見える。
 だが、長年獄寺を見てきた綱吉の目はごまかせない。銀色に翳る翠色の瞳を見れば、彼が途方に暮れているのは一目瞭然だった。

 いつもそうだった。
 再会して以来、獄寺は常に自分と会っている間中、困惑して途方に暮れている。
 かつてはひっきりなしに綱吉に話しかけていた彼が、何を話せばいいのかすら分からないかのように言葉少なく押し黙ったまま、綱吉の小さな仕草、言葉の一つ一つに過敏に反応しては戸惑っている。

 獄寺に会えるのは嬉しい。
 顔を見るのも、言葉を交わすのも。
 もう二度と叶わないと思っていたからこそ尚更に、共に過ごす一分一秒が惜しくてならない。
 けれど、これでは。

「そろそろ出よっか」
「……はい」
 話題が途切れた所で、綱吉がそう切り出すと、獄寺の瞳にかすかながら寂しげな、怯えにも諦めにも見える影がよぎる。
 が、獄寺は口に出しては何も言わず、静かにうなずいた。
「たまには俺も出すよ?」
「これくらい、奢らせて下さい」
 いつものように立ち上がりながらレシートを手にした獄寺に、いつもの抗議をすると、その時だけほのかに獄寺のまなざしが和らぐ。だが、瞳の奥の寂しい悲しい影だけは消えず、和らぎが微笑へと昇華することもない。
 カウンターのレジで支払を済ませる獄寺の後ろ姿を眺めながら、もうどうしようもないのだろうか、と綱吉は自分に問いかける。

 もう、どうにもならないのだろうか。
 自分たちは。

「今日はあったかいよね。もう日が傾いてるのに、そんなに寒くない」
「そうですね」
 他愛無い言葉を交わしながら、十歩、二十歩と店から離れて。
 綱吉は、足を止めた。
「沢田さん?」
 当然のように獄寺も立ち止まり、こちらを見つめてくる。
 その瞳に浮かぶのは。

 ―――相変わらずの、不安げな翳り。

 こんな目をして自分を見る彼に、こんなことを言いたくはない。
 決して口に出したくはなかったけれど。

「……獄寺君」
「はい?」
「もう俺たち、会うのは止めた方がいいのかな……?」

 静かに問いかけると。
 獄寺の表情が凍り付いた。

「……ど…うして……、いえ、俺は……あなたが、そうおっしゃるのなら……」
「俺はまだ何も言ってないよ、獄寺君。止めた方がいいのかなって、君に聞いただけ」
 ある程度予想していた通りの返答に、綱吉は淡く微笑む。
 獄寺は獄寺だった。
 何年経っても、何年会わなくても。
 初めて出会った時から、何一つ変わっていない。
 いつでも彼にとって、自分の言葉は絶対なのだ。自分が『十代目』でなくなった今でさえ。
「正直に、言うね。俺はずっと君に会いたかったし、再会できて嬉しかった。この街の大学を受けて、この街で暮らしてて良かったって思ったし、君と電話で話すのも、こうして会って話すのも、ものすごく嬉しい。――でも、君がそうじゃないのなら、俺は無理に会ってもらおうとは思わない」
「さ…わだ、さん……」
「獄寺君、君は気付いてないかもしれないけれど」
 綱吉は真っ直ぐに獄寺を見つめる。


「俺と再会してから一度も、君は笑ってない」


「もっと正確に言うなら、あの事故の日から。俺が君の目の前で事故に遭った、あの時から、俺は君の笑った顔を見たことがないんだ」


 ―――桜の花が散り終えて葉桜に変わったばかりの、いつもと変わりのない放課後だった。
 獄寺と他愛無いことを喋りながら校門を出た所で、綱吉は英和辞典をロッカーに忘れてきたことに気付いた。
 英和辞典がなかったら宿題も予習もできない。中学時代から引き続き宿題の面倒を見てくれる獄寺は、英伊辞典は持っていても英和辞典は持っていないバイリンガルだったし、自力で辞書を引かずに獄寺に単語の意味を聞いたら、リボーンのきつい仕置きが待っている。
 仕方がないと、綱吉は教室まで英和辞典を取りに戻った。
 付き合うと言った獄寺には、校門を出てすぐの所にあるコンビニで待っていてくれるように頼んで。
 そして鞄に英和辞典を放り込み、再度、校門を出てコンビニへと向かう途中。
 常軌を逸したスピードで交差点を突っ切ってきたダンプカーが、綱吉めがけて突進してきたのだ。

 本当ならば、避けられない速度ではなかった。
 死ぬ気モードや超死ぬ気モードになっていなくとも、リボーンの特訓を三年近くも受けていれば、それなりに反射神経は敏捷になる。
 だが、避けようとした綱吉の視界の端に、衝突コースに向かってくる自転車が見えた。
 それが近くの中学生の女子生徒だったと知ったのは後の話で、その時の綱吉は、ただ咄嗟に後方に逃げるのを止め、前方に走り出て自転車を思いっきり突き飛ばした。
 その次の瞬間のことは、もう何も覚えてはいない。

 だが、獄寺は。
 交差点の向かい側のコンビニの表で、その時間にすれば十秒足らずの一部始終を見ていたのだ。


「オ…、レ…は……」
 獄寺の顔は蒼白だった。
 この世で一番恐ろしいものに遭遇したような獄寺の顔色を、綱吉はひどく悲しい思いで見上げる。
「……病院で二度目に意識を取り戻した時、俺は君を捜した。みんな枕元にいたのに、そういう時は他の人を押し退けてでも一番近くにいるはずの君がいなかったから。……そうしたら、君は今の君みたいに、まるで何日も寝ていないみたいな今にも倒れそうな真っ青な顔で、入り口に一番近い所に立ってた」
 訥々と告げて、綱吉はそっと自分の右手を上げ、右目を覆った。
「君は、この目が見えなくなったのも、俺が十代目でなくなったのも、全部自分のせいだと思ってる。何一つ、君のせいじゃないのに」
「――俺の、せいですよ!」

 初めて、獄寺が声を荒げた。

「俺のせいじゃないですか! 俺があの時、お傍を離れなければ、あなたはあんな事故に遭わずにすんだ! 俺がダイナマイトであのクソダンプをふっ飛ばしていれば……!!」

 蒼白な顔で告げる血を吐くような叫びに、綱吉は泣きたくなる。
 獄寺がそう考えていることは、ずっと前から分かっていた。病室で意識を取り戻した時から、分かっていたのだ。
 けれど、その時既に、獄寺には自分の声は届かなくなっていた。
 自分が右目の視力を殆ど失ったことも、ボンゴレ十代目ではなくなったことも。
 どれもこれも、獄寺には受け入れられない現実だった。
 この右目は、彼にとっては生涯消えない罪の証。
 自分という人間そのものが、彼に罪を知らしめる存在なのだ。
 彼がそう思っている以上、自分の声が彼に届くわけがない。

「俺のせいで、あなたはたくさんのものを失うことになったのに……なのに、俺はあなたに何もできない! あなたは俺に数えきれないくらいたくさんのものを、大切なものをくれたのに、俺はあなたに何ができるのかすら分からない。
 どうやっても、俺は、あなたに償えない……!!」

 関節が白くなるまで握りしめられた獄寺の拳が、小刻みに震えている。
 それを見つめながら、何故だろう、と綱吉は思った。
 何故、こんなにも自分たちは傷付かなければならないのだろう。
 自分も獄寺も、元をたどれば何一つ、悪くはないはずなのに。
 自分がボンゴレ十代目だった、そしてそれを面白く思わない人間がいた。おそらくは、それだけのことのはずなのに。

「いっそ、事故に遭ったのが自分なら良かった……?」
「!」
 静かに問いかけると、獄寺ははっと顔を上げてこちらを見返す。
 その痛々しいまなざしを、綱吉はまっすぐに見つめた。
「俺は鈍いけど、こういう時に君の考えることくらい分かるよ。俺だって君と立場が逆だったら、自分を責めてた。
 でもね、獄寺君。あの事故は、俺のせいでも君のせいでもなかった。ただ間が悪かった。それだけのことなんだ」
「―――…」
 綱吉の言葉にも、獄寺の表情は凍り付いて動かない。
 彼の性格を思えばそれも当然のことだった。綱吉は、どうにもならない現実を心に冷たく噛み締める。
「そんな理屈は受け入れられない? そうだよね。現に俺は事故に遭って、この右目はほとんど見えない。それは絶対に消せない事実だ。だから、この目が元に戻らない限り、君は君自身を許せない」
 そっと指先で右目のまぶたに触れ、綱吉はまた手を下ろす。
 そして獄寺を見上げた。
「……獄寺君」
 静かに静かに、綱吉は呼びかける。
 ここで泣いてはならないと思った。自分が涙を零せば、それだけ獄寺を追い詰めることになる。
 それだけはしたくなかった。
「そんなに辛くて苦しいのに、俺に電話をくれたり、会ったりしてくれたのは、それが償いになると思ったから?」
 そう問いかけると、獄寺は驚いたように綱吉を見つめ返した。
「まさか……! そんなじゃありません、俺は……、」
 俺は、と言いかけて獄寺は、はっと言葉を飲み込む。
「俺は……、何?」
「いえ……。でも、償いのつもりでしたことじゃありません。こんなことが償いになるはずがないってのは、いくら俺が馬鹿でも分かってます」
「……そう」
 それなら、と綱吉は獄寺を見上げる。

「俺はね、獄寺君。これからも君に会いたい。君と色んなことを話したいし、一緒にあちこち遊びにも行きたい。……でも、君がそうしたくてするんじゃないのなら、君の中に少しでも償いの気持ちがあるのなら、俺は、要らない」
 
 そんな君は要らない、と綱吉は告げた。
 
「さっき、君は俺に対して、何ができるのか分からないって言ったよね。でも、俺が君にして欲しいのは、すごく単純なことなんだ。
 『昔みたいに、いつも傍にいて欲しい』
 君にして欲しいことも、君が今の俺にできることも、それだけ」
「十…代目……」
 十代目と呼んだ獄寺に、綱吉は微笑んだ。
「俺、君にそう呼んでもらうのが好きだった。いつもいつも、すごく嬉しそうに呼んでくれたから。呼ばれる俺も、何だか嬉しい気分になれた。……でも、沢田さん、って呼ぶ時の君の声は、すごく辛そうに聞こえる」
「さ……」
 名前を呼びかけて、途方に暮れたように獄寺は唇の動きを止める。
 泣いてしまいたいような光を浮かべた銀緑色の瞳を見つめて、綱吉はもう一度悲しく微笑んだ。
「ごめんね、俺はものすごく自分勝手なことを言ってる。分かってるけど、このままじゃ俺たちは、この先一生、罪とか償いとかそういうものを挟んでしか向き合えない。そんなのは、俺は嫌なんだよ」
「沢田さん」
「もう一度言うけど、俺が君にして欲しいことは、俺の傍にいてくれることだけ。でも、君の気持ちがないのなら、何にも要らない。……それで、君がどうしたいのか、答えが出たら、また連絡して」
「沢田さん……!」
「ごめんね、獄寺君。でも、俺も譲れないんだ」

 こうして会う時間が、何よりも大切だから。
 誰よりも大切な人だから、もう譲れない。
 それが全てを失うことに繋がるかもしれないとしても。

「……それじゃ、またね。獄寺君」 
 さようなら、とは言わなかった。
 まだその言葉を使う時ではない。
 もう一度獄寺の、途方に暮れて泣いてしまいそうな銀緑色の瞳を見つめてから、ゆっくりと綱吉は踵(きびす)を返す。

「沢田さん……!」

 行かないでくれと、俺はどうすればいいのですかと獄寺の声が呼ぶ。
 だが、綱吉は振り返らなかった。
 振り返ったら、自分が今、告げたばかりの言葉を取り消してしまう。
 理由も気持ちも何でも構わない。本当はただ傍にいて欲しいだけなのだと、すがってしまう。
 そんな真似をしても、またすぐ後悔する羽目になるだけだ。だから、綱吉は振り返らなかった。
 自宅のアパートに辿り着くまで、あと十五分弱。
 それまでは涙を零すわけにはゆかなかった。

*               *

 名を呼んだ声にも振り返ることなく、遠ざかってゆく。
 その背を追うこともできなかった。

 要らない、と言われたのだ。
 とうとう、言われてしまった。

 いつかこんな日が来ることは、分かっていたように思う。
 彼がどんなに優しくとも、限度はある。
 会いたいと言ってくれているのに、ただ連絡を待つばかりで。
 会いたいのに、会ってもらえるのが嬉しいのに、いざ会っても、怯えて怖がって、まともに会話すらできない。
 そんな自分は愛想をつかされても……見捨てられても当然だった。

「でも……俺は笑えません。笑えないんです。あなたの前で、笑えるわけがねえ……っ」

 目の前で、華奢な体はダンプカーに跳ねられて宙を舞い、アスファルトに叩き付けられた。
 ぴくりとも動かない白い顔と手足、乾いたアスファルトの上に零れ落ちた血の色を、まだ鮮明に覚えている。
 手術室の前に駆け付けた人々を、震えながら泣きながら祈っていた奈々の姿を覚えている。
 そして、「十代目じゃなくなっちゃった。ごめんね」と彼が謝った時の、魂が半分抜け落ちたように青ざめた顔を、昨日のことのように覚えている。
 なのに、どうして平気で彼の前に立てるだろう。
 どうして笑えるだろう。

 だが、そんな自分は要らない、と彼は。

「沢田さん……、十代目…っ…!」

 ただ、ひたすらに傍にいたかった。
 彼の役に立ちたかった。
 全ての脅威から、彼を守りたかった。
 なのに、何故自分はそれができなかったのだろう。

 あの日の、あの事故。
 それさえなければ。

 それとも、あの事故がなくとも、いずれはこういうことが起きていたのだろうか。
 盲目的に慕うことしかできなかった自分には、いつか必ずこんな罰が落とされたのだろうか。

 そして時間切れとなった今、今度こそ、あの人を失ってしまうのか。

「十代目……!!」

 返事の返らない呼び名を、血を吐くような思いで繰り返す。
 もう、この場所から一歩も動けそうになかった。

to be continued...

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