きらきら 6

 ああ、夢だと思った。
 この二年余り、何度も何度も繰り返し見てきたから、夢の中でも夢だと分かる。
 懐かしい並盛中学の校舎。
 その廊下を自分は小走りに走っている。教室の一つ一つを覗き込みながら、廊下の窓の外へと視線を走らせながら。

「ツナ君、どうしたの?」
「京子ちゃん。獄寺君を捜してるんだけど、知らない?」
「……獄寺君? どのクラスの子?」
「え? 獄寺君は獄寺君だよ。うちのクラスの……」
「何言ってんのよ。ゴクデラなんてうちにはいないじゃない」
「え、でも、黒川……」
「お、なんだ。どーしたんだ、ツナ?」
「山本!」
「沢田が変なのよ。ゴクデラって奴がうちのクラスにいるはずだって」
「獄寺?」
「山本、山本も分かんないの? 獄寺君だよ。一年の時からずっと一緒だろ?」
「ん〜? ツナ、誰かと勘違いしてねえ? そういう名字の奴はいないぜ」
「そんな……」
「またあんた、授業中に寝てて夢でも見たんじゃないの?」
「ねえ……ツナ君。その子のこと、他のクラスの友達にも聞いてあげようか? 誰か知ってる人がいるかもしれないし」
「……ううん、いい。ありがと、京子ちゃん。山本も黒川もごめん。……俺の勘違いだったみたい」
「そーか?」
「まったく、あんたはボケてんだから」

 級友たちが呆れたように笑うのに合わせて、綱吉もへらりと曖昧な笑みを浮かべる。
 けれど。

「――違う…」
 自分の呟いた声で、目が覚めた。
 視界がぼやけ、まばたきすると温もりの失せた水滴があふれてこめかみへと伝い落ちてくる。
 そのまま視線を横に向け、手をのばして携帯電話を取り上げる。
 だが、画面を開いても、着信記録もメールも入っていない。
 小さく溜息をついて、綱吉は涙を拭った。
「久しぶりに見たな……」
 獄寺が並盛を去っていった頃、よく見た夢だった。
 場所は、学校だったり町中だったり、その時々によって違ってはいたが、内容はいつも同じだ。
 獄寺を探して走り回って、会う人ごとに尋ねるのに、誰も彼を知らないと言う。
 そして、とうとう自分は探し疲れて、でも獄寺がいないことが悲しくて、泣きながら目を覚ますのだ。
「馬鹿みたい……」
 こんな夢を見る理由は、自分でよく分かっていた。
 不安で不安でたまらないからだ。
 彼を失ってしまったのではないかと思っているから、夢の中で必死に彼を探している。
 ───獄寺と最後に会ってから、もう一週間が過ぎようとしているのに、彼からの連絡はまだなかった。
 連絡を待ち続けて、起きている間中、携帯電話を気にして。
 夜の眠りも浅く、真夜中に目を覚ますことも度々だし、こんな泣きながら目覚めるような夢も見る。
 たった一週間といえば一週間だが、それでも待ち焦がれて過ごす日々はあまりにも長い。
「──もう…駄目なのかな」
 手の中の携帯電話を握り締めながら、小さく呟く。

 ひどい我儘を言ったという自覚はあった。
 あんな風に告げたところで、獄寺がすんなり受け入れられるはずがない。
 自分が突き付けたのは、無か全てかの二者択一だ。そこには何の寛容もない。

「失恋決定……、かぁ」
 当然のことだと思いながらも、涙が滲む。
 好きだから、大切だからこそ、あんな悲しい目をしたまま自分と会い続けて欲しくなかった。
 獄寺に対してはああいう言い方をしたが、本心のところは、償いや憐れみならいらないというような高尚な話ではない。
 ただ、自分と会うことが獄寺を傷つけ苦しめるのなら、もうこれ以上は会えない。それだけのことだった。
 そして、獄寺が傷付き苦しむのは、根底に罪の意識があるから。それでも会ってくれるのは、獄寺は否定したが償いたいという思いがきっとあるからだ。
 会ってくれるのは嬉しい。
 けれど、苦しんでいる彼を見たくない。これ以上苦しめたくない。
 そのためには、この先も自分たちが会い続けるためには、獄寺に彼の内にある贖罪の感情を乗り越えてもらうしか方法がない。
 そう思って切り出した話で、その結果、全てを……獄寺を今度こそ失ってしまうかもしれないという可能性も承知していた。
 けれど、いざもう会えないと思うと、たまらなく苦しい。
 会いたいのに、傍にいて欲しいだけなのに、どうしてそれが叶わないのだろう。
 あの頃のままいられたら、もうそれだけで良かったのに。
 ―――何故、こんな怪我を負ってしまったのだろう。
 あの事故さえなければ、右目の視力を失う後遺症さえなければ、自分たちは変わらず傍にいられたはずなのに。
 それとも駄目だっただろうか。
 こんな感情を抱いたままでは、いつか破綻して壊れてしまっていただろうか。

「獄寺君……」

 大好きで、大切で。
 ただひたすらに傍にいて欲しかった。
 願ったのは、それだけだったのに。

 たった一つの事故で全てが壊れてしまって、もう戻らない。

 鳴らない携帯電話を握りしめたまま、綱吉は込み上げる嗚咽を押し殺す。
 自分自身のしたことが招いた結果を嘆くのは愚かしい。
 けれど、今は泣くことしかできなかった。

*               *

 不意に鳴り響いた携帯電話の着メロに、綱吉はびくりと肩を震わせる。
 だが、すぐに溜息を押し殺して、こたつテーブルの上に置いたままだった小さな端末を手にとった。
 液晶画面を見なくとも、着メロを聞けば誰からの電話か分かる。
「――はい」
『よ、ツナ。元気にしてるか?』
「……うん」
 久しぶりに耳にする親友の声に、綱吉は微笑んだ。
「山本は調子どう? 今、日本に帰ってきてるんだよね?」
『おう。宮崎はあったかくていいぜー。あっちは大寒波だったからな。日中でも氷点下で、寒いのなんの』
「うん。キャンプのニュース見てたよ。元気そうで安心してた」
『そっか、ありがとな』

 山本は高校卒業後、メジャーリーグと契約して渡米していた。
 高校野球界ではスーパースターだった彼だが、さすがにプロ、それもUSAのメジャーリーグは基礎体力からして違う。
 初年度から大活躍することは不可能だったが、それでもシーズン後半からはスタメンとして起用されることもあり、新人としてはまずまず合格点の成績を上げていた。

『ツナは変わりね?』
「うん。相変わらず。今は大学も休みだから、のんびりしてる。明日くらいから並盛に帰ろうと思って、今、バッグに荷物詰めてたとこ」
『並盛か。俺も帰りてーなー。親父の寿司食いてえよ』
「こっちに戻ってくる暇はなさそう?」
『うんにゃ。向こうに帰る前に寄るつもりではいるぜ。どうせ成田までは行かなきゃなんねーし』
「そっか、そうだね」
 穏やかに話をしながら、綱吉はそっと手のひらを握りしめる。
 獄寺は山本にとっても親友だった。二年余り音信不通になっていた彼を案じていたのは、山本も同じだろう。
 ならば、話さないわけにはゆかなかった。
「あのね、山本」
『ん?』
「俺、獄寺君に会ったんだ」
 そう告げた途端、電話の向こうの気配が緊迫する。
『――いつ?』
「ちょっと前。二月の始めくらい。今、この街にいるんだって。システムエンジニアの仕事してるって言ってた」
『……そっか……』
 電話の向こうで、山本は大きく溜息をついた。

『あいつ、生きてたのか。良かった……』

 その言葉を聞いた途端、綱吉の背筋にうそ寒いものが走り抜ける。
「山本……?」
『ああ、悪ぃ。心配させちまったか? そーいうつもりで言ったわけじゃねーんだけど……』
 山本の声はいかにも気まずげで、うっかり口を滑らせてしまったと悔いているのがありありと伝わってくる。
 深く突っ込まれたくないのは分かったが、だからといって、綱吉は聞き流すことはできなかった。
「なんで、そう思ってたの? 獄寺君が……」
 問いかける声がかすかに震える。
 山本がそれに気付いたかどうかは分からなかったが、少しだけ電話口でためらった後、彼は言葉を捜し捜し言った。
『――今だから言うけど……ツナが事故に遭った時な。三日間、意識が戻らなかっただろ? あの時、俺と笹川先輩は交代でずっと獄寺を見張ってたんだよ。あいつ、ものすごいショック受けてたからさ。何だか目を離したらヤバいことになりそうな感じがしてさ……』
「―――…」
 綱吉は、ぎゅっと携帯電話を握りしめる。
 だが、それでも体の震えは止まらなかった。
『それで、ツナの意識が戻って、俺たちもちょっと安心したんだけど……目のことが分かって、ボンゴレリングも返すことになって。あいつもイタリアに帰るって言い出しただろ。……俺、言ったんだぜ。ツナの気持ちも考えろって。お前が自分の責任だって思いつめて、そんなんでツナが喜ぶと思うのかって。……でも、駄目だった。ごめんな、ツナ』
「――なんで……なんで、山本が謝んの? 山本は何にも悪くないじゃん……」
『でも、イタリアに帰るっていうあいつを止めらんなかった。それは俺の力不足だろ?』
「そんなことないよ!」

 力不足というのなら、自分の方だった。
 おそらく、あの時獄寺を止められる人間がいるとしたら、それは自分だけだった。
 けれど、自分は何も言えなかったのだ。
 獄寺が責任を感じていることも、傷付き苦しんでいることも、気付いていたのに。
 色々なものを失くしてしまったことが辛くて、自分自身のことで手いっぱいで、去ってゆく彼にかける言葉を見つけることができなかった。

「ごめん、山本……。俺があんな事故に遭ったから……」
『それこそツナのせいじゃねーだろ。ツナは悪くねーよ。獄寺だって悪くねー。二人とも巻き込まれちまっただけだ。そうだろ?』
「そうだけど……分かってるけど……!」

 獄寺はまだ、苦しんでいる。
 何もかも自分の責任だと思いつめたまま。
 そのことが綱吉も、辛くて苦しくてたまらない。

『ツナ、ごめん。傷つけるつもりはなかったんだ。本当にごめんな』
「ううん。傷ついてなんかない。大丈夫。大丈夫だから……」
 辛そうな親友の声に、綱吉は気を静めようと大きく深呼吸する。
 それを山本も感じ取ったのだろう。少しの間、無言で待っていてくれた。
『それで……あいつ、どうだった? 元気そうだったか?』
「――うん。御飯はちゃんと食べてる感じはした。仕事も結構忙しいみたい」
『そっか……。連絡先とかは分かってんのか?』
「携帯の番号とメルアドは教えてくれた。どこに住んでるのかは聞いてないけど、俺のアパートからそんなに遠くはないと思う」
『じゃあ……連絡は取ってるのか?』
 その質問に答えるには、一瞬の間が必要だった。
「――うん。でもこの前会った時にちょっとあって……今は向こうからの連絡待ち」
『そっか』
 綱吉の言葉を山本は追求してこない。
 その優しさが今はありがたかった。
『じゃあさ、機会があったら獄寺に言っておいてくれよ。俺が会いたがってたって。連絡寄越せって。あいつに俺の携帯の番号とアドレス、教えてやってくれ』
「……うん。分かった。絶対に伝える」
『ああ』
 うなずき、山本は短く沈黙する。
 それから、何かを思うような深い声で、ツナ、と呼んだ。
『気休めにしか聞こえねーかもしれねーけど……獄寺は大丈夫だと思うぜ』
「え……?」
『上手く言えねーけど。あの時、死なないで今まで生きてたんなら、大丈夫だって気がする。あいつ、日本に戻ってきてたんだろ? 並盛には顔を出せなかったにしても、ツナのすぐ近くにはいたんだ』
 だから、と山本は続けた。
『結局、あいつはツナと離ればなれじゃ生きていけねーんだよ。だから、どんなに苦しんだって、あいつはツナの傍にいることを選ぶと思う。それしか、あいつには選択肢はきっとねーよ』
「山本……」

 分かっているのか、と思った。
 再会した自分達が、何に苦しむのか。どんな壁にぶつかるのか。
 思えばあの頃、ずっと一緒にいたのは、自分と獄寺だけではない。いつも山本も隣にいたのだ。
 そんな彼には、きっと全て見えているのだろう。

 けれど。

「……ありがと、山本」
『いや。俺はまだ、お前らの親友のつもりだし。今は滅多に会えなくなっちまってるけどな』
「何言ってんだよ。友達は、会う回数で決まるようなものじゃないだろ」
 年に一度しか会えなくとも、互いの心が変わらなければ、時間も距離も関係ない。
 中学時代からここまでの年月の間で、綱吉はそう理解していた。
 その思いが伝わったのか、電話の向こうで山本がふっと笑う。
『そーだな。とにかくキャンプが終わったら、俺も一旦、並盛に帰るからさ。そん時に会おうぜ』
「うん。楽しみにしてる」
『じゃあな、ツナ』
「うん、またね。怪我しないように、キャンプ頑張って」
『おう』
 快活な声を最後に、通話が切れて。
 ゆっくりと綱吉は携帯電話を持つ手を下ろした。

「ありがと、山本……。でも……駄目なんだよ」

 今の電話で分かった。
 獄寺が抱えている罪の意識は、自分が考えていたよりも遥かに大きい。
 二年余り前、獄寺がイタリアに帰ると言った時、綱吉はもう二度と会えないことを悲しみはしたものの、彼がこの世からいなくなることは想像しなかった。
 きっと、イタリアで毎日それなりに暮らしている。また無茶をしていないか、怪我をしていないか。心配しながらも、そんな風にのんきな想像しかしていなかったのだ。
 けれど、獄寺が自死を考える程の罪の意識をずっと抱いていたのなら。
 その罪の意識を乗り越えるか、乗り越えないか。二者択一を迫られた獄寺は、必ずや贖罪の方を選ぶだろう。
 沢田綱吉という人間を大切に思えば思う程、彼は沢田綱吉からは遠ざかってゆく。

『君の中に少しでも償いの気持ちがあるのなら、俺は、要らない』

 あれは、獄寺隼人という人間には決して言ってはならない言葉だった。
 それ以前に。


 自分たちは、再会してはいけなかった。


「俺、馬鹿だ……」
 もう二度と会えないと思っていた人に会えたから。
 遠く離れた場所にいると思っていた人が、すぐ近くにいるのだと知ったから。
 あの頃のように戻れる可能性があるのだと思ってしまったのだ。
 獄寺の方には、これっぽっちもそんな気持ちはなかったのに。
 自分との再会は、彼を苦しめるだけだったのに。
 それを分かっていなかったから、決して口にしてはならない言葉を口にして、もう一度手酷く傷つけてしまった。
「ごめん、獄寺君……ごめん……」
 その場にうずくまるようにして、綱吉は込み上げる激しい嗚咽にすすり泣く。
 きっとあの時の獄寺も泣きたかっただろう。
 死にたいくらいの気持ちを抱えて、それでも会っていた相手に、そんな気持ちで会うのならいらないと言われて。
 自分が獄寺の立場だったら、今度こそ死にたくなる。
 どうすればいいんだと叫びたくなる。
「本当にごめんね、ごめんなさい……」
 また一つ犯した、取り返しのつかない罪に。
 綱吉は子供のように声を上げて泣いた。

*               *

 ぼんやりと目覚めて、最初に視界に入ったのは、付けっぱなしになっていた天井の照明だった。
 相当にむくんでいることを知らせるかのように重たいまぶたをしばたいて、あのまま眠ってしまったらしい、と思い当たる。
 カーテンを引き忘れていた窓の外はまだ暗く、夜であることは分かるが、この位置からは目覚まし時計は見えないから時刻は分からない。
 更に視線を動かすと、荷造りの途中で放り出したままのスポーツバッグが目に入った。
 母親には明日(今日かもしれない)帰ると言ったが、一日遅らせるべきかもしれない。こたつに半分潜り込むような姿勢で変な寝方をしたせいなのか、気分の問題なのか、これから荷造りを再開するのはひどく億劫に思えた。
 ファンヒーターも付けっぱなしだったから、部屋の中は寒くはない。
 風邪を引かなくて良かったと思いつつ、寝転がったまま携帯電話を捜す。
 とりあえず時間を確認して、まだ母親が起きている時間なら、帰省が遅れると電話なりメールなりをしようと、頭の上の方にあった携帯電話を見つけて掴み、そして。

 点滅しているイルミネーションに気付いた。

 着信ではなく、メールだということはサブ画面の小さなアイコンで分かる。
 誰から、と思いながら二つ折りの本体を開く。
 山本かもしれなかった。あんな電話の後だから、フォローのメールを送ってきた可能性はある。
 けれど、まさか。

「……獄寺、君……」

 開いたメールフォルダの送信者名には、はっきりそうと浮かんでいた。
 そして、震える指で操作して表示した本文は。
 ごく短かった。

『御連絡が遅くなってすみません。明日、会っていただくお時間はありますか?』

 液晶画面に浮かぶメールの文字を、震える指先でなぞる。
 それから、唇を噛み締めて返信ボタンを押した。

『返信が遅れてごめん。明日、会えます。時間と場所は、君に合わせます』

 送信してから、返信の着メロが鳴るまでは五分程の時間がかかった。
 その五分の間に獄寺は何を考えたのだろうと思いながら、メールを開く。
 相変わらず、文章は短かった。

『ありがとうございます。明日、午後三時にいつもの場所で、お願いします』

「……明日の、午後三時」
 呟いて、綱吉は携帯電話の時刻表示を確かめる。
 午後九時なら、母親に連絡をするのは問題ない。帰省が一日遅れると伝えておかなければならなかった。

to be continued...

NEXT >>
<< PREV
格納庫に戻る >>