I am.

8.


「失礼します」
 短いノックをして、いつものように返事を待たずに室内に踏み込む。
 と、
「あら、隼人」
 予想だにしない甘い女の声に名を呼ばれて、隼人はぎょっと書類に向けていた視線を上げた。
 ボンゴレ十代目の執務室は、賓客用の応接室を兼ねており、かなり広い。
 その執務室の正面奥、巨大なマホガニー製執務卓の向こう側には、いつもと変わらない様子の綱吉が居り、そしてこちら側には、長いストロベリーブロンドの若い女が、くつろいだ姿勢で立っている。
 約九ヶ月振りの再会だが、その印象深い姿を見間違えるはずがない。
「ビアンキ!?」
 名を呼ぶと、異母姉は嫣然と微笑んだ。
「ええ。半年振りね」
「な…にしてんだ、こんなとこで」
「あら、何もどうもないでしょ。ツナとあなたに会いに来ただけよ。聞いてないの? 私とツナは昔からの知り合いなのよ」
「は……」
 そういえば、と隼人は思い出す。
 もともと綱吉は、隼人の個人情報をこの異母姉から聞き出したと言っていた。しかし、こんな風に個人的に執務室に立ち入ることができるほど親しいとは、まさか想像もしていなかった。
 せいぜいが、綱吉の元家庭教師であるリボーンを通じての知り合い、その程度に考えていたのだ。
 しかし、室内を見る限り、彼女はこの部屋に単独で入室し、綱吉と直接に言葉を交わすほどの仲であるらしい。しかも、二人の様子はかなり親しげで、隼人はそのことに戸惑わずにはいられなかった。
「悪いわね、ツナ。こんな弟で」
「ううん、隼人はすごく良くやってくれてるよ。彼が来てくれて、仕事が本当に楽になったし」
「そう? ならいいけど」
「ホントホント」
 二歳しか違うにもかかわらず、まるっきり保護者の顔で言うビアンキに、綱吉は朗らかに笑う。
 二人とも随分と楽しそうだったが、隼人としては居たたまれないことこの上なかった。
 身内と上司が言葉を交わす場面に行き会うなどという場面は、はっきり言って、かなり痛い。けなされるにしても、褒められるにしても、願わくば当人に聞こえない所でやってもらいたい。
 というより、そもそも、この組み合わせで会話などしないで欲しい。普通なら有り得ないのだ、こんな場面は。
 しかし、だからといって、今の隼人になす術はなかった。
 ビアンキはまだしも、綱吉は直属の上司だ。その会話を中断させるような権限は、まったく持ち合わせていない。
 手にしている書類が緊急のものであれば良かったが、いずれも今日中に決裁をもらえれば十分なものばかりである。ビアンキを追い出す理由には、到底足らない。
 もう一つ、これらの書類を綱吉に渡すだけ渡して、この場を立ち去るという逃亡方法もあったが、それはそれで、ビアンキが何を話すか知れたものではない。
 共に暮らしていたのは、隼人が八歳になる頃までだとはいえ、それまで隼人のあれやこれや、子供らしい失敗エピソードを彼女はたんまりと握っているのだ。
 それについては、既に話してしまっているという可能性も当然あるのだが、精神安定上、その分は考えない方がいいだろう。
 ともかくも、どうしたらビアンキをこの場から立ち去らせることができるか。
 何か良い方法はないかと思案していると、綱吉が、不意に目線を向けてきた。
「隼人、それ新しい分の書類だよね?」
「あ、はい」
 呼びかけられ、救われたような気分で執務卓に歩み寄る。
「どれも急ぎではありませんが、今日中に決裁をお願いします」
「って言っても……。今日は午後から視察が入ってたよね。実質、午前中にってことにならない?」
「視察は午後四時までの予定ですから、戻られてからでも十分に時間はありますよ」
「帰ってからなんてヤだよ。俺は定時きっかりに仕事、上がりたいんだから」
 視察先の工場から戻ってきたら、もう六時じゃないかとぼやき、綱吉は軽く溜息をつく。
 そして、ビアンキにまなざしを向けた。
「ごめん、ビアンキ。仕事しなきゃいけないみたいだ」
「そのようね」
 綱吉の断りに、彼女は気を悪くしたようでもなく微笑んでうなずく。綱吉がどれ程多忙であるかは、彼女も十分に承知しているのだろう。
「久しぶりに話せて楽しかったわ。また寄らせてもらうわね」
「うん。リボーンにもよろしく言っておいて」
「ああ、彼なら今日明日中に顔を出すはずよ。パレルモまでは来てるから。市内で何か用事があるらしくって、今日はお前一人で先に行けって言われたの」
「あ、そうなんだ」
「ええ。それじゃあね、隼人。あなたもしっかりやるのよ」
「……言われるまでもねぇよ」
 声は自然、ぶっきらぼうになったが、微笑んだ彼女に頬にキスを贈られれば、こちらも返さないわけにはない。
 十五年も会っていなかったのに、これではうんと仲の良い姉弟のようではないかと思いながらも、じゃあな、と溜息混じりに彼女を送り出し、そして、さて、と振り返ってみれば。
「……何ですか?」
 綱吉が実に楽しげな笑顔で、こちらを見つめていて、隼人はかすかに眉をしかめた。
 彼がこういう表情をした時は、大概、隼人の心情にそぐわないことを口にするのは、これまでの経験で重々承知している。
 案の定、
「やっぱりビアンキとは仲がいいんだね」
 朗らかにそう言われて、隼人は決してポーズではなく深い溜息をついた。
「──良くないですよ」
「そう?」
「はい。つい最近まで十五年間、音信普通だったことは御存知でしょう?」
「それは知ってるけど。でも、連絡を取ってなかったからって、気にかけてなかったってことにはならないだろ?」
 隼人を見つめたまま、同意を求めるように綱吉は小さく首をかしげる。
「俺は昔から、君の話をビアンキから聞いてたよ。彼女がジェンツィアーナの娘だっていう素性を知ったのはカテーナの件が起きてからだけど、そのずっと前、知り合った頃からさ。俺と同い年の弟がいるんだって」
「は……」
 その言葉に、思わず隼人は目を見開いた。
「本当だよ」
 隼人の表情から内心を読んだのだろう。綱吉は、やわらかな笑みを瑪瑙色の瞳に滲ませた。
「いつもじゃないけど、時々ね。特に誕生日とかクリスマスとか、イベントがある時は、君のことを良く思い出すみたいだった。……俺もまさか、こんな形で本物の君と知り合うことになるとは思ってなかったけど」
 さらりと、そして最後の言葉だけは、ほろ苦さを込めて告げる。
 だが、隼人としては、それをどう受け止めればいいのか分からなかった。
 ビアンキが、ジェンツィアーナの娘としてボンゴレに問われる以前から、自分のことを誰かに語っていたなどとは。それも、季節のイベントがある毎に、もしかせずとも──懐かしさと悲しさを込めて。
 まさか、という思いが胸に渦巻くものの、それはないと否定はできなかった。
 むしろ、有り得る話だった。
 昨年のクリスマスに会いに来てくれた彼女なら。
 あの二枚の写真を届けてくれた、彼女ならば。
「──ねえ、隼人」
 無言のまま立ち尽くす隼人を、綱吉はやわらかな声で呼ぶ。
「ビアンキは素敵なお姉さんだね」
 俺は一人っ子だから、ちょっと羨ましい、と告げられて。
 獄寺はどう返答したものか、心底困惑する。
 とりあえず、素敵という表現には同意しかねた。
 かなりの美人だとは認めるが、性格的には子供の頃からきつくて、人の話をあまり聞かない傾向があった。今は多少改善されたようにも思うが、言いたいことを言う部分はそのままだ。
 だが、彼女がどんな性格の持ち主であれ、自分のことを気にかけているのは、おそらく掛け値なしの真実だった。
 彼女は愛情深い。それはそのまま執念深さにも繋がるが、一度愛したものは、そのまま愛し抜く性分を持っている。
 そして、彼女が愛しているのは、恋人と、亡くなった母親と……腹違いの弟。
 それだけは、多分、間違いない。
「──あんなので良ければ、いつでも差し上げます、と言いたい所ですが、あの性格では十代目に申し訳なくて差し上げられません」
 五秒ほど考えた挙句、綱吉の言葉に応えて出てきたのはそんな言葉だった。
 それを聞いた途端、綱吉は相好を崩す。
「えー、俺はビアンキ好きだけどなぁ。キツイとこもあるけど、根っこは優しいし、リボーンといると可愛いし」
「可愛い、ですか?」
「可愛いよ。本当に恋する女の人って感じで」
「……そんなもんですかね」
「うん」
 はっきりとうなずかれても、ビアンキが恋人といる場面を見たことがないため、何とも応じがたい。
 クリスマス・イヴに見た笑顔からすれば、相手に全身全霊で惚れ込み、幸せでいるのは感じ取れたものの、具体的に『恋人に甘える可愛らしいビアンキ』というものは、想像の範疇外だった。
 だが、綱吉は、
「やっぱり、ちょっと羨ましいよ」
 そう言い、獄寺が持ってきた書類に手を伸ばす。
 その横顔は、改めて見ても穏やかで、兄弟姉妹があることを羨ましがる、それ以上の意味があるようには思えない。
(兄弟があれば重荷を押し付けられるのに、なんて考えるような人じゃねーよな)
 そんなことをちらりとでも思った自分を少し恥じ、隼人はいつものように書類の内容について説明を求める綱吉の声に集中した。

 

 午後からの視察先は、三ヶ月ほど前に買収した水産物加工の工場だった。
 買収といっても友好的な取引であり、何のトラブルもこれまで起きてはいないが、新しい経営者が現場を気にかけているというアピールは、様々な問題の発生を未然に防ぐ効果がある。
 ゆえに、よほどの遠方でない限り、こういった新規に取得した現場には極力、ドン・ボンゴレ自身が赴くことが慣例になっていた。
 そんなわけで綱吉がこの工場を訪ねるのは初めてだったが、隼人自身も、書類で詳細は確認していても、この工場に足を踏み入れたのは初めてである。
 通常、買収されるような工場は何かしらの問題を抱えていることが多く、この工場も大規模な設備投資が裏目に出て資金繰りが悪化し、リストラを重ねた挙句に身動きが取れなくなってボンゴレに買収された。
 そして、買収後のボンゴレは、余剰設備を整理し、従業員を雇い直して操業を再開したのである。
 それから三ヶ月、隼人が綱吉と共に見た工場内は清潔で、従業員たちの表情も明るく、労働環境が素晴らしく良いことが感じ取れた。
 事務方も、ボンゴレが経営者となってから様々な改善が行われたとかで、この三か月分の様々な伝票類や帳簿等はきちんと整理されている。
 この調子で管理されてゆくのなら、市場の動向を読み間違えない限り、経営そのものも順調に伸びてゆくだろうと思われた。

「悪くない感触でしたね」
「うん、いい感じ。いつもこういう風だと楽なんだけどなぁ」
 視察を終えて車に乗り込み、後部座席に落ち着いたところで隼人が切り出すと、綱吉も同感とばかりにうなずく。
「今回は例外。いつもはね、もう少してこずるんだよ。現場の工場長が困った人間だったり、原材料や製品の横流しをしてる下っ端がいたり……」
「──確かに、そういう小者の尻尾を掴むのは、案外に難しかったりしますね」
「うん。小さなネズミ一匹、簡単そうでそれが簡単じゃないんだよね。小さい分、こそこそ用心深く立ち回るのが上手かったりして……。今回はリストラのし過ぎで、従業員がろくにいなかったのが逆にラッキーだったよ」
「はい」
 うなずきつつ、隼人は窓ガラス越しに周囲の風景を確かめる。
 ボンゴレの総本部から約2時間の距離にある視察先の工場は、港に隣接した立地であるため、辺りの建物は工場や倉庫のような建物が多かった。
 工場地帯と呼べるほどの地域ではないため、それらはどれも大きくはなく、古びて潮風に錆が浮いている。
 その間を縫って走る道路は、いずれもトラックが行き来できるギリギリの幅で曲がり角も多く、決して走り良くはなかった。
 付近の海からは、格別な何かが取れるわけではないし、町の規模自体も大きくはない。利潤に敏感なボンゴレがこの港湾地域に初めてまとまった金額を投資したのが、今回の工場の買収という事実が、この町の平凡さ、あるいは発展性の無さを端的に示している。
 だが、今回の工場の操業再開で、新たに賃金を得ることになった人々が、町の商取引を刺激することができれば、そこからまた何かの芽が出るかも知れず、その内容によっては次のボンゴレの投資を呼び込むこともできるかもしれない。
 この町に利益をもたらし、ボンゴレにも利益をもたらすことのできる形とはどんなものがあるか、と思案しながら窓の向こうの景色に視線をめぐらせる。
 ───その時。

「伏せろっ!!」

 不意に血相を変えた声で綱吉が叫び、隼人のスーツの上腕を乱暴に掴んで、自分も身を低くしながら座席に引き下ろす。
 隼人が反応すると同時、半秒遅れて耳障りで硬質な、悪意に満ちた雹が降り注ぐような音が車体の側面に響くのを聞きながら、隼人もまた、叫んでいた。
「止まるな! 走り抜けろ!!」
 ここで車体が停まったら、襲撃者の格好の的になるだけだ。裏社会に十数年間、身を置いてきた者ならではの脊髄反射による指示だったが、それは運転手も同じだった。
 端然とした印象の強い壮年の運転手は、隼人が言葉を終えるよりも早く猛然とアクセルを踏み、それまでの丁寧な運転とは人が変わったような勢いで、味方の後続車さえ遥かに引き離し、ぎりぎりの車幅の細い道を猛り狂った悍馬のように駆け抜ける。
 だが、襲撃者はどれ程の執拗さで、ドン・ボンゴレの命を狙ったのか。
 角を一つ曲がるごとに、短機関銃の、あるいはアサルトライフルの銃弾が襲ってくる。その繰り返しが何度も続き、自分たちが身を預けているのが乗用車としては規格外れに剛性を上げてある特別仕様のドン・ボンゴレ専用車であると分かっていても、背筋に脂汗が滲む。
 ようやく銃声が絶え、五感に届くのが獰猛なエンジン音ばかりになったのは、港湾地域を抜けて寂れた印象の市街地に入った後だった。
 それでも車はスピードを緩めず、見通しの良い海岸沿いの国道に出てやっと速度を落とし始める。
 エンジンの回転音が落ちたことで隼人はそのことに気付き、伏せていた身を起こした。
「十代目、大丈夫ですか」
 反射的に我が身の下に庇ったままだった綱吉が身を起こすのを手伝いながら、ちらりと腕時計を見やる。視察先の工場を出てから十二分。前後の移動時間を考えると、実質の襲撃時間は五、六分というところか。
 体感時間がひどく長かったのは、こういう時の常であり、襲撃時間の短さは驚くことではなかった。たかが五分でも、ばら巻かれた銃弾の数は数百発、あるいは千を越えていたかもしれない。
 改めて見回せば、特殊コーティングを何層にも施した特殊防弾ガラスにも、幾らかひびが入っている。持ちこたえたのだから良かったが、もう少し襲撃が激しく、あるいは長ければ、危うかっただろう。敵が撤甲弾を使用しなかったのが幸いというべきであり、今でも、この状態の防弾ガラスにライフルを撃ち込まれたら、およそ命は無い。
 だが、その件について隼人が口を出す必要はなかった。
「十代目、あと十分程で代車が参りますので、乗換えをお願い致します」
 先程から携帯電話で低くやり取りをしていた運転手が、通話を終えて声をかけてくる。
 何事もなかったかのような落ち着いた運転手の声に、身を起こしてシートの背に体を預け、何やらを思案しているようだった綱吉も、分かった、と静かに答えた。
 その平静なやり取りに、慣れている、と隼人は感じる。
 綱吉は無論のこと、この運転手も敵の襲撃を受けたのは今日が初めてではないのだろう。綱吉の性情がどうであれ、暗黒世界に君臨する帝王であることには変わりなく、その姿を目障りと感じ、憎む者は数知れない。こんな襲撃は、既に彼の日常の一部となっているのかもしれなかった。
 だが、それにしても、と隼人は考える。
 少しばかり、綱吉が静か過ぎる気がした。普段の彼なら隣りに居る隼人に対し、一言二言、声をかけても良さそうなものなのに、先程、運転手の言葉に応えた以外は全く声を発していない。
 無論、襲撃に慣れている様子とはいえ、多少のショックはあるのだろう。顔色は決して良くはない。
 血の気の薄い唇を真っ直ぐに引き結び、何かを一心に考えているらしく、運転席の背を──宙の一点を見つめている。
 敵の正体か、あるいは、今後の処置か、どれ程の被害を受けたか知れない後続車の部下か、それとも他の何事かについてか。
 彼が何を思っているのかは想像もつかなかったが、その真剣さに声をかけるのも憚られるような気がして、隼人はそっと視線を外した。
 そのまま十分後、運転手の言葉通りに黒塗りの代車と落ち合い、運転手共々、三人は車を乗り換える。
 降車して、改めて眺めてみれば、車は酷い状態だった。官能的なほどになめらかなラインを描いていた前後のドアもボンネットもルーフも、稚拙な芸術作品のように激しい凹凸がつき、塗装があちらこちら剥がれてしまっている。
 四本のタイヤも、至る所から自動修復用の樹脂がこれまた前衛芸術のような染みを作っており、まさに満身創痍という表現が相応しかった。
 こういう状況を想定して誂えられた特別車両ではあるが、この姿を見ると、命を守られたということがつくづく実感できる。
 隼人はそれほど叙情的な人間ではないが、おそらくこのままスクラップ工場に直行するだろう車に対し、心の中で感謝の言葉と、十字の祈りを贈らずにはいられなかった。
「隼人」
 全く同じ外装と内装の代車の後部座席に落ち着き、車が走り出すと、やっと綱吉は口を開いた。
「総本部に連絡。被害状況の把握と、報復の準備を。標的はカーシェ」
「カーシェ、ですか?」
 思わず聞き返した声は、明らかに疑問符が付いており、そのことに自分で気付いて内心で舌打ちする。失態だった。
 だが、綱吉は構わず、平坦な声で繰り返す。
「カーシェだよ」
「──分かりました」
 どういう理由で、綱吉がカーシェという小さなファミリーに目星をつけたのかは分からない。しかし、これ以上の異見は認められないだろうと、隼人は言われるままに携帯電話を取り出して、総本部に連絡を取った。
 短く現在の状況と、綱吉の指示を伝えて通話を切る。
 そして隣りを伺えば、綱吉はまた硬質な沈黙の内に沈んでいた。
 まなざしは窓の向こうに向けられているため、表情の半分以上は隼人からは見えない。そのせいもあってか、元から繊細に整った容姿をしているだけに、精巧な彫像のようだった。
 聖人像、あるいは半神像として、どこかの教会か神殿に丁重に安置されていてもおかしくない。そう思えるほどに声を掛け難く、触れ難い横顔だった。

 

 まるで何事もなかったかのように、綱吉たちの乗った車はボンゴレ総本部の正門を通り過ぎ、本館の車止めで停車した。
 いつもと同じような身のこなしで車を降り、綱吉と隼人は建物の内部へと向かう。
 おかしいのは──いつもと異なるのは、その間も綱吉が一言も口を利かなかったことだった。
 普段の彼なら、面倒なことになったね、とか、もう嫌になるよ、とか、隼人相手にならば、そんな軽口めいたことを口にしそうだった。
 だが、今日に限ってはそれがない。
 車中で受けた、同行の部下のうち二名が死亡、八名が重軽傷、襲撃者の人数は不明だが十人は下らず、うち六名は死体を確保したという報告のためか、それとも、直ちに始まる血の報復を思っているのか。
 分からない。
 彼の下で働くようになってから半年余り。それでも何も彼のことを分かってはいないのだと思いながら、隼人は綱吉について最上階にある執務室へとたどり着く。
 ボンゴレの紋章が鈍く輝くドアを開けて中に入り、ドアを閉めて向き直ると。
 襲撃を受けた時から今まで、隼人を見ようともしなかった黄金のまなざしが、真っ直ぐに隼人を見つめていた。
「十……」
 呼びかけようとした声が、そのまなざしの前に途切れる。
 彼の瞳の色は、いつもの甘やかな瑪瑙色ではなかった。琥珀、を通り越して、黄金色に見える。
 以前、透明な瑪瑙色が、黄金を秘めた琥珀に燃え上がるのを見たことがあった。あれは、今から八ヶ月以上も前。この部屋でのことだった。
 あの時も、彼は窓の向こうに広がる大空を背後に従え、真っ直ぐに隼人の目を見据えていた。
 どんな反駁も許さぬ、絶対神のように無慈悲に。
 その内側に、どうしようもなく人間らしい、果てのない諦めと哀しみを秘めながら。
 そして、いま目の前にある黄金の輝きは、あの時よりも更に強く、激しく。

「どうして俺を庇った!?」

 怒号が鋭く隼人の耳を打った。
 咄嗟に何を言われたのか理解できず、隼人は綱吉の顔を見直す。それだけのわずかな目と表情の動きが、更に彼の怒りを煽ったのか、
「さっきの襲撃の時! 君は俺を庇う必要なんかない! 俺の盾になる必要なんか無いんだ!!」
 綱吉は更に声を鋭くする。
 今度は理解できた。字面(じづら)の理解はできたが、意味が分からない。
 綱吉は、隼人の上司であり、雇い主であり、ボスだ。自分を拾い上げてくれた人だ。永遠の忠誠を誓うに値すると自分に思わせた、かけがえのない存在だ。庇わないわけがない。
「十代目、」
 だが、そう告げようと銘を呼んだ直後、再度、綱吉が普段の彼からは想像もできない鋭い声を響かせた。
「君は忘れたのか、君にとって俺はどんな存在か! 俺のことなんか、庇わなくていい!! なのに、どうして君も武も……!!」
 ヒステリーを起こしているとしか思えないような感情的な声に、どういう意味だ、と考える。
 どんな存在か、と言われれば、ボスと部下だ。だが、綱吉の言い方はそうではない。
 生命の危機に際し、庇わなくても良い、そんな必要などない存在。
 それは、つまり。
「──十代目…」
 またその話か、と思わずにはいられなかった。
 綱吉は決して水に流そうとはしないのだ。隼人が何度、そんな風には思っていないと告げても、恐ろしく頑固に、自分は父親の仇だと、憎めばいいと主張し続ける。
 ここ数ヶ月は、さすがに隼人もその無意味さにうんざりして、できる限りそれに関する話題を避けていたのだが、今日ばかりはそういうわけにはいかないらしい。
 だが、反論しようとして、もう一つ引っかかる。
 ───君も、武も。
 綱吉は間違いなく、そう言った。
 武というのは、勿論、山本武のことだろう。彼の腹心であり、昔からの友人でもある青年。
 そんな男の名前が、何故今ここで、隼人の名前と同列に出てくるのか。
 まさか、と思い、綱吉の顔を見直す。
 だが、綱吉は相変わらず、気の立った獅子を思わせる黄金の瞳を炯々(けいけい)と輝かせており、到底、何かを問いかけられるような雰囲気ではない。
 うかつに話しかけたら容赦なく噛み裂かれそうな気配に、反射的に申し訳ありませんと口走りそうになったものの、それは違うだろう、と喉元で言葉を押しとどめる。
 綱吉にとっては、自分の行動は倫理に反することに思えたかもしれない。だが、それは違う。
 どちらが正しいかという問題ではなく、隼人自身もまた、自分が間違ったことをしたとは思えなかったから、火に油を注ぐ結果になるかもしれないと思いつつも、真っ直ぐに綱吉と目線を合わせた。
「申し訳ありませんが、俺は自分が間違ったことをしたとは思ってません」
 口にした途端、綱吉の眼光がさらに鋭くなる。
 だが、隼人は目を逸らさなかった。
「これまでの経緯がどうあれ、あなたは俺のボスです。俺は、忠誠を誓った相手を裏切るような真似は絶対にしません」
 そんな自分を……その誠実さを欲しい、と言ったのは綱吉の方だ。なのに、裏切るようなことを期待する方がどうかしている。
 その思いを込めて綱吉の黄金のまなざしを見返していると、綱吉の唇が何かを言いかけて引き結ばれ、ふいと目線が逸らされた。
 懸命に感情を抑えようとしているのか、葛藤しているのか、ややうつむいた横顔の中で、せわしなく数度まばたきしてから、綱吉はやっと口を開いた。
「……この話は、君に言う甲斐がないのを忘れてたよ」
 それは綱吉にしては珍しく、苦い棘を含んだ物言いであり、獄寺は表情が変わらない程度にかすかに眉をひそめる。
「この件については、もういいよ。仕事に戻って。用意が整い次第、カーシェを攻めるから、明日中に攻撃目標を絞り込んでおいて」
「──分かりました」
 今、これ以上話をするのは無理だろう。
 隼人の方は何とでも言葉を操れるが、綱吉の方は、おそらくどんな言葉にも拒絶反応を示す。
 そうと察せられたから、隼人は、分かりました、と短く答えた。
 そのまま辞去して、自分の持ち場である秘書課へと戻る。そして部下たちから現時点の報告を聞き、指示を与えてから、何かあれば携帯電話に連絡を入れるように告げて、再び廊下へと出た。

 

 山本を捕まえるのは、それほど難しいことではなかった。
 何と言ってもボスを襲撃された直後である。実働部隊の長である彼は、地下の武器庫で装備の点検作業を行っていた。
 攻撃目標の選定はこれからだが、いずれにせよ屋内戦か、建物で囲まれたような狭いエリアでの屋外戦になる可能性が高い。となれば、ロケット砲や重機関銃のような銃火器ではなく、小回りの利く小火器と、機動性の高い防弾装備、そして指揮系統を維持するための通信装備が必要となる。
 基本的な装備もオプション装備も潤沢に倉庫の中に納められ、電子化されたリストによって管理されているが、その中から必要なものを必要なだけ選んで運び出すのは、人力に拠るしかない。
 その基本的な作業を見守っていた山本は、倉庫の入り口に現れた場違いな闖入者にすぐ気付いて、目で合図を送ってきた。
 珍しく笑みの浮かばない山本の視線に許可の色を読み取って、隼人は倉庫の中に足を踏み入れる。
 倉庫は奥行きが異様に広く、入り口付近に立っている山本の周囲には誰も居ない。忙しくも整然と立ち動く者たちの声がさざめいており、声を高くしなければ、第三者に聞き取られる可能性は低いと見て、隼人は山本のすぐ近くに立った。
 煙草を吸いたいと思ったが、武器庫でライターを使うのは自殺願望のある馬鹿だけだ。仕方ない、と素のまま口を開く。
「お前に聞きたいことがある」
「?」
「十代目がお前に対して負い目を持っている理由は、何だ」
 この状況で隼人が尋ねてくるのだから、てっきり装備か作戦かについての話だと思っていたのだろう。山本の目が驚いたように軽く見開かれる。
 その漆黒の瞳を正面から見つめ返すと、たっぷり三十秒は沈黙した後、山本は思案するように目線を明後日の方向に逸らした。
「もしかしなくても、ツナがヒステリー起こしたか?」
「ああ。庇ったことを怒鳴られた。その時にお前の名前が出た」
「──そっか…」
 なるほど、と合点がいったように山本はうなずく。
 そして、隼人に向き直った。
「お前と同じ、っつーと語弊があるんだけどな。俺の親父も死んでるんだよ、ボンゴレの抗争で。もう四年も前だ」
 そう告げた山本の表情は静かだった。恨みなど微塵もない。ただ少しばかり悲しげだった。
「うち……っつーか、俺の剣の流派は昔っからボンゴレと付き合いがあってさ。何かある時は、お互いに加勢するっていう約束があるんだよ。そういう関係で、俺も親父も……親父が俺の剣の師匠だったんだけど、まあ代々の当主が当たり前みたいにボンゴレの抗争に付き合っててさ。
 だから、ツナのせいでも何でもなくって、剣の世界で生きることを選んだ親父にとっちゃ当然の死に様だったし、親父が悔やんでるとは思えねーし、俺だって悲しい悔しいってのはあっても、誰かを恨んだりとかはねぇんだけど、ツナは絶対に納得しようとしねーんだよな……」
 そういうことか、と隼人は納得する。
 見たところ、山本は言葉通りに悲しんではいても、決して恨みを持っているようには見えない。そんな影を持っているように見えたことは知り合ってからこの方、一度もなかった。
 だが、綱吉は許せまい。
 ボンゴレと昔からの付き合いがあったとはいえ、山本の父親が死んだのは、彼が十代目に就任してからだ。
 彼にしてみれば自分が殺したも同然であり、決して自分自身をを許さないだろう。
 そんな隼人の内心の思いを読んだかのように、
「……ツナはさ、向いてねーんだよな。こんなこと」
 一際声を低めて、小さく山本は呟くように言った。
「俺は、あいつ以外のボスなんか要らねー。他の奴のために俺の剣を振るう気なんて更々ねーし、ボンゴレの十代目はツナしかいねーと、昔っから思ってる。……でも、どっか根本的に、ツナはこの世界に向いてねぇんだ」
 伏せ気味の瞳は、父親のことを語った時よりも遥かに悲しげで、隼人もまた、やるせなさを感じる。
 山本の言いたいことは、よく分かった。
 隼人自身も、この半年でつくづくと感じたのだ。綱吉以上のボスはいない。だが、ドン・ボンゴレであることが、どうしようもなく綱吉を苦しませているのだと。
 彼以上にドン・ボンゴレに相応しく、また相応しくない存在は無い。
 それはとんでもない矛盾だ。彼を疲弊させ、いつか破滅に追いやってしまってもおかしくない。
 どうしようもないジレンマを感じながら、隼人はぐっと拳を握り込む。
「……どうして俺なんだ?」
 思わず、そんな言葉が口から零れ出た。
 声にしてしまったと気付いた瞬間、歯噛みしたものの、しかし取り消す気にはなれなかった。
 ずっと分からなかったのだ。
 何故、綱吉が自分を傍に置こうとするのか。
 山本を傍に置かなかった理由は、今、分かった。そんな負い目があるのならば、山本は傍にいるだけで辛い存在だろう。もう何年も前の話なのだから、普段はそれほど意識せずとも、二人きりでいて言葉が途切れた時には必ず、痛みが蘇るはずだ。
 だが、そういう意味では、隼人も同じなのだ。負い目があるという点では、山本と何も変わらない。
 なのに、傍に置くというのは自傷行為にも程がある。ましてや、隼人の父親が死んでから、まだ一年にしかならない。痛みは相当に生々しいだろう。
 それでも尚、隼人を傍に置くのは何故なのか。
「俺を秘書にしたら、嫌でも四六時中、顔を合わせることになる。なのに、なんで俺なんだ?」
「ああ、そりゃあ当然だろ」
「……は?」
 しかし、ひどくあっさりと山本は隼人の疑問に応じてみせた。
「お前はいっつも、ツナを探しに行くだろ。俺は行かなかったからな」
「──訳分かんねぇよ」
 もう少し言葉を足せ、と眉をしかめる。
 すると、山本は肩をすくめるようにして、言葉を継いだ。
「つまりさ、俺はツナが執務室から居なくなるのは、一人になりたいからだと思って、放っておいたんだ。そうやって放っておけば、いつも一時間くらいでツナはきちんと戻ってきたし。それでいいんだと思ってた。……でも、本当はそうじゃなかったってことが、お前が来てから分かってさ」
 そう言い、山本はここからでは見えない空を仰ぐように目線を上げた。

「ツナは、誰かに連れ戻して欲しかったんだ。自分から立ち上がるんじゃなくてさ。
 考えてみれば当然だよな。嫌で逃げ出したんだから、自分でその嫌な場所に帰ろうと思って立ち上がるより、誰かに手を引っ張ってもらって、立ち上がらせてもらう方が絶対に楽だもんな」

 山本の声は、決して綱吉を責めてはいなかった。もし誰かを責めているとしたら、山本自身だった。
 流した血とこれから流す血の重圧に苦しみ、ギリギリの状態を続けていた友人の心情に気付かなかった自分自身を責めていた。
 その声を聞きながら、隼人は少し前からの疑問が、やっと解けるのを感じる。
 三ヶ月ほど前に、山本は綱吉が隼人に甘えているのだろうと言った。その答えがこれだ。
 隼人が秘書として仕えるようになって以来、綱吉の逃走が激増した理由。
 そして、隼人が迎えに行けば、あまりにもあっさりと執務室に戻る理由。
 ───ドン・ボンゴレと呼ばれて暗黒世界に君臨する彼の、あまりにもささやかな、彼の精一杯の、甘え。
 何百人、何千人もの部下がいるのに、彼が信頼を預けられるのはほんの一握りで、ささやか過ぎる甘えを吐露できる相手すら碌にいない。
 敵襲から庇った、それだけのことで感情を昂ぶらせるほど隼人に負い目を感じているのに、その相手にしか甘えられない。
 それはあまりにも孤高であり、孤独であり───…。
「なあ、獄寺」
 やるせない、切なさの滲む淡い笑みを黒い瞳に滲ませて、山本が呼ぶ。
「ツナを頼むな。ツナの本心がどこにあるのかは、もう俺にも分からねぇ。でも、お前が去年、お前の町の件を引き受けてくれたのは、ツナにはすげー意味のあることだったんだ。お前はツナを恨んで良かったのに、その真逆のことを……ツナが一番して欲しかったことをしたんだよ。だから、ツナは負い目があっても、自分が苦しいと分かってても、お前を傍に置くことを望んだんだ。それだけは間違いねーよ」
 それはひどく真心の籠もった言葉だった。
 人が人に与えられる最上の誠実さ、あるいは思いやり。そんなものを預けられて、どう答えればよいのか見当もつかない。
 だから、隼人は思い浮かんだ言葉を、そのまま告げた。
 何一つ装飾無しに、そのままに。
「俺は十代目を裏切ったりはしねぇよ」
 それ以外の言葉など、浮かばなかった。また、他のどんな言葉も、山本の言葉の重みには値するとは思えなかった。
 隼人が隼人でなかったら、他にもっと気の利いた言い回しもできたかもしれない。だが、これが隼人に言える全てであり、それを受け取った山本も、おう、と今日初めての本当の笑みを返してきた。
「──じゃあな、俺は戻る。邪魔した」
「おう」
 同僚に対し、くどくどしい辞去の挨拶など要らない。
 言うべきことは言ったと、隼人はその場から離れ、自分の持ち場に戻るべく歩き出す。
 そして、これから自分がどうするべきなのか、ただ考え続けた。

 

 執務室は、案の定、空っぽだった。
 窓の外の空は、既に宵闇に覆われ始めている。空と風の色に秋になったと感じたのは最近の話だが、夏に比べると日が暮れるのは確かに早くなってきていた。
 かすかな溜息を押し殺して、手にしていた書類を執務卓の上に置く。
 そして室内を一瞥してから、廊下へと出た。
 秋の初めの宵に綱吉を探しに行くのは、これが初めての経験だったが、何となくどこにいるかは分かる気がした。
 彼の行動パターンは、以前に彼自身が言った通り、確かにワンパターンである。だが、その心の内は決して単純ではない。
 単純であれば、こんなにも彼は苦しまないだろう。
 隼人はこれまで、綱吉との出会いを悔やんだことは一度もなかった。正確に言えば、一番最初だけは恨みかけたが、それはカテーナで半年を過ごすうちに感謝に変わった。
 だが、今日初めて、この出会いを恨みたい気分になっていた。──出会ったことにではなく、その出会い方を。
 父親がもう少し賢明であったなら、あるいは、ジェンツィアーナと全く関係のない出自であったならば。
 全く別の出会い方をしていたら、こんな風に信頼はされなかったかもしれない代わりに、彼の負い目にもならずにすんだだろう。
 また父親を恨む理由が増えた、と思いながら、涼しい夕風を頬に感じつつ広大な庭園の一角を目指して歩いていると、やがて空気に甘い香りがふわりと混じる。
 思った通り、やっと咲き始めた秋薔薇の中に彼はいた。
 瀟洒なデザインの常夜灯の明かりの下で、物思いするように沈んでいた顔が、近付く気配に気付いてはっと上げられる。
「隼人……」
「執務室においでにならなかったので」
 探しに来たのだ、と言外に告げると、常夜灯の下で深みを増した瑪瑙色の瞳が揺れた。
 そして、そのまなざしが弱く伏せられる。
 ごめん、とひそやかな声が、小さく鼓膜を打った。
「庇ってくれたのに、酷いこと言った……」
「気にしてません」
 静かに隼人は答える。思ったよりもやわらかな声が出て、そのことに少し安堵した。
「見解の相違です。俺はあなたを恨んでませんし、憎んでもいません。俺がずっとそうしてきたのは、父親に対してだけです。ただ、あなたがそうと思えないことも、理解できなくはないですから」
「───…」
 綱吉はじっと隼人を見上げている。その瞳は相変わらず、分からない、と告げていた。
 その色を見詰めていると、分かって欲しいとも思うし、分からなくていいとも思う、いつもの気持ちが湧き上がってくる。
 理解したらしたで、彼は親子の断絶という事実に心を痛めるだろう。しかし、だからといって、親子の仲がどうであれ、隼人の父親を死に至らしめたという負い目は、彼の中から消えることはないのだ。
 彼の抱える痛みは、形を変えるばかりで決して軽くはならない。
 そうと見当が付くくらいには、綱吉の傍にいる月日も長くなりつつある。
 だから、隼人はこの件についてはこれ以上何かを言うのを止めて、ここに来た要件の方を告げた。
「そろそろお屋敷に戻られませんか。宵の風は心地良いですが、気温が下がってきてますし、当たり過ぎると体に毒です」
「──仕事は? 書類があるんじゃないの?」
「明日の朝でも間に合うものばかりですから」
 執務室に置いてきました、と告げると、そうなんだ、と瑪瑙色の瞳が軽く伏せられる。
 次にまなざしが上がった時には、いつもの綱吉の表情だった。
「分かった。戻るよ。あんまり食欲はないけど、食べるだけは食べておかないとまずいしね」
「はい」
 隼人が応じると、綱吉はいつものように薔薇園を一瞥してから、ゆっくりと歩き出す。
 その後に隼人も無言のまま、続いた。

*            *

「立派に色ボケしてるようだな、馬鹿ツナ」
「──誰が色ボケだよ、誰が。来るなり言う言葉がそれかよ」
「お前だろうが。何ぼけーっとしてんだ。ボンゴレのボスってのは、そんなに暇な役職か?」
「ボスをやりたけりゃ、いつでも代わってやるよ。大体さあ、色ボケって何だよ。してないよ、そんなの」
「ほー。俺が聞いたところじゃ、あの若造相手に四六時中、かくれんぼしてるって話だったが」
「……俺は元々、仕事嫌いだもん。今に始まったことじゃないだろ」
「にしたって、毎日毎日執務室から逃走ってのはやりすぎだろう」
「……だから、元々この仕事、好きじゃないんだって」
「ま、俺の知ったことじゃねーけどな。不毛な色恋沙汰は、ほどほどにしとけよ。見苦しくて仕方ねーからな」
「だから、色恋沙汰じゃないって」
「ふん。どうだかな」
「違うってば。──それよりさ、リボーン」
「何だ」
「彼さ、俺のこと恨んでないって言うんだよ。……俺は彼のお父さんを殺したのに」
「まだそんなこと言ってんのか。あれから一体、何ヶ月経ったと思ってるんだ」
「……だって、俺は割り切れないし、忘れるなんて絶対無理だし。でも、彼はいいって言うんだよ。自業自得だったって。……本当にそんな風に思えるのかな。だってビアンキとは仲がいいんだよ、口ではあれこれ言ってるけど……」
「──ったく、いつまで経ってもダメツナだな。お前の狭い価値観で考えるなと、何度言ったら分かるんだ? ぬるい考えのせいで、これまで散々痛い目に遭ってきただろうが」
「────」
「世の中には、ぬるま湯の中で育ったお前には理解できねーもんがいっぱいあるんだ。お前は、家光が奈々を見殺しにするところが想像できるか? できねーだろうが。だが、あの若造はそういう場所で育った。お前が理解できないものの考え方をしたって、不思議でも何でもねーんだよ」
「────」
「分かったら、考えても無駄なことをもう考えるな。あいつはあいつ、お前はお前だ。何度も言っただろ、お前の価値観を他人に押し付けるな」
「…………」
「じゃあ、俺は行くからな。次に来る時までには、もう少しマシになってやがれ」
「……………………価値観を押し付けるな、か。……でも、そうしたら彼は本当に、俺を恨んでも憎んでもないってことになるんだよ、リボーン。本当に……それで合ってるの……? そんなことって、あるのかな……?」

to be continued...

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