SACRIFICE  -ultimate plumage-

2. innocent sky








 基地の廊下は、どこまで歩いても直線と直角の組み合わせでしかない。
 ひどく単調で無機質な白灰色の中を歩き、階段を上る。
 壁の所々に取り付けられた素っ気のない案内プレートがなければ、慣れない者は簡単に迷子になれるだろう。



 カシュローン基地。
 東方軍二番目の規模を持ち、そして本部直属の司令部を持つ基地としては最も前線に近い。
 大陸のほぼ中央の乾燥地帯に位置するカシュローンは、古い言葉で城を意味する。
 中世の面影を残した堅固な石壁と迷路状の街路を持つ、城砦(カスバ)と呼ばれる街区と、その背後の岩山に挟まれた窪地にうずくまっている基地は、大陸の南北を貫く長大な戦線の要となっていた。
 大陸を縦断する戦線は複数に分かれており、北部戦線は一ヶ月前に西方軍の撤退により、東方軍が制圧地域を西へ一千キロほど拡大した状態で停戦、南部戦線は東西の軍事力が拮抗。
 そしてカシュローン基地のある西部戦線は、この半年ほど小康状態が続いていたものの、北部の状況変化の影響を受け、東西勢力共に戦力を集結させつつある。
 大陸中央部における戦闘再開が間近なのは、既に誰もが承知している事実だった。




「ここか」
 白い扉に取り付けられたプレートを確かめて、楊ゼンはインターホンを押す。
『──はい?』
 すると、すぐに若い男の声が返った。
「第四十一師団第三重装歩兵大隊所属・第一中隊隊長の楊ゼン少佐です。ドクター太乙に武器の調整を依頼してあるのですが……」
『ああ、はいはい。聞いてるから入ってきて』
 プツ、とインターホンが切れて。
 ここが基地内だとは思えないほどあっけらかんとした、ぞんざいな入室許可に、思わず楊ゼンはまばたきをする。
 が、とりあえず入って来いと言われたのは確かなのだから、とドアにIDプレートを差し込んだ。
 わずかなタイムラグをはさんで、金属製のドアが軽い音を立ててスライドする。
「失礼します」
「どーぞ」
 白で統一された無機質な空間の奥から返った声に視線を向けると、壁の色に同化してしまいそうな白衣と、対照的な漆黒の髪の人物がデスクから立ち上がるところだった。
 すらりと背の高いその姿を見た瞬間に、若い、と感じる。
 だが、次の瞬間に若くて当然なのだ、と楊ゼンは思い直した。
 ───ドクター太乙。
 東方軍にこの人在りと大陸中に知られる、超絶的な技能を持った技術将校──兵器開発者。
 その能力は、当然の事ながら、人として異端であるが故のもの。
 つまりは、目の前の科学者もまた、自分と同類の存在なのだ。少将という地位には全く似合わない三十歳前後と思われる年齢に、何の不思議もない。
「初めまして。私が太乙だよ。──ああ、格式ばらなくてもいいから」
 敬礼した楊ゼンを軽く片手を上げて制し、太乙はちょいちょいと招き寄せる。
 白いシャツの上に白い白衣をまとい、漆黒の髪を肩のあたりで無造作に切りそろえた科学者の背丈は、楊ゼンと変わらない。向かい合うと、目の高さはほぼ同じだった。
「君が楊ゼンか。噂通り、いい男だね」
「恐れ入ります。どんな噂が、ドクターのお耳に入っているのかは存じませんが」
 あまりにもあけすけな物言いに微苦笑しつつ、楊ゼンは応じる。
「色々聞いてるよ。まぁ、そんなこと何の関係もないけどね。私が興味あるのは君の外見や戦歴ではなくて、君の能力と武器の方だから。──見せてもらえるかな?」
「はい」
 楊ゼンは腰ベルトのホルダーから愛用の武器を外し、差し出した。
「光剣だね?」
「そうです」
 受け取った太乙は、スイッチを入れないまま、色々な角度から今は柄(つか)だけの武器を一通り眺める。
「何が調子悪い?」
「どこが悪いというわけではないのですが……。一応メンテナンスは自分でしていますが、特殊なものですから、たまには専門家に見ていただいた方がいいと思いまして」
「ああ、そうだね。稀人用の武器はオーダーメイドだから、専門家の定期的なチェックはどうしても必要になるよ。一般人には分からないレベルのごく微妙な狂いが、致命的な違和感になるからね」
 そして太乙は、はい、と楊ゼンに光剣を返す。
「とりあえず、実演してくれるかな。メンテナンスしようにも、君の癖が分からないとどうしようもないからさ」
「──それはそうですが、しかし実演といっても……」
 室内では無理、と言いかけた楊ゼンに、
「だーいじょうぶ。ちゃんとそれ用に設備があるから」
 太乙は笑みを向け、そして手招いた。



「結局ね、屋外だと上手く測定できないんだよ。ノイズが多すぎて、データが正確にならないんだ。通常の武器ならそれでも充分なんだけど、稀人用は……」
 言いながら、太乙は研究室の奥にある扉の横の制御盤のスイッチを次々にONにしてゆく。
「で、しょうがないから、こういう部屋をわざわざ作ったというわけ」
 扉が音を立ててスライドしたその向こうには、屋内訓練場ほどの広さの空間が広がっていた。
 一歩中に入って見上げれば、天井もかなり高い。
「これでも狭いだろうけどね、シールドは完璧だから全力を出していいよ」
「全力、ですか?」
「じゃないとデータが取れないよ。大丈夫、そんなやわなシールドじゃないから」
 にっこりと笑顔で太乙は答える。
 端整な顔に浮かんだ笑みは、無邪気なようでいて底が知れず、楊ゼンは少々訝るような色を瞳ににじませた。
 だが、彼の方は気にする素振りもなく、
「とりあえず、君の得意技を披露してくれるかな。普段、一番よく使う技でいいから。ぎりぎりの場面で使う、究極の必殺技でもいいけどね」
 壁に軽くもたれて腕を組み、楊ゼンをうながした。
 その様子に、楊ゼンはなるようになれ、と覚悟を決める。
 身体型の稀人に全力を出すよう要請したのは彼の方なのだし、その結果、シールドが破壊されても自分が責任を取らされる筋合いはない。
「────」
 手の内の光剣の感触を確かめ、そして、ちらりと太乙の方を見やり。
 一つ呼吸して、神経を研ぎ澄ます。
 次の瞬間。

 雷にも似た閃光が、室内の空間を薙いだ。

 激しい音と衝撃波に、建物が揺れる。
 しかし、それは何の警報をももたらさず、
「轟雷斬か。師匠と同じ技だね」
 見物人の静かな声だけが響いた。
「大丈夫だよ。衝撃波もシールドが吸収したから、外には一切、君の技の影響はない」
 振り返った楊ゼンに、太乙は笑みを見せる。
「言っただろう、完璧だって」
「───そんな技術が、あるんですか?」
「まぁね」
 軽い驚愕の表情を浮かべた楊ゼンに歩み寄り、太乙は手を差し出した。
 その手のひらに、楊ゼンは光剣を渡す。
「ただ、現在の技術レベルじゃ、シールドを張れるのはこの空間サイズが限界なんだ。将来的にも難しいだろうと思うよ。かなり特殊なものだから、多分、これだけのシールドは私にしか作れない」
 受け取った光剣にまなざしを落としながら、太乙は答える。
「科学技術がそのレベルに発達するまで、生きてはいられないしね」
 その声は、ひどく淡々としていて何の感慨もなかった。
「───ドクターは、僕の師父をご存知なんですか?」
 そのまま壁際の簡易作業台に向かう太乙の背中に、楊ゼンは問いかける。
「うん。昔馴染みだよ。もう十年位前かな、本部基地にいた頃にね」
「───…」
「これの調整は、玉鼎がした?」
「あ、はい。師父がセッティングしてくれたものを、そのまま基本フォーマットにしています」
「彼の癖がね、残ってるよ。悪くはないんだけど……すごく微妙なところで、君には合ってないかな」
 言いながら、太乙は工具を使ってすばやく光剣を解体し、カバーを外して内部センサーと端末と繋ぐ。
「別に違和感を感じたことはありませんが……」
「うん。本当に微妙なところだから、特に不具合はないと思うよ。でも、命ギリギリの場面になるとね……」
 そう言う太乙の長い指先が、端末を操作して踊る。
 ほどなく設定の変更を終えたのか、元通りにカバーを嵌め直して、光剣を差し出した。
「試してみてくれるかな。感じが良くなければ、元に戻すから」
「はい……」
 半信半疑ながらも楊ゼンは受け取り、先程と同様に構える。
 そして、無形の構えから抜き打ち──。
「──!」
 閃光と音と振動と。
 それが収まるのを見届けて、楊ゼンは振り返った。
「完璧?」
 腕を組み、軽く首をかしげて太乙はにっこりと笑う。
「何故、一度見ただけでこんなに……」
 右手の光剣を楊ゼンは軽く握り締める。
 何が違うというわけではない。
 だが、確実に違う。
 エネルギースイッチをONにした瞬間、振り抜いた瞬間。
 すべての一瞬がぴたりと自分に沿う。
 まるで、躰の一部のように……否、それ以上に。
 自分がこれまでに感じていた能力の限界を突き抜けて、新たな地平が目の前に開けたような気さえする。
「それが私の能力なんだよ」
 そんな楊ゼンの驚愕を察したのだろう。太乙は端整な顔に、静かな笑みを浮かべた。
「精密機械並の測定能力と、電脳以上の記憶力に演算能力。はっきりいって、軍隊以外では大して役に立たない能力だけどね。お陰でこんなご時世でも、こんな立派な研究室で、のうのうと日々を送れるというわけさ」
 測定室の高い天井を見上げ、戻ろうか、と太乙は楊ゼンをうながす。
「稀人の寿命は短いけど、うまく活用すれば、まぁそれなりに有意義に生きられるということかな」
 連れ立って広い空間を出、扉を閉めた太乙は制御盤の全てのスイッチをOFFに切り替えた。
「軍隊生活は不便なことも多いけどね、悪くはないよ」
「……稀人が稀人らしく生きられるという点では、外の世界よりも楽だとは僕も思います」
「うん」
 促されて、楊ゼンは研究室の椅子に腰を下ろした。
 太乙は、流しのところでインスタントの茶を二人分煎れ、カップの一つを楊ゼンに手渡して自分も腰を下ろす。
 基地ではおなじみの香りの薄い茶に一口、口をつけ、それから楊ゼンは思い切ったように目の前の相手に呼びかけた。
「ドクター」
「ん?」
「失礼に当たらなければ、師父……玉鼎准将のことを……伺ってもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
 茶をすすりながら、ためらいものなく太乙はうなずく。
 そして、カップを持った手を膝の上に下ろして、過去を思い出すようにまなざしを天井に向けた。
「私が玉鼎と知り合ったのは、十年位前……ちょうど、君が士官学校に入った頃かな」
「そうだと思います」
「きっかけは、今の君と同じ。彼の武器の調整を私が請け負ったんだ。それでまぁ、何となく武器談義に花が咲いて……」
「師父らしい……」
 楊ゼンは微苦笑した。
 養い親であり、師でもある玉鼎は、優秀な軍人であり、また武器に対しても非常に厳しい鑑定眼を持っていた。おかげで楊ゼンも、幼い頃からさんざん軍隊や武器に関する薀蓄を聞かされたものだ。

 ───楊ゼンは実の親を知らない。
 更に言うなら、生みの親がつけた名前さえ──その名前があったのかどうかすら知らない。
 戦禍に巻き込まれ廃墟と化した街の路傍で、泣くことすらできないほどに痩せ衰え、衰弱してうずくまっていたのだと教えられたが、その記憶も実感もなく、物心付いた頃には、東方軍の将校の官舎に住んでおり、そこの主を父親代わりとして育った。
 師父以外には通いの家政婦がいるだけの二人暮らしだったが、寂しさを覚えたことはない。
 何十年も戦乱が続いていれば、実親を喪った子供など珍しくもなく、玉鼎もまた、二十歳になる前に両親を亡くしたのだと聞いていたこともある。
 だが、それ以上に無骨で、寡黙で、謹厳な表情の下に人一倍の深い情を持っていた師父の存在が、楊ゼンの心の空白を埋めて余りあったのだ。

「だから、まぁ友人といえたかな。休日には一緒に街に出かけることもあったし……。年は十歳以上離れてたけど、一緒にいると楽しかったよ」
「そうですか」
 そしてまた、太乙は茶を一口飲む。
「──君が本当に聞きたいのは、私と彼との付き合いそのものじゃなくて、彼の最期、かな?」
 その言葉に。
 ぴく、と楊ゼンの肩が揺れた。
「君は当時、どこに居たの?」
「──カリムに…」
「カリムか。遠いね。噂話くらいしか届かなかっただろう?」
「はい」
「そう」
 うなずいた楊ゼンに、太乙は小さく吐息をついた。
 そんな太乙に、思わず楊ゼンは身を乗り出す。
「ドクターは何かご存知なのですか? 父の最期について……」
 そんな青年に対し、太乙は何とも言えないまなざしを向けた。
 いたわるような憐れむような。
 そして、痛みを共有するような。
 そのまなざしを軽く伏せて。
「……私も現場に居たわけじゃないから、詳しいことまでは知らない。けれど……、あれは作戦ミスじゃなかった、と思うよ」
 ゆっくりと腕を組んだ太乙のまなざしが、遠いものに変わる。
「あれは、間違いなく謀殺だったと…思う」
 静かに響いた声に。
 楊ゼンの肩が、大きく反応する。
「何故……」
 基地の宿舎で、訃報を受け取った時の衝撃が楊ゼンの胸に蘇る。
 しかも、その知らせは使者に対する侮蔑と嫌悪に満ちたものだった。文面は至極事務的なものだったが、それに伴うあらゆるものが、死者の作戦ミスを責めていた。
 それらはあまりにも高潔で勇敢だった師父にはふさわしくなく──だが、己も軍人である以上、声に出して言うことはできず、ただ楊ゼンは悔しさを心の奥底に封じ込めるしかなかった。
 自分が、大きなミスをして部隊を全滅させた士官の養子であると侮蔑の目で見られることなど、気にもならなかった。
 耐え難かったのは、師父が死して猶、責められることだけだった。
 だが、作戦ミスではないはずだと確信していても、何の証拠もなく、どこからも師父を弁護する言葉はなく。
 耐え忍ぶしかなかったのだ。
 何年も、何年も。
 長い指が白くなるほどきつく膝を握りしめ、かすかに震える声で問う青年士官を、太乙は何とも言えない色を浮かべた瞳で見つめた。
「稀人、だから」
 高くも低くもない声が、淡々と告げる。
「稀人だったから。玉鼎は殺された」
「───…」
「──当時の…」
 わずかに首を傾けた太乙の髪が、さらりと流れ落ちた。
「統合作戦本部長は有名な稀人嫌いだった。戦場における便利な消耗品としての稀人は許せても、人間の兵士を指揮する稀人は許せなかった。──軍人だった父親を、戦場で稀人に殺されたからだともいわれてるけどね。本当のところは知らない。
 ただ、彼が、稀人として最前線に配置されながら戦死もせず、将官にまで昇りつめた玉鼎を嫌い、排除しようとしていたことは確かだ。ひどい言葉で玉鼎を侮辱する場面を、私も一度ならず目撃したよ」
「────」
「あの日……私のところへ来た玉鼎は、出撃が決まったと言って、光剣のメンテナンスを頼んだんだ。そして、別れ際、帰ってきたらまた飲みに行こうと言って笑った。……それが、私が彼を見た最後だ」
「……何が、起きたのですか。あの……ディオルの街で」
 苦渋を押し隠した表情で、楊ゼンは問うた。
 その紫を底に秘めた青い瞳に激しい光が浮かんでいるのを、太乙は何とも言いがたい表情で見つめる。
「──私にも良く分からない。あの街は西方軍の攻撃拠点の一つだった。そして、東方軍はそれを攻めあぐねていた。それは確かなんだ。
 ディオルを陥とすために、玉鼎は陽動を使った夜襲を計画した。けれど、街に攻め入った彼と指揮下の部隊は、仕掛けられていた大量の爆薬によって街ごと吹き飛んだ。陽動部隊も、兵力を結集させていた西方軍によって殲滅された。
 軍の戦闘記録の記述は、玉鼎の作戦ミスだ。功名心に逸った杜撰な作戦立案は敵に察知され、部隊は全滅した。それしか書かれていない。──あの玉鼎がだよ?」
 それまで静かだった太乙の声に、不意に深い憤りが籠る。
「身体型の稀人は、つまり戦闘の天才だ。五感の全てで戦場の機を読み、攻めるべき時には攻め、退くべき時には退く。ましてや、あの玉鼎なら、功名心に逸ることも杜撰な作戦を立てることも有り得ない!」
 強く言い切ったその声に、楊ゼンはぐ…と拳を握りしめる。
 太乙の言う通りだった。
 楊ゼンの師父は、そんな軽率な人物ではなかった。味方を勝利に導くことに強い使命感を持ち、任務に身命を賭する。そんな献身的な――模範的な軍人だったのだ。
 そして楊ゼンは、その師父の背中を見つめて育った。
 大きくて広い、温かな背中だけを見つめて。
「──何かがあった、ということですか」
「そう。何かがあった。でも、それが何かは私には分からない。色々調べてみたけれど、結局、噂話以上のことは何も出てこなかった。当の本部長も一昨年、背広組のくせに運悪く戦死したしね」
 穏やかな響きの声には似合わない、皮肉のにじんだ言葉と共に、しばしの沈黙が落ちる。
 太乙と楊ゼンは、それぞれ表現しがたい思いを浮かべた瞳で床を見つめていた。

 ───稀人として生まれたことを恨むな、と何度も師父は言い聞かせた。
 一年以上も前に廃墟と化していた街に、わずか二、三歳の幼児を捨てたのは、おそらくは稀人であることを親が嫌悪したからだろうと。
 だが、身体型の稀人であったからこそ、生来の肉体の強靭さが、自分と出会うまでお前を生き延びさせたのだと。
 この先、どんな道を生きようと、稀人というだけで謂われない迫害を受けることが必ずある。
 それでも誰も恨まず、ただ誠実であれと。
 幼い子供に、生真面目に語り続けたその人は。
 けれど、その能力が故に。

 ああ、それでも。
 恨むな、憎むな、と。
 負の感情に駆られて、自らを貶めるなと。
 きっと、そう言うのだろう。
 あの、ただひたすらに無骨で、限りなく高潔であった人は。



 やがて、楊ゼンが思いを振り切るように小さく唇を噛み、顔を上げる。
 それに応じて、太乙もまなざしを彼の方へと向けた。
「申し訳ありません。辛いことをお伺いしてしまいました」
「いや。辛いのは君の方だろう? でも、私も誰かに聞いて欲しかったし……それに、君にはいつか伝えなければいけないと思っていた。私が存在を知っている玉鼎の縁者は君だけだからね。良い話でないのは確かだけれど、それでも今日、ここで伝えられて良かったよ」
「はい……。ありがとうございます、ドクター」
「うん」
 うなずいて、太乙はデスクに置いたカップを取り上げる。
「もう一杯、お茶を煎れようか?」
「いえ、僕はもうこれで失礼させていただきます」
「そう」
 太乙は引き止めることなく、楊ゼンは隙のない身のこなしで立ち上がり、敬礼した。
 そして、立ち去りかけて、ふと足を止める。
「──ドクター、少しお伺いしたいのですが、こちらの研究室に……」
「居るよ」
「え?」
「呂望のことだろう? 先週のことは彼から聞いているよ」
 振り返った視線の先で、太乙は微妙な笑みを浮かべて頬付えをついていた。
「今は出かけてるけどね。一応、彼はこの研究室で預かってる」
「……そうですか」
「なに、あの子に会いたかったのかい?」
「いえ、そういうわけでは……」
「屋上に居るよ」
「は?」
「だから、ここの屋上。昼間は大抵、あの子はそこにいる」
 微妙な笑みのまま、太乙は告げた。
「──分かりました」
 その微笑が意味するものが読みきれないまま楊ゼンはうなずき、もう一度敬礼する。
「失礼致します」
「うん」
 ひらひらと片手を振る太乙に見送られて、楊ゼンは白い研究室を後にした。






 屋上へ続く階段も、やはり白灰色だった。
 それを昇りつめた先にある扉横のボタンを押すと、音を立てて金属製のドアがスライドする。途端に、吹き込んできた乾いた風が髪をなぶった。
 風の中へ一歩踏み出して、楊ゼンは周囲を見渡す。
 基地の屋上はかなり広く、また遮蔽物も多いから、求める人影はすぐには見つからない。
 が、ふと覚えのある気配を感じて、楊ゼンはまなざしを右方に向けた。
 惹かれるままにゆっくり歩いてゆくと、屋上の南端で小さな人影が、こちらを振り返っているのが目に入る。
「──やあ」
 間近まで歩み寄ると、大きな瞳が少し驚いたように楊ゼンを見上げた。
「本当にここに居たね」
「……太乙に?」
「そう。今、光剣のメンテナンスをしてもらってきたところなんだ。──隣り、いいかな?」
 うなずくのを見て、楊ゼンは彼の隣りに腰を下ろす。
 カシュローン基地は窪地に建設されているから、たとえ屋上とはいえそれほど見晴らしが良いわけではない。
 眼下には土気色の街区と、その向こうの渇いた土の色が見えるばかりで、ひどく味気ない風景だった。
 ただ、頭上から地平線まで広がる空だけが、眩しいほどに青い。
「何を見ていたんだい?」
「──色々なものを…」
 それきり、短い沈黙が落ちる。
 それを破ったのは、呂望の方だった。
「何故……?」
「さあ、どうしてかな」
 目的語さえ省略した短い問いに、楊ゼンも静かな口調で答える。
「僕にも良く分からない。久しぶりに仲間に会えて、嬉しかったからかな」
「仲間……」
「うん。北には稀人は少なかった。北部戦線全体で僕を含めて五人しかいなかったし、しかも配置がばらばらだったから、滅多に言葉を交わす機会もなかった。本当に久しぶりだったんだ」
「…………」
 見上げる呂望の大きな瞳に、楊ゼンは微妙なものを含んだ、だがやわらかな笑みを向ける。
 ───稀人に最も適した生き場所が軍隊であるとはいえ、やはりその異質さは、軍の中であっても周囲から稀人を孤立させがちだった。
 だから、稀人同士の間には多かれ少なかれ連帯感が生まれる。
 本来、個人行動を得意とするのが稀人ではあるが、その孤独ゆえに、同類という単語には、時として抗しがたいものがあった。
「迷惑かな」
「そんなことはないよ」
 問いかけた楊ゼンに、呂望も小さく笑みを浮かべる。
「仲間だと言ってもらえるのは……嬉しい」
「良かった」
 そして、楊ゼンは目の前に広がる土気色の街と青い空にまなざしを向けた。
「──不思議な街だね、ここは……」
「うん。中世の頃、この辺りは部族争いが激しかったらしい。それで、街が自然に要塞化して……」
「こんな街が沢山あった?」
「きっと。今はもう、ここにしか残ってないけど、遺跡みたいなのはこの辺に幾つもあるよ」
「そうか」
 うなずき、楊ゼンは傍らの少年の名を呼ぶ。
「呂望」
「何?」
「良かったら……今度、街を案内してくれないかな」
 思わぬ言葉に、呂望は楊ゼンを見上げる。
 深い色の瞳が、空の青さを映して藍色に揺らめいた。
 その瞳を見つめて、楊ゼンは告げる。
「また会いたいんだ。でも、この基地は広すぎて、約束しないと会えそうにないから」
「───仲間だから?」
「それもあるよ。それに──戦闘のない日常は久しぶりだから、非番の日はどうしたらいいのか分からないんだ。下手に街に出たら迷子になるということもこの間、分かったしね」
「だから、案内人が欲しい?」
「そう。駄目かな?」
 少し考えるように、呂望は首を傾ける。
「……次の非番はいつ?」
「一週間後」
 楊ゼンの返事に、
「───いいよ」
 呂望は小さくうなずいた。
「迷惑じゃないかい?」
「大丈夫」
「じゃあお願いするよ。僕がドクターの研究室まで迎えに行ってもいいかな」
「うん」
 笑みを交わして、呂望は地平線へとまなざしを向ける。
 その横顔に、ふと思い出したように楊ゼンは問いかけた。
「不躾なことを訊くけど……君はドクターのところで何を?」
 実のところ、楊ゼンは呂望がどのタイプの稀人であるのかさえ、まだ知らない。頭脳型の太乙のところに居るのであれば、彼も頭脳型と考えるのが妥当なのだが、それにしては気配が頭脳型とは微妙に異なる気がする。
 かといって、身体型ともまた、微妙に身のこなしが違う感じがするのだ。
 おまけに稀人としての気配そのものがかなり稀薄で、ひどく読みづらい。
 あるいは特殊型であるのかもしれないが、とにかく初めて会う気配の持ち主であることは間違いなかった。
「──…」
 数秒の間、呂望は楊ゼンを見上げていたが、やがてふっと微笑を浮かべる。
「───内緒」
「教えてくれないの?」
「うん」
「そうか、じゃあ仕方ないな」
 軍隊では機密事項とされることは非常に多い。ましてや太乙は跳び抜けて優秀な科学者であり、その研究室に居る以上、呂望もまた特殊な位置にいるのだろう、と楊ゼンは結論づける。
 ───だから。
 内緒と言った呂望の笑みが、初めて出会った折、名前を尋ねた時に浮かんだ微笑と同じものだったことに、楊ゼンは気付かなかった。







         *        *







「本当に彼、気付いてないんだね」
 インスタントの茶をすすりながら、太乙が口を開く。
 その声は、呆れをにじませるでもなく、ただ静かだった。
「どうするの、これから」
「──どうって、何がだ」
 マグカップを両手で持ったまま、呂望は低く返す。
「分かってるくせに聞くんじゃないよ。──伏羲」
「!!」
 ばっと呂望は顔を上げる。
 その詰るようなけわしいまなざしを、太乙は受け止め、溜息をついた。
 そして椅子から立ち上がり、片手を伸ばして少年の癖のない髪をくしゃくしゃとやわらかくかき混ぜる。
「──太乙! わしは子供では……!」
「うん。子供じゃないよ」
 静かな声で答えて、太乙は身をかがめ、呂望に目線を合わせた。
「でも悲しい時は悲しい、辛い時は辛い、それを隠す必要なんかないんだ。君は間違いなく人間なんだから」
「────」
「楊ゼンはいずれ、君の正体に気付く。でも、そのことに君が耐え切れないのなら、直ぐにでも私が彼に真実を語ってあげるよ。何も気付いていないくせに懐いてくる相手に、自分の口から打ち明けるのは、もう辛いだろう?」
「…………」
 何かを言おうとして、けれど呂望は結局口をつぐむ。
 そんな少年を見つめて、太乙は静かな声で続けた。
「いいかい、呂望。こんな風に悩むこと自体が、君が人間であることの証明だ。それを否定しちゃいけないよ」
「……こんな思いを、この先ずっと抱えてゆけと?」
「そう。君は人間だから」
「おぬしもいずれは居なくなるのに?」
「それでも」
 きっぱりと告げる太乙の言葉に、呂望の瞳が今にも泣き出しそうに揺れる。
「私は君を人間でないものにはしない。絶対に」
「────」
 うつむいた呂望の頭を、もう一度太乙は優しく撫でる。
「人間なんだよ、君は」










 自分の手を見つめ、そして呂望は目を閉じる。
 脳裏に浮かぶのは、青い空に溶け込むような髪と、瞳。
 優しい笑みと、声。
「………仲間だなどと……」
 呟く声は、泣き出しそうに苦い。
「わしの……仲間は……」
 腕に爪を立てるように、己の躰を抱きしめて。
 呂望は長い間、そこにうずくまっていた───。






to be continued...










というわけで、第2回。
太乙がやたらと出張っていて申し訳ありませんm(_ _)m 彼、すごく好きなんですよ〜。楊ゼンも太公望も好きですが、現実に付き合うなら、こういうタイプが一番好みなんです(^^ゞ
この作品は文体とも内容とも、私の本来のものに一番近いので、とても書きやすいんですよね。だから、ついノリのままに調子よくキーボードを打っているうち、プロットには欠片もなかった師匠のエピソードが増えてしまいました(^^ゞ
しかし、それにしても楊ゼンが微妙にマヌケ・・・。お友達には「好青年すぎ!!」といわれた彼ですが、果たしてこの先、少しは格好良くなるんでしょうか?
とりあえず、待て次号!!ということでお願いします〜m(_ _)m





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