SACRIFICE  -ultimate plumage-

3. afternoon dream








 内陸の乾いた空は不必要なほどに青い。
 短い雨季があるだけの土地は、カーキ色に鈍く光って陽光を跳ね返している。
 地上における人間の醜い争いなど歯牙にもかけぬ空は、どこまでも無限に広く、今日もただ鮮やかだった。





「本当にこの街は迷宮だね」
 溜息まじりの青年の言葉に、呂望は小さく笑う。
「でも、大分慣れたでしょう?」
「大雑把な土地勘はできあがってきたけど……横道に逸れるとね。迷子になるほどではないにせよ、正確な現在位置が分からなくなる」
「そんなものだよ。簡単に道を覚えられたりしたら、この城砦(カスバ)の存在意義はなくなってしまうから」
 中世の昔、熾烈な部族抗争があった時代に建設された古い街は、迷宮のような市街そのものが城砦と化している。
 主に石を建材としている家屋は3階建て程度のアパルトマンが多く、それらは時代を重ねながら複雑に建て増しされて、道もまた、よくもこれほどと感心するほどに曲がりくねり、余所者を簡単に迷わせた。
「本当に君に案内してもらえなかったら、どうなったか分からないな。非番で街に出るたびに迷子なんて、冗談でも御免だ」
 地理を覚えるように、さりげなく街のあちこちに視線を向けて歩きながら、楊ゼンは肩をすくめるように言う。
 その言葉に呂望は微笑した。
「道案内してもらおうにも、一般人は稀人に近寄りたがらないし、この基地に長く居る稀人は他にもいるけど……」
「そう、稀人同士の非番が重なるということはまずないからね。君と知り合えなかったらどうなっていたか……」
 戦闘能力に長けた稀人は貴重な戦力であり、ただでさえ数が少ない彼らを複数同時に遊ばせておくほど司令部も能天気ではない。
 だが、一般の人間からは孤立しがちな稀人にとって、そのような司令部の措置は、メンタルな部分においてありがたいことではなかった。
 軍隊に所属する稀人は多いが、力がものをいう世界だからこそ、尚更に鬼人とも呼ばれるほどに超人離れした能力を持つ彼らは畏怖される。
 一般人の稀人に対する畏怖は本能にも近く、それは太古に月から降りてきたという月人に対する畏怖の記憶が遺伝子に組み込まれているからだとも言われるが、どんな理由があるにせよ、稀人が一般兵士と親しくなることは、かなり珍しいのが事実だった。
 かといって戦時中の前線基地であれば文句を言うわけにもいかず、結局、稀人は一人上手にならざるを得ないのである。
「本当に、こうして非番の日に稀人同士、連れ立って歩くなんて考えたこともなかったな」
「──そうだね」
 うなずく少年に、楊ゼンはまなざしを向ける。
「でも……本当に君はいいのかい?」
「街に出ちゃいけない人間を出してくれるほど、基地は甘くないよ」
「けれど……」
「本当に平気。肩書きがあるわけじゃないから、かなり自由にしていられるんだ」
「────」
 そう言って微笑する呂望にやわらかい視線を向けながらも、楊ゼンは内心、疑問を感じる。
 東方軍きっての兵器開発技術者であるドクター太乙の研究室にいる以上、呂望が無益な人間ということは有り得ない。そこには何らかの意図がなければならないはずなのだが、現に彼は、普段は基地の屋上で、空や土色をした風景を見ていることが多いようだし、こうして楊ゼンの非番に合わせて、丸1日付き合ってくれもする。
 その様子はまるで、軍属として……稀人としてすべき義務など何もないかのようで、行動の不自由が当たり前の軍隊において、呂望の存在はひどく異質だった。
 しかし、その自由な行動をを咎める者もいない。
 それがどういうことなのか、楊ゼンには見当がつかなかった。
 何か脳裏に引っかかっているような気がするのだが、それがどういうものなのか今一つ掴めない。ひどくもどかしい感じだった。
「それならいいけどね」
「大丈夫だよ、本当に」
 何気ない顔で、呂望は笑う。


 こうして楊ゼンの非番に二人が連れ立って街に出るのは、これが三度目だった。
 カシュローンの街は道がひどく入り組んでいることもあって、本来の面積以上に大きいが、基地からメインストリートでもあるバザールへの道筋を手始めに、呂望がかなり詳しく市街を案内してくれたお陰で、楊ゼンもさほど不自由がない程度にはこの街に馴染んできている。
 そして、感じたのは、意外にこの都市には一般市民が多いことだった。
 これまでに居た北部戦線の基地は市街から多少の距離があり、またその都市自体も前線付近にあることから住民が逃げ、ゴーストタウンとまではいかなくともかなり寂しい様子だった。
 なのに、同じように最前線、しかも西部戦線最大の基地を抱えながら、カシュローンの街は違う。
 大陸のいずれの都市でも核として存在するバザールは、ここでもひどくにぎわっているし一般人の往来も多い。もちろん軍服は目に付くのだが、街が軍人だらけという印象もなかった。
 呂望にその理由を問うと、長い間の共存共栄の結果だろう、と答えた。
 カシュローン基地は、この長い戦争の開始と同時に建設されたものであり、その内部には一万人を越える人員を収容している。それだけの人間が居れば商売は十分に成り立つし、またこの基地を敵襲から守るために、周辺にはいくつも砦規模の基地があるから、最前線とはいえ即危険というほどでもない。
 そんな理由から、この街はまだ都市としての機能を保っているのだろう、と。
 それを聞きながら、楊ゼンは土地柄というのもあるかもしれない、と思った。
 はるかな昔、この大陸のほぼ中心に位置する土地に住んでいた民族は、ここから発して縦横無尽に大陸を巡る優秀な商人だったという。大陸全体が均一化した現代においては、民族というものはほとんど意味を持たないが、古代から変わらぬこの乾いた土地が、彼らの旺盛な商売欲の記憶を伝えているのかもしれない、と。
 そう口に出して言うと、呂望もそうかもしれないとうなずいた。


 市街の中心であるバザールは、基地から歩いて三十分ほどの距離にあった。
 他の街路に比べるとかなり広い──装甲車でも通り抜けできる幅の大通りに面して店舗が立ち並び、更に、路上には露天や屋台が数えきれないほどひしめきあっている。
 食料品、日用品などから表立っては販売できない品物、果ては無形の情報まで、何でも扱う市場。
 バザールは、大陸における都市の心臓であり大動脈だった。
 楊ゼンと呂望の二人が基地を出た後、いつも一番最初にバザールを訪れるのは、有益な店を把握するという目的もあったが、それ以上に、ここを起点にするのが複雑な街路を覚えるのには都合が良かったからである。
 また、バザールにはカフェや食堂、酒場も数多くあるから、空腹を満たすにもただ時間をつぶすのにも事欠かない。
 そんなこんなで、一通り街路を巡った後、再び二人はバザールへと戻ってくるのが常だった。
 しかし、特に買物の用があるわけでもないから人々のひしめきあっている大通りの中心部へは踏み込まず、そのやや外れにある青空カフェに席を取る。
 いつも選ぶそこは、通りに簡素なテーブルと椅子を並べただけの店舗だが、茶はそれなりに美味く、一休みして茶飲み話をするにはいい感じだった。





「これで一通りの街路は回ったけど……」
「そうだね」
 それぞれに茶杯を傾けながら、二人は何気ない調子で言葉を交わす。
「助かったよ。これで、もし万が一のことが起きても対処できる」
 万が一、というのが何を指しているのかは改めて言葉にする必要もなかった。
 共に軍隊に属す身であり、ましてやここは最前線基地である。たとえ現時点では可能性が低くとも、いつ市街戦が起こってもおかしくはないのだ。
 そういう意味でも、部隊を指揮する士官として、楊ゼンは道案内が欲しかったのである。そのことは勿論、呂望も承知していた。
「これで役目は終わったかな?」
 呂望は軽い笑みを浮かべて、向かいの席に座る楊ゼンを見つめる。
 そのまなざしを受け止めながら、しかし楊ゼンは即答しなかった。
 太陽は少し傾きつつあり、気温は高くなくとも、内陸の乾燥地帯特有の強い陽射しが二人の表情に陰影を作る。
「──そうだね」
 静かに茶杯を戻し、楊ゼンはゆったりとした仕草で頬杖をつく。
「もう迷子になることなく、一通り街は歩ける。──だから、どうすればいいんだろうね」
「楊ゼン?」
 わずかに首をかしげた呂望の瞳から楊ゼンは視線を逸らして、バザールのにぎわいを眺めやる。
「──どんな口実を考えたら、君はこれからも会ってくれるのかな」
 それは問いかけというより、独り言のような呟きだった。
 が、呂望は聞き逃すことなく、軽く目をみはって彼を見つめる。
「……楊ゼン…?」
 ゆっくりと、逸らした時と同じ速さで楊ゼンは呂望にまなざしを向ける。
 紫を底に秘めた青い瞳が、まっすぐに少年を捕らえた。
「これからも会えるかな?」
 今度は、明確な問いかけ──あるいは確認だった。
 肯定も否定もせず、表情を無くしたように見つめ返す呂望に、楊ゼンは静かに言葉を紡ぐ。
「君が僕と外出することを嫌がってないのは分かってる。でも、君は君の内側には踏み込まれたくなさそうだ。ドクターの研究室に居る以上、言えない事がたくさんあるのは当然だよ。僕も軍人だから、口にできないことの方がよほど多い。でも──、君の場合は少しそれとは違う感じがする」
 言いながら楊ゼンは、わずかに微笑した。
「僕は身体型だからね、気配を読むのは得意中の得意だ。考えは読み取れなくても、何となく分かることは結構ある。それでここまで生き延びてきたわけだしね。
 それで……はっきり言うけれど、僕と居る時、君は時々ものすごく困ってる。──多分、僕の気のせいや思い違いじゃない」
「─────」
「だから、聞きたいんだ。この先、口実もなく会って、こうして話したいというのは君にとっては嫌なこと……、気の進まないことかな」
 穏やかに問い掛けられて。
 大きな瞳で楊ゼンを見つめていた呂望は、ゆっくり目線を下げる。
「………嫌じゃ、ないよ」
 静かな声だった。
「嫌なら最初から引き受けたりしない。こうして一緒に街を歩くのは楽しいと思うし……。ただ……二人で居ると、どうしても目立つから、時々それがわずらわしいと思ってただけだよ」
「本当に?」
「嘘なんかついても仕方ないでしょう? それに、ほら」
 呂望は微笑して、周囲にまなざしを向けた。
 カフェの席はほどほどに埋まっているのに、二人のテーブルに隣接する位置のテーブルは、すべて不自然に空いている。しかし、人々のまなざしだけは、ちらちらとこちらへ向けられているのだ。
「──そうだね」
 溜息をつくように、楊ゼンはうなずいた。
「ごめん。僕はこういうのに慣れっこになってるから、君の気持ちまで考えが回らなかった。確かに君は、普通に歩いていたら稀人らしく見えないよね」
 その言葉に。
「──楊ゼンのせいじゃないよ」
 呂望は曖昧な微笑を浮かべた。
 その静かな表情に、楊ゼンはまた違和感を覚える。
「この街の人は、稀人には見慣れてるはずなんだけどね……」
「──呂望」
「何?」
 だが、楊ゼンは何をも問うことができなかった。
 深い色をした瞳は、完璧なまでに底を読み取らせることを拒む不透明さで、楊ゼンをまっすぐに見つめ返している。
 その瞳を見つめながら口をついて出たのは、先程と同じ、ただの確認の問いかけだった。
「──この先、僕が誘うのは迷惑かな?」
「いいよ。別に稀人だってことを隠してるわけじゃないから」
「本当に?」
「うん」
 うなずいた呂望に、それ以上を問いかける言葉は見つからない。
 何故だろう、と楊ゼンは思う。
 必要以上のことは問わない、それは軍に所属する人間同士の付き合いであれば  当然のことだ。
 けれど今、何故かひどく問いたい。
 まだ付き合いの浅い相手に訊くことではない。
 けれど。

 ───その瞳の奥に、何を隠しているのか、と。

「楊ゼン?」
「──何でもないよ。ただ……まるで子供が駄々をこねてるみたいだと思って、ね」
 衝動を圧殺して、楊ゼンは苦笑めいた表情を浮かべる。
「駄々って……楊ゼンが?」
「そうだろう? こんな風にしつこく会ってくれと頼むなんて……」
 その言葉に呂望は笑った。
「そんなこと……。でも楊ゼンは、ちゃんと僕の意思を確認してくれてるでしょう? 嫌だと言ったら、きっと二度と誘わない。違う?」
「──違わない」
「だったら駄々じゃないし、子供でもないよ」
 やわらかな笑みを楊ゼンは見つめる。
 そして改めて、何故、こんなにこだわっているのだろう、と自分の心に問い返した。
 最前線なだけあって、この基地には確かに稀人が多く集められている。稀人同士の非番が重なることは滅多にないが、日常の会話や、基地内の食堂で食事を一緒にとることくらいは自由だ。
 まだそこまで付き合える相手はいないものの、多分、その気になって仲間を捜せばいくらでも見つかる。
 なのに、自分は年齢も部署もまったく違うこの少年にこだわっている。それこそ、執着しているといってもいいくらいに。
 毎週、非番の日には約束をして、それだけではなく、勤務中の合間にも時々、今ごろは屋上で空を見ているのだろうかと思い出すことがある。
 それは一体、何故なのだろう。
「どうして……僕は君にこだわっているのかな」
「──こだわってるの?」
「こだわってるよ」
 きょとんと問い返してくる少年の表情に、楊ゼンは思わず微笑む。
「……本当に、どうしてかな」
「────」
「僕はね、これまであまり他人と付き合いたいと思ったことがないんだ。もともとが孤児だし……。稀人は友達にはめぐまれないしね」
「──楊ゼンは、もしかしたら西の生まれ?」
「そう。偶然、偵察にきていた東側の軍人に拾われたから、それ以来東側の人間だけどね。まだ物心つくかつかないかという頃だよ」
 稀人はとりわけ大陸の西方で忌み嫌われる。
 だから、西方で生まれた稀人は、大半が親に捨てられて孤児となることが多い。稀人の子を連れていれば、親兄弟までもが迫害の対象となるからだ。
 それに対し東方では、街に稀人が住み着いても特に迫害することなく受け入れる場合が多く、成長後も家族とともに暮らす稀人も、珍しいケースではあるがないことはなかった。
「だから、師父……僕を拾ってくれた人が亡くなって以来、特に親しい相手を作ることもなくずっと一人だった。それを何とも思わずにここまで来たんだ」
「……だから、おかしいと思う?」
「そう。確かに、この街で君に出会った時は正直、嬉しかった。前に言ったよね、久しぶりに稀人を見たって」
「うん」
「でも、それは僕にとって珍しいことじゃない。稀人の数は決して多くはないけど、戦場には必ず一人や二人は居る。どこにでもね。そして稀人同士、軽く挨拶をしてすれ違う。自己紹介をする暇さえない時もあった。──それが普通だったんだ。今までは」
 淡々とした口調で語る楊ゼンを、呂望は静かに見つめていた。
「なのに、君に対しては、こんなにもしつこく……つきまとってると言ってもいいくらいだ。変な話だよ」
 その言葉に、呂望は微苦笑する。
「それを本人に言うの?」
 すると、楊ゼンも苦笑した。
「そうだね、ごめん。困るよね」
「別に困るわけじゃないけど……。迷惑なんかじゃないよ。本当に」
 はっきりと呂望は言った。
「楊ゼンさえ良ければ、いつでも誘ってくれて構わないから」
 深い色の瞳を見つめて、楊ゼンはうなずく。
「ありがとう」
「うん」
 呂望の言葉を鵜呑みにしたわけではない。だが、そう言ってくれたことに楊ゼンは感謝した。
「そろそろ行こうか」
 その言葉を合図に、二人は立ち上がる。
 そして、バザールの雑踏に背を向け、歩き出した。
 舗装されていない石畳の道に、二人の影が斜めに落ちる。
 大通り以外に広い道のないこの市街に、車両は入れない。車両が基地へ行くには、街外れにあるゲートから地下通路を利用して市街の下をくぐるのだ。
 もともと都市の地下には、食物生産プラントやエネルギー生成・制御プラントなど、生活の根幹に関する設備や、その他の工場が建設されている。軍用車が通行できる程度の地下通路なら、どこの都市にもあった。
 しかし、市内を移動しようと思ったら、たとえ将校であっても自分の足で歩くしかない。前時代の遺物をそのまま利用している以上、それはどうしようもないことだった。




「呂望」
「何?」
 楊ゼンが口を開いたのは、再び大通りを歩き出してから数分後。
 バザールの中心部を離れて、幾分喧騒が薄らいだ辺りだった。
 歩きながら、ゆっくりと楊ゼンは告げる。
「僕は……もしかしたら、君を好きなのかもしれない」
「……え…?」
 思いがけない言葉に、思わず呂望は足を止めた。
 楊ゼンも立ち止まり、頭一つ分以上も小柄な少年を見つめる。
「今、ふと思い浮かんだんだけどね。そう考えると、つじつまが合うんだ。……でもそれだけのことだから、気にしなくてもいいよ」
「──それだけのことって……」
 微笑した楊ゼンを見上げて、呂望は呆然とした表情で呟く。
「それだけのことだよ」
 だが、楊ゼンはあっさりと答えた。
「僕の感情を君に押し付ける気はないし、返事もいらない。嫌だと思うなら、これから僕の誘いは断ってくれていい」
「────」
「軍人である以上、いつどこで死んでもおかしくない。ましてや稀人なら、あと十年生きられるかどうかも分からない。だから、欲しいものは我慢しないようにしてる。──君を傷つけない約束はできないんだ」
 何でもないことのように告げる楊ゼンを、呂望は言葉もなく見上げる。
「君は君の好きなようにしてくれたらいい。無理強いする気はないし、嫌なら嫌で構わない。第一、たとえ君が僕を好きになってくれたとしても、僕は何も君に返せない……何も、約束できないから」
「……楊ゼン…」
 淡々とした、己の軍人として……稀人としての宿命を悟り尽くした言葉に、呂望はただ名を呼ぶことしかできないようだった。
 そんな彼を見つめたまま、それでも楊ゼンは続ける。
「傲慢で勝手な言い方だということは分かってる。……ただ、気付いた以上、君には知っておいて欲しいと……そう思ったんだ」
 大きく目を見開いたまま見上げている呂望に、楊ゼンは微笑した。
「ごめん、びっくりさせたね」
「あ…いや、そういうことじゃなくて……! もちろん、びっくりはしたけど……、そうじゃなくて……」
 呂望の声が段々細くなり、途切れる。
「呂望?」
 不安定に視線をさまよわせている瞳の大きな童顔は、怖いほどに真剣で、またひどく動揺してもいるようだった。
 しかし、それは突然の告白に嫌悪を抱いたとか、逆に喜んでいるとかいう印象からはかけ離れており、その表情の意味を把握しかねた楊ゼンは名前を呼び、顔を覗き込む。
「どうしたんだい?」
「──楊ゼン…」
「何?」
 優しく答えながら、楊ゼンは内心、眉をひそめた。
 間近に見た深い色の瞳は、まるで何かに怯えてでもいるような思いつめた光が浮かんでいる。
 そして呂望は、これまで見せたこともない、必死と形容してもいい程のまなざしで楊ゼンを見上げた。
「──嫌な、わけじゃない。驚いたけど……嫌じゃない。でも……」
 言葉を捜すように、深い色の瞳が揺れる。
「でも、まだ…言ってないことが……」
「呂望?」
「黙っていたことが……ある。もっと早く、言わなければいけなかったことが……」
 そう告げる声は、わずかに震えていた。
「まだ気付いていないなら……それでいいと、いずれは気付くと……そう思っていたから……」
「呂……」
 尋常とは到底いいがたいその様子に、名前を呼びかけたその時。

 どこか遠く、機械音が響いた。

 思考の結果ではなく、長年戦場をくぐり抜けてきた経験が身体を動かした。
 咄嗟に目の前の小さな身体を胸に抱きこみ、その場に伏せる。

 ───ほぼ同時に。

 爆音がバザールを襲った。










 呂望は一瞬、呆然としていた。
「楊…ゼン」
 その名を口にした途端、あらゆる感覚が戻り、一気に押し寄せてくる。
「楊ゼンっ!!」
「………ッ…呂望…」
 強く抱きしめられていた腕がわずかに緩み、低い声が問い掛ける。
「怪我は……?」
「大丈夫。楊ゼンは……!?」
 濃い鉄の臭いが鼻をつく。それが何なのか、確認するまでもない。
 必死に身体をずらして、広い肩に伸ばした手のひらが。
 べったりと赤く濡れる。
「楊ゼン!」
「……大丈夫、大した……怪我じゃない」
 言いながら身体を起こそうとした楊ゼンを、慌てて呂望は制止した。
「駄目だ、まだ攻撃は終わってない!!」
 耳をつんざく連続した重い爆音にまぎれて、耳慣れない低い機械音が響き渡っている。
「一体…どこから……」
「空だ!」
「空…!?」
 まさか、という響きが楊ゼンの声ににじむ。
 この大陸の人間にとって、かつて月人が降りてきたとされる空は、根深い畏怖の対象だった。
 その稀人でさえ逆らえない本能的な畏怖ゆえに、これだけ文明が発達していても、いまだに空を飛ぶ方法は実用化されていない、はずなのである。
 もちろん、理論だけなら存在した。だが、軍でさえそれを実際に利用しようとはしなかった。たとえ、空飛ぶ兵器を開発したところで、それに乗りたがるような人間が居るとは到底考えられなかったからだ。
 それなのに。
「来る…!!」
 爆音がみるみるうちに近付いて来る。
「逃…げろ……!」
 楊ゼンが言い終わらないうちに。
 巨大な黒い影が上空をかすめ、辺り一面が激しい爆撃にさらされた。




  咄嗟に、力を解放していた。
  それ以外に方法がなかったから。
  常識を超えた敵襲から、彼を守るためには。
  他に、方法などなかった。




 ───え……?
 爆音が静まったところで、楊ゼンはまず自分が生きていることに驚く。
 あんな爆撃を受けたら、命があるわけがない。それどころか、肉体は四散しているはずだった。
 奇妙に思って、苦痛に霞むまなざしを横へ向けると。
「……え…?」
 不思議な色合いのものが目に映った。
 ごく淡い青を帯びた、半透明の乳白色。
 その中に虹を封じこめたような、七色の優しいきらめきが揺らめいている。
 どこか硬質な印象のそれが、不意に視界から消えて。
 腕に抱きしめていたはずの少年の身体が、するりと抜け出してゆく。
「呂……!」
 名を呼び、深く傷ついた身体を無理やりに起こして振り返ると。

 信じられないものが、そこには居た。





 少年は瓦礫と化した街に、真っ直ぐに立って上空を見上げていた。
 やがて、ゆっくりと左腕を上げ、空へと指先を向ける。
 その細い腕が。
 音もなく形を変えて。
 一瞬の後。
 無機質な塊に変形した腕から空に向けて何かが発射され、数秒後。
 上空で何かが爆発四散した。
 それを見届けて、少年は腕を下ろす。
 その腕は、既にもとの形に戻っていた。
 そして。
 ゆっくりと青年を振り返る。

 その背には、ごく淡い青にきらめく、透明感を帯びた美しい乳白色の翼、が。




「──ガーディアン……」

 かすれた声で、その名を呟いて。
 楊ゼンは意識を失った。






to be continued...










というわけで、訳わかんない展開になってきました第3回。前回から1ヶ月も間が空いてしまいました。待っていて下さった方、本当に申し訳ありません〜m(_ _)m
それで、改めて申し上げますが、この話の舞台は地球ではありません。どこか別世界の話です。しかも基本コンセプトが「中世と近未来のごった煮風ファンタジーSF」というものなので、文明の発達は地球から見ると異様に片寄ってます。
今後も地球の常識から考えると「なんで?」と思われるような設定が出てくるかもしれませんが、この異世界が生まれた時から(=8年前から)そういう設定なんだよということで、細かいことは気になさらないようお願い致します。m(_ _)m





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