SACRIFICE  -ultimate plumage-

1. illusion city








 風は今日も乾いていた。
 内陸の強い陽射しが古い街並みを照らし出し、路上に影を描き出す。
 雲一つない空は、ただひたすらに高い。
 どこにでもある一日は、かすかな憂鬱を奥底にはらんで、いつもと同じ貌で通り過ぎてゆくようだった。
 だが。
 時折、ふとしたはずみに、常とは異なる色が、まるで白磁に落とした染料の雫のように日常に混じりこんでくる。
 それはもしかしたら、運命とか巡り合わせとか、時にはそういう名前を持って人々を待ち構えているのかもしれなかった────。






        *        *






 たまに街を歩くとこれだから、と、彼は内心溜息をつく。
 新参者はものを知らなくていけない。
 覚めた目で見渡す視界に映るのは、三人の軍服姿の男。見れば一目で下級兵士だということは分かる。
 布地のくたびれ方から判断すると、おそらく先日、この街にある基地に転属してきた兵士たちの一員なのだろう。
 人気ない裏通りの壁際に獲物を追い詰めたことで、勝利を確信したらしい。共に下卑た笑みを浮かべている。
「おい、何とか言ったらどうだよ。ちょーっと金貸してくれって言ってるだけだろ?」
「それともびびっちまって、お口が利けなくなったのかなぁ?」
「こわくないでちゅよー。おこづかいさえくれたら、お兄さんたちは直ぐに行っちゃいまちゅからねー」
 口々に発せられる言葉を聞き流しながら、外出のタイミングが悪かったな、と、もう一度溜息をつく。
 ある意味、彼らに罪はない。長い戦争に誰もが倦み、荒んでいる。
 ましてや、こんな前線であればそれは尚更。
 分かっていたはずなのに、こんな新参者が街中をうろうろしている時期に、うっかり外へ出てきたのが間違いなのだ。
 だから、あえていうなら、互いに巡り合わせが悪かった。それだけのこと。
 ……仕方がない、と体内に力を溜める。
 面倒事は嫌いだったが、口先で相手を撃退するのもあまり愉快な話ではない。
 言葉よりも力を使う方が、いい加減、気が楽だった。
「おい、何とか言えって言ってるだろ!?」
 そして、荒っぽく伸ばされた腕を振り払おうとした、その時。

「お前たち、そこで何をしている!?」

 よく通る声が、薄汚れた路地に響き渡った。
 男たちの肩越しに見えた、その声の持ち主は。

 ────蒼。

 思わず目を奪われる、首筋で一つに束ねた長い髪。
 カーキ色の士官用軍服を着込んだ、隙のない立ち姿。
 逆光ではっきりと顔立ちは分からないが、かなり見目良いことは何となく分かる。
「民間人への危害は軍律違反だと分かっているだろう!」
 凛と響くその声も、ひどく耳に心地いい。
「……やべぇな」
「いや、でも一人だぜ。他に目撃者が居るわけじゃなし……」
「さっさとやってずらかるか」
 ひそひそと小声でささやき交わし。
 三人の兵士は、さっと身構えた。
 ある程度は戦場経験を積んでいるのか、それなりに隙がない。
 けれども、無駄だな、とその背中を見ながら内心で呟く。
 彼らの目の前に立つ士官は、只人ではない。それを見分けられないのは、おそらく彼らの気が立っているからだろう。
 ───こんなにまでも、青年士官の気配は常なるものと異なっているのに。
 ああ、でも、と考え直す。
 この近距離で自分の本質にさえ気付かなかった連中なのだから、分からないのも仕方がないことなのかもしれなかった。
「未遂なんだろう。黙って立ち去るのなら見逃してやるが?」
 戦意をあらわにした兵士たちに、冷ややかなほどの無感情な声が告げる。
 が、長身とはいえ、どちらかといえば細身な青年士官相手に、腕自慢らしい図体の兵士たちが退くはずもなかった。
 もちろん、たとえ所属が違えど上官に手を上げたら、懲罰房行きどころか下手したら軍法会議ものになる。が、実際には目下のものに殴られたなどという、みっともない話を公にする士官は滅多にいない。いやしくも軍人であるのなら、各々で決着をつけるべきこと、というのが軍隊の不文律なのだ。
 だから、そういう反応を士官の方も予測していたのだろう。
 軽く溜息をつき、その一瞬の後───。
 身構えていたはずの三人の兵士は打ち倒され、路上に転がっていた。
 風になびいた長い髪がさらりと元通りに流れ落ち、そして彼はこちらを振り返る。
「君、何か危害を……」
 言いかけて。
 わずかに驚いたように、小さく目が見開かれた。
「君は……稀人(キジン)か」
 その言葉に、かすかに微笑みを返した。






 稀人──時には、鬼人、忌人とも表記される異能者。
 常人離れした身体能力を持つ身体型、電脳並の思考能力・演算能力を持つ頭脳型、そして治癒や予知、精神感応などの特殊能力を持つ特殊型の三タイプに分類され、複合した能力を持つものは稀である。
 その能力は遺伝することなく、約八百万分の一の確立で乱数的に発生し、分布も大陸全体にわたるが、全般的に寿命が極端に短く、常人の平均寿命の半分も生きない。生殖能力も低く、特に強力な能力を持つものほどそれらが顕著だった。
 稀人の発生は、かつて月から降りてきて、人類と混血し同化した月人の遺伝子の発現が原因であるともいわれるが、確かなことは未だに分からない。ただ、共通する因子が稀人の遺伝子に含まれていることだけは、研究者たちも認知している。
 常人離れした彼らの能力は、特に大陸西方において忌まれることが多く、いわれなき迫害を受けることも大陸史上、度々だった。
 彼らの一番の悲劇は、たとえ稀人であることを隠し一般人に紛れ込もうとしても、彼ら独特の存在感は、白い鳥の群れに黒い獣が紛れ込んだように目立ってしまうことだろう。
 普通ではない、と誇示しているようにさえ感じられるその存在感がために一般人からの反感を買い、地域社会から疎外される場合も多く、その結果、西方の稀人の多くは都市の貧民窟に居住している。
 しかし東方では、稀人に対しては比較的寛容で差別も少なく、常人と変わらぬ生活が送れる地域もさほど珍しくない。これは、伝説で月人が最初に降臨したとされる土地が東方にあることが、大きく影響していると考えられている。
 が、やはりその異能力のために、平穏に生きるよりも軍隊及び傭兵組織、犯罪組織等に所属して生きることを選ぶものも多い。
 その常人を超えた能力を持って生まれたがために西方では「呪われた民」と呼ばれることもある、大陸史上の受難者たち。
 それが、稀人と呼ばれる存在だった。






「余計な事をしてしまったのかな」
 怯える様子もなく、壁際で一部始終を見つめていた少年に向けて、青年士官は尋ねた。
 稀人であるのならば、一見非力そうに見えても、兵士三人くらいなんということもなかったかもしれない。そう思っての言葉だったのだろうが、返った返事は少々意外なものだった。
「いや、いい加減うんざりしてたから」
 低くもなく高くもない、おそらく十代半ばだろう年齢には、いささか不似合いとも感じられる落ち着いた声音に、青年士官はわずかに目をまばたかせる。
「うんざり?」
「今日、街を歩いていて絡まれたのは三度目。撃退するのも面倒になってきてたから助かった。──ええと、少佐?」
 青年が着用している士官服の襟の階級章を見て、少年は小首を傾げた。
 青年の二十代前半らしい外見から考えれば、不釣合いな階級ではある。だが、稀人であれば、二十代で将官という場合も珍しくなかったから、彼は順当な昇進をしているということなのだろう。
「ああ、そう。先日、ここに転属してきたばかりなんだけどね。……君は稀人にも見慣れているようだけど、もしかして軍の関係者なのかな」
 青年士官の問いに、少年は微妙な笑みを浮かべた。
 面白がるような皮肉を込めているような。
 その意味は、すぐにその後の台詞で知れた。
「この街に、軍の関係者じゃない稀人はいない」
 この街――カシュローンは大陸を東西に分ける前線のほぼ中央に位置し、その戦略的重要さから背後に巨大な軍事基地を抱えている。
 巨大な基地があるということは、内部に数多くの人員を抱えているということであり、様々な消費需要を持つということでもある。つまり、カシュローンは基地を中心にして栄えている街なのだ。
 しかし最前線は最前線であり、当然ながら、そこにいる稀人に民間人などまず居るはずはない。
 そのことにすぐに青年も気付いたのだろう。己の迂闊さに思い当たった顔になり、しかし悪びれる風もなく続けた。
「そうか、そうだね。ごめん、間抜けな質問をして。でも間抜けついでにもう一つ、質問してもいいかな?」
「何?」
「基地までの道を教えて欲しいんだけど……」
 その言葉に、少年は大きな目を更に大きく見開いた。
 並よりも感覚に優れている稀人は、通常、どんな密林だろうが砂漠だろうが絶対に方角を失うことはない。身体型なら尚更だ。
 そして、青年が身体型の稀人であることは、つい先程、一瞬で三人の屈強な兵士を倒したことからも判る。
 なのに、道を教えて欲しいとは。
「………稀人のくせに迷子?」
「一言で言うならね」
 明瞭過ぎる単語に、青年は肩をすくめた。
「方角は分かってるんだよ。でも、この街の路は……。どうやっても思う方向に進めなくて、困ってたんだ。いっそのこと、屋根の上を行こうかとね、思案していたところだったんだけど……」
 言い終わらないうちに少年は吹き出し、くすくす笑いながら答える。
「──この街はね……」
 そして、まなざしを向けた先には──曲がりくねった細い街路。
 石造りの古い薄汚れた集合住宅に挟まれて、うねうねと無秩序に曲がりくねり、ほんの少し先をたどるだけで視界は石の壁にぶつかってしまう。
 まったく規則性のない、巨大な迷路のようだった。
「ここは城砦(カスバ)だから。──稀人でも迷うとは思わなかったけど」
「君は地元の人間なのかい?」
「……そんなようなものだよ。この街の地理を覚える程度には、ここで暮らしてる」
 微妙な言い回しに気付いたのかどうか、青年は屈託なく端整な顔に笑みを刻む。
「じゃ、僕は運が良かったということかな。──悪いけど、時間があったら基地まで案内してもらえるかな?」
「いいよ。どうせもう帰るところだったから」
「──って、君は軍属?」
 少し驚いた顔をした青年に、少年はなんとも言いがたい微笑を向ける。
「………技術将校のドクター太乙を知っている? 基地内にある彼の研究室に」
「ああ……。じゃあ、君は助手か何か?」
「……そんなようなものかな」
「曖昧な言い方だね」
「実際に曖昧だから。階級もないし」
 肩をすくめるように答えた少年に、青年はふと考えるような瞳になる。
「──ごめん、君は初対面の相手なのに、何だか僕は失礼なことを言っているね」
「いいよ、自分の外見と中身が釣り合ってないのは分かってるから」
「ごめん」
「いいってば。それより帰るんでしょう? 基地へ行く路はこっちだから」
 笑顔でうながして、少年は歩き出す。路上に倒れたままの兵士三人の存在は当然のように無視して、その脇を通り過ぎた。
 青年の攻撃は、ごく軽い当身程度のものだったから、日が暮れる前までには目が覚めるはずである。自分たちが絡んだ相手が稀人だと知れば、報復する気も萎えるに違いないから、これ以上彼らのことを気にする必要はなかった。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
 同じく彼らには目もくれずに後をついて行きながら、青年は口を開く。
「僕は楊ゼン。階級は見ての通り、第四十一師団所属の少佐。君は?」
 問いかけに。
「………呂望」
 ゆっくりと肩越しに振り返って、少年は微笑と共に答えた。






         *        *






 しゅん、と軽い音を立てて自動扉が閉まる。
 その途端、
「おかえりー。遅かったね」
 奥から声が掛かった。
「うん……」
 上着を脱ぎながらの生返事に、常とは違うものを感じ取ったのか、作業卓に向かっていた声の主はくるりと椅子ごと振り返る。
「──どうしたの、何かあった?」
「士官のくせに、わしのことを知らん田舎者に遭った」
「……どうせ、呂望ぶりっこしてたんでしょ、君のことだから」
「まぁ、な」
 椅子に腰を下ろして行儀悪く片膝を抱えた少年に、苦笑交じりの声で答えながら白衣姿の青年は立ち上がった。
 そして、片隅の湯沸しで茶を二人分煎れて、茶杯の一つを少年に手渡し、自分はデスクに戻って再び腰を下ろす。
「──で、どんな人? その田舎者って」
「年は二十代前半。長身で士官にはあるまじき長髪の、身体型の稀人」
 その言葉に、青年は首をかしげた。
 肩のあたりで無造作に切りそろえた癖のない漆黒の髪が、さらりと流れる。
「髪が長いというと……第四十一師団の少佐かな」
「そう言っていた。名前は楊ゼン」
「ああ、じゃあ間違いないよ。北のヴァールから転属してきた」
「ふぅん」
「ふぅん、じゃないって」
 少年の気のない返事に、青年は茶杯片手に苦笑する。
「君は田舎者っていうけど、彼はすごいよ。北部戦線では猛虎の異名を取ってた。ティルデン要塞を陥としたのは、ほとんど彼一人の功績だしね。一騎当千っていうのは、彼のためにあるような言葉だよ」
「……だが、迷子になっとったぞ」
「ああ、そりゃあね」
 くすりと青年は笑った。
「この街じゃ仕方ないさ。私だって未だに案内端末がないと外出できないし。身体型でも最短距離で目的地に出るのは難しいと思うよ」
 その言葉を聞きながら、少年は茶杯の茶をすする。
「それにね、彼が君のことに気付かなくても仕方ないよ。基地内で会ったわけでもなくて、ごく普通の格好で街を歩いてる男の子が、東方軍最高の軍事機密だなんて、誰が気付くと思う?」
「……けれど、わしの情報は全軍の士官に行き渡ってるはずだろう。第一、わしはおぬしの所にいると言ったんだぞ。それだけでも気付いても良さそうなものなのに」
 片膝を抱えたまま言葉を紡ぐ少年に、青年は溜息をつくように微苦笑した。
「なんだか機嫌悪いね。──そんなに、呂望ぶりっこをする羽目になったのが気に入らない?」
「────」
「気付いてない相手に、わざわざ自分から正体をばらしたくなくてやってることだろう? だったら仕方ないんじゃないのかい」
 その声はやわらかい。が、少年は拗ねたようにうつむく。
「………時々、おぬしは意地が悪くなるな」
「そりゃ、君とも付き合いが長いしね」
 そして、青年はことん、と茶杯を作業卓に置く。
「そうか、でも珍しいね。いつもなら呂望ぶりっこも嫌がりつつ、結構開き直って面白がってるとこもあるのに」
「────」
 反応を窺うように見つめながら、笑みを含んだ声で青年は言った。
「相手の間抜けさにそこまで不機嫌になるってことは、相当気に入ったんだ? まぁ彼は、軍ではピカいちの美形だって噂だしねー」
「───なんで顔が関係ある」
「だって君、醜いもの嫌いじゃない」
 あっさり紡がれた言葉に、顔を上げた少年は絶句する。
 その顔を見つめて、青年は小さく笑った。
「いいんじゃないの、それならそれで」
「………どうかのう」
 再び抱えた膝に頬杖をついた少年に、微妙な笑みを向けてから青年は作業卓に向かう。
「……なるようにしかならないよ、何事もね」
 少し低くなった静かな声で、背中越しにそう告げられて。
「うむ……」
 少年はうなずいた。




        *      *




 目を閉じると、残像のように蘇る──蒼。
 軍人も稀人も嫌になるほど見てきているのに、何故か不思議なほど印象に残った。
 並みの稀人の動体視力では、到底捕らえられないほどの戦闘時の動きの鋭さと、自分と向き合った時の、間抜けにも見えるほどの好青年ぶりとのギャップのせいだろうか。
 最前線をくぐり抜けてきた戦士にしては、少し珍しいタイプだという気もする。
「わしのことにも気付かぬし、な」
 呟いて、自分の手を見つめる。
 まるきり少年の、細い小さな手。
 ───おそらく、彼も近いうちにこの正体を知るのだろう。
 北部戦線が東方軍によって制圧されてから、約一ヵ月。
 そろそろ、しばらく小康状態を保っていたこの西部戦線も、戦闘が再開される頃合だ。
 実際、西方軍の動きがこのところきな臭い。
 北部戦線で勇名を馳せたという彼がこの基地に転属してきたのも、来るべき新たな戦いのために違いなかった。
「…………」
 大陸全土で延々と続く、泥沼化した紛争。
 血と硝煙と砂埃と。
 その中でしか生きられない自分は。
「呂望、か……」
 遠い幻のようなその名前を呟いて。
 抱えた片膝に頬を預けたまま、目を閉じた───。






to be continued...










というわけで、新連載です。
この世界設定は10年近く前に私が作ったもので、稀人&月人の設定も当時のオリジナルです。が、それが妙にフジリュー版に通じる部分があるため、もうまともなルートではこの世界を舞台にしたオリジナル作品群を発表できないな〜、と諦めて今回、パロディに使うことにしました。
一応、舞台のイメージは北アフリカ・アルジェリアの城砦(カスバ)と呼ばれる旧市街です。建物を建て増し建て増しして繋げていったような、迷路のような街。御存じない方には、香港・九龍島のアラビア版と考えてもらえれば近いかもしれません。九龍島は返還前に取り壊されちゃいましたけど……。
……でも、この話、これだけじゃ楊×呂とは分かんないですよね……。太乙も名無し扱いだし。反省(-_-)





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