恋の作法 2








「お聞きになりまして? 頭中将様と飛香舎の少納言の君とのこと・・・・・」
「何やら賭けをあそばされたとか」
「ええ、頭中将様がお勝ちになれば、少納言の君が頭中将様の御正室に、少納言の君がお勝ちになれば、頭中将様がお諦めになられると・・・・」
「少納言の君は、これまでも頭中将様から逃げ回っておられましたものね。一体、あの素晴らしい方のどこがお気に入らないというのかしら」
「さあ。でも、男であればさぞかしと言われるほどの才に優れた方ですもの。きっと普通の方とはお好みが違っていらっしゃるのよ」
「殿方に興味がおありでないのかもしれませんわ」
「それとも案外、口に出せないような想い人が既にあるとか・・・・」
「ありえますわね。それこそ殿上も適わないほどの身分の者とか・・・・・」
「けれど、いずれにせよ、これで決まるのでしょう?」
「ええ。少納言の君がお勝ちになれば諦めると、頭中将様はきっぱりおっしゃったそうですもの」
「では、何が何でも少納言の君には勝っていただかなければなりませんわね」
「それで、賭けとは一体、どんなことをなさってますの?」
「あら、御存じありませんの? なんでも百日間、毎日会いに来られるようにと少納言の君がおっしゃったそうですわよ」
「物忌みだろうが宿直(とのい)だろうが、いかなる理由があろうとお聞きしませんと」
「まぁ、たかが女房ふぜいが頭中将様に何ということを・・・・・」
「ええ、とんでもないことですわ。でも・・・・・」
「確かに難しくはございますわね。なんといっても頭中将様は並み居る公達の中でも一際、主上(おかみ)の覚えめでたき御方ですもの」
「本当に御多忙でいらっしゃるから、百日もの間、毎日というのはきっと苦しくていらっしゃるわ」
「それこそ、もしかしたら百日が過ぎる前に少納言の君の意地の悪さに、愛想尽かしをなさるかも・・・・」
「少納言の君も、それを狙っておられるのかもしれませんわ。あれだけ逃げ回っておいでだったのですもの。なのに頭中将様は、わたくしたちには見向きもして下さらなくて、これまでどんなに歯痒い思いをさせられたか・・・・」
「本当に。でも、これで諦めて下さるというのであれば、わたくしたちも少納言の君をお助けせねばなりませんわね」
「ええ。こういうのはいかがかしら、うちの女御様にお願いして管弦の宴を開いていただくの。主上をお呼びしたら、頭中将様も当然おいでになられる。いくらなんでも麗景殿の女御様の宴の最中に抜け出して、飛香舎にはお行きになれませんでしょうよ」
「まぁ意地の悪いこと。・・・・でも、良い考えですわ」
「ええ、ええ。早速、女御様にお願いに参りましょうよ」
「でも、女御様は御不快に思われませんかしら。なんといっても中将様は、飛香舎の女御様の弟君でいらっしゃるのですもの」
「あら、大丈夫ですわよ。頭中将様が、飛香舎の女御様お気に入りの少納言の君から我が麗景殿の女房に心を移されたら・・・・・」
「きっと飛香舎の女御様は悔しくお思いになられるでしょうね」
「ええ、必ず」
「そういうことであれば、わたくしたちの女御様もお喜びになられるわ」
「それでは、皆で女御様のところに参りましょう」
「ええ」





「おい、聞いたか、頭中将と飛香舎の少納言の君の話」
「遅すぎるよ。近頃の殿上は、その話で持ちきりなのだぞ」
「なんでも賭けをしているそうだな。百日の間、頭中将が少納言の君のもとへ通うことができれば、頭中将の勝ち、一日でも欠ければ少納言の君の勝ちだとか」
「さすが少納言の君だ。言い寄る男を遠ざけるにも、一つひねった難問を出してくる」
「男の方は百日くらいなら、とムキになる。けれど、実際は物忌みだの宿直だの宴だので、不可能になるというわけだ」
「特に、あの頭中将だからな。我々の中でも彼が一番忙しい身なのではないか?」
「主上はもちろんだが、左大臣殿も上の息子たちを脇において、出来のいい四男坊を一番頼りにしているというしな」
「到底、百日も通うことはできるまいよ」
「だが、既にもう二十日ばかりの間、通い続けているという話だぞ」
「なに? その間には物忌みも一日や二日はあっただろうに」
「先日には、松の大納言の屋敷で宴があったではないか」
「それが、方違えや、内裏に宿直して物忌みはやり過ごし、用のある日は、朝の参内の直後に飛香舎に顔を出してと、涙ぐましいまでの努力をしておるそうだ」
「なにが涙ぐましいものか。あの頭中将のことだ、涼しい顔で少納言の君に笑いかけているに違いない」
「うむ、貴卿の言う通りに決まっている。あれほど困り顔と縁のない男も珍しかろうよ」
「なのに、この賭けに勝てば、少納言の君を妻に迎えることができるとは・・・・」
「許せぬぞ」
「うむ、絶対に許せぬ」
「何としても百夜通いの成功を阻止せねばならんな」
「これは、何か口実をつけて頭中将が飛香舎へ行けぬようにするのが一番の上策ではないか」
「そうだな、幸い、これからはますます春めいてくる。宴を催す理由には困るまい」
「泊まりがけでの狩りという手もあるぞ」
「それは良い手だ」
「ああ、一つ言っておかねばならんが、抜け駆けは禁物だぞ」
「それは勿論だ。少納言の君に言い寄ってもよいのは、頭中将をどうにかしてから。それだけは皆に守ってもらわねばな」
「うむ。こちらが苦労をしておる間に、鳶に油揚をさらわれてはたまらぬ」
「では決まりだな」
「うむ」






               *              *






 季節が日一日と春めいてくる中、宮中で引っ張りだことなっているのは、若い公達の中でも一際目立つ出世頭、現関白右大臣の息子にして飛香舎の女御の弟、頭中将と、飛香舎の女御の側仕えである女房、少納言の君だった。
 もとより見目麗しい二人のこと、以前から宴や歌合わせ、遠出などの催し事には必ずといってもよいほどに参加を求められてはいたのだが、最近は少々異常ともいえる誘いの過熱ぶりである。
 それはひとえに、この頭中将と少納言の君が交わした賭けの約束が原因だった。

 ───百日の間、毎日会いに通ってくること。

 それが、宮中に出仕した直後よりしつこく求婚し続ける頭中将に対し、業を煮やした少納言の君が出した結婚の条件だった。
 言わずもがなではあるが、この時代における貴族の生活は因習と迷信に縛られている。
 今日は物忌み、今日は方違えと凶事を避けるのに忙しい貴族、しかも名家中の名家の出身で帝の覚えも目出たき頭中将が、毎日、後宮の姉女御の元にいる女房を訪ねるというのは、決して簡単なことではなかった。
 しかし、頭中将も、他の軟弱な貴公子達とは一味違う人物だったのである。
 したたかと言おうか、ふてぶてしいと言おうか、手を替え品を替え口実を変えて、毎日毎日、飛香舎までうら若い女房のご機嫌伺いにやってくる。
 そのために、とうの少納言の君はもちろん、禁裏中の若い公達や女房達が最近では揃いも揃って不機嫌な顔で過ごしているのだった。










「どうぞ」
 目の前に差し出されたものを、これ以上はないというほどに眉をしかめて見つめ、それから少女は顔を上げて、差し出している相手の顔を見つめる。
「何ですの、これは」
「今日の贈り物です。昨日、午後から蔵人所の部下たちに誘われて遠出したのですが、そちらで美しい山桜を見かけましてね。是非、貴女にも一枝差し上げたいと思ったんですよ」
「───確か、ご宿泊の予定でお出かけだと伺ったのですけれど」
「ええ。ですから、昨日の朝のうちにこちらに伺ったんですよ。今日は、先程まだ明るいうちに戻ってこれたので、身支度だけ整えて急ぎ参上したんです」
「────」
 急いできたという割には、髪ひとすじの乱れもない、隙なく衣装を整えている相手を、少納言は冷めきった目で見つめた。
 が、やがて、つまらなさそうに溜息をついてみせる。
「今日一日くらいは、中将様のお顔を拝見したくはありませんでしたけれど、花に罪はありませんものね。桜はありがたくいただきますわ」
 そう言い、薄翠の綾の袖で山桜の枝を受け取った。
 そして、今が盛りとばかりに咲き誇る、ごく淡い薄紅の桜と、紅を帯びた萌え始めの若葉を少しばかり目を細めて見やる。
 その様子を、贈り主である頭中将は微笑んで見守った。
「──なんですの?」
「いえ、そうしておられると、まるで佐保姫のようだと思いましてね」
 視線に気付いて眉をひそめた少納言に、頭中将は笑いながら告げる。
 今日の少納言の君の装いは明るい翠の濃淡を重ねた若草襲であり、その袖に美しい山桜の一枝を抱いた姿は、確かに見事な一服の絵のように映えていた。
「戯れ言も、それくらいになさいませ」
 だが、美しい春の女神にたとえられた少女は連れなく言い捨て、改めて求婚者である青年を見上げる。
「今日の御用は、これで終わりですわね?」
「もう少し貴女と話していたいというのは、用の内に入りませんか?」
「入りませんわ」
「では、仕方がありませんね。姉上のお顔を拝見して帰ることにしましょう」
「…………女御様の?」
「ええ。このところ、つい忙しさにかまけて貴女の可愛らしいお顔を拝見するだけで帰っていたら、お叱りが来ましてね。たまには姉にも挨拶せよと、言付けをいただいてしまいましたから」
「───呆れた方ですこと」
 冷たく溜息をつきつつも、少納言は女房装束の裾を優雅に捌き、女御の居室に先導するべく簀子(すのこ)を歩き出した。


 その途中、女房用の局が並ぶあたりで、少納言は足を止める。
「少しだけお待ち下さいませ。この桜を局に置いて参りますから」
「おや、お部屋に飾って下さるのですか?」
「仕方ありませんわ。私宛てに持ってこられたもの如きを敬愛する女御様に横流しするような、非礼な真似はできませんもの」
 そんな事がやれるものならとっくにやっている、という少女の口ぶりに、青年は苦笑した。
 その間に、少納言はすばやく自分の局へと滑り込み、文机の上に桜の枝を置いて戻ってくる。
 そして、再び二人は磨き抜かれた白木の簀子(すのこ)を歩き出した。
 ほどなく、前を行く少納言に頭中将が声をかける。
「少納言の君」
「聞こえております」
 振り返りもせずに答える少女に、青年の苦笑は途切れる事がない。
 だが、もう彼女のつれない対応には慣れっこになっている中将は、気にもせずに艶やかな長い髪の流れる背中に向かって話しかける。
「あと二か月ですね。正確には五十八日。どんなお気持ちです?」
「…………いっそのこと、千日とでも言えば良かったかと思ってますわ」
「おや、そんなにも僕に通い詰めてもらいたいんですか? それならそうとおっしゃって下さらなければ」
「誰もそんな事は言っておりません!」
 混ぜっ返す頭中将の言葉に、きっとなって少納言は足を止め、振り返る。
 その白い頬に血の気を昇らせた、少女の可憐な表情に頭中将は微笑した。
「こんな風に言えば、つれない貴女も振り返って下さるんですね」
「──!?」
 笑いかけられて、更に少女の頬が怒りに赤く染まる。
「いい加減になさって下さい。女御様にお会いになるならお会いになって、さっさと二条邸にお帰り下さいませ」
「怒っている貴女も本当に綺麗ですよ。一番は、やはり笑っていらっしゃる時ですが。先程、桜の枝を持っていた時の貴女とかね」
「〜〜〜〜〜〜」
 もう言い返す気も失せたのか、ふんとばかりにくるりと向きを変えて、早足で少納言は飛香舎の奥へとずんずん進んでゆく。
 笑いながら、頭中将もその後を追った。












 飛香舎の女御が、軽い風邪を引いて伏せったのは、桜も散り果て、気温も随分上がって若葉も鮮やかになってきた頃の事だっ た。
 もともと、帝の寵愛を一身に集める美しい女御は、それほど丈夫なたちではない。こんな風に病に伏せるのは一年を通して頻繁にある事で、病状がごく軽いこともあり、それほどの大騒ぎにはなることなく、側仕えの女房達が侍医に代わって看護にあ たっていた。




「今日は雨のようじゃのう」
「ええ。庭の木も雨に洗われて、若葉が目のさめるように鮮やかですわ。早く良くなられて御覧になって下さいませ」
「うむ」
 お気に入りの女房の一人である少納言は、今、一番の側近の小宰相の君に代わり、女御の枕元に詰めている。
 女御は既にほとんど熱も下がり、わずかな微熱が残るのみで、今日は随分と気分も良いようだった。
 食が衰えたことで多少、顔の輪郭がほっそりされたように見えるが、やつれたというよりむしろ品の良さが増して、普段は透き通るような頬にうっすらと熱の赤みが差し、潤みを帯びた瞳に長い睫毛が影を作って、これ以上はないと思えるほどの美しさを作り出していた。
「のう、少納言」
「はい、何でございましょう」
 ゆっくりとまなざしを向けた女主人に、少女はわずかに首を傾けるようにして答える。
 そのどこか可愛らしい仕草に、女御は微笑んだ。
「一度聞きたいと思っておったのだが……、そなたは何故、弟の求婚を拒んでおるのじゃ?」
「え……」
 思いがけないことを問われて、思わず少納言は戸惑う。
「何故と……おっしゃられても……」
 そんな女房に、女御はどこか揶揄を含んだ微笑を向ける。
「私が見たところ、そなたは口で言う程、あやつを嫌っておるようには見えぬ。言葉では散々に言うておるようではあるが」
 そして、先日の騒ぎは面白かったぞ、と言われて少納言は頬を染めた。


 三日前、麗景殿の女御の主催で、春の朧月を楽しむ管弦の宴が催されたのである。
 帝も臨席する盛大なもので、この飛香舎にも正式な招待があったのだが、何分、主の女御が体調を崩していたため、参加そのものには断りを入れることとなり、その使者として少納言が遣わされたのである。
 宮中一の才媛と名高い少納言のこと、同格の女御ということもあり何かと飛香舎と張り合うことの多い麗景殿に対し、もちろん完璧に使者としての役目をこなした。
 が、その帰り際。
 同じように、おそらくは宴への参加を麗景殿に言上しにきたのであろう、梅壷こと凝華舎の女御に仕える女房、右近の君と清涼殿北廊、滝口の陣付近で鉢合わせしてしまったのである。

 凝華舎の女御は大納言の息女で、知性溢れる美貌の女性である。
 家柄は大臣家の飛香舎、麗景殿には劣るものの、実家の経済力に物を言わせて女房達も才色兼備の者を取り揃えている。その女房達の中でも筆頭としてあげられるのが、この右近の君だった。
 そして、あでやかな美貌で名高い右近の君が、以前から頭中将に歌を贈っているのは、宮中の誰もが知っている。
 更には、頭中将の求婚相手である少納言に対し、激しいライバル心を剥き出しにしているのも有名な話だった。
 そんな相手と、偶然とはいえ鉢合わせしてしまったのである。  騒ぎにならない方がおかしかった。


「あら、少納言の君、お久しぶりですこと。噂では近頃、よく貴女にお会いしていたけれど」
「そうですか。わたくしの方では貴女のお話なぞ、ついぞ耳にしておりませんが」
「わたくしは、どなたかと違って身の慎み方をわきまえておりますもの。貴女もほどほどになさらないと、そのうち痛いしっぺ返しをもらうことになりましてよ」
「何のことでしょう?」
「まぁ白々しい。頭中将様に百日もの間、毎日通われるようにおっしゃったくせに……。いっそのこと、はっきりお断りされたら良いのよ。もっとも、小野小町気取りの女房など、すぐにあの方は愛想をお尽かしになるでしょうけれど」
「望むところですわ。そもそも、はっきりお断り申し上げたわたくしに、あえて条件を出すようにおっしゃったのは頭中将様です。ならば、無理難題を申し上げるのは当然のことですわ」
「なんて……厚顔無恥というのは、貴女のような方を言うのでしょうね。頭中将様も、貴女のどこがお気に召したのかしら」
「存じません。お知りになりたければ、頭中将様に直接お聞きなさいませ」
「僕がどうかしましたか?」
「!!」
「中将様!?」
「意外な所で、お目にかかるものですね、お二方とも」
「何故こちらに……」
「蔵人所は清涼殿の向こうではありませんの?」
「本日の勤めはもう終わりましたよ。僕のことはともかく、美しい女房方が親睦を深めておられるのは、我々の目にも楽しいものですが、さすがにここでは目立ち過ぎるように思いますよ。ほら、あんなに人影が」
「!」
「!!」
「まだお話し足りないようですが、後日、場所を移してということでいかがです? なにしろ、僕は姉上に、遣いに出したきり戻ってこられない少納言の君をお迎えに行くよう言い付かって、こちらに参ったものですから」
「ま、まあ、そうでしたの。少納言の君を……」
「ええ。せっかく飛香舎まで赴いたのに、すぐに追い出されて来た道を逆戻りですよ。姉上は、お気に入りの少納言の君がお側におられないと、心配でたまらない御様子で……」
「───そういうことでしたら、急いで戻りますわ。お手間をかけさせて申し訳ありません、頭中将様。ごきげんよう、右近の君」
「え…、ええ。あ、頭中将様、お待ちになって下さいませ。頭中将様は麗景殿の女御様の宴には御出席なさいますの?」
「もちろんですよ。主上のお供で出向く予定になっています」
「まあ。でしたら、その時にまたゆっくりお目にかかれますわね」
「ええ。では、また宴の時に」
「必ずですわよ、頭中将様。それではごきげんよう、少納言の君」



 若く美しい女房たちと、宮廷一の貴公子の起こしたささやかな悶着は、それから半日も経たないうちに、暇な宮廷人達の間に一気に噂として流れた。
 もっとも、女房の片方の主人である麗景殿の女御は、女房の出迎えから戻ってきた弟から一部始終を聞いて、病床で笑い転げたのである。
 少納言としては、笑いの種になって恥ずかしいやら悔しいやら、その一方で、伏せっている主人が元気そうな様子を見せてくれたことが嬉しいやらで、血の気を昇らせた赤い顔のまま、貝のように黙りこみ、ひたすら頭中将をにらみつけていた。
 それが、女御の言う『先日の騒ぎ』である。

「のう少納言、聞かせてくれぬか。そなたは本当は、あれのことをどう思っておるのじゃ?」
「──どうもなにも……。いつも申し上げている通りですわ。確かに頭中将様は素晴らしい方だと思いますけれど、わたくしにとっては迷惑としか……」
「そうかのう?」
 才気に富んだ彼女らしくもなく、端切れ悪く答えを述べる少納言に、女御は微笑む。
「だが、あれと口喧嘩をしておる時のそなたは、怒りつつも楽しそうに見えるぞ」
「そんなことはありませんわ」
「いいや。私の目はごまかせぬよ、少納言」
「────」
 やわらかく逃げ場を塞がれて、少納言は返答に窮した。
 そんな彼女を見つめて、寝所に横になったまま、女御は問いかける。
「何故、それほどまで頑固にあれの求婚を拒む? 他言はせぬゆえ、教えてはくれぬか?」
「女御様……」
 敬愛する女主人に優しく問われて、少納言の瞳が惑った。
 常になく頼りなく見える若い女房を、女御は見つめる。
 しばらくの間、主従に沈黙が流れた。
「──わたくしを妻にしたところで……得られるものは何もありませんもの」
 やがて、目を伏せるようにして、少納言が細く告げる。
「わたくしの父は、出世も少納言止まりで既に亡くなり、受領のように貯えた財産もありません。父の昔の御縁で、わたくしはこうして女御様の元に出仕できましたけれど、わたくしが宮廷での生活に困らない程度以上の財は何もありませんわ。頭中将様が、わたくしを妻になさる意味はありません。ましてや、わたくし以外の妻を迎えないなどと……」
「……確かにそなたには、家柄や財の後ろ楯はないかもしれぬ。だが、女御の私が後見人となるのだから、十分にあれにも利はあろうよ」
「いいえ、とんでもありませんわ。わたくし如きに女御様が……!」
「何を言う。そなたは私の大切な女房じゃ。たとえ相手が弟でなかろうと、そなたが婿を迎える時には相手の男に釘を重々刺すつもりでおるぞ。私の可愛い女房を泣かせたりしたら、絶対に許さぬとな」
「そんな恐れ多い……」
「よいのじゃ。だが、そんなことが理由か?」
「───わたくしには大きな理由です。それに、本当にわたくしは頭中将様のことは何とも思ってはいませんわ。非礼を承知で申し上げますが、むしろ迷惑だと思っております」
「…………そういうことにしておいてもよいがのう」
「信じておられませんわね、女御様」
「いやいや。可愛いそなたの言うことじゃ。私はすべて信じておるぞ」
「…………」
 複雑な顔をして黙り込んだ少納言に、女御は笑い、そして少し話し疲れたかのように目を閉じる。
「そういうことならば、私はこれ以上は何も言うまい。しかし、少納言」
 女御の美しい鈴の音のような声が、女房を呼ぶ。
「そなたが私の義妹になったならば、私は嬉しいと思うぞ」
「……勿体のうございます」
 それきり、女御の寝所には沈黙が落ちる。
 また眠りに落ちた女主人の美しい横顔を、少納言はじっと無言で見つめていた。






to be continued...










お待たせいたしました。恋の作法・中編でございます。
本当は完結させるつもりだったのですが、どうもファイルが長くなってしまいましたので分割することにしました。
後編は7割方書きあがっているので、今週中にお目にかけることが出来ると思います。

そして今回も相変わらず、何の進歩もない二人です。
今のところ、賭けは楊ゼンの方が有利なように見えますが、はてさて、この先どうなりますことか・・・・。
結末を楽しみにしていて下さると嬉しいです(^_^)





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