冬物語 〜9. 新年〜











年が改まったからといって、何が変わるわけでもない。
けれど、よく晴れた空を清々しいと感じる自分が、少し可笑しかった。




実家のマンションから車で少し行ったところには、かなり広い公園がある。
雑木林と呼びたくなるような樹木の生い茂ったそこは、四季折々の花もふんだんに植えられ、人間ばかりでなく鳥にとっても憩いの場所だった。

久しぶりの家族団欒をしたがる両親に、夕方には帰るからと言い残して出てきたのは一昨日、預けられたカメラのためだった。
太公望の父親のものだったカメラは、改めてケースから出し、手に取って見ると、実に手入れが行き届いており、どれほど大切にされていたのか一目で分かった。
そのひんやりとした金属の重量感を感じているうちに、無性に写真を撮りたくなったのだ。

太公望に言った通り、カメラに夢中になっていたのは中学生の頃だった。
父親が古くなったカメラを自分にくれたのがきっかけで、ファインダーを覗き、ピントを合わせてシャッターを切ることが、とてつもなく面白いことに思えた。
書店に毎月通っては写真の専門雑誌を買い、隅々まで読んで。
こづかいを貯めて交換レンズも一つ、二つと中古の品を安価で買い揃えた。

あの頃、撮ったのは、近所の猫や、マンション前の小さな公園にやってくる小鳥、道端に咲く花、都会の真ん中でも懸命に葉を茂らせた街路樹。
幼いながらに、綺麗だと思うものを片っ端からカメラで捉えた。
作品と呼べるほどのものは一つもない。
ただ、ものの形や光を捉え、それが写真という形で出来上がってくるのが面白く、嬉しかった。






「いい天気だな・・・・」

駐車場に車を停めて、一旦降り、天気を確かめる。
それから車に戻って、カメラの本体と光線に合わせた交換レンズをケースから取り出し、装着して具合を確認した。
そうしてからジャケットを羽織り、ケースとカメラを肩に掛けて、車を降りる。
有名な公園とはいえ、近くに神社もないここへ元旦から来る人間はさほど多くないのだろう。
足を踏み入れた園内は、閑散としていた。

特に撮りたいものがあって、ここへ来たわけではない。
ただ、都会よりも自然の方が、ファインダーから見える景色としては好きだった。それだけのことだ。
人影が少ない分、公園の雑木林からは賑やかな鳥の声が聞こえてくる。
姿が見えればいいと思うが、ただ歩き回っていても野生の鳥が近寄ってくることはない。
ひとまず池を目指して、楊ゼンは園内をゆっくりと歩いた。






あれだけ夢中になったカメラを手に取ることをやめたのは、今から思えば実に子供らしい理由だった。
中学二年生の終わりに近付いた頃、もともと仕事に忙しくてコミュニケーション不足だった両親の仲が深刻な状況となり、離婚の協議をする程になったのである。
父親も母親も、自分たちのことだけで手一杯だったのだろう。一人息子の存在は忘れられているのが殆どで、たまに思い出してもらえても、「勉強しなさい」という小言か叱責しか言われなかった。

そういう状況を、子供だった自分は、馬鹿馬鹿しいと思うことでやり過ごした。
離婚を協議する上で、どちらも自分を引き取りたがらなかったことに傷ついても、そんなことなど知らない顔をしていれば、それで時間は過ぎていったのだ。
ちょうど思春期に当たっていたことも、まずかったのだろう。
世間は綺麗事ばかりで、一皮めくれば誰も何も同じ、とひどく冷めた目で世界を見るようになった。

そんな目で世界を見ても、写真に撮りたいと思うようなものが見つかるはずもない。
結果的に、自分はカメラから興味を失い、存在を忘れた。
未だに、あの父親からもらったカメラをどうしたのか・・・・処分したのか、どこかにしまったのかも思い出せないのだから、その厭世の程度が知れる。






「この辺がいいかな」

大きな池を半周したところで、足を止める。
空の青を映した静かな水面には、春を待つ睡蓮の葉が寒そうに浮き、池の外周の植え込みには今を盛りと花開いている山茶花や、蕾を膨らませた椿、そして真っ赤な実をつけた万両などが色を添えている。
どれをとっても絵になる鮮やかさだった。

慎重にカメラを構え、光線の具合を見ながら、ここだと思った構図を一枚一枚、シャッターを押して切り取る。
そしてファインダーの向こう、池が浅瀬になっている場所に水を飲みに来たのだろう、小鳥たちが数羽、鳴き交わしながら降りてきているのに気付いて、手早くレンズを望遠に取り替え、カメラを構え直した。
あいにく三脚まで用意する暇がなかったから、シャッター速度を速めに設定したカメラで、手ぶれなく被写体を捉えるのは難しい。
けれど、シャッターを押した瞬間、撮れた、という手ごたえが体の芯まで染みた。






結局、両親は離婚はしなかった。
ほぼ同時期に、それぞれに海外勤務の話が出たことがきっかけとなり、父親も母親も単身赴任という形で別居したのが、頭を冷やすこととなったのだろう。
業務連絡のようなメールを時折やりとりする間に、もう一度夫婦としてやり直せるような気分になったらしい。
そのメールの主な話題が、同じ家に暮らしている間は存在を忘れていた一人息子のことだったというのだから、こちらとしては苦笑するしかない。
だが、両親の仲が修復しても、その間に厭世観を身に付けた自分の性格は、今更修復される余地もなかった。
児童心理学では、世の中を批判することが大人への第一歩とされるが、だとすると、自分はほんの一年ほどの間に随分と階段を上ってしまったことになる。

しかし、カメラを手放し、世の中を冷めた目で見るようになっても、何かを求める感性、あるいは本能は失われなかった。
むしろ、冷めた目で眺める分、余計に厳しくなったといっても良かったかもしれない。
無機質な無彩色と毒々しい極彩色が混ざり合い、混沌とした世界の中で、くっきりと色鮮やかに目に写るもの。
無意識の領分で、おそらく自分はいつも、それを探していた。

灰色の教室の中で、めまぐるしく色を変えるネオンの中で。
何にも染まらないもの。
移ろうことなく、確かにそこにあるもの。
それだけを探していた気がするのだ。






「そろそろ帰るか」

フィルム三本を使い果たしたところで、構えていたカメラを下ろす。
これという写真が取れたかどうかは分からない。だが、久しぶりに思う存分シャッターを切った満足感が、全身を満たしていた。

「今から現像に出せば、明日の午後には間に合うだろうな・・・・」

手にしたカメラを見つめて、呟く。
今日、撮ったのは他愛のないものばかりだ。
花に小鳥に池に空に・・・・・それこそ、どこにでもあるものと言っていい。
けれど、彼は喜んでくれるような気がした。
大きくはしゃぐことは決してない。口元に小さな笑みを浮かべ、深い色をした瞳で一枚一枚、ゆっくりと写真を手に取ってくれるだろう。

顔を上げ、もう一度公園の風景を見渡して。
このカメラを預けてくれた人のことを思いながら、楊ゼンはゆっくりと公園の出口へと向かった。
















初めて出ました楊ゼンの過去話。
太公望に楊ゼンが必要な理由は、これまであちこちで書きましたが、楊ゼンに太公望が必要な理由も、ちゃんとあるんです。

といっても、この辺の設定ができたのは最近の話なんですけどね。
二人の物語は、まだまだ続きます。



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