#075:ひとでなしの恋







「なんだ、本当に来たのか」

それが、彼の第一声だった。






「当たり前でしょう? 約束は守る主義ですし、第一、あなたとの約束なんですから。反故にするわけないですよ」
「それはそうかもしれんがのう」

肩をすくめながら、研究室棟のアプローチを降りてきた太公望は、軽い笑みを口元に浮かべていて。
ふと、楊ゼンは妙な感覚を覚えた。

「──何です?」
「いや・・・・・」

尋ねれば、太公望の笑みは更に深くなる。
こちらを見上げた悪戯めいた瞳の、あまりの不穏さに、楊ゼンは思わず眉をしかめた。
と、年下の青年のそんな表情に、太公望は更に面白そうな表情になって。

「実は、おぬしの噂をな、色々聞いたのだが・・・・」
「え?」

どれのことだ、と思ったその時。



「太公望さん、本っ当に、そいつと付き合ってたんですか!?」



脇から大声というより、もはや絶叫に誓い声が響いた。
振り返れば、見覚えのない男子学生が握りこぶしをかためて、ぷるぷると震えながらこちらを見ている。というか、睨みつけている。
何事かと思わずまばたきする楊ゼンに構わず、太公望は男子学生に向かって、笑顔でひらひらと左手を振った。

「なんだ、おぬしもか」
「嘘でしょう冗談でしょう!?」
「事実♪」
「そ・・・そんな・・・・」

男子学生の紅潮していた顔が見る見る青ざめて。

「この世の終わりだあぁ〜〜〜っ!!!」

くるっと身を翻したかと思うと、泣き叫びながら走り去ってゆく。
あっという間に遠ざかって行くその背中に、唖然となった楊ゼンが、状況を問おうと傍らを見ると、さっきまであった位置に太公望の頭がない。
え?と視線を動かせば、太公望は足元にしゃがみこんでいる。
それも、馬鹿笑いをこらえるために腹を抱えてうつむき、肩を震わせながら。

「先輩・・・?」
「・・・・朝から」

笑いに言葉を途切れさせながら、太公望はアスファルトにしゃがみこんだまま、楊ゼンを見上げる。

「朝から、こんなのの連続だ。おぬし、余程評判が悪いらしいのう」

笑いに負けることなくかろうじて文章になったのは、そんな台詞だった。








「だから、事実無根なんですってば」
「どうだかのう」
「そんなに疑われるんなら、実際に僕に弄ばれたっていう女の子を連れてきて下さいよ。そんな子、一人もいやしませんから」
「では、何故に千人斬りなどという評判が立っておるのだ?」
「知りませんって。本当に、誘いは全部断ってるんですから」
「ほ〜う?」

言い訳だか弁解だか分からない会話は、もう延々と続いていた。
昼休みはもう過ぎて、午後の講義が始まっているため、経済学部の学生食堂の席の埋まり方はガラガラとまではいかなくとも、かなり余裕がある。
その中の、初夏の日差しがさわやかな窓際の席で、笑顔を崩さない太公望と、渋い顔の楊ゼンは向き合っていた。

「そんなに僕が信じられませんか?」
「そりゃもう。出会いが出会いだったしな」
「出会いといっても、ずっと僕が見てたことは御存知だったでしょう? 半年以上、片想いした挙句にようやく声をかけるきっかけを掴んだんですよ。純愛じゃないですか」
「自分で言う純愛なんぞあるか」
「本当ですって。少なくとも、あなたに片想いしてる間は、一度も他の人にぐらついたことはありません」
「では、千人斬りの修行はそれ以前か? 誘い方はえらく手馴れておったが」
「そりゃ、人並みに付き合ったことはありますよ。でも、そんな修行なんかするわけないでしょう」
「ないでしょう、と言われても、初めて口を利いてから3日だぞ? おぬしの性格なぞ分からぬわ」
「それでも分かるものは分かるでしょう、そんな人間に僕が見えますか?」
「見えると言ったらどうするのだ?」

にっこりと笑った顔は、この上なく隙が無く、綺麗で。
楊ゼンは思わず、反論する言葉を探し損ねる。

「・・・・もう、いい加減にして下さいよ。本当は分かっていらっしゃるくせに」
「何をだ? わしは何も知らんぞ?」
「そんなに僕を苛めて楽しいですか」
「もちろん」

喜々として言われた返答に、楊ゼンは思わず脱力して。
安っぽいテーブルに両肘をついて、組んだ両手にうつむいた額を押し当てる。
そして、低い溜息まじりの呟きを零した。

「・・・・・外見とは裏腹に理不尽な性格してるって話には聞いてたけど、ここまでとは思わなかったなー・・・・」
「なんだ、これしきのことでくじけるのか?」
「くじけませんよ。くじけませんけどねー」

じとっと楊ゼンは、恋人という名の苛めっ子を見上げる。
けれど、片頬杖をついて、楽しそうな表情の年上の人は、やはり見惚れてしまうほど初夏の日差しにきらめいていて。
この不毛な(あるいは不本意な)会話を、太公望が心底楽しんでいるらしいのだと思うと、楊ゼンは複雑な気分になる。

「・・・・なんで、あなたみたいな人がモテるんです?」
「自分の胸に聞かんか、そういうことは」
「僕は良いんです。他の、朝から絶叫しているという人たちのことですよ」
「ああ、あやつらか」

くすりと太公望が笑った。

「実は、わしもこれほど人気があるとは知らなかったのだがな。どうも見た感じ、お互いに牽制しあって膠着状態になっておったところに、わしとおぬしが付き合いだしたという噂が、週末の間に携帯メールで流れて、パニックになったようだな」
「・・・・というより、あなたの反応を恐れて告白できなかったんじゃ・・・・」
「ま、それもあるだろうよ。実際、わしの人を食った反応を見て引かなかったナンパ野郎は、これまでおぬしだけだしな」
「・・・・・・自分で言わないで下さいよ」

溜息をついて、楊ゼンは軽く目を閉じる。
だが、太公望は構わずに言葉を続けた。

「とにかく今朝からこういう状況だったからのう、約束通りにおぬしが昼に来るかどうか、ちょっとゲームでもしておるような気分になっておったのだ」
「ああ、だからですか」

今日の第一声がつれなかったのは、そういうことかと納得して楊ゼンはうなずく。

「だが、おぬしの方は無かったのか? 本当にあの根性悪の先輩と付き合ってるの!?というのは」
「だから、自分で言わないで下さいって。・・・・ないですよ、全然」
「どうしてだ? その顔があれば、多少評判が悪くとも寄ってくる女は幾らでもおるだろう? 性格もマヌケだが悪いわけではないし」
「マヌケって何ですか」
「そうだろう? わしの方が家が近いのに、確かめもせずに傘を押し付けたし、ナンパの手口はベタベタだし、おまけに妙な噂まで立てられておるし、それを出来立ての恋人の耳に入らぬよう工作することもできぬし。これをマヌケと言わずして、何と言う?」
「・・・・・たとえ、あなたがそういう性格の持ち主でも、太刀打ちできると思うほど図太い女性は少ない、ということですよ」

溜息まじりに、楊ゼンは言った。

──キャンパス内における太公望の形容詞は、『博士課程の高嶺の花』。
このまま先々は研究室に居座って、教授まで最短距離をまっしぐらと言われる頭脳もさることながら、容姿も人目を惹かずにはいないレベルなのである。
もっとも、純粋に顔立ちということなら、もっと端麗な人間はいくらでもいるだろう。
だが、太公望の持つ独特の存在感が、誰の目をも惹き付けるのだ。
鋭く不敵でありながら、時折見せる無邪気で楽しげな表情は、きらきらと輝き続ける万華鏡にも似て、一瞬も目を離すことができない。
気が付いた時には、既に虜(とりこ)と成り果てているのである。

「ということは、おぬしも相当に図太いわけか」
「・・・・・否定はしませんよ。誰もが声をかけあぐねているあなたをナンパしたんですから」

半ば開き直りの心地で、楊ゼンは応じる。
普通に応対しようとしても、太公望が相手では絶対に負ける。
となれば、あとは相手の揚げ足を取れるくらいに、こちらも図太くなるしかない。

「とにかく、交際をOKした以上、あなたは僕のものですからね。苛める対象は僕だけにしておいて下さい」
「お、言ったのう」

太公望が面白げにまばたきをして、新たな笑みを浮かべる。
そして、頬杖をついていない方の手で、楊ゼンを手招いた。
何かと楊ゼンが少しだけ顔を寄せると。

「合格だよ、楊ゼン」

つんと、流れ落ちる髪を一房、引っ張られる。
その仕草に、楊ゼンは少しだけ意外そうな、だが面白げな表情になる。

「──ここで、いいんですか?」
「構わぬよ。同じ質問しかできぬ連中を、いちいち揶揄うのも飽きてきたしな」
「ひどい人ですね」

くすりと楊ゼンも笑って。



──そのまま、唇を重ねた。



午後の講義が始まっているとはいえ、学食は空き時間をつぶす学生たちがそれなりに陣取っている。
それらの雑多なざわめきが、波が引くように静まり返って。

「──ご馳走様」
「それは僕の台詞ですよ」

ゆっくりと唇を離した二人が、小さく笑いながら言葉をかわすと、静寂はどよめきへと変わった。
人間の言葉になっていない悲鳴も、方々から上がって。
太公望は満足げに、笑い出す。

「本当に性格の悪い人ですねぇ」
「そこが良いのだろう?」
「ええ、もちろん」

くすくすと笑いながら、二人はマンションに帰るべく荷物をまとめて立ち上がり、後を振り返りもせずに学食を後にした。










久しぶりのコンビニ企画の二人。
このミッションは最初、Only youで考えていたんですが、最近、太公望の夜遊びネタが多かったので、重なっても面白くないなと変更。
改めて話を作ってみると、やっぱりこの師叔が一番、女王様で根性悪でした。

そういう師叔が良いという楊ゼンも趣味が悪いし、そういう楊ゼンがいいという太公望も趣味が悪い。
究極の割れ鍋に閉じ蓋カップルです。


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