#064:洗濯物日和







夜明けに見る夢は、いつも闇の色をしている。









「───っ!」

見開いた瞳に、見慣れた天井が見えた。
白っぽいその色を凝視したまま、太公望は自分の心臓の音を聞く。
どくどくと早い鼓動は、耳元ではっきりと鳴り響いている。
脈拍は、1分間に100を軽く越えているに違いない。

何秒、そうして天井を見つめていただろう。
張り詰めていた息を細く吐き出しながら、ゆっくりと視線をめぐらせた時。
視界に、自分のものではない腕が映って、思わずびくりと背筋に慄えが走った。

───違う。

違う。
この腕は、隣りで眠っている青年のもの。
自分を抱きしめているもの。
あの、この躰をおぞましい快楽の淵に引きずり込んだ腕ではない。

優しいばかりの──。

「・・・・・・・」

そっと手を伸ばして、その腕に触れる。
よほど熟睡しているのだろう、楊ゼンは何の反応も示さない。
深く寝入っているその顔を見つめて、太公望は小さく笑った。

「こら、恋人が悪夢にうなされておったのだぞ。気がついて飛び起きぬか」

ささやくように詰るが、それでも瞳は閉ざされたまま、こちらを見ることはない。
そんな年下の恋人に声を殺して微苦笑しながら、太公望は枕に流れ落ちている長い髪を一房、指先にすくい取る。

「本当に変なヤツだのう」

あの街で自分を見つけだし、近づいてきたことはさておき、自分でも十分に自覚している愉快犯的な性格を知っても、楊ゼンは変わらなかった。
学校で見せている姿とのギャップに、呆れたと言いながら、面白そうに笑むばかりで、目を逸らすこともひるむことも一度も無かった。

数年前の経験を打ち明けた時でさえも。

一度だけ、抱き合った後の夢うつつの時に、あなたがもう過去のことと割り切っていても、僕は相手を許せない、と言っただけで。

何も変わらなかった。

否、むしろ優しくなったかもしれない。
打ち明け話をする前、一番最初の時も、こちらの経験が少ないことをすぐに察知したらしく、触れる指先は、性急さや乱暴さを感じさせることは無かった。
だが、話をした後の2度目は、もっと優しい、慰め言葉代わりのいたわりを含んで、この躰に触れてきたのだ。

気が狂うような極限の快楽を求めながらも、もともとサボりがちだった体育の授業が本気で苦手になるくらい、他人との肉体的な接触を好まなくなったこの躰。
それが何の嫌悪感も思い出さないほど、与えられたのは、どこまでも優しく、あのおぞましさとは全く別物の、心地好く甘い感覚ばかりで。

快楽への嫌悪と渇望を同時に呼び起こす悪夢のような過去の経験など忘れて、たやすく溺れ、求めてしまうくらいに。
キスをするのも。
楊ゼンの腕に抱かれるのも。

たまらなく心地好くて──嬉しい。




「本当に変なヤツだ」

もう一度呟きながらゆっくり梳くと、癖のない髪は、さらさらと指の間から零れてゆく。
その様(さま)に淡く微笑して、太公望はゆっくりと起き上がる。
手を伸ばして、床に放り出されたままだったパジャマの上を取り上げ、素肌に羽織った。

日はもう、高く昇っていることが遮光カーテンの隙間から零れる日差しで分かる。
楊ゼンの体越しに手を伸ばして、一気にカーテンを引き開けると、眩しさが視界に満ちて、太公望は目を細めた。
見れば日曜とはいえ、怠惰に寝過ごすのが勿体ないほどの上天気で、空には雲ひとつ無い。
と、ふんだんに降り注ぐ陽光に、さすがの熟睡も中断を余儀なくされたのだろう。
楊ゼンが小さな声で呻き、ぼんやりと開いた瞳を眩しげにまばたかせた。

「・・・・・せっかくの休みなんですから、もう少し寝させて下さいよ・・・・」
「駄目だ。こんなに天気がいいのだぞ。今日は家中の洗濯をするから、さっさと起きよ。そのシーツも洗うぞ」
「えぇ〜?」

熟睡してたのに、と不満げな恋人のぼやきに。
太公望は声を殺して笑った。










というわけで、またMidnightの裏話。
そりゃトラウマが無いわけがないんですよ。いくらザイルのような太公望の神経でも。
割り切ることはできても、忘れることはできなくて当たり前です。

ですが、どんなに楊ゼンが特別でも、本気で好きでも、絶対口には出さないのが、太公望の太公望たるところ。
きっと毎日、機嫌よく楊ゼンをこき使い、楽しく揶揄っているのでしょう。


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