#063:でんせん








「本当にベタな奴」








「熱を出した恋人の看病に来るのは常識だが、それで風邪のウイルスをもらって自分が寝込むなど、セオリーに忠実すぎてマヌケだぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「おぬし自身のせい。たかが丸一日、わしの看病をしたくらいで風邪が移るなど、なっておらん証拠だろうが」
「よく言いますね。レポートの締切直前に呼び出されたおかげで、あなたの看病をした後、更に徹夜する羽目になったんですよ」
「だから、そんなくらいで風邪を引くなと言っておるのだ」
「先に風邪引いたあなたに言われたくありません」

ベッドに横になったまま、楊ゼンは相当に不機嫌そうな顔で言い返してくる。
もっとも寝込んだといったところで、先日のわしの風邪が移ったのだから、大した熱があるわけでもない。
なのに、わざわざ連絡をしてきたのは一昨日、わしの看病をさせたことに対する意趣返しといったところだろう。
そのついでに、恋人に看病してもらえる甘い気分を味わいたかったというところか。

「だからといって、わざわざ移されるか? 今時、ドラマでもベタベタすぎるだろうが」
「最近、忙しかったんですって。だから、あなただって一昨日、微熱程度の熱でわざわざ僕を呼びつけたんでしょうが」
「37.5度はあったぞ」
「そりゃ、あなたは平熱が低いんですから一般的な微熱でも辛いでしょうけど、おかげで寝込む羽目になった僕はどうなるんです?」
「おぬしだって、38度ジャストだろうが」
「38度越えたら微熱とは言いません」
「その割には元気そうに見えるぞ」

それは正直な感想だった。
もともとが丈夫なせいだろう。熱がある割には、顔色はそれほど普段と変わらないし、言葉も思考もはっきりしている。
多少、だるそうには見えるが、それだけだ。

「・・・・別に、親身になって看病してくれるとは思いませんけどね。もう少し、病人に対して優しい言葉はかけられないんですか?」
「マヌケにかける情けなどない」
「だから、誰のせいだと・・・・!」
「おぬし自身のせいだろう?」

その辺りには、確信があった。

「おぬしは頑丈だし、わしの風邪だって微熱だけで大した症状はなかった。なのに風邪が移るなど、普通なら考えられんだろうが」
「そうかもしれませんけど・・・・」
「なのに寝込んだというのなら、おぬしの風邪は、人が寝ておる隙にキスなんぞした天罰に決まっておるわい」

一昨日、楊ゼンが看病に来ている間にキスした記憶は、自分にはない。
別に移したら気の毒だと思ってさせなかったわけではなく、だるくて誘いかける気にはならなかっただけだが、楊ゼンの方も、こちらの体調不良を気遣ってくれたのか、そういう素振りは見せなかった。
が、ほんの二日後に、わしと同じような症状の風邪で寝込んだ以上、考えられる可能性はほかにないのである。

「本っ当に阿呆だのう」
「──恋人が目の前で寝てたら、キスしたくなるのが当たり前でしょうが」
「それはそうかもしれんがな、それが原因で寝込んで、このわしを呼びつけるのが気にくわん」
「気にくわないって、あなたは僕の恋人でしょうが」
「それでもだ。今日はまぁ勘弁してやるが、明日も引き続き寝込んだりしたら、おぬしが風邪を引いた原因から、わしを看病に呼びつけたことから、あることないこと一切合切を書いて、経済学部の学生掲示板にでかでかと貼り出すぞ」
「・・・・・なんてこと考えるんですか、あなたは」
「さぞかし面白いことになるだろうよ。不幸の手紙と、五寸釘の刺さった藁人形が幾つ届くか、賭けるか?」

にっこり笑ってやると、楊ゼンはがっくりと溜息をついて、枕に顔を埋めた。

「・・・・・どうして、こんな性格の悪い人が好きなんだろう」
「わしが美人だから」
「・・・・・・・・自分で言わないで下さい。それに、それじゃ僕が顔目当てで、あなたを好きになったみたいじゃないですか」
「おや、違うのか?」
「冷静に我が身を振り返って下さいよ。あなたの性格の悪さは、顔の綺麗さだけでごまかせるようなレベルですか?」
「・・・・・それはそうかもな」

一瞬、返答に詰まる。
と、不意に腕を掴まれ、引っぱられて。

思わず体制を崩しかけたところを、少し強引に抱き寄せられ。
唇が重なった。

「そういう人を、美人だからとかそんな半端な理由だけで好きになるわけないでしょう? 性格の悪いところまで全部ひっくるめて、愛してますよ」

拗ねたような、少し怒ったような告白に、ついきょとんとしてしまうが、すぐに笑いが込み上げてくる。

「おぬし、それは幾らなんでも趣味が悪すぎるぞ」
「いいんです」

不機嫌な返答に、くすくすと声を上げて笑う。

こやつを可愛いと思うのは、こんな時だ。
気障で自信過剰の癖に、妙なところで真っ直ぐで、マヌケで、嘘がヘタクソで。
まだ家庭環境や生い立ちについては殆ど聞いたことがないが、おそらくは大事に育てられたのだろうなと思う。

「本当に、おぬしは面白いな。一緒に居ると飽きんよ」
「・・・・あんまり嬉しい気がしないんですけど」
「そうか? この上なく褒めておるのだがな」

笑いながら、今度はこちらから軽いキスを仕掛ける。
こちらは既に完治した身だ。ほぼ間違いなく同じ風邪ウイルスである以上、抗体ができているから再感染する可能性は殆どない。

「とにかく寝付くまでは傍に居てやるから、さっさと寝てしまえ」
「良くなるまでじゃないんですか?」
「たわけ。わしも論文の締切が近いのだ」

言い捨てて、いささか乱暴に毛布を肩まで引き上げてやる。
と、諦めたように楊ゼンは体の力を抜いた。

「──ああ、そうだ。言い忘れてました」
「うん?」
「来てくれてありがとうございました。体調が悪い時に、あなたの顔を見ることができて嬉しかったですよ」
「・・・・なかなか殊勝だのう」

くすりとまた笑みが込み上げる。
笑って前髪を軽く梳き上げてやると、楊ゼンも微笑して目を閉じる。

「おやすみ」

それきり無言で、目を閉じた横顔が完全な眠りに落ちるのを待つ。
さすがに少し気だるげな表情は、それでも端正で、見飽きない。
別に面食いのつもりはないが、どうせ間近で見るのなら綺麗に越したことはないものだ。
この顔で、性格まで完璧だったら面白くも何ともないが、どうにもこうにもマヌケで詰めが甘い辺り、本当に阿呆で可愛い男だと思う。

「そろそろ寝たか?」

頃合を計って、そっと声をかけるが返答はない。
それを確認してから、音を立てないように立ち上がり、綺麗に片付けられたデスクに歩み寄って、ペン立てを物色した。

「好みからすると少し細いが、まぁこれで良いか」

黒いマジックペンを取り上げ、蓋を取って、メモ用紙に試し書きすると鮮やかな黒い線が描かれる。

「本当は筆ペンが良いのだがのう。コンビニで買ってこれば良かったな」

呟きながら、ベッドの傍らに戻り。
静かに眠る顔を見下ろして、にんまり笑う。

「可愛いあの子は苛めるべし、寝顔には落書きするべしというのが、男のセオリーだからのう」

このわしに看病なんぞをさせようとした報いだ。
鏡を見た時の悲鳴を想像しながら、きゅきゅきゅっと黒マジックで芸術的な落書きを施して。
ついでに、長い髪に隠れる首筋に、赤いペンで小さくハートマークを描いてやったのは御愛嬌。

「ではな、楊ゼン」

ペンを枕元に放り出して、論文の続きを書くべく、さっさと大学図書館に戻った。






ささやかな愛嬌にはどうせ気付かないだろうと思ったら、本当に気付かなかったらしく、翌日、血相を変えて熱の下がった楊ゼンがわしのマンションに押しかけてきた。
落とすのが大変だとか何だとか言っていたが、そんなのはわしの知ったことではない。
わしが耳を傾けるはずがないのに、肝心なことに気付かないままわめき散らす辺り、本当に、つくづくマヌケな奴だ。
それに付き合っているわしもわしだとは思うが。










#040小指の爪の続き。
コンビニの太公望に恋人の看病をさせると、こういうことになります。

愛情があるんだかないんだか・・・・・とりあえず、楊ゼンを憎からず思っているのは確かなようですが、彼の捻じ曲がったラビリンスな性格は、どうも不治の病らしいです。


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