#049:竜の牙







無造作にテーブルの上に置かれたものは、量産品のスポーツバッグだった。

「・・・・・何ですか、これは」
「だから、契約の前金だと言っておるだろう」
「───」

これまでにも、仕事を請け負って報酬を受け取ったことは何度もあった。
だが、これほどまで無造作に、それも過去最高額の現金を目の前に差し出されたことはない。

「いつ、用意したんです」

楊ゼンが太公望の持ちかけた話にうなずいたのは、ほんの五分前のことだった。
それに対し、太公望は嬉しげな笑顔を見せた後、少し待っておれと言って別の部屋──マンションの造りからすれば寝室なのだろう部屋へ行き、このバッグを手に戻ってきたのである。

「別におぬしのために用意してあったわけではない。ただの逃亡資金だ」
「逃亡資金?」
「金も持たずに逃げても、すぐに行き詰まる。現金を常に身近に置いておくのが逃亡者の常識だろう?」

通気性よく作られた合皮製のスポーツバッグは、膨らみ、それなりの重量があるように見える。
太公望の言葉を鵜呑みにするのなら、20万$がここには入っていることになるのだ。
金額の割りにかさがあるのは、おそらく日常で使用しても疑われない小額紙幣を取り混ぜて数えてあるからなのだろう。

「・・・・持ち歩くにしては、金額が多すぎやしませんか」
「今回に関しては、おぬしと出会うことが分かっておったからな。だが、普段からそれなりの取引には応じられる程度の金額は、用意してあるよ」

あっさりと笑顔で告げられた言葉に、しかし楊ゼンは、彼の用心深さを感じた。
用心深くなければ、こんな世界で生き抜けるはずがないのだ。
ましてや、先ほど分かったことではあるが、太公望は生に対する執着が強い。
外見がどう見えようと、本質は獣のように鋭く、用心深いのは当たり前のことだった。

「とにかく、これは今日からおぬしの金だ。途中で契約を破棄しても返せとは言わぬから、好きに使えばいい。それから・・・・」

言いながら、太公望は上着のポケットから、何かを引っ張り出す。
金と同じく無造作に、楊ゼンの目の前に差し出されたそれは──翡翠、だった。

動物の牙のような形に研(と)がれたそれは、とろりとした透明感のある翠緑色で、極上の玉だと知れる。
牙の上部には黄金の繊細な金具が取り付けられ、そこに、ちょうど首に掛けられる長さで黒絹の組紐が通されていた。

「・・・・これは?」
「竜の牙」
「え?」
「と我が家では呼んでおるがな。まぁ、ただの翡翠だ」

笑って、太公望は続けた。

「契約書代わりだと思えばいい。契約を破棄したくなった時には、これを返してくれ」
「・・・・大切なものではないのですか?」

竜の牙、と呼ぶほどの代物である。
翡翠の質自体が極上である上、『竜』の名を冠するものが、どうでもいいような品であるはずがない。
そう思っての言葉だったが、太公望は意に介さなかった。

「一応、先祖重代の品だがな。価値のあるものでなければ、契約の証しには値せぬだろう? 護符だとでも思って、持っていてくれ」
「──分かりました」

一瞬、つき返そうかとも思ったが、楊ゼンは考えを改めて受け取る。
経過がどうあれ、今は太公望が雇い主だ。ならば、その流儀に付き合うのも仕事のうちだった。

楊ゼンが翡翠を手に取ったのを見て、太公望はうなずく。

「そっちの扉の向こうがゲストルームになっておる。洗面所も浴室もすべて別に揃っておるから、好きに使ってくれればよい」
「・・・・傍に居なくてもいいのですか?」
「それほど身に危険が迫れば、カードが教えてくれるよ」
「・・・・便利ですね」
「使いようによってはな」

ならば何故、護衛が必要なのかと思いながらも、楊ゼンは口には出さなかった。
書面も何もない互いの口約束だけだが、契約は済んだのだ。
今日から2年間、目の前の相手を守ることが自分の役割だった。














太公望は、妙な雇い主だった。
護衛として共に生活を始めて、1週間ほどが過ぎたが、その間に何かを要求されたり命令されたことは一度もない。
何かをして欲しい時には友人のような口調で頼むし、それも傍にあるものを取って欲しいとか、踏み台に乗っても届かない位置の切れた電球を替えて欲しいとか、そんなささやかなことばかりだった。

そしてまた、楊ゼンのすることにも口を挟まない。
素性や過去を詮索することもなければ、言動を規制されることもなく、何か起こる時は言うからと行動の自由まで保障されている。
一から十まで、金で護衛を雇った裏社会の人間の態度ではなかった。

そして、太公望自身はといえば、大抵一日中、本を読んで過ごしている。
この高級マンションの部屋には立派な書斎もあり、本来の所有者の趣味なのか、太公望のリクエストによるのか、古今の名著がずらりと並んでいる。
居間の居心地の良いソファーで太公望は日がな一日、のんびりとそのページをめくり、楊ゼンがさりげなく、いつもこうなのかと問い掛ければ、そうだとうなずいた。

また、メイドは雇わず、食事を作るのも掃除をするのも、太公望はすべて自分の手でやる。
いずれも年季の入った主婦のように手際がよく、楊ゼンが手伝うと笑って礼を言った。

とにかく奇妙な人間だった。
金も権力も持っているはずなのに、これまで一人で生きてきた証なのか、他人に頼ることもないが、突き放すこともない。
楊ゼンを引き止めたあの時、一瞬見せた、餓えたような瞳が嘘のように、淡々と風に吹かれるように毎日を過ごしている。
最初は戸惑いもしたが・・・・今もそれは完全には消えてはいないが、それでも気楽と言えば気楽であり、少しずつ楊ゼンも、この風変わりな雇い主との生活に慣れつつあった。








客が来る、と太公望が言ったのは、薄曇りの朝だった。
カーテンの向こうに摩天楼が、薄灰色の空の下、まるで廃墟のようにそびえているのを背景に、太公望はいつもと同じ口調で告げた。

「この部屋を提供してくれた人物だ。昼過ぎにここに来るから、すまぬが、おぬしも居てくれるか?」
「分かりました」

一瞬、何故、自分が必要なのかと思った。が、楊ゼンは口には出さずに、うなずく。
一番最初に出会った時、太公望は依頼がない限り、他人のことは占わないと言った。
逆に言えば、それは通常は自分に関する危険は予測できても、他者に降りかかる危険は予測できないということだ。
相手の身を案じているのか、自分の身を案じているのか。それは定かではないが、護衛が傍にいた方がいいと太公望が判断したのなら、楊ゼンは従うだけだった。

楊ゼンがうなずいたのを見届けて、太公望は手際よく朝食の食器を重ね、立ち上がる。
同じテーブルに付いていた楊ゼンも、立ち上がり、キッチンの流しまで食器を運んだ。

食器を洗うのは太公望に任せ、楊ゼンはダイニングルームに戻ってテーブルを拭く。
そして、ふと動きを止め、キッチンから響いてくる小さな水音を振り返った。

楊ゼンも何も話さないが、太公望もそれ以上に、自分に関することは何も話さない。
これまでに楊ゼンが知りえたことといえば、太公望という通称か本名かも知れない名前と、占い師としての腕、住居を点々としていること、そして、楊ゼンより少し年上らしいということくらいで、確かなことは何一つない。
不審といえばこれ以上不審な人物もないが、不思議に後ろ暗いような雰囲気はなく、いつでも泰然としており、深い色をした瞳は、常に何かを深く見通しているようで、その瞳を見ると、楊ゼンはまた、彼のことが分からなくなる。

何を求めているのか、何を知っているのか。
傍にあることが、自分にとって有益なのか有害なのか。

材料が少なすぎて、判断がつけられない。
今日、客が来るというのなら、その人物から何かヒントを得られるだろうか、と楊ゼンは考える。
稀代の占術師・・・・言い換えれば、所詮は占い師でしかない太公望に、セキュリティ万全の高級マンションを提供するほどの相手。
どんな人物なのだろうかと、しばしの間、楊ゼンは思いをめぐらせた。









昼過ぎ、約束通りに来訪した客人は、楊ゼンが予想していた通りの人物だった。
新聞やTVのニュースを通じて、誰でも知っているだろう顔と名前。
その巨頭政治家は、知的で鋭い風貌の中にも、温かさを備えた瞳で太公望を見つめた。

「この部屋の居心地は、いかがかな」
「すこぶる良いよ。広いし、書斎の蔵書も趣味が良いしな。気楽にさせてもらっておる」
「それは良かった」

祖父と孫ほどにも年齢の違う彼らは、しかし、互いの年齢も地位も忘れたような気さくさで言葉を交わし、リビングのソファーに寛ぐ。
そうして雑談めいた口調で語られるのは、昨今の政治や経済の情勢だった。

部屋の隅に控えている楊ゼンを意識してと言うよりは、2人の気性なのだろう。
何を語るにも表現は婉曲的で、この街の表裏の事情に、ある程度通じている楊ゼンでも、少し考えなければ何の事を話しているのか分からない。
楊ゼンが見守る先で、太公望は老政治家の言葉に耳を傾け、うなずきながら時々カードをめくり、やはり遠まわしな表情で流れの良し悪しを告げる。
その様子は、二十代半ばらしい本来の年齢を超え、それどころか、この世のあらゆるものを超越しているようにさえ見え、楊ゼンは、彼が稀代の占術師として信奉される理由の一端を知った気がした。

──世界の全てを知り得ているような、聖性とも魔性ともつかない深遠。
それを体現し、そして物事の可能性を精確に読み取る、始原の本能とでもいうべき才を備えているからこそ、人々から奉られ、捧げられる畏怖。
巷に腐るほどいる自称占い師とはまったく次元を異にした、占術という神秘を扱うのに、これ以上なく相応しい存在。
それが太公望──この国で第一の占術師だった。





2人の会話は1時間ほども続いただろうか。
太公望の入れた茶が美味かった、という言葉を最後に老政治家は立ち上がった。
太公望も笑顔で立ち上がり、そして、ずっと控えていた楊ゼンに顔を向ける。

「楊ゼン、すまぬが下まで送ってやってくれるか? この爺様は、マンションの入り口にSPを置き去りにしてきたというのだ」
「君が、この日時の来訪に応じたのだろう? 危険などあろうはずがない」
「わしの勘とて、外れる時には外れるぞ」
「それでも構わない。君を信じたのは私だからな」
「大仰なことだ」

小さく笑って、太公望は玄関まで客人を送る。

「また近いうちに会おう」
「うむ。いつでも歓迎するよ。いつまでここに間借りさせてもらうかは分からぬが・・・・」
「それでいい。君は風だからな。ひとつ所に留まるのは良くないだろう」

穏やかな微笑を浮かべ、姿勢を改めて向き直った老政治家は太公望に対し、丁重な礼をとる。
貴人、あるいは尊敬する相手に対する仕草に、太公望もまた微苦笑するだけで受け止めた。

そして、楊ゼンは老政治家と共に部屋の玄関を出て、すぐ傍にあるエレベーターに乗り込む。
扉が閉まると、すぐにエレベーターは動き出した。






「君のそれは、『竜の牙』かね?」
「・・・・はい」

モーターの音を小さく響かせて降りてゆくエレベーターの箱の中、ゆったりとした声音に呼びかけられて、楊ゼンは振り向く。
老政治家は、太公望を目の前にしていた時と変わらぬ鋭くも穏やかな瞳で、こちらを見つめていた。

「『竜の牙』をご存知ですか」
「それが彼の持ち物であり、彼の祖父の持ち物であったことは、知る者は知っている。だから、身につけるにしても、表からは見えないようにしておいた方がいいだろう」
「今も、紐以外は見えないと思いますが?」
「あいにく、私は昔からそれを知っているからな。それが彼の祖父の持ち物だった頃からだ。だから、首紐だけでも見れば分かる」

静かに笑み、老政治家はエレベーターの天井を見上げるように、まなざしを少し上げた。

「それは彼にとって大切なものだ。だから、君も大事にするといい。目印にもなるだろうが、護符にもなるだろうから」

威圧感はない。だが、思わず耳を傾けてしまう重さを持った声に、楊ゼンはこの老政治家の本質を感じ取る。
太公望の風にも似たしなやかさとは異なる、風雪に耐え続け、長い長い年月を経た巨木か巨石か。
そんな容易くは揺るがない毅さが、老いた背筋を真っ直ぐに貫いている。

だから、だろうか。
不用意とも言える質問を、楊ゼンはふとしてみたくなった。

「失礼ですが・・・・あなたは何故、彼にここまで肩入れをなさるのです?」

そう問いかけた時、エレベーターが地上に着いた。
時間切れか、と思ったが、しかし、老政治家は聞き流しはしなかった。
エレベーターの箱を出たところで、足を止める。
人気のない、高級ホテルのロビーを思わせるエントランスに、穏やかな低い声が響いた。

「彼の祖父は彼と同じ占い師で、私の親友だった。だから、彼のことは赤ん坊のことから知っているが、私は彼もまた、大切な友だと思っている」

そう言い、老政治家は楊ゼンの顔を真っ直ぐに見つめた。

「彼と知り合って日の浅い君には、まだ分からないだろうが、私にとって彼は尊敬に値する人物であるし、また親友の血を受け継ぐ者として最大の庇護を与えたい存在でもあるのだ。それゆえに、邸宅でも金でも必要なものは、いつでも提供する準備がある。もっとも彼は、最低限のものしか受け取ろうとはしないがね」

最後は苦笑して、老政治家はゆっくりと歩き出す。

「それに太公望は、ああ見えてもひどく律儀だ。先日、彼が火をつけた屋敷だが・・・・私が薔薇園だけは妻に求婚した思い出の場所だから、できたら残して欲しいと言ったら、本当に建物だけを燃やしてくれたらしい。薔薇は綺麗に咲いたままだという報告を受けた」
「──そんな大切な場所を提供されたのですか?」
「太公望は、それに値する人間だということだ。傍にいれば、いずれ君にも分かる」

マンションのエントランスを抜け、開いた自動扉の向こうに、偽装なのだろう、さほど高級とはいえない自動車が滑り込み、屈強なSPの手によって後部座席の扉が開かれる。

「君の名は、楊ゼン、と言ったかな?」
「はい」
「そうか。では楊ゼン、どうしても私の助力が必要な時は、その竜の牙を示すといい。それで話が通じるように手配をしておこう」

その思いがけない言葉に、楊ゼンは目を見開く。

「──何故・・・ですか」
「彼が君に竜の牙を渡し、私に引き合わせたということは、そういうことなのだよ。だからといって、それを彼に返そうとは思わないでやってくれ。彼なりの思慮があってのことなのだろうから」
「ですが・・・・そんなことをしていただく謂われはありません」
「君からすればそうだろうがね。太公望にとっては、これができる精一杯なのだ。才能がどうあれ、社会的に見れば彼は所詮、一介の占い師でしかない。そして、君にそうしたい理由が彼にはあるのだろう」

そんなはずがない、と楊ゼンは思う。
太公望には太公望の理由があって、取引を持ちかけたはずだ。
それとも、2年という月日を、契約で楊ゼンを縛ることに良心の呵責を感じているとでもいうのだろうか。

だが、楊ゼンの戸惑いには応えず、老政治家はゆっくりと足を踏み出す。

「またいずれ会おう、楊ゼン」

長い年月を、まっすぐに顔を上げて歩み続けてきた者にしか持てない、深い笑みを浮かべて老政治家はそう言い、階段を降りてゆく。
そのまっすぐな後ろ姿が後部座席に消え、目立たない大衆車が通りを曲がって見えなくなるまで見送って、楊ゼンは踵を返した。








「ただいま戻りました」
「うむ。ご苦労だったな」
「いえ」

短く応じた楊ゼンに太公望は笑みで応え、こちらへと手招きする。
何かと思えば、ダイニングの卓上には2人分の茶が用意してあった。

「あの爺様が手土産に持ってきてくれたやつだ。せっかくだから、風味のいい新しいうちにと思ってな」
「それは・・・・」
「いいから遠慮するな。一人でバカ高い茶を飲んだところで美味くないからのう」

あっさりそう言って、太公望はさっさと椅子に腰を下ろす。
雇い主の屈託のない態度に楊ゼンもそれ以上は抵抗することができず、失礼しますと断って、向かい側に腰を下ろした。

バカ高い、と太公望が称した茶は、確かに驚くほど美味だった。
いわゆる武夷岩茶とか、それに類する代物だろうか。これほど香り高く、舌に甘い茶はそうそう味わえるものではない。
そもそもが、金を出せば手に入るというものでもないだろう。おそらくは歴代の皇帝が味わったのも、こんな銘茶だったのに違いない。
それを手土産に持ってくる老政治家と、あっさりと封を切り、護衛にまで飲ませてしまう太公望の神経に呆れながらも、楊ゼンはゆっくりと茶杯を干す。
それから、静かに口を開いた。

「少しだけですが、あの方と話をしました」
「そうか」
「・・・・何を、とは聞かれないのですか?」
「聞かぬよ」

またもや、さらりと言って、太公望は楊ゼンにまっすぐなまなざしを向ける。
少し笑んだその瞳は、やはり驚くほどに深い色をしていて。

「交わした言葉は、おぬしとあの爺様のものだ。部外者のわしが、それを横取りするような真似はしてはならぬのだよ」

言葉は大切だから、と当たり前のことのように太公望は言う。
そして、腰を下ろしたまま、卓上に置いてあった薬缶に手を伸ばし、二煎目の茶を入れ始める。

「ほれ、おぬしの茶杯もよこせ」
「僕はもう・・・・」
「いいから遠慮するな。飲まなければ損だぞ」

それとも、口が肥えてかえって困るかと思案しながらも、太公望は手際よく2人分の茶を注ぎ、また馥郁とした香りを漂わせるようになった茶器を楊ゼンの手元に戻す。
そしてまた、ゆっくりと満足げな表情で、自分の茶杯を口元に持ってゆく。

その様子を見ながら、楊ゼンはふと、護衛というのは口実で、太公望は擬似家族が欲しかったのだろうかと思った。
同じ屋根の下で暮らして、共に食事をし、言葉を交わせる相手。
家族がいた事があるのなら──家族にまつわる温かい記憶があるのなら、それを求める気持ちがあってもおかしくはない。
そして、それならば雇い主らしくない態度を取る理由も通じる。

だが、推測が正しいとしたら何故、よりによって相手は自分──物騒な正体不明の男なのか。
そんな相手に、何故、家宝ともいえる翡翠を渡すのか。
そして・・・・この国で最高の権力を持つ人間に繋ぎをつけたりするのか。
分からない、と心の中で一人ごちる。

太公望は何も語らない。
ただ、何かを知る瞳で静かに微笑んでいるだけだ。

そういえば、と楊ゼンの脳裏に、数日前のことがよぎる。
あの時、楊ゼンが苛立ちのままに引いた3枚のカード。
太公望が驚きの表情で凝視していたあの3枚には、どんな意味があるのだろうか。
カードの図柄は覚えているが、あいにく楊ゼン自身は占いには疎く、当然タロットがそれぞれに持つ意味も知らない。

「──太公望師叔」
「うん?」
「あの時の・・・・・」

言いかけて。
言葉が止まる。

「あの時?」
「──いえ、何でもありません」

何故か、聞いても答えてくれなさそうな気がした。
あるいは、聞いてはいけないような気が。
理由も何もない直感に、たゆたっていた好奇心が他愛なく押さえ込まれる。

「何だ?」
「いえ、本当に・・・・。すみません」
「謝らなくてもよいが・・・・」

茶杯を手に首をかしげる太公望に、楊ゼンは沈黙で応える。
衣服の下の竜の牙が、胸元で鉱物独特のひんやりとした重さを保っているのが、どこかひどく疎ましい。

傍にいればいずれ分かると、あの老政治家は言った。
だが、はたしてそれは、金で雇われた身の自分が知る必要があることなのか、また分かることなのか。
第一、自分には、この仕事とは別にすべきことがある。

そう思い、楊ゼンは脳裏に一瞬蘇った、あの時、自分を引きとめた太公望のまなざしを振り払った。










ちょっと間が空きましたが、第三回。
まだまだ謎だらけです。

さくさく書きますので、待て次号。

そういえば書き忘れてましたが、20万$は今の円換算で2500万円くらい。
舞台は現代よりほんのちょっとだけ昔っぽいので、その倍くらいに思ってもらってもいいです。



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