#092:マヨヒガ







夜明け直前にたどりついたのは、一目で超高級と分かるマンションだった。
太公望は、ためらいもなくマンション玄関のオートロックを解除し、縦列毎に設置されているエレベーターへと乗り込む。
それに付いて移動する間、楊ゼンは一言も口を利かなかった。






27階の表示で止まったエレベーターを居り、目の前のドアのロックをも解除し、中に入る。
かすかな音と共にスイッチの入れられた照明が照らし出したのは、機能的に整えられた広い部屋だった。

「──ここも?」
「うむ。持つべきは、金と権力を兼ね備えた客だよ」

冗談めかしてそう言い、太公望は窓際へと歩いてゆく。
そして、閉めてあったカーテンを人一人分の幅で開けた。
夜明け前の薄明るくなった空と、対照的に輝きの色あせたネオンが縦長に区切られて視界に飛び込んでくる。
それは、変形の映画スクリーンのようにも見えた。

「いい景色だな。晴れたら、見晴らしが良さそうだ」

小さく呟いて、太公望が振り返る。

「とりあえず座れ。無理は禁物だと医者も言っておっただろう」
「これくらい、何でもないですよ」

答える楊ゼンの声は素っ気なかった。

ここへ来る前に、炎上前の館で言った通り、太公望は知り合いの医者のところへと楊ゼンを連れて行った。
裏通りの今にも崩れそうに古ぼけたビルに住み着いているその医者は、非常識な時間帯にも非合法の患者にも慣れているらしく、楊ゼンの怪我を見ても、見事な刀傷だと感心しただけで、あとは何の関心を示すことも無く治療をしてくれた。
治療といっても、ただ傷口を縫うだけだったが、その手際は素晴らしく鮮やかであり、何故これほどの腕を持つ医者が、こんな薄汚れた街に要るのかと楊ゼンは思ったが、腕がいいからといって日の当たる場所を歩けるものでもない、と直ぐにその思いを切り捨てた。

「──どうして僕をこんな所まで?」

低く、窓際にいる相手に向かって問いかける。
本当は治療が終わった時点で、窮地から脱出させてくれた礼を言って、楊ゼンは太公望と別れようとしたのだ。
だが、太公望は一見裏のなさそうな、しかし掴み所のない微笑を浮かべて、もう少し付き合わぬか、と誘いかけてきて、そこまでの義理は無いという楊ゼンを舌先三寸で言いくるめ、ここまで付いてこさせたのである。
正直なところ、相手のペースで自体が進んでいることに強い苛立ちを楊ゼンは感じており、心身の疲れもあって、まなざしも声も自然、刺々しいものになった。

「あなたは、もう少し付き合えと言った。なら、十分でしょう? 僕は辞去させていただきますよ」
「まぁ待て。そう急くな」

そう言い、きびすを返しかける楊ゼンに太公望は怒るでもなく、ただ苦笑してソファーへと歩き出しながら手招く。

「ここを出て行ったところで、今のおぬしには行く当てなどなかろう? それくらいは見れば分かる」
「──たとえそうだとしても、あなたに何の関係があります?」
「今はない。これから関係を作るのだ」

微笑しながらの太公望の言葉に、楊ゼンは眉をひそめる。
が、太公望は気にもせずに続けた。

「おぬしが今、仕事が無いのならという前提付きだが・・・・・儲け話がある」

大きな布張りのソファーの真ん中に腰を下ろして、太公望は楊ゼンを見上げる。
深い瞳は悪戯めいた光を帯びていたが、その果て、一番深い奥底に恐ろしく真摯なものが潜んでいて。
それを感じとってしまった楊ゼンの、振り切って立ち去ろうとした足が、持ち主の意に反して止まった。

「前金で二十万$、契約の完結後には、その十倍」
「・・・・ふざけた数字ですね」
「なんの。わしは真剣だよ」
「だったら、余計に冗談が過ぎますよ」

冷笑した楊ゼンに、太公望は苦笑の滲んだ溜息をもらす。

「おぬしは少々気が短いようだのう。状況が状況だし、今だけのことかもしれぬが・・・・。とりあえず話を聞いてからでも、返事は遅くないのではないか?」
「話を伺った最後、逃れられなくなるのは御免です」
「そんなことはないよ。仕事内容が絶対に危険でないとは言わぬが、断ったからといって口封じの必要があるようなものでもない」

そして、こういう言い方は本当は好きではないのだが、と断った上で、

「おぬしの腕の治療代として、話くらいは聞いてくれぬか? それで嫌だというのなら、出て行ってもらって構わぬから」

穏やかに笑んだまま、告げる。
その微苦笑した瞳を、楊ゼンは冷ややかなまなざしで観察した。

太公望の表情からも気配からも、後ろ暗いことを他人に依頼する人間特有の腐臭は、感じられない。
ただ頼みたいことがある、それは本当のように見える。
かといって、知り合ってから数時間とたっていない、得体の知れない人間を信用するほど楊ゼンはおめでたくも無かった。

「──話を聞くだけなら」

廊下へと続く部屋のドア近くに立ったまま、素っ気ない口調でそう促す。
と、太公望は少しだけ嬉しげな色を滲ませて微笑んだ。

「簡単だよ。おぬしに頼みたいのは、わしの身辺警護・・・・ボディーガードだ。期限は二年」
「ボディーガード?」
「わしが、こうして隠れ家を提供してもらって転々としているのは分かっただろう? 占い師としては極力、客を制限しておるし、年に数度、多い時は月に複数回、住居を変えることもある。それに疲れたというわけではないが・・・・付き合ってくれる者が欲しいのだ」
「だったら、お門違いですね。そんな道楽に付き合う依頼は引き受けられません」
「2年という期限付きでも、我慢できぬか?」

言葉を重ねた太公望に、楊ゼンは冷ややかな目を向けた。

「先ほども二年と言ってましたけど、あなたが二年で亡くなるという保証がどこにあるんです?」
「これまで何人もの寿命を当ててきたと言っても?」
「それはどうだか知りません。でも、占い師は自分のことは占わないものだと聞いた事があります。客観的な判断が下せないからだとね」

その言葉に。
太公望の微笑が消える。

「・・・・・わしが最初に死神のカードを引いたのは、赤ん坊の頃だよ」

ずっと消さなかった余裕を感じさせる笑みを消し、太公望はわずかに目を伏せて、静かに言った。

「まだ、お座りができるようになったばかりの頃、祖父の仕事道具だったタロットに手を伸ばして、掴んで離さなかったのが、THE DEATH・・・・死神のカード、だったらしい。
それで孫の身を案じた祖父が、自分と家族のことは観ないという禁を破って占ってみたら、三十まで生きられない結果が出た。それから何度占っても、他の占い師に観てもらっても、一度も結果が変わったことはない」
「・・・・そんなことが」
「あるのだよ。おぬしも試しに占ってみるか?」
「え?」

戸惑った楊ゼンに構わず、太公望は館から持ち出してきたカードを上着の内から取り出し、テーブルの上でカードをより分けていく。
それは、俗に言う大アルカナと小アルカナを分ける作業だということは、楊ゼンにも察せられた。
そして、大アルカナだけを太公望はテーブルの上で裏返して混ぜ、山にして、上から順に10枚をとって並べる。

「我が家に伝わるやり方だと、これは新年や誕生日にやる占い法なのだがな。この端を今年として・・・・来年、再来年」

声と共に、カードが1枚ずつ表に返される。
現われたのは。

──運命の輪の正位置、月の正位置、・・・・死神の正位置。

無表情に太公望はそれを見つめ、元通り裏に返して、他のカードと共に一つにまとめる。
そして、そのカードを楊ゼンに差し出した。

「おぬしもやってみるがよい。難しく考えなくとも、今後十年、わしがどんな運勢を持っているのかと念じながら、十枚カードを引いて並べるだけだ」
「────」

楊ゼンを見つめる瞳は静かでありながら、おそろしく色が深く、そして強かった。
その瞳を前にして、断る言葉を見つけることができず、楊ゼンはゆっくりとソファーの傍らまで歩み寄り、視線に促されて腰を下ろす。

受け取ったカードは、見た目以上に使い込まれた風合いで楊ゼンの手に馴染んだ。
ゆっくりと慎重に、太公望がやったようにテーブルの上で混ぜて一つにまとめ、上から一枚ずつ並べてゆく。
そして、一枚ずつ返していった手が、三枚目で止まった。

「こんな・・・・ことが」
「わしに関しては、起こり得る」

溜息をつくように、太公望は言葉を紡いだ。

「わしの占い師としての能力は、わしを占おうとする者にまで影響を及ぼすらしい。少なくとも、わしの目の前で占った者は、本物の占術師であれ素人であれ、必ず同じ結果を出す。信じられないのなら、もう一度やってみれば良い」

挑発されたわけではなかった。
が、信じられないという思いの方が強くて、もう一度楊ゼンはカードを裏に返し、同じ手順でやり直す。

それでも、出た結果は。

「──もう一度、いいですか?」
「何度でも」

応じる太公望の声は淡々としていた。
軽く腕を組んで、テーブルの上を見つめているように見えるが、その実、深い色の瞳は目の前にある何も見ていない。
物思いに沈んでいるようでもあり、どこか遠くを見つめているようでもあり、楊ゼンがが引くカードの結果になど興味のなさそうなそのまなざしに、楊ゼンの中にふと、不快感が生まれる。

それならば、と楊ゼンは思いながらカードを混ぜ、引いた。

「───・・・」

表に返された三枚のカードを、太公望は目を見開いて見つめる。
そして、食い入るようにそのカードを見つめたまま、口を開いた。

「・・・・今、考えていたのはおぬし自身の事か」

問いかけとも確認とも取れない声は、ややかすれていて。
太公望はそっと手を伸ばし、二枚目のカードに細い指先を触れる。

「運命の輪の正位置、星の正位置、世界の逆位置・・・・。これが、おぬしなら・・・・・」
「あなたの、ですよ」
「違う」

きっぱりと、太公望は言い切った。

「おぬしは今、わしの事など考えてはいなかった。むしろカードを混ぜている間、苛立ちとか猜疑とか、そんな気配を感じていたよ。──何を考えて、カードを引いた?」

問われて、楊ゼンは太公望の勘の鋭さに呆れると同時に、うんざりとした気分になる。
どうせ死神のカード以外、何が出ようと納得しないのだろうと思うと、頭から自分の言葉を否定する太公望の傲慢さが、ひどく不愉快だった。

「──何も」
「何も?」
「ええ。もう、うんざりですから」

もう話は十分に聞いただろう、と立ち上がりかけた楊ゼンの言葉を、しかし太公望は聞いていなかった。

「何も考えずに引いて・・・・これが出た?」

呟き、テーブルの上のカードを凝視している太公望に、楊ゼンは呆れのまじった息をついて、立ち上がる。
鎮痛剤が効いているから、傷口は痛まない。安全な場所に移動するのなら今のうちだった。

「世話になったことは礼を言いますよ。──じゃ、僕はこれで」

ドアノブに手をかけ、出て行きかけた楊ゼンを、

「待て、楊ゼン!」

ソファーから立ち上がった太公望の声が引きとめた。

「話はまだ全部、済んでおらぬ。わしがボディーガードが欲しいと思ったのは、道楽でも何でもない、最後まで生きたいと思ったからだ」

これまでとは打って変わった、必死、とも言えるような真剣な声だった。
初めて聞くその響きに、楊ゼンは意外さを引かれて振り返る。
すると。
こちらを見つめる太公望の瞳にも、これまでにない真摯な色が強くきらめいていて。

「・・・・心臓、だ。家系に持病があって・・・・祖母も母も、心臓の疾患が原因で早死にした。わしにも同じ疾患がある。まだ何ともないが、二十歳を過ぎた今、いつ症状が出てもおかしくないと、おぬしが先ほど会ったヤブ医者にも言われておる」

らしくない・・・・少なくとも、これまでの言葉とは全く異なる、訥々とした口調で一言一言を探すように太公望は告げる。

「それで死ぬのはいい。子供の頃からずっと分かっていたことだ。だが、誰かの手で殺されて死ぬのは嫌なのだ。我儘だと、傲慢だと取られてもいい。世間には、死にたくないのに殺される人間も、わしより幼いのに死んでゆく子供も山程いる。──だが、それでも」

最後まで生きたい、と血の滲むような声が。
必死に訴える。

「・・・・それなら尚更、僕に頼むのはお門違いでしょう」

そんな太公望をじっと見つめていた楊ゼンは、ついと視線を逸らし、無機質な声で応じた。

「あなたは僕が追っ手持ちだということを忘れてませんか? 僕をボディーガードにする方が、一人でいるよりもよっぽど危険ですよ」
「それでもいい」

はっきりと太公望は言い切った。
深い色の瞳が、まっすぐに楊ゼンを見つめる。

「おぬしが占いなど信じる気がないのなら、それで構わない。だが、わしが今夜、出会ったのはおぬしだったから、おぬしがいい。これは取引だ、楊ゼン」
「取引?」
「おぬしの事情は知らない。だが、わしには人脈と金がある。その気になれば、おぬしの言う追っ手の動向もカードで予測することもできる。だから、おぬしに追っ手に対する有効な手立てがないのなら──」
「あなたを利用しろ、と?」
「そうだ」

改めて、楊ゼンは太公望を見つめた。
深い瞳には、迷いも揺らぎも無い。
思い返してみれば、数時間前に出会った時から、太公望が戸惑ったり迷ったりする様子を見た覚えはなかった。
もしかしたら今夜、彼は死ぬかもしれなかったはずなのにと思うと、不思議な気分になる。
これほど迷いが無いのは──すべてを投げ出すような瞳をしているのは、自分の運命を知っているせいなのだろうか。
あと2年間というカードが告げた天寿を信じ、その短い時間を生き切りたいと強く願っているからこそ、こんな瞳で初対面の、それも正体不明の相手を求めることができるのだろうか。

「──二年ですね?」
「楊ゼン?」
「二年後に、あなたが死のうと生きようと、そんなことはどうでもいい。今日から二年後・・・・同じ六月十二日まで、きっかり二年と約束して下さるなら」
「──本当に、いいのか・・・?」

期待と不安にかすかに揺れているような声に、楊ゼンは溜息をつくようにうなずいた。

「いいですよ。お互い、二年間生き延びるために相手の持つ力を利用する。悪い取引じゃないでしょうから」

但し、と付け加える。

「契約期間中に僕の意に反するようなことがあれば、即座に契約を打ち切ります。それはいいですね?」
「勿論だ」

太公望は大きくうなずき、そして、ほっと肩の力を抜くのが楊ゼンの目にもはっきりと分かった。

「ありがとう、楊ゼン」

そう言って微笑む表情は、どこか泣き出しそうにも見えて。
やはり楊ゼンは不思議になる。

一体、太公望という占い師はどういう人間なのか、何を考えて、初対面の危険人物にこんな執着を見せるのか。
目の前の相手に対し、初めて小さな関心が芽生えるのを、楊ゼンは朧気に感じていた。










第2話。
実は、このシリーズのタイトルは『マヨヒガ』で、第1話がこの#092になるはずだったんですよ。が、綺麗さっぱり忘れて#046にしてしまった、相変わらずマヌケな私なのでした。

ちなみに「マヨヒガ」は「迷い家」で、民俗学用語。白雪姫の見つけた小人の家とか、ヘンゼルとグレーテルが見つけた魔女の家とかのこと。日本だと山姥の家かな。

まだ訳わかんないと思いますが、話はずっと続くのでよろしくです。
なお、太公望の占い方は、彼の家に伝わるオリジナル=作者のでたらめですので、信じないで下さいね〜。(大小アルカナを使った占い方が書いてある本は少ない・・・)

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