この青い空の真下で -3-







 日が暮れる少し前、今日はこの辺りで野宿をしよう、と言い出したのはコウユウだった。
 まだ遠いのか、と問いかけたビクトールに対し、しかし彼は首を横に振り、あと二刻ほども歩き続ければ、夜が更ける前には灯竜山に着けるだろうと答えた。
 けれど、昼間でも歩きにくい山道を、初めて通る人間が夜に行くのは無理であるし、また夜の方が化け物の動きも活発になるようだから、とも。
 ぐっと感情をこらえた、一人前の義賊の顔でそう言ったコウユウに、ビクトールやカザミもまた、自分たちのことなら気にしなくてもいい、という気休めを呑み込んで現実を率直に見つめ、ならばそうしよう、とうなずいた。

「じゃあ飯は俺が作るか。ビクトール様特製の野戦料理を味合わせてやるぜ」
「えーっ、御飯なら私が作るのにー」
「ナナミはいいから。疲れてるでしょ? 明日もまた山道を歩くんだから、きちんと休まないと駄目だよ」
「でも……」
「いいから。ルックとそこに居て。ビクトールさんが御飯作ってくれるのなら、僕は薪集めてくるから」
「……僕も、女の子と一緒の扱いなわけ?」
「回復魔法使いながら歩いてた人が何言ってるの? 二人ともいいから、座って火の番でも荷物番でもしていて。倒れられたら困るんだから。じゃあビクトールさん、クライブさん、火を起こし始めてて下さい」
「おう、頼むぜ」
「カザミ様、オイラも行きますぜ」
「そう? じゃあコウユウも薪を集めてきてくれる? ついでに周辺の様子も見てきてくれると嬉しいかな」
「はい!」

 それぞれに役割分担を決めて。
 コウユウが向かったのとは反対側の木立に、カザミは足を踏み入れる。
 と、
「僕も行こう」
 前触れなく背に追いついてきた声に大きく目をみはり、足を止めて振り返った。
 すると、空耳でも何でもなく、彼がそこにいて。
 思わずまばたきし、カザミは自分に向けられた漆黒の瞳を見上げた。
「ラスさんは休んでいてもらっていいですよ。お願いして付いてきてもらってるんですから」
「そういう風に気を使われるのは好きじゃない。こうしている間にも日が暮れる。さっさとしよう」
「───…」
 気遣いは無用と流されて、カザミは内心、ひどく困惑する。
 が、更に同行を謝絶する言葉を探そうとする間にも、ラシスタは先に立って歩き始めていて。
 どうしよう、と思いながらもカザミは慌てて後を追った。
「……本当にいいですよ、ラスさん」
 半歩ほど遅れてついて行きながら、カザミはおずおずと言葉を紡ぐ。
「あの、正直なこと言うと、少しだけ一人になりたいんです。だから……」
「だから付いてきた、とは考えないんだな、君は」
「え……」
 不意に振ってきた一言に、思わず目をまばたかせる。
 だから…?と意味を考えるよりも早く、次の言葉が続いた。
「それとも、その程度のごまかしをすれば、君の周囲の人間は騙されてくれたのか。だとしたら、彼らのお人好し加減も相当なものだな」
 感情を窺わせない声で言い、ラシスタは木立の中でぴたりと足を止める。
「ラスさん……?」
 彼が何を思っているのか、何を言いたいのか分からず、カザミも立ち止まって、ただ青年の名を呼ぶ。
 だが、そんなカザミに構わず、ラシスタは周囲をちらりと見やって、それからカザミへと視線を向けた。
「ここまで来ればいいだろう。そこに座って、左足を見せるんだ」
 倒木を指しながらの言葉に。
 カザミは今度こそ呆然と青年を見上げる。
「……どう、して」
「そんなもの、隣りで戦っていればすぐに気付く。いいから早くするんだ。その為に、あの場所から離れたんだろう」
 断言されて、けれど反論することはできず。
 驚愕と困惑に包まれたまま、のろのろとした仕草でカザミは倒木に腰を下ろし、それから身をかがめて左足のブーツを脱ごうとした。
 が、それだけのことにも左足首に疼痛が走って、小さく眉をしかめる。
 すると、
「無理に動かそうとするんじゃない」
 カザミの正面にラシスタが屈み込み、慎重な手の動きでカザミのブーツを脱がせた。
「……それほど腫れてはいないようだけど、痛みは?」
 目の前で小さく揺れる、彼の頭部を包む若草色のバンダナに目を奪われていたカザミの耳を、質問は素通りして。
「カザミ?」
「あ、はい」
 名を呼ばれて、慌ててカザミは返事をする。
「痛みは? 酷いのなら君の紋章を使う方法もあるが……」
「そこまでは……。踏み込む時に痛みますけど、歩けないほどじゃありません」
「そう。──少し我慢していて」
「え……、っ!」
 くい、と足首を曲げられて、思わずカザミは息を詰める。
「骨には問題なさそうだな。ひねっただけか。無理をしなければ一週間というところだろうが……」
「でも紋章使ったら、ルックは気付きますから」
「ルックは気付いても何を言わないと思うけれどね。それでいいというのなら、湿布だけしておこう」
 そう言い、腰帯に通した薬草袋から薬を取り出そうとするのを、カザミは慌てて制した。
「湿布も包帯もありますから。こっちを使って下さい」
「どちらを使っても同じだろう?」
「それでも、です。僕の怪我なんですから」
 自分の手持ちの薬で、と言い張るカザミを、もしかしたら強情だと思ったのだろうか。
 ラシスタは軽い溜息をつき、自分の薬草袋をしまうと、カザミの差し出した湿布薬を受け取る。そして、手際よく肌の上に湿布薬を置き、包帯でそれを抑えた。
「……すみません」
「何が」
「色々と……。手当てしてもらってることも、気遣わせてしまったことも、全部、です」
「それなら必要ない」
「え?」
 包帯の端を結び、これでいい、と立ち上がりながらラシスタはカザミを見やった。
「負傷や体調不良を隠すのは、リーダーなら当たり前のことだ。僕は経験があるから、たまたま気付いただけで、謝られる筋合いはない」
「でも……」
「それから、カザミ」
「はい」
 今日、この人に名を呼ばれるのは二度目だと思いながら、カザミは返事する。
「その程度の痛みなら、戦闘の時、僕は庇わないから。悪化しない程度に自分で何とかするんだ」
 暗に、君はリーダーだろう、と言われたような気がして。
「……誰かに庇ってもらおうなんて思いません。大丈夫ですよ、僕は」
 けれど、確かに気遣われていることを感じて、カザミは小さく微笑んだ。
「それなら、しばらくそこで休んでいるといい。薪は僕が集める」
「あ、ラスさん」
 言うだけ言い、さっさと行こうとする人を、呼び止める。
「何?」
「ありがとうございました。手当ても気を使って下さったことも」
「──礼を言われる筋合いも、僕にはない」
 何もかも無用だと木立の中に消えてゆく背姿を見送って、カザミは、ふう、と一つ息をつく。
 ──まさか、気付かれているとは思わなかった。
 左足をひねったのは、今から少し前、日が傾きかける頃のモンスターとの戦闘の最中のこと。
 その時もその後も、ラシスタの態度は何一つ変わらず、こちらに視線を向けることすらほとんどなかったというのに。
「……よく分からない人だなぁ」
 彼の性情を現しているかのように、きっちりと綺麗に巻かれた包帯を見下ろしながら、呟く。
 つい一月ほど前にバナーの村で知り合って以来、笑った顔どころか、はっきりと明確に感情が窺える顔すら、まだ一度も見たことがない。
 いつでも物憂げで、無表情で。
 それなのに、こんな。
「……あ。もしかして、ルックに少し似てる……?」
 ふと思いついて、カザミは首をかしげる。
「うーん。比べると、ルックの方がまだ分かりやすいかな」
 紋章の申し子とまで呼ばれる魔法の使い手は、誰に話しかけられても嫌そうな顔をするし、逆に、滅多にありはしないが機嫌のいい時は、話しかけても眉間にしわが寄らない。
 徹頭徹尾、感情が表に出ないラシスタの方が、カザミから見ると、どうやって接すればいいのか全く分からない相手だった。
 でも、と思う。
「冷たい人じゃない、よね」
 端整な顔立ちもあいまって、一見ひどく無情そうに見えるが、本当に冷酷な人間は、決して怪我をした相手の手当てなどしたりはしない。
 それに、彼もまた、かつては天魁星としてビクトールやフリックといった面々の信望を集めていたのだ。そんな英雄とまで讃えられる存在が、どうして冷たいわけがあるだろう。
「三年もあれば、人間は変わるだろうけど。でも……」
 分かりにくいだけなのだ、おそらく。
 期待するわけではない。
 決して、そうではないけれど。
「ルックとも、何とか上手くやれてるんだし。どうにかなるよね」
 どれほど取っ付きにくい相手だとしても、今、彼ははっきりとこちらへの気遣いを示してくれた。
 優しい、と言えるほどの甘さはない。
 けれど、冷たくもない。
 そのことさえ分かったのなら、大丈夫ではないか、と思える。
 もしかしたら、そう思うことすら、彼には無用なことであり、迷惑なことかもしれないのだけれど。
「ラスさん、か……」
 小さく小さく呟いた時。
 やわらかな山の土を踏む気配を感じて、カザミは顔を上げる。
「随分たくさん集まりましたね」
「これだけ木の多い山の中だから。薪には事欠かない」
「はい」
 両腕に薪の束を抱えて戻ってきたラシスタに応じながら、カザミは脱いだままだったブーツを履いた。
 早くも湿布が効いているのか、きつめに巻かれた包帯のおかげか、脱ぐ時に比べると痛みは少なく。
 大丈夫そうだ、と足元を確かめながら立ち上がる。
「半分、僕に下さい」
「もう少し戻ってからでいいだろう。今は無理をする時じゃない」
「……はい」
 素直にうなずいて、カザミはラシスタについて歩き出す。
 今にも沈もうとしている太陽は、木立の隙間から朱金の今日最後の光を投げかけていて。
 その中を、何も言わずに歩いて。
 そして、早くも薄闇が忍び寄り始めた中、焚き火の赤い炎が見えた所でラシスタは立ち止まり、抱えていた薪の半分をカザミに渡した。
「ありがとうございます」
「──…」
 礼を言われる筋合いはない、と言いたかったのだろうが、言っても無駄、とも思ったのか。
 何かを言いかけて、けれどラシスタは何も言わずに再び歩き出す。
 程なく、木立を抜けて。
「あーカザミ、遅いよーっ」
「ごめん。あっちの方を、ぐるっと一周してきたから」
 用意してあった言い訳を告げると、ナナミは眉根を寄せながらも、仕方ないねぇ、と呟いた。
「ねえねえカザミ、それよりもビクトールさん、酷いのよ〜っ。私が手伝うって言ってるのに、あっち行ってろって……」
「あー。だから、ナナミは休んでいればいいんだってば」
 やはり、と思いながらも、焚き火の傍に腰をすえた傭兵に、ごめんなさい、と素早く目礼を送り、カザミは薪を火の傍に置いてから、姉の隣りに腰を下ろした。
「僕も少し疲れたし。一緒に御飯ができるのを待っていようよ。ね」
「でも〜……」
 しばらくぐずぐず言うようだったが、ナナミとしても疲れているのは否定できないようで、大人しく膝を抱え、火の向こうのビクトールを恨めしそうに見つめる。
「そんな顔しないの。ビクトールさんに悪いでしょ」
「だってぇ……」
「だってもヘチマもありません」
 言いながら、カザミはちらりと、自分たちと同じように火の傍に腰を下ろし、ビクトールの手元を眺めている彼の横顔を見る。
「カザミ、聞いてる?」
「あ、ごめん。何?」
「だからねえ、明日の夜は私が……」
「却下」
「なんでっ!?」
「明日の夜は、ちゃんと屋根のある所に泊まる予定だから。そんな頑張らなくてもいいんだよ」
「でもぉ……」
「もういいから」
 どうしてこんなにナナミは料理が好きなんだろうと頭痛を覚えながらも、カザミは姉を宥める。
 と、そこに救いの神の声が響いた。
「おう、出来たぞ」
 楽しげに鍋をかき回していたビクトールが、得意満面の笑顔で仲間たちを見回す。
「ビクトール様特製、野戦鍋だ。スタミナたっぷりで美味いぞ」
「野戦鍋って……。あ、でも本当に美味しそう」
 鍋の中を覗き込み、名前はともかくも、夕暮れ前に捕まえた野兎を煮込んだスープの食欲をそそる匂いに、カザミはまばたきする。
「そういえば、お前らに作ってやるのは初めてか。ラスは、あったよな、昔」
「何度もね」
 答える声は、いつもよりも少しだけやわらかく聞こえて。
 あれ、とカザミは思った。
「よし、食うぞ」
「いただきます」
 行儀よく手を合わせて、カザミは配られた器を手に取る。
「うん、美味しい」
「美味しいねー。ビクトールさんが、こんな料理上手なんて知らなかった」
「そうだろう。俺は案外、何でも出来るんだぜ」
「結婚以外ね」
「おいコラ、ルック。てめぇ、喧嘩売ってるのか?」
「いつでも僕は買うけど?」
「やめなってば。御飯時だよ? まったく、どうしてルックはそんなに口が悪いの」
「天賦の才能」
「……そんなの才能って言わない」
「でも本当にこれ、美味いっすねぇ。作り方、教えてもらえねぇですか?」
「おう。幾らでも聞いていけ」
 一時だけ、緊迫した状況を忘れたかのように和気藹々と夕餉の時間は過ぎて。
 その間中、一言も口を開かなかったラシスタに、こっそりとカザミは溜息をつき、そして静かに山深い夜は更けていった。

...to be continued.

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