この青い空の真下で -2-







 そのことには、すぐに気付いた。
 目の前には複数のモンスター、こちらも複数のパーティー。
 当然たちまちのうちに乱闘になる。
 だが。
 ──戦いやすい……!?
 いつもなら敵ばかりでなく、前後左右にいる仲間の位置にも注意を払う必要があるのに、まるで何も考えることなく敵の存在にのみ集中していればいい、とでもいうように自在に手足が動く。
 どうして、と考えるまでもなかった。
 いつもと異なるのは、ただ一点のみ。
 ──自分の右隣。
 使いようによっては剣にも盾にも勝る、単純であるからこそ至高の武器でもある長棍を流れるように鮮やかな動きで操り、動体視力には自信のある自分の目にも留まらぬほどの速さで敵を打ち倒してゆく人。
 自分は右利きなのに、右側にいる彼の動きが邪魔にならないどころか。
 ──ジョウイよりも、ナナミよりも。
 それどころか、一人で敵を相手にしている時よりも遥かに自由に、自分本位に動ける。
 ──どうして?
 彼の動きが読める。
 自分の動きも読まれている。
 否。
 感じるのだ。
 五感を遥かに超えたところに、彼の存在がある。動きを、感じる。
 知らず連動した技は、他の仲間たちがろくに手を出す暇もないほど、瞬く間に敵を打ち倒して。
 カザミは呆然と彼の横顔を仰ぐ。
 だが、彼の方はちらりとすら、こちらにまなざしを向けることはなく。
 木立を吹き抜ける風に、首筋で結んだバンダナがさらりと揺れるのだけが見えた。








 大陸北東部・デュナン湖を中心とし、四方を山地に囲まれた広大な平地には、ジョウストン都市同盟の六都市一騎士団を始めとして幾つもの町や村が点在している。
 その中でも最も山深い地にある鉱山都市──ティントまで、山脈の麓にある竜口の村から延々続く山道は、他の峻険な山々、たとえば洛帝山などに比べればとりわけ険しいというほどでもないが、足弱にはかなりの苦となる難路である。
 それゆえに街道を行き交う者は、ある程度頑健な肉体の持ち主に限られており、人通りは決して多いとはいえない。
 結果として、ティントは都市同盟に加盟する以前から独立独歩とも表現できる閉鎖性を持っており、この都市を相手に何らかの談判をしようという時には、こちらから山道をはるばる越えて出向くしかないのが現状だった。
 もっとも、そんな人間同士の事情はともかく、街道沿いの風景自体は美しい。
 周囲を見回す余裕があればこその話であるが、緑陰深く、所々に渓流が涼やかな水音を立てている道行は、足元の険しさと、次々に現れるモンスターの存在さえなければ十分に風雅と呼べるものである。
 その山道を、カザミは仲間と共に歩いていた。
 だが、つい先日までは、鉱山都市ティントの市兵によって封鎖されていたはずの街道を、どうして新同盟軍の軍主自らたどっているのか。
 事の起こりは二日前、本拠地のデュナン城に一人の少年が現れた時点まで遡る。

 灯竜山三兄弟の末弟、コウユウと名乗ったその少年は、自分たち山賊──彼らの感覚としては義賊か──の根城が正体不明の化け物に襲われたため、助けを新同盟軍に求めたのだ。
 助けを求められたことそのものは、つい数ヶ月前までは流民の集団と変わりなしと目されていた新同盟軍にとっては、己たちの存在が人々に認められるようになってきたという証であり、また、少しでも多くの味方を集めたい現状にあって、その依頼は決して断るわけにはいかないものだった。
 ゆえに、とりあえず、と城の大広間に少年を招き入れ、城主と軍師をはじめとする幹部らが話を聞いたのだが。
 少年の話が、切っても切っても倒れない化け物たちのことに及んだ時、その場に立ち会っていた傭兵二人と、副軍師である女性の顔色が代わった。
 軍主のカザミにしても、少年の語る話に、二度ばかり見(まみ)えたことのある仇敵の姿を思い起こし、平静ではいられなかったが、もう一人。
 偶然──と言っていいだろう。ちょうど、彼を隣国まで迎えに行って戻ってきたところに、城の入り口で待ち伏せていたコウユウと出会ったのだから──、その場にいた青年もまた、かすかに柳眉をしかめたのに、カザミは気付いた。
 何故、と考えたのは一瞬だったが、すぐに彼もまた、かつて、かの敵と刃を交えたことがあったのだと思い出した。
 彼もまた、ビクトールと同じく、かの吸血鬼は滅びたのだと思っていたのだろう。
 カザミとビクトールを含んだ精鋭数名が、先行部隊として現地に赴くことが慌しく決められ、それぞれが大広間を出たところで、彼はビクトールを呼び止めた。

「どういうことなんだ? ネクロードはあの時、確かに……」
 喜怒哀楽をほとんど顔には出さない彼が、明らかに険しさを目元にのぞかせて、かつての仲間である傭兵を見やる。
 その表情を、不謹慎ではあるが、カザミは少々物珍しく眺めた。
「ああ、お前にはまだ話してなかったか」
 対して、ビクトールの方は頭をガリガリと片手でかきながら、苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔で応じた。
「生きてたんだよ、奴は。俺たちが倒したのは、奴の偽者……現し身って言ってたか。とにかく分身みたいなもので、本体はぴんぴんしてやがったんだ」
「現し身……」
「ああ。このノースウィンドウの城で奴と胸糞悪い再会した時、知り合った吸血鬼ハンターが教えてくれたんだ。カーン、だったな、確か」
「あ、はい」
 同意を求められ、慌ててカザミはうなずいた。
「カーン・マリィさんです。お家が先祖代々の吸血鬼ハンターだって……」
 二人の言葉に、ラシスタは少しばかり考えるようにまなざしを伏せ、
「他には? 吸血鬼ハンターを生業としているのなら、その男はそれなりの情報を持っているはずだが……」
 静かに響く声で問いかける。
 それに応じて、カザミは半年ほど前の記憶を正確に思い出そうと、小さく首をかしげた。
「確か……ネクロードは真の紋章持ちで、追い詰められると現し身の術で逃げてしまうから、逃げられないように魂を肉体に封じる必要がある、って言ってました」
「その封じる方法は?」
「それは分かっているみたいです。仕掛ける前にネクロードには逃げられてしまいましたから、実際の効果は分からないんですけれど。とにかく封印する術をカーンさんが編み出したのは間違いないと思います」
「では、そのカーンとやらは、今どこに?」
「それは……」
 返答に困って、カザミはビクトールをちらりと見る。
 と、傭兵もまた、渋い顔をしていた。
「ここでネクロードを逃がしちまった後、あの野郎を追いかけると言って行っちまったよ。新しい情報が掴めたら連絡するとは言ってくれたんだが……」
「──なるほど」
 納得したように、ようやくラシスタは顔を上げた。
「そういうことなら、現地に行けば、そのカーンに再会する確立も高いだろう。ネクロードを追っている者が、今回の話を耳にしたら放っておくはずがない」
「そうだな。得てして、化け物が出たっていう話はすぐに広まっちまうしな」
 新同盟軍の幹部としては、殺しても死なないの化け物が出現していることは、あまり一般の兵士や民衆には知られたくないことではある。化け物、と聞いただけで怖気付くのが人情だからだ。
 しかし、その化け物を新同盟軍が倒したとなれば、評判は一気に上がるだろうことも十分予測できる。
「……リスクを覚悟の上で、化け物の話をこの辺りに広めておくか?」
「そう、ですね。それを聞いてカーンさんが来てくれたら、今度こそネクロードを倒せる可能性も高くなりますよね」
「可能性、じゃなくて、絶対にぶっ倒してやるんだよ、今度こそな」
「……はい」
 強い口調で言い切ったビクトールに、カザミが小さく笑んでうなずき返すと、歴戦の傭兵はラシスタの方へと視線を戻した。
「お前も行くだろ、ラス。今度こそ、あの野郎をぶっ倒してやらねぇと、いい加減寝覚めが悪いんだ、俺は。お前だって全く縁のない相手じゃない。この際だ、付き合え」
「……そうだね」
 考えるように呟きながら、ラシスタはちらりと視線をカザミへと向ける。
 その意味を悟って、カザミはうなずいた。
「僕からもお願いします。僕はまだ、ネクロードと直接戦ったことはありませんし、戦力的にもラスさんに一緒に来てもらえると、すごく助かります」
「分かった。僕も行こう」
 軍主からの正式な協力要請に、ラシスタはうなずき。
 それから一夜明けて、装備を整えた一行は後を軍師に頼み、慌しくデュナン城を発った。








 険しい山道を、それでも足元に気を配りつつ速い足取りで急ぎながら、カザミは自分の前を行くコウユウの背を見つめていた。
 まっすぐ前を見据え、時折振り返って、岩や木の根に注意するよう呼びかける以外は、ぎゅっと口を一文字に結んだまま、黙々と彼には通い慣れているだろう山道を歩き続けている。
 その背中から、兄姉や仲間を案じる彼の焦燥がにじみ出ているように思えて、カザミもまた、きゅ…と口元を引き結ぶ。
 自分たちが装備を整えるために必要だった一晩という時間すら、コウユウにとっては、おそらく拷問にも等しい間だっただろう。だが、彼は文句を口にすることもなく、険しい表情をしたまま耐え続けていて。
 今もまた、一人で駆けて行きたいだろうに、持久力で劣ることが否めないナナミを気遣ってか、彼女でも、さほど頻繁に休憩をせずとも歩き続けられる程度の速度で進んでいる。
 強い、とカザミはコウユウを思った。
 自分と年齢も背格好も変わらない少年ではあるが、内にある激しさを押さえ込むだけの強さを彼は持っている。
 だから、何としても間に合わせたい、と思い、そして。

 幾つ目かの登り道を上り切った山頂で、一行は休息するべく足を止めた。
 昨夜宿を求めた竜口の村を今朝、出立して以来、山道を歩き続けて、息が上がるというほどではないが、さすがに額に汗が滲んでいる。
 冷たい水を一口飲み干し、それからカザミは、じっと先に連なる山々を木立の間から見つめているコウユウへと声をかけた。
「コウユウ」
「何スか?」
 すぐに振り返った彼は、利かん気でやんちゃそうな顔立ちをしているが、眸には奥深い色がある。
 その色を見つめながら、カザミは問いかけた。
「君たちの事、少し聞いてもいい? これまでバタバタしてて、全然そういう話はできなかったから」
「ああ、そういえばそうっスね」
 うっかりしていた、と頭をかいて、コウユウはカザミのすぐ傍まで歩み寄ってくる。
「何だって聞いて下さいよ。カザミ様になら、包み隠さずお答えしやすから」
 が、同年代の少年から『様』付けで呼ばれる居心地の悪さに、カザミは微妙な表情になった。
「……様、じゃなくて、呼び捨てか、せめてカザミさんくらいにして欲しいんだけど……」
「とんでもねえ!! カザミ様はカザミ様です! 呼び捨てなんて無礼はできやしませんぜ!!」
「…………」
 血相を変えて反論したコウユウに、カザミはやっぱり駄目なのか、と内心で諦めの吐息をつく。
 彼がどんな風に新同盟軍や自分の事を聞いたのかは知らないが、カザミにしてみれば、自分は自分であって、様や殿を付けられるような存在ではない。
(まぁ、僕じゃなくてゲンカクじいちゃんに敬意が払われてるんだと思えばいいのかな……)
 カザミが新同盟軍の軍主に祀り上げられたもの、元はと言えば、かつて英雄と呼ばれた義父の七光りなのである。
 それが分かっているからこそ居心地が悪いのだが、義父はそれだけ立派な人物だったのだと考えようと、頭を切り替えて。
 カザミは本題に戻った。
「じゃあ、呼び方はそのままでいいから。……君たちは灯竜山の、ええと……山賊、でいいのかな?」
 躊躇いながら、山賊という単語を口に載せると、コウユウはあっさりとうなずく。
「はい。灯竜山の根城以外にも、あっちこっちに塞が作ってありやして、頭領のギジムの兄貴を筆頭に、強者共が百人ほど居りやす」
「百人、かぁ。すごいね」
「そんな褒めていただけるようなもんじゃねぇですが……。でも仁義を外したことは絶対に許しゃしません。オイラたちがカモにするのは、肥え太って貧乏人を苛めてる金持ちだけでさあ」
「そうなんだ」
 それでも金品を強奪する山賊には変わりはないんだけど、と内心で苦笑を覚えながらも、カザミはうなずいた。
 コウユウの真っ直ぐな気性からしても、彼の兄である頭領が、さほど非道なことをしているようには感じられない。こんな荒れた世の中である。義賊を名乗る者たちに喝采を送り、一目を置く民衆も、この地方にはおそらく多いのだろう。
「頭領のギジムさんがお兄さんで……あと、コウユウにはお姉さんがいるって言ってたよね。ロウエンさん、だったっけ」
「そうっス。これがまた乱暴な姉貴で、いっつも口と一緒に手が出てきやがるんですよ。まったく、兄貴はがさつだし、姉貴は考え無しの乱暴者だし、オイラが居ないと二人ともてんで駄目なんでさあ」
「ふうん」
 乱暴な言葉の端々に、兄姉を思う彼の気持ちがにじみ出ていて、カザミはかすかに笑みながら深くうなずく。
 そして、ちらりと横目で自分の姉を見やり、彼女の上がっていた呼吸が落ち着いているのを確かめて、立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ休憩は終わりにして行こう。灯竜山の人たちも君の事を心配してるだろうし」
「……そんな気の優しいことを言ってくれる奴ぁ、うちには居ませんがね。行きやすか」
 カザミの言葉に小さく苦笑して、コウユウも威勢よく立ち上がり、それに合わせて他の面々も立ち上がった。
 それから、休んでいる間、ぽつりぽつりと低くビクトールを言葉を交わしているようだった彼の様子をちらりと振り返って。
 再びカザミたちは、険しい山道をたどり始めた。

...to be continued.

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