Heven's Door  -02 meltdown.1 -









「中央に行く前に、東方司令部に寄らねばな」
「……は?」

 護衛役の筋肉少佐にそう言われた瞬間、エドワードの頭を占めたのは、なんで?という疑問符だった。
 確かに、東部の田舎町リゼンブールからセントラルシティへと向かおうと思ったら、イーストシティで列車を乗り換えるしか手段がない。そして、その乗継には、大抵1時間程度の空白時間が生じるのだが、エドワードはわざわざ改札を出るのを面倒に感じるため、余程の用事でもない限り、ホーム内で時間を潰すのが常だった。
「でも少佐。イーストシティで途中下車したとしても、司令部まで行って帰ってくるのは駆け足でギリギリじゃねえ?」
「それは心配無用だ。イーストシティからは夜行列車を手配しておいたからな。明日の朝一番列車に乗り、午後にイーストシティに着いて東方司令部に行けば、ちょうど良い時刻となるだろう」
 それはそうかもしれないが、と思いつつも、エドワードの脳裏の疑問符は消えない。
 確かに夜行列車は停車駅も少なく速いが、わざわざそれに乗らずとも、イーストシティ発セントラル行きの列車は、午後にも数本発着するし、少なくともその最終には絶対、間に合うことが出来る。列車が大幅に遅れたりしない限りは、日付が変わる前には、なんとかセントラルシティに着けるはずなのだ。
 そしてエドワード自身は、たとえ着くのが夜中近くになろうと一秒でも早くセントラルシティに行き、ティム・マルコーの著作を探したいのである。
 それを分かっているだろうに、わざわざ途中下車して、東方司令部へ寄るという少佐の意図が分からない。
「……なんで、少佐は司令部に行きたいわけ?」
 ゆえに率直に聞いてみると。
 尋ねられるのが不思議、というようにアームストロングは薄青の瞳でエドワードを見やった。
「決まっておるであろう。お前たち兄弟が無事に直ったことを、東方司令部の人々に知らせるのが第一、加えて、我輩もセントラルの司令部に連絡しておかねばならぬことがあるのでな。なに、我輩の用は電話一本で足りる。心配せずともよい」
 だから心配なんかしてないんですけど、と心の中で突っ込みながらも、エドワードは、
「少佐、俺は一秒でも速く、中央に行きたいんだけど」
 と反論してみる。
 しかし、それは艶々と光る分厚い筋肉に跳ね返され、歯牙にもかけられなかった。
「何を言う、エドワード・エルリック。東方司令部の人々はお前たち兄弟のことを、それはそれは気にかけてくれておるのだぞ。無事に直りましたと、一言挨拶に行くのが礼儀というものだろう」
「……そんなものか?」
「そうだとも! マスタング大佐自ら、我輩にお前たち兄弟の護衛を依頼されたのが何よりの証拠。人の厚意を無碍にしては、立派な大人になれんぞ」
 とうとうと紡がれた言葉の後半は、聞いていなかった。
 琥珀色の大きな瞳を、更に大きく見開き、エドワードは巨漢の少佐を見上げる。
「……大佐が? 依頼した?」
「ん? うむ。──おや、知らなかったか?」
「……ああ。聞いてない」
 意外そうに眉をそびやかされて、けれどエドワードは、まだ意識の大半を驚愕に支配されたまま、うなずく。
「そうであったか。我輩はてっきり、大佐がおっしゃったものと……。
 ともかく今は、傷の男の件があるからな、国家錬金術師は極力、単独行動を避けるようにと上部から通達が出ておるのだ。しかし、大佐がおっしゃった通り、東方司令部内に傷の男を相手に立ち回れる人材は殆どいない。ゆえに、大佐は筋違いは承知の上でと、本来はタッカー事件のために東部を訪れた我輩に、お前たち兄弟の護衛を依頼されたのだ」
「───…」
 豊かな低音で語られた経緯に、エドワードは目をみはったまま絶句した。

 今回のことは、てっきり、自分たちが肉体を失った理由を知ったアームストロングが、個人的な厚意で、護衛役を買って出てくれたのだと思っていたのだ。そしてロイもまた、それを都合よしとしたのだと。
 だが、確かに言われてみれば、タッカー事件のために派遣されてきた中央司令部所属の士官が、復命することもなく、そのままこうして田舎町にまで護衛に出向くなど、軍という組織内で考えれば不自然極まりない。
 しかし、そこに傷の男というファクターを加えて、東方司令部から中央に対し、国家錬金術師の保安のためと正式な要請をしたならば。
 不自然は自然と変わる。

(──俺って馬鹿かも)

 今日に至り、教えられるまで気付かなかった己の迂闊さに、エドワードは呆然となる。
「兄さん、東方司令部に行くしかないんじゃないの?」
 そこに、今まで黙って遣り取りを見ていたアルフォンスの声が加わって。
「いいじゃない、どうせ朝にならないと国立図書館も開館しないんだし。少佐の言う通り、僕も皆さんに、こうやって直った事、ちゃんと報告したいよ」
「うむ。良い心がけだ、アルフォンス・エルリック」
「そうですか?」
 えへへ、と筋肉少佐と和む甲冑姿の弟を、あまり良くない目つきで見やってから、くそう、とエドワードは前髪を左手で乱暴にかき上げる。
「──しゃあねえな。行くよ。東方司令部に」
 渋々そう言う以外、他に選択肢はなかった。








 ……嫌い、というわけではないのだ、決して。
 それは認めてもいい。
 いいけれど、────。








「やあ、元気そうだ。鋼の」
 そう言われた途端、回れ右して帰りたくなった。
 何故と問われても困るが、彼の──とりわけ笑顔を見ると、反射的に右手を振り上げないまでも思いっ切り睨みつけて、憎まれ口を叩きたくなるのだ。
 だが、今日は喧嘩を売りに来たわけではない。むしろ、その反対の目的があったはずだ、とエドワードは自分を抑えるべく密かに深呼吸する。
 そして、執務卓の向こう側に悠然と構えている相手へと、真っ直ぐまなざしを向けた。
 と、それをどうとったのか、彼は笑みを深くして、ちらりと目線で来客用のソファーを示す。
「立ち話をするのも難だろう。かけたまえ」
「……ああ」
 断るだけの理由はなかった。
 少佐は早速、中央に電話をするとかで通信室に行ってしまったし、アルフォンスはこの執務室の外にある大部屋で、ブレダやファルマンといった、現場で作業を続けているというハボックを除く御馴染みの面々に取り囲まれ、完全修復したことに対する祝福と感嘆の言葉を受けている。
 アルを直したのは俺なんだけど、と思いつつも、自分が用があるのは彼らではなく、目の前にいるこの男だったから、取次ぎのアイホークに招かれるまま、弟を彼らに預けてこの部屋へと足を踏み入れたのだ。
 そうして腰を下ろした黒い革張りのソファーは、今日もふかりとエドワードの体重を受け止める。相変わらず、いいクッションだな、と思いながらエドワードは少しだけ肩の力を抜いた。
「とにかく、見ての通り、俺とアルは直ったから。リゼンブールに行く途中に、石の新しいネタも拾ったし、そのネタの検証のために、これから少佐と一緒にセントラルに行く。その後のことは、まだ未定」
 素っ気無く告げると、彼はうなずく。
「そうか。まあ、セントラルならいいだろう。傷の男が生きているとしたら、おそらくはまだイーストシティ周辺に潜伏しているだろうからな」
「……まるで、俺がイーストシティ周辺で動き回ると言ったら、即座に止めそうな言い方だな」
「それは当然だよ、鋼の」
 嫌味というほどの意味合いではなかったが、いささか低いエドワードの声に、しかし彼は髪の毛一筋ほども動じなかった。
「並みの相手なら、私も何も口出しはしないさ。君とアルフォンス君には、それだけの力量があることは認めている。ただ、今回ばかりは相手が悪い。私でも一対一では、あまり会いたくない相手だ」
「───…」
「等価交換もなしに人の親切を受けるのは居心地が悪いだろうが、今回は黙って受け取っておきたまえ。私はこれでも一応、君の上官だ。そうそう悪いようにはしないよ」
 言いながら、彼は立ち上がり、壁にかけてあった上着を手に取る。
「セントラル行きは夜行だと言っていたね?」
「──ああ」
「じゃあ、少し早いが食事に行かないか。今日も私は家に帰らせてもらえそうにないからね、せめて食事くらいはまともにしておきたいんだ」
 そう言う彼の表情は、傷の男出現以来、連日司令部に泊り込んでいるという割には疲労の色は窺えない。
 外見からは窺えないほど頑丈な身体なのか、それとも上手に休息を取っているのか、あるいは精神力で肉体的な疲労を抑え込んでいるのか。一体どれだろうと思いながら、エドワードは問い返す。
「……アームストロング少佐はどうするんだよ?」
「先程伝言をもらった。連絡を取りたかった部下がちょうど他出中だったらしくてな、通信室で折り返し返事が来るのを待たなければならないから、その間、君を宜しくとのことだった」
「…………」
 正直なところ、人買いに売り飛ばされたような気分だった。あるいは、信用していたおじさんが実は人身売買ブローカーだったと発覚したような。
 けれど、困ったことに、気分とは裏腹に断る理由がないのである。
 彼の言葉ではないが夕食はどこかで取らなければならなかったし、実際に、夕方になりかけたばかりの時刻ではあるが、成長期の身体は早くも空腹を訴え始めている。
 そして、今ここで、この男と食事に行くのであれば、アルフォンスを一人きりにすることを気に病まなくても済む。弟は、自分が戻ってくるまで、ここで雑用を手伝うなり何なりして、それなりに楽しく時間を過ごせるだろう。
「仕方ねぇな」
 逡巡する時間は、さほど長くなかった。
 大きく溜息をついて見せて、エドワードはソファーから立ち上がる。
「あんたが誘ったんだからな。奢れよ?」
「勿論。誘っておいて、相手に払わせるような無粋な真似はしないよ」
「ふん」
 相手の慣れた風な返答に、そっぽを向いてエドワードは先に立ち、彼の執務室を出る。
「あ、兄さん。お話終わったの?」
 途端、目ざとくアルフォンスが気付いて振り返った。その両手に書類が一杯に詰まった箱を抱えているところを見ると、何かの手伝いをしている最中だったのだろう。
 だが、エドワードが何かを言う前に、背後に居た男がにこやかな声をアルフォンスにかける。
「ああ、アルフォンス君。君の兄さんを食事に誘いたいのだが、しばらく借りていってもいいかね?」
「はい、いいですよ。僕、ここでお手伝いして待ってますから、どうぞごゆっくり」
「ありがとう、いつも悪いね。──というわけで、鋼の。君の保護者の許可はもらったぞ」
「誰が保護者だ!! アル!! お前も何、勝手に返事してんだ!?」
「いいじゃない。折角なんだし、美味しいもの食べておいでよ。それじゃ大佐、兄さんのこと宜しくお願いします」
「ああ、彼の今夜の食事に関しては、私が責任を持って面倒見よう。行くぞ、鋼の」
「勝手に決めるなあぁぁっ!!」
 先程誘いに応じたことなど綺麗に大脳内の記憶野から吹き飛ばして、エドワードは叫ぶ。
 しかし、だからといって、まともに取り合ってくれる輩などこの場にはひとりも居なくて。
 そのまま右腕をロイの手に掴まれ、まるで連行されるような風情でエドワードは東方司令部の建物を後にした。






episode02 as end.




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