Heven's Door  -03 meltdown.2 -









「鋼の」
「────」
「鋼の、返事くらいしてくれないか」
「────」
「……まったく。そんなに気に入らなかったかね? 君を被保護者扱いしたことが」
「────」
「それに関しては謝ろう。私が軽はずみだった。だから機嫌を直してくれないか?」
「────」
 つーんとそっぽを向いたままのエドワードに、ロイは小さく溜息をつく。
 そして、路上で足を止めた。
 どうする気なのか、さすがに機嫌を損ねたか、でも悪いのはそっちだと、ちらりと視線を向けたエドワードの琥珀色の瞳を見つめ、しかし、彼は怒りも呆れも見せずに、いつもと同じ落ち着いた口調で、鋼の、と呼びかけた。
「今から入る店は、家庭的な雰囲気を大切にしているレストランだ。店内もさほど広いわけではないし、仏頂面をした客がテーブルに着くのは、あまり好ましいとはいえない。だから、せめて店にいる間だけでも、普通の顔をしていてくれないか。恨み言は、後から幾らでも聞こう」
 咎めるでも皮肉でもなく、ましてや下手に出るでもなく。
 ただ淡々と静かに言葉を告げてくる。
 だから、少々悔しいことに、反発の仕様がなかった。
 彼のいつもの軽口に過剰反応しすぎたという自覚はある。あるからこそ、収まりがつかなくて、ここまで仏頂面を通してきたのだが、そろそろ潮時かもしれない。
 彼もそれを見越して、わざと冷静で理論的な物言いをしてくるのかもしれないが、負けず嫌いで意地っ張りな自分の性格を考えると、正直、彼のそういう所はありがたかった。
「……了解」
 しぶしぶ、といった感じでうなずいてみせる。
「すまないな」
「いいよ。もともと本気で怒ってたわけじゃないし。ムカついたのは本当だけど」
「ああ、悪かった」
 どこまで本気で謝罪しているのだか知れない。だが、妙に誠実そうに、けれどさらりと言って、ロイはふたたび夕暮れ時の道に足を踏み出す。
 そして、そこから十メートルも進まないところで、再び足を止めて。
「ここだよ」
「……ポン・レ・ヴェック?」
「そう、ポンレヴェック」
 発音と綴りからすると、西のクレタ風の料理を饗する店だろうか。
 外装は飾り気があまりなく、そこそこに年代を経ているらしい木材が、軒先に吊るされたランプの明かりをはじいて艶やかな飴色に光っている。目にした瞬間、温かそう、と訳もなく思ってしまう店のたたずまいは、中に一歩踏み込んでも変わらなかった。
 気取った雰囲気はどこにもない。まるで田舎町の食堂兼酒場を思わせるような店内は明るく、夕食には僅かに早いこの時間帯にも半分以上のテーブルとカウンター席が埋まっている。
 木目の壁に綺麗に並べて貼られた各地のワインのラベルシールや、手書きのイラストつきのお奨めメニュー、ピンで留められたどこかの綺麗な風景の描かれた絵葉書。そして、焼きたてのパンの匂いと、何かの煮込み料理の食欲をそそる匂い。
 その中を、顔見知りらしい店員に軽く右手を上げて合図をし、隅の方の空いているテーブルへと向かうロイについて歩きながら、エドワードは少々物珍しげに周囲を見回した。
 と、店内の客の幾人か、青い軍服を着た人々が、ロイの姿を目にして慌てて敬礼をする。口に食べ物を頬張ったままであったり、ワイングラスを手にしたままであったり、それらはいささか滑稽な風体だったが、ロイは気にするなとでもいうように軽く手を払っただけで済ませる。
 そんな司令官のくだけた様子に、客の軍人たちは一様にほっとした顔をした後、その司令官の後に続いて通り過ぎてゆくエドワードを見て、露骨に驚きの表情を浮かべた。
 彼らにしてみれば、相当に意外な取り合わせなのだろう。鋼の錬金術師と焔の錬金術師は、折り合いが悪いというほどではないにしても、一方的に鋼が焔に反発しており、顔を合わせると何かしら小競り合いが起こる、というのは、とうの昔に東方司令部内に知れ渡っている。そんな二人が、こんな店に連れ立って入ってくるなど、想像もした事がなかったのに違いない。
 だが、そんな驚愕などには構わず、ロイは片隅のテーブルへと落ち着き、エドワードが椅子に腰を下ろしたのを見計らってメニューを差し出した。
「ここの料理は何を頼んでも外れないから、好きなものを注文すればいい。選び切れなければ、素直にお勧めメニューにしておきたまえ」
「……良く来るんだ?」
「ああ。司令部から近いし、値段も手ごろだからな。一人でも来るが、中尉やハボックたちと一緒のことも多い」
「へえ」
 手渡されたメニューに視線を落としながら、けれど、少しだけ意外さを感じる。
 彼の好みは、数日前に連れて行かれたレストランのような、いかにも高級で味も雰囲気も洗練された店だと、何となく思い込んでいた。
 だが、確かに、ああいう手合いの店は毎日通うような所ではない。独り身の軍人が日常、食事を取るとしたら、まずは司令部内の食堂やカフェのテイクアウトであり、少しまともにという時には、ここのように家庭的な雰囲気の店となるのが当然だろう。

(……案外、大佐って普通なのかも)

 頃合を見計らって注文を聞きに来た店員に、お勧めとなっていた月替わりのメニューを頼む彼の様子も、ひどく物慣れていて、先日の高級レストランのギャルソンに対するのとは全く異なる、くだけたと言ってもいいほどのやりとりに、エドワードはひそかに目をみはる。
 よくよく考えてみれば、東方司令部司令官として執務室に缶詰になっていたり、事件現場で指揮を取ったりしている以外のロイの姿をエドワードは殆ど知らない。プライベートに関しては、もってのほかである。
 共に食事をするのもこれが二度目であり、彼の好きな食べ物も味付けも知らなければ、非番の日をどう過ごしているのかも、気にした事すらないし、気にする必要もこれまで一度もなかった。
 所詮は、上官と部下、あるいは国家錬金術師同士。お互いのプライベートなど、知る必要もないことではある。
 しかし、ロイは、結果としてエドワードの人生に深く関わってしまっている人間の一人だ。
 軍は嫌いだし、現役の軍人であり、軍組織の頂点を目指しているらしいロイ・マスタングとも、個人的に親交を結ぶ気はこれっぽっちもない。
 だが、共犯者と認識している相手と、どこまでもビジネスライクに、ただお互いを利用し合うばかりというのも、エドワードの性分にはそぐわない。割り切って付き合うべきだと頭では理解していても、目に見えたり見えなかったりする厚意を向けられれば、反応せずにはいられないのである。

(そうなんだよな、そもそも大佐があれこれちょっかい出してきたり、お節介してくるから……)

 不意にエドワードは、昨夜、セントラルへ行く前に東方司令部を訪れることを承諾した理由を思い出した。
「大佐」
「何だね」
 エドワードが、あれこれと思いをめぐらせている間、彼は店内を流れるレコードに耳を傾けていたようだった。
 音楽には詳しくないからジャンルなどはよく分からないが、明るいようなのに聞いているとどこか切ないような気のするメロディーは、多分、ジャズと呼ばれる種類のものだろう。
 こういうのが好きなのかと思いながら、エドワードは向かい側に座る相手の漆黒の瞳を見つめる。
「あのさ、少佐のことなんだけど。あんたが俺たちの護衛を依頼したんだって?」
「少佐に聞いたのか」
 そのことか、と彼はかすかに笑んだようだった。
「私は東方司令部の司令官として、また君の上官として、最も適切だと思う判断をしただけだ。気にすることはない」
「でも、わざわざ手配してくれたんだろ」
 国家錬金術師の身の保全というのは最優先条項なのだから、アームストロング少佐にエルリック兄弟を護衛させることを中央に要請するのは、さほど難しいことではなかったのかもしれない。
 だが、平和な時代の並みの軍人であれば、退役寸前の五十歳くらいにならないと昇任できない大佐という高位に、幾ら戦功があるとはいえ二十代の若さで就いている彼を妬み、恐れる者は、きっと東部ばかりでなく中央にも数多いだろう。
 軍の組織は完全なピラミッド型で、ポストの数も上に行けば行くほど極端に少なくなる。そんな世界に熾烈で醜い争いが起こるのは当然であり、誰もが虎視眈々と出世の機会とライバルの失脚を狙っているのは、改めて確認するまでもない。
 たとえ、どんな妨害を仕掛けられようと、彼はそう簡単に足元をすくわれるような可愛げのある男ではないが、それでも自分やアルフォンスが、そのきっかけに利用されるかもしれないと考えるのは気分が悪かった。
「俺もアルも、本当に護衛なんて要らなかったけど、でも少佐が居てくれたから、次の手がかりも掴めたようなものだし。とりあえず、礼は言っておく」
「そうか。彼が君の役に立ったのなら良かった」
「ああ。この借りは、そのうちに返すよ」
「楽しみにしているよ」
 返してもらう機会はどうせすぐにあるだろうと、ロイは口元に笑みを浮かべる。
 気にしなくていいと言いながら、借りとエドワードが感じるのであれば返してもらうだけだと、あっさり受け入れる彼の態度は、嫌いではなかった。
 別に、無償の親切を否定するわけではない。が、それは時と場合によりけりで、素直に受け入れられる親切と、そうではないものが、エドワードの中では比較的はっきりと分かれている。
 そういう点で、決して情がないわけではないものの、互いの行動に対して貸し借りをいつでも明確にしてくれるロイのやり方は、エドワードにとっては受け入れやすい。

(……これで、顔見るだけでムカつくってのが無ければなぁ)

 そうであれば、どれほど付き合いやすい相手であることか。
「何だね?」
「何でもねえ」
 半ば睨んでいると言ってもいいような視線に気付いたロイの問いかけに、いささか無愛想に答える。
「何でもないという顔ではなさそうだが」
 勘のいい奴は嫌いだ、と思いながらエドワードは頬杖をついて、つんとそっぽを向いた。
「大したことじゃねぇよ」
「ふむ?」
「あんたの顔を見ると、何でこんなにもムカつくんだろうと思ってただけだ」
「……それはまた」
 エドワードの答えに、彼が小さく笑う気配がした。
「感謝すべきなのかな。そこまで忌避されているのに、今こうして食事に付き合ってもらっているのだから」
「……それで、さっきの借りをチャラにしてくれるっていうんなら、俺は全然構わないけど?」
「それは勿体無い。そうだな、この食事は私のディナータイムと、君の空腹との等価交換の結果ということにしておいてくれたまえ」
「一体どういう等価交換だよ」
 言いながらも、エドワードは小さく笑い出していた。
 確かに、彼は今夜の夕食を確保したかった。自分もそろそろ腹が減っていた。だが、それは単に利害が一致したという程度の話で、等価交換と称するのは大げさすぎる。
「あんたって時々、変だよな」
「私が? 一体どこがだね?」
「あちこち」
 たとえば、こんな子供相手に、まともに話をしようとするところとか。
 絶対に子供扱いはしないくせに、こちらが拗ねたり落ち込んだりしていると、さりげなく話や行動を導こうとしてみたりするところとか。
 一番重要な時には、誰よりも厳しく容赦ない言葉を向けてくるところとか。

 ──だから、嫌いになり切れないのだ。

 世間一般の大人や軍人のように、こちらを子供と侮(あなど)り、ぞんざいに扱ってくれれば、思う存分嫌うこともできるし、こちらも相手の迷惑など顧みることなく好き勝手に振舞えるのに。
「なぁ大佐」
 何となくこの場に沈黙を挟むのが嫌で、エドワードは呼びかける。
 すると、すぐに彼は、何だ、と返してきた。
 ……思えば、自分が呼びかけた時に、この男が反応を見せなかったことは一度もない。ひどく忙しそうにしている時でさえ、必ず手を止め、こちらの目をまっすぐに捕らえて応じてくれる。
 何故なのだろう、と思う。
 確かに、この身には利用価値があるだろう。彼は貪欲なまでに、高みへとよじ登るための踏み台を欲している。
 けれど、それでも子供だ。銀の懐中時計を持ち、軍属ではあっても、自分はやっと十五歳の子供でしかない。悔しいことではあるけれど、公正に比べれば、腕も口も彼の方が遥かに立つ。十四年という月日と絶対的な経験値の差が、自分たちの間には歴然としてあるのに、彼は決して、こちらを侮ることも軽んじることもしない。
 普段は取り立てて意識はしないことだったが、一度気付くと、どうしようもないほどに不思議だった。
「あんたは良く、俺を食事や茶に誘うけど──」
「その殆どを君は断ってくれるがな。応じてくれたのは、これでやっと二度目だ」
「混ぜっ返すなよ。そうじゃなくて、俺を誘って楽しいのかって聞いてるんだ。そもそも俺とじゃ、まともな会話になることの方が少ないだろ?」
「それはまた奇妙なことを聞くものだな」
 エドワードの問いを、奇妙、とロイは評してみせた。
「何でだよ」
「考えてもみたまえよ。私が社交辞令で食事に誘うと思うかね?」
「───…」
「その場限りでのことなら、いくらでも空言を口にすることはできるさ。だが、食事は人生の楽しみの一つだ。その貴重な時間を、顔を突き合せたくない相手と過ごす羽目になるほど不幸なことはないだろう。君は、嫌いな相手と一緒に食事をしたいかね?」
「いや……」
「つまり、一言で言うのならだ。私としては君と会話をするのは楽しい、と思っているということだよ」
「楽しい」
「ああ」
 鸚鵡返しに繰り返したエドワードの言葉に、彼はうなずく。
「何で…──」
「鋼の」
 問いかけようとした時、ちょっと待て、とばかりにロイが右手を軽く上げてエドワードを制した。
 何かと思ったら、店員が平たい陶器製のキャセロール二つと、籠に入ったパンを運んできたところだった。
「すみません、遅くなりまして……」
「構わないよ、この時間帯が混むのは知っている」
「はい、そうなんです。いつもすみません。──マッサリア風キャベツの煮込みです。パンはおかわりを御自由にどうぞ。ご注文は、以上でよろしかったですか?」
「ああ、ありがとう」
 二人の前にそれぞれ置かれ、蓋を取られたキャセロールから、ふわりと湯気が立ち上る。
「春キャベツで鳥挽き肉を包み、トマトスープで煮込んだ、この時期のこの店の名物料理だ」
「……好きなんだ?」
「そうだな。いつもこの時期には何度か注文する。何度食べても飽きのこない味だよ」
「ふぅん」
 温かな店内の雰囲気に似つかわしい、よく使い込まれたキャセロールで饗された料理は、上に載せられたクレソンがアクセントになっているだけの素朴なものだった。けれど、そのスープの食欲をそそる香りに誘われて、エドワードは早速一口、熱々のスープをそっと啜ってみる。
(──あ、美味い)
 特に奇をてらっているわけではない。
 たとえて言うのなら、普通の家庭の料理上手な奥さんが、気の置けないお客をもてなすために作ってくれた料理、そんな素朴だが優しい味が、ふわりとエドワードをやわらかく包み込む。
 アルにも食べさせてやりたい、と何の気もなしに思った。
(ポンレヴェック、か)
 もう一度、店の名前を確かめるように、壁に貼られた手書きのお奨めメニューへと視線を走らせる。

 ──エドワードの心の中のノートには、幾つもの店の名前が記されている。
 いつの日か、アルフォンスが肉体を取り戻した時に一緒に行きたい店、味わいたい料理。そんな固有名詞が、幾つも幾つも。
 そのノートの存在を誰にも言ったことはないし、言うつもりもない。
 数多い自分だけの、けれど大切な秘密事だった。

「!」
 視線を戻した時、エドワードはロイの視線が自分に向けられていたことに気付いた。
 何を思って自分が壁のメニューを見たか。まさか見透かされたかと、エドワードは一瞬、身構える。
「────」
 だが、ロイは何も言わなかった。
 穏やかな光を浮かべた漆黒の瞳で、さっさと食べないと冷めてしまうぞ、とでもいうように淡く笑み、そして彼自身の食事に専念してしまう。
 そんな彼に少しばかり拍子抜けしたような気分で、けれど、ほっとしながらエドワードは自分もまた、食事を再開する。
 彼のことだから、分かってしまったのかもしれない。だが、知らないふり、気付かなかったふりをしてくれるのなら、それに越したことはなかった。
 どちらかというと単純、あるいは短絡的直線的な性格をしている自覚はあるが、だからといって、心の内を見透かされるのは好きではないのだ。
 弟を大切だと思う気持ちに偽りはなくとも、それはもう幼かった頃のように純粋な肉親への愛情ではありえず、消えない罪を犯したあの日から、この胸には怒り、悲しみ、後悔、数え切れないほどのどす黒く濁った感情がいっぱいに渦巻き続けている。
 それが自分だということは分かっている。が、分かっていても、他人にそれを知られることには、やはり抵抗があった。

(だから、身構えずにはいられないんだよな。大佐はこっちが隠しておきたいことばかり気付くから……)

 なのに、そのくせ彼は、土足で傷口を踏みにじるような真似は決してしない。言うべき時には、この上なく厳しいことを言うくせに、こちらが触れて欲しくないと思う部分には踏み込んでこないのだ。

(何でだよ?)

 敵には容赦ないくせに、一旦、身内と認識した相手にはひどく甘い彼の態度は、エドワードには時々、理解不能として映る。
 彼の側近たちのように生死を共にしたこともなく、彼に対して何をしたこともないのに、何故、自分も守るべき存在に数えられているのか。
 初めて出会った時、禁忌を犯した自分にあれほど憤ったくせに、どうしてそれ以上責めようとはせず、むしろ行くべき道があることを指し示して見せたのか。
 そして、その後も、自分の出世のためとは言いながら、こちらが求める情報を惜しみもせずに与えてくれるのか。
 分からない、と思う。
 普段、口先ではこちらを怒らせて楽しんでいるかのような、傲慢で意地の悪いことばかり言うくせに。

「鋼の」

 不意に、名を呼ばれた。
「先程の続きだが──」
 続きって何だっけ、とエドワードは一瞬考える。
 だが、ロイは構わない様子で淡々と続けた。
「私は、君を子供だとは思っていないよ」
「……え?」
「無論、君がまだ十五歳だということは承知している。それが世間では、大人の庇護を必要とする年齢だということもだ。だが、私から見た君は、そう扱うべき相手ではない。君はまだまだ世間を知らないが、それは君を軽んじてもいいという事とはイコールにならない」
「大佐」
 思わず呼んだエドワードに、彼は静かに微笑んで見せた。
「私は一人の人間同士として、君との会話を楽しんでいるし、こうして食事を共にするのも楽しいと感じる。そうでなければ誘わないし、そもそも仕事に関する用件以外で話しかけたりもしない。──分かったかね?」
 それが訊きたかったのだろうというように、笑まれて。
 エドワードは固まる。
 どうして、と思う以上に。

 ──ヤバイ。

 警告めいたものが脳裏をよぎる。
 駄目だ、と思った。
 これ以上、この男と話をしていたら。
 これ以上、この男の言葉を聞いたら。
 何か取り返しのつかないことになりそうな。

「鋼の?」
 反応が鈍いことを訝(いぶか)しく思ったのだろう。彼が銘を呼ぶ。
「あ、うん。……あんたがそんな風に考えてくれてるとは思わなかったから。ちょっとびっくりした」
「ふむ。君がそう思うのも、仕方がないかも知れんな。君が十五歳の子供だというだけで判断を誤る輩は多い。軍という組織の中では尚更だ」
 力、が全てを決定する組織であるからこそ、外見上の『強さ』を備えていない子供は、それだけで見下される。
「だが、私は外見で相手を判断するような愚かな真似はしない。そんなことをすれば足元を掬われるだけだからな。だから、鋼の。分かったのなら、これからは素直に誘いに応じたまえよ」
「それとこれとは別。いちいち、あんたなんかに付き合ってられるかよ。俺は忙しいの」
「……その勢いで食べられても、説得力はないのだがね」
「う」
 一瞬、つまる。
 確かに、この店の料理は美味い。メインの煮込み料理もそうだが、食べやすいようにスライスして盛り合わせられた焼き立てのまだ温かいパンも絶品だった。
 シンプルなもの、塩味の効いたハードなもの、全粒粉と胡桃入りのもの、胡麻入りのもの、干し葡萄入りのもの、天然酵母のほんのりとした酸味があるもの……。かれこれ7〜8種類もある籠盛のパンは、既に大半が消えている。勿論、殆どがエドワードの仕業だ。
「いいだろ、俺は成長期なんだよ」
「そうだろうとも。だから、少しでも君の成長に協力してやろうと食事に誘ってやっているのに、君はその好意を拒絶するのかね?」
「うっさいな! 誰が食べても食べても育つどころか縮んでるような気のする豆だ!?」
「落ち着きなさい。まったく、君といると飽きないな。──すまないが、パンの追加を頼む」
 言葉の後半は、通りかかった店員に向けて発せられたものだった。
 気勢をそがれて、何となく黙り込み、もくもくとそれでもパンを食べ続けるエドワードの前に、すぐに追加のパンが籠に山盛りにされる。
「何にせよ、ここのパンが美味いのは事実だ。好きなだけ食べなさい。君ぐらいの年頃は、食べても食べてもすぐに腹が空くだろう?」
 私もそうだった、と軽く笑みながら言われて。
 エドワードは、目をまばたかせる。
「……大佐の子供時代って、想像つかねえ」
「私だって最初から大人だったわけではないよ」
「そりゃそうだけど」
 けれど、とエドワードは思う。
 目の前の男の、子供時代、なんて。本当に想像もできない。
 彼にも間違いなく、何の階級も力も持たない時代があったはずで、もしかしたら、そんな自分の小ささ弱さに歯噛みして、眠れない夜を過ごしたこともあるのかもしれないけれど。
「……やっぱり想像つかねぇよ」
 呟くと、おや、と彼は少しだけ悪戯めいた笑みを口元に浮かべた。
「そんなものは簡単だろう、鋼の。頭脳明晰、文武両道の絵に描いたような神童を思い浮かべるだけだ。難しいことではあるまい?」
「……もういい。想像する気が失せた」
 勝手に言ってろ、とエドワードは食事に専念する。
 同席している相手はともかく、この店の料理は美味い。美味いものを味わえるということは、それだけで一つの幸福だ。
 下らない会話をしていても、キャセロールごと出された料理はまだ殆ど冷めていないし、追加のパンも、やっぱり皮はぱりぱり、中はしっとりふわふわと温かい。
 今はそれらを楽しもうと、エドワードはもう向かい側に座る相手には目をくれることもせず、だから、成長期特有の食欲を発揮している自分を、彼が穏やかな光を浮かべた瞳で見つめ、小さく微笑したことにも気付かなかった。






 東方司令部を出た時は、ほんのり夕暮れが忍び寄り始めたばかりの時刻だったのに、外へ出ると、辺りは深い蒼さに包まれた宵へと変じていた。
 しっとりとした夜の帳の中では、店の軒下に吊るされたランプや、窓からこぼれる明かりがいっそう温かそうに見える。
 いい店だったな、と素直に思った。
「セントラル行きの夜行は二二時半だったな」
「あ、うん」
 取り出した懐中時計の針の位置を確かめながら問いかけてきた声に、うなずく。
「それなら、まだ時間は十分だ。司令部で食後の茶くらいは飲めるだろう」
「もう腹いっぱいだって」
 どれだけ食べさせれば気が済むのだろうと、少しばかりエドワードは苦笑する。
 確かに自分は良く食べるほうだが、底無しの胃袋というわけではない。それとも、彼自身が十代だった頃は、底無し胃袋の持ち主だったのだろうか。
 やっぱり想像がつかない、と思いながら、ちらりと隣りを歩く男を見上げる。
 と、こちらを見ていたらしい彼の漆黒の瞳と目が合った。
 その夜の一番深い部分を集めたような瞳が、ふ…、とほのかなやわらかさを刷(は)く。

 ──ヤバイ。

 唐突に、脳裏に警鐘が再び走る。
 何故、ということさえ思いつかないまま、エドワードは慌てて、どこかぎこちなく視線を逸らした。
 その不自然さに、彼は間違いなく気づいただろう。だが、
「セントラルシティに着いたら、まずはどこへ行くつもりだ?」
「え? あ…と、国立図書館、かな」
「そうか」
 いつもと同じ調子で、他愛のない事を問いかけられ、エドワードは内心、ほっとする。
「気をつけて行きたまえ。傷の男が居なくとも、中央は何かと物騒だ。アームストロング少佐がついているのなら、滅多なことにはならないだろうが」
 彼は目立って出世するタイプではないが、あの通り義理人情に厚く、その分、人の恨みを買うことも少ない、と淡々とロイは評して。
 そんな彼に、エドワードはまた新たな疑問を覚える。
「なあ」
「うん?」
「あんたって絶対、訊かないよな。手がかりの内容とか、何をしに行くのかとか。毎回、視察の報告書は出させられてるけど、俺が実際にそこで何を調べたのか、具体的に訊かれたことは一度もない気がする」
 素直に問いかけると、彼は僅かに苦笑したようだった。
 等間隔で並ぶ瓦斯灯の光が、石畳の道に幾つもの影法師を形作り、二人分の足音が微かにずれながら夜道に響いて。
「それは気にならないわけではないがね、鋼の。だが、君の研究内容だ。焔の銘を持つ私が、軽々しく訊くわけにはいくまい?」
 国家錬金術師に対し、具体的な『研究内容』を問う。そんな権限は大総統にしかなく、そして今の大総統は、研究の『内容』ではなく『結果』にしか興味はないらしい。
「君が自ら教えてくれるというのなら、ありがたく拝聴するがね。君の研究は君のものだ。大事にした方がいい」
「────」
 上官と部下ではあっても。
 階級に絶対的な差があっても。
 国家錬金術師という立場の下では、あくまでも対等なのだと。
 そう告げてくる男に、エドワードはぐ、と拳を握り締める。
「……あんたって、やっぱりよく分かんねえ」
「そうかね? 君が難しく考えすぎているだけのような気もするが」
 まぁ、ミステリアスな男というのも形容詞としては悪くない、と暢気に呟く相手に、またはぐらかされているような気がすると思いながら、エドワードは溜息をつく。
「勝手に言ってろ」
「またつれない言い方をする。私にしてみれば、君の方が余程難しいよ。恐ろしく短絡的かと思えば、恐ろしく難解で紆余曲折したことを言い出したり」
「馬鹿なガキで悪かったな!!」
「そうは言ってないだろう」
 やれやれと肩をすくめる相手と、いつもの応酬が始まって。
 勢いよく罵詈雑言を並べ立てながら、しかし、かすかに…ほんのかすかにではあるけれど、鳴り止まない警鐘を心の奥で持て余して、ひそかにエドワードは唇を噛んだ。






「それじゃ、俺達行くから」
「おう、セントラルでの用が終わったら、また顔を出せよ」
「あまり無茶はしないのよ。ちゃんと御飯は食べなさいね」
 口々にいたわる声をかけられ、苦笑しながらエドワードとアルフォンスは大部屋をくるりと見渡す。
 ハボック、フュリー、ファルマン、ブレダ、ホークアイ、そして一番奥、彼自身の執務室の扉に寄りかかるようにして、悠然と軽く腕を組んで立っているロイ・マスタング。
「私の管轄内で、派手な揉め事は起こすなよ」
「小さな揉め事ならいいのかよ」
「私の評価が上がるようなものであればな。そうでないのならば、事務処理が増えるだけだから却下だ」
「なら、せいぜい後処理が面倒な揉め事起こしてやるから、覚悟してやがれ」
「──あまり可愛くないことばかり言うのなら、このまま東方司令部に缶詰にして執務を手伝わせるぞ。今のここは、どれだけ人材があっても足らんのだからな」
「あんたみたいな無能の手伝いなんざ、真っ平御免だね」
「兄さん、その辺にしといたら。本当に大人気ないんだから」
「アル! お前は誰の味方だ!?」
「少なくとも、今は兄さんのじゃないよ。それじゃ皆さん、今回もお世話になりました」
「ああ。気をつけて行きたまえ。アームストロング少佐も、二人のことを頼む」
「承知しております」
「アル!!」
「はいはい。行くよ、兄さん」
 鎧姿の弟に小脇に抱えるようにされてしまうと、もうエドワードに抵抗の術はない。ずるずると引きずられるままに、当方司令部の廊下を表玄関へと進まされる。
「おい引きずんなってば、アル!」
 自分で歩ける!とわめくと、ようやく弟は手を離した。
「ったく、お前は兄貴を何だと思ってんだ」
「だって、こうでもしないと兄さん、延々と大佐と口喧嘩続けちゃうでしょ。まぁ大佐のことだから、それならそれで、列車に間に合わなくなる前に切り上げてくれただろうけど」
「なんでお前は、あいつの肩ばっかり持つんだ!」
「僕は、ここの人たちも大佐も好きだもん。皆、すっごくいい人たちだよ?」
「────」
 何でこの弟はこうも素直で、なのに兄には逆らうんだと、ひどく恨めしい気分になる。
 だが、それを弟にぶつけるわけにも行かず、もういい!、と仏頂面で夜道を歩いて。
 そして勢いに任せて進むうちに、ほどなくイーストシティ駅へとたどり着いた。
「えっと、夜行は三番線だっけ?」
「うむ」
 駅舎の手前で足を止め、引率役のアームストロングに尋ねると、彼は背広の内ポケットから乗車券を取り出し、二人に渡してくれる。
 夜とはいえ、駅もその周辺も煌々と明かりが灯されていて、乗車券に印刷された文字を読み取るのに苦はない。
「え…と、二二時三十分イーストシティ発、翌朝五時セントラルシティ着。なぁ、これだと随分早く着いちまうことになるな」
「心配は無用だ。我が家の朝は早いからな、その時間ならばとうに使用人たちは起きておる。一休みして、朝食を食べているうちに、国立図書館の開館時間になるだろう」
「──使用人?」
 ひどく聞き慣れない単語が混じっていたような気がして、エドワードは眉をしかめる。
「……もしかして、少佐の家って金持ち?」
 今まで気にしたことはなかったが、よくよく見てみれば、私物であるはずの今身につけている背広も、相当いい仕立であるような。磨きこまれた靴も、実は相当に上質の革製であるような。
 嘘ぉ、というような気分で兄弟は顔を見合わせる。
「貧しいということはないが、人に自慢できるほどの資産はないぞ。使用人も、せいぜいが五十人というところであるしな」
「それだけ雇ってりゃ十分だ!」
 ああもう、とエドワードは天を仰ぐ。
 どうして国家錬金術師というのは、こうも並でない人物ぞろいなのだろう。これでは、ヒューズの『万国デタラメ人間ショー』という形容を否定しきれないではないか。別に、金持ちであること=変人というわけではないが、常識が一般人とは違う所にあることは間違いない。
「〜〜もういい。行くぞ、アル」
 悩むのが少し馬鹿らしくなって、エドワードは旅行鞄を持ち直し、再び歩き始める。
「うん。三番線だと右手の方かな」
「だな」
「いつもと違う電車に乗るのって、ちょっとわくわくするね」
「そういえばセントラル行きの夜行は初めてだな。前に、北に行く時に使ったことはあるけど」
「あの時は、ちょっとびっくりしたよね。朝になったら窓の外が一面真っ白だったから」
「うん、あれはちょっと興奮した」
 言いながら、三人が連れ立って駅舎へと入り、改札へと向かおうとしたその時。


 イーストシティの夜空に爆音が轟(とどろ)いた。
 





episode03 as end.




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