Five-seveN

3.

「おー、すげえ! こんな場所があったんだなー」
 町外れの雑貨屋の地下にある訓練場に足を踏み入れた山本の第一声は、そんなのんきらしい感想だった。
 いかにも山本らしいと思いながら、綱吉は待ち構えていたりボーンに声をかける。
「来たよ、リボーン」
「遅ぇぞ」
 短く文句を言いながら、射撃場の作業台の上にいたリボーンが三人を出迎えた。
「山本」
「ん?」
 名前を呼ぶリボーンを、山本はいつもの屈託のない──だが、彼独特の鋭さののぞく瞳で見つめ返す。
「ここに来たってことは、今更お前の意思の確認なんかしねーぞ。──お前には拳銃は持たせねぇ。その代わり、銃を持った奴と渡り合えるだけの技術を身に着けさせてやる」
「へ? 俺には撃たせてくんねーのかよ」
「ああ。拳銃はお前向きの武器じゃねーからな」
 リボーンが告げた途端に、山本はきょとんとした顔になる。その表情はかなり本気で落胆の色が覗いていて、綱吉は内心、感心とも呆れとも付かない溜息をついた。あまりにも山本らしい反応である。
 獄寺も同じものを感じたのだろう。苛立ち未満の声を響かせた。
「てめー、ここにある拳銃は全部、オモチャじゃねーんだぞ。分かってんのか?」
「そりゃ分かってるって。モデルガンなんかとは全然気配が違うからよ。本物の凄みってやつがビンビン響いてくるぜ」
 壁一面の銃器棚をくいと顎で指して、山本はあっさりと言う。
 中学生の頃から真剣を手にしてきた彼である。たやすく人を殺せる本物の武器の気配には、知らず敏感になっているのかもしれない。
 そうであるにもかかわらず、一切動じず、怖気づくこともない。──それこそが稀代の天才剣士である彼の真骨頂であると言えなくもなかった。
「ツナと獄寺は先週の続きだ。自分たちの射撃訓練を始めてろ。こっから先の説明はお前たちにはいらねーからな」
「はいはい」
 リボーンがマイペースなのは今に始まったことではない。
 仕方がないと肩をすくめた綱吉は、獄寺と顔を見合わせて銃器棚に歩み寄った。
 その背後で、一秒も無駄にする気はないとばかりにリボーンは山本に向かって講義を始める。
「それじゃ山本、剣の攻撃と銃の攻撃とには、飛び道具っていう間合い以外の決定的な違いがある。何か分かるか?」
「んー?」
 リボーンの抽象的な問いかけに、山本は首をひねった。
「そーだなぁ。剣は使い手が自由自在に奮える分、なまくらにも鋼でも叩き切れる剛剣にもなるけど、銃は誰が使っても銃だよな」
「ふん。それから?」
「んー」
 更に首をひねる山本を眺めやりながら、綱吉はそっと隣りの獄寺に目配せを送る。
 『分かる?』と問うたそれに、獄寺もかすかな顎の動きだけで『いいえ』と答えた。
 おそらく獄寺の場合、綱吉と違って何一つ思いつかないという意味ではないだろう。
 少なくとも剣と銃の相違について、幾つかは挙げられる。だが、リボーンの求めている答えが何なのかは分からない。そんな風に綱吉は受け取った。
「やっぱ、攻撃の仕方かな。銃は弾を撃ち出すだけだろ。でも、剣はどうとでもできる。斬ることも突くことも、攻撃を受けることも受け流すことも。使い手の想像力次第だからな」
「……まあ、合格点だな」
 山本の答えに満足したのか、リボーンはにっと笑った。
「剣の攻撃は、点と線と面を自由自在に使い分けられる。対して銃は、点しかねえ。機関銃の場合は、点の集合としての面になるけどな」
 そう言い、リボーンは自分の傍らに置いてあった白い紙に、黒マジックで簡単な放物線と、それと交差する水平線を書き、二つの交点に×印をつけた。
「こっちの×が銃口、反対側の×が標的だ。そして銃弾はこの放物線を描いて飛ぶ。銃口と標的を結ぶ射線が交差するのは、この始点と終点しかねえんだ。
 銃弾ってのは、どんなに高速で撃ち出しても山なりの放物線でしか飛ばねえ。ヒットマンはそれを見越して弾道計算をする。二十メートル先だから、サイトの目盛りを中心から一つ上にずらす、とかな。──つまり逆に言えば、着弾予想点に標的が居なければ、自動的にその弾は外れだ」
「──要するに、敵が狙ったところに居なきゃいいってことだな?」
「一言で言えばな。ただ、銃弾の飛び方は、同じ拳銃に同じ弾でもかなりバラつきがある。俺くらいのプロなら、そこまで計算に入れるが、そこいらの雑魚が撃つ銃弾なんざ、どこに飛んでいくか知れたもんじゃねぇ。だから、敵の予想の裏をかいたはずなのに、運悪く当たっちまうってことも有り得るんだ」
「ふーん。じゃあ、どうすればいい?」
「基本は、相手の死角から一撃で倒せる距離まで間合いを詰めることだ。それができねー時は、相手が引金を引いた時の銃口の向きを見極めて、避けろ。着弾予想地点から1メートルもずれれば、相手がよっぽどひどい腕でない限り、普通なら外れる」
「なるほどな」
 ……自分の銃の弾倉に弾を詰めながら、無茶苦茶を言っている、と綱吉は思った。
 相手が引金を引いたのを見極めて避けろだなんて、人間技ではない。ライフルは論外だが、拳銃だって発射速度は最低でも時速300kmを超えるのだ。綱吉のFive-seveNはその倍以上、時速700kmを超えるらしい。
 まぁ、そういえば確かに昔、山本はリボーンの撃った弾を金属バットで弾き返す訓練をしていたことがあったっけ、と綱吉は溜息混じりに思い出す。
 山本の動体視力も反射視力も並ではない。彼なら弾道を見極めて避けることも、やってできないことはないのだろう。
 そして、絶対に不可能なことを要求するリボーンでもない。
 彼らのことは彼らに任せよう、と綱吉は拳銃に弾倉をセットして、ヘッドフォン型のイヤー・プロテクターを装着する。
 そうしてセーフティーゴーグルを着けながら射撃レーンに向き直ろうとした時、獄寺と目が合った。
 ほろ苦さと安堵がかすかに入り混じったそのまなざしを見た瞬間、綱吉は獄寺も、同じことを思っていたことに気付く。
 そして、山本に銃を持たせずにすんだことに安堵していることも。
 ───叶うことならば、山本には光の中を歩んで欲しかった。
 彼には眩しい日差しと、人々の賞賛が似合う。そして、それだけの才能もあった。
 けれど、彼は自分たちを大切に思い、輝かしい未来を捨てて同じ道を歩むことを選択してくれたのだ。
 山本自身は、犠牲でも何でもないと言う。それは真実であるだろうし、また、彼の中に天才的な剣士の血が流れていることも事実である。
 彼の中にある剣士の血が、綱吉たちを引き寄せ、またこの道をたぐり寄せたというのは否定しきれない。
 そして山本は心底、この道を行くことを望んでいる。
 けれど、それでも彼に拳銃は似合わなさ過ぎた。
 彼が手にするのは剣だけでいい、と綱吉は思う。彼が他者を傷つけなければならないとしても、それは剣だけがいい。
 自分自身が拳銃を手にして初めて分かったことだが、銃の持つ冷たく暗い何かは、山本の研ぎ澄まされた剣のような鋭く澄んだ何かを濁らせてしまうような気がする。それが綱吉には恐ろしかった。
 この先に何があろうと、山本には山本のままであって欲しい。獄寺が獄寺のままであるように。
 だから、リボーンが山本に銃を持たせない決断をしてくれたのは、素直に嬉しかったし、ありがたいとも思った。
 これで少なくとも、山本は剣士としての彼を曇らせずに澄む。拳銃の持つ毒が彼を汚すことはないのだ。
「───…」
 獄寺にまなざしだけのほのかな笑みで応えて、綱吉はゴーグルの位置を正しく合わせ、射撃レーンに入る。そして、先週教えられた通りに両手でまっすぐに銃を構えた。
 少しだけ腰を落とし、肩と肘、手首の力を抜く。ガチガチに固めていたら、反動で痛めてしまう。
 それから細く息を吐き出して気分を鎮めるよう務め、ぐっと下腹に力を込める。
 呼吸を止め、サイトを照合して狙いを定め、そして引金を絞る。
 プロテクター越しの鈍い発射音。手首から腕を伝って肩まで響いた反動。
 ───今日最初の射撃は、人型の標的の頭部と心臓、そして肺と肝臓という太い血管の集まった臓器をも避け、右肩を撃ち抜いていた。





 山本が地下訓練場での訓練に参加した翌週、了平もそこに加わった。
 了平に対しても、リボーンは山本と同じく銃を持たせないことを宣言し、山本と同じように拳銃を持った敵には死角から忍び寄ること、そしてそれが不可能な時には、銃口を見定めて弾を避けることを教えた。
 了平には山本以上に、拳銃は似合わない。
 山本のようにその身に剣士の血が流れていればまだしも、了平は純粋に平和な家庭、平和な血筋に育ったスポーツマンである。
 彼を体現するのは、迷いも陰りもない拳、それだけでなければならなかったから、それを汲んでくれたりボーンの判断に、改めて綱吉は深く感謝した。
 叶うことなら、誰にも手を汚しては欲しくない。
 自分だって、手を汚したくはない。
 けれど、どちらかの選択を迫られたなら、綱吉は迷いなく自分自身を汚す方を選ぶつもりだった。
 こんな覚悟は誰も喜ばないだろうけれど、と自嘲しながら、ベッドに横になって、明かりを消した自分の部屋の天井を見上げる。
 山本も了平も全てを理解し、覚悟した上で共に行くと言ってくれたのだ。妙な気遣いは彼らを怒らせるだけだろう。
 だが、それでも彼らに似合わない陰を負わせるよりはマシだと思えた。
(……でも、永遠にってのは無理、かもな……)
 ボンゴレの守護者は、ボスと同じく、常に敵の標的となる。
 彼らは強く、同時に複数の敵とも余裕で渡り合えるだろうが、世の中には強敵もいるし、卑劣な手段を使う敵もいる。過剰な暴力をもってしか我が身や仲間を守れない。そういう事態に遭遇する可能性も、決して低くはない。
 想像するのも嫌だったが、それがこの先の現実だった。
(俺たちは……出会わなければ良かったのかもしれない。俺が並盛にさえ住んでいなければ、皆を巻き込まずにすんだ。……でも、それならそれで、他の町で他の誰かに──俺の身近に居た人たちに、きっと同じことが起きた)
 今から思い返してみても、とにかくボンゴレは執拗だった。綱吉を次代のボスにするために、選択の余地を全く残してくれなかったわけではないが、ありとあらゆる手を尽くしてきた。
 彼らの手にかかったら、たとえ並盛でなくとも他の町で、山本たちでなくとも他の者が、綱吉の守護者として選抜されていただろう。
 それは、綱吉にはどうにもならない業(ごう)だった。
 そしてまた、この身に流れているボンゴレの血が、綱吉自身にも選択の余地を与えない。
 何度も嫌だと、逃げ出したいと思ったのに、結局逃げ切ることはできなかった。絶体絶命の局面で、綱吉の中の何かが常に騒いだのだ。──守れと。逃げてはならない、と。
 そんな経験を積み重ねて綱吉は、最終的に自分の意志でボスになることを選んだ。
 けれど、と綱吉は考える。
(皆を守りたい。だから、俺はボスになる。でも、守るってどういうことなんだろう)
 肉体や生命を無傷におくだけでは、守ったとは言えない。そのことはもう分かっている。
 けれど、心はどうやって守ればいいのか。
 これまでにも、守りたい、かばいたいという思いが、逆に誰かの心を傷付けてしまったこともある。
 何をどうすれば、獄寺を、山本を、了平を、クロームを、ランボを、家族や友人たちを守れるのか。
 何度も自問を繰り返してきたが、未だにこれだという答えが見つからない。
(そういえば、昔、守られるんじゃなくて一緒に戦いたいんだって、怒られたな……)
 ふと、今よりも数年分幼かった少女たちのひたむきな顔を思い出して、綱吉はほろ苦く笑む。
 彼女たちや仲間たちの気持ちを思うのなら、むしろ、守りたい、などと考えるのは、単なる傲慢なのかもしれない。
 それぞれの気持ちを聞いて、皆が納得できるような結論を探す。それこそが皆の思いを守ることになるのかもしれない。
(でも、皆に銃口が向けられたら、俺はきっとかばわずにはいられない。その時、自分が銃を持っていたら、引金を引かずにいる自信はないんだ……)
 その結果、自分が敵を傷つけ、仲間を守ったことで、仲間が心を痛めても。自分のために悲しんでくれても。
(皆が傷つくよりはいい。──これも傲慢だよな……)
 とりとめなく考えながら、獄寺の気持ちが分かる、と思った。
 獄寺は昔から、綱吉を守ることに必死だった。必要とあらば盾になることも厭わず、大怪我を負ったこともある。綱吉のためなら、どんなにその身が傷ついても、敵に向かっていく気力を失わなかった。
 かつては理解できず、そんな風にされても嬉しくないと非難したこともあるその気持ちが、今なら分かるのだ。
 自分がどんなに傷ついても、そのことで相手がどんなに悲しんでも、非難されても、大切な人が傷つくのを見るよりはいい。
 我が身がどうなろうと、大切な人の血が流れるのは耐えられない。
 ただそれだけのことなのだ。やろうと思ってやることではなく、反射的に体が動いてしまう。そんな衝動が人の心には隠れている。獄寺だけではなく、綱吉にも、他の人々にも。
(それが、人を愛するってことなのかな)
 恋愛の意味だけではなく、友情とか仲間意識とか家族愛とか、そんなものを全部ひっくるめて誰かを大事に思ったとき、人間は絶大な力を発揮することがある。
 その力に──思いに名前をつけるのなら、愛しか思いつかなかった。
 愛があれば、大切な人を守れるわけではない。愛するがゆえに、傷つけてしまうことも、傷ついてしまうこともある。時にはすれ違ってしまうのも、また愛なのだ。
(皆、愛することを──誰かを大事に思うことを止められない。だったら、俺にできるのは、皆のそんな気持ちを守ること……。皆がそれぞれに、大切な人を守りたいと思うのは、俺がどうこう言えることじゃない)
 守りたいから守る。大切だから、その人のために動く。時には戦う。
 そんな思いは純粋だからこそ、時には相手も自分も傷つけるだろう。守りたいという思いがぶつかり合う、そんな経験も何度もしてきた。
 だったら、と綱吉は思う。
 不意に目の前に光が差したような気がした。
 まばゆい閃光ではない。遥かな天上の星からやっと地上に届いた瞬きのように、淡く、か細い。
 だが、それは混迷の暗闇の中では、確かに光だった。
(皆がそれぞれに誰かを守りたいと思うんなら、皆で一緒に行けばいい。これまでと同じように。俺はボスだけど、ボスだからって考えるのは、きっと傲慢なことなんだ)
 確かに、戦いの時にはいつも自分は中心に居たかもしれない。だが、それは自分がボスとして君臨し、皆に命令するということではなかった。
 そうだ、と綱吉は中学生時代のことを思い出す。
 XANXASとボンゴレリングを巡って争った時、自分たちは毎晩、円陣を組んだではないか。
 何があっても勝利できるように、大切なものを守り通せるようにと、心を重ね合わせて。
 あの時ばかりでなく、それから何度も何度も、辛い戦いの度に自分たちは、円陣こそ組まなくとも必死に心を繋ぎ合わせてきた。
 何故、それを忘れていたのか。
(俺、ボスになるって決めて、そのせいで気負い過ぎてたんだな……)
 本気でボスになる覚悟を思い定めた頃から、逆に、自分はボスとしてどうすればいいのか分からなくなってしまっていた。
 どうすれば皆を守れるのだろうと、そんなことばかり思い悩んで。
 だが、今やっと深い霧が晴れたかのように、頼もしい仲間たちの晴れやかな顔が思い浮かぶ。
(俺が皆を守るんじゃない。皆が俺を守るんでもない。皆で一緒に行くんだ。皆のために、それぞれの大切なもののために)
 強大な組織ボンゴレ。
 そのトップに立つのだから、自分は全能でなければならないような気がしていた。仲間を髪一筋、傷付けてはいけないような義務感に縛られていた。
 しかし、そうではないのだ。
 一人でできることには限界がある。だからこそ、仲間と共にゆくのだ。
 思うに、ボンゴレの基礎を築いたという初代が最強を謳われながらも、孤高を守るのではなく六人の守護者と共にあった理由も、きっと同じだったのだろう。
 歴代のボンゴレ当主は、そうして代々、大切な人々と共に歩み続けてきたのに違いない。
(そのうち、九代目にも九代目の守護者のことを聞きたいな……)
 九代目は既に老齢であり、守護者のリングも綱吉たちの手に渡っている。だが、九代目の守護者たちは、まだボンゴレの内部に留まっているから、会おうと思えばいつでも会えるはずである。
 彼らの話もいつか聞いてみたい、と綱吉は、やっと訪れた眠気に目を閉じながら思う。
 最近は疲れすぎていて、夢さえ見ない眠りが続いている。今夜も暗闇に小石が落ちるかのように、目を閉じた途端、綱吉はすとんと眠りに沈んだ。

to be continued...





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