Good-by, my friend

Hallow my friend 君に恋した夏があったね
みじかくて気まぐれな夏だった
Destiny 君はとっくに知っていたよね
戻れないやすらぎもあることを

1.

 【10/14 AM 0:00】


 窓に背を預けるようにしてベッドに腰を下ろし、どこか手持ち無沙汰な仕草で携帯電話をもてあそんでいた綱吉は、小さな液晶の時刻表示に0が三つ揃ったのをじっと眺めた後、おもむろに履歴から一つの電話番号を呼び出した。
 そして通話ボタンを押す。
 コール音は二度も待つ必要はなかった。
『十代目!?』
 驚いたような、慌てふためいたような、聞き慣れた少し低い声。
 予想通りの声に、綱吉は小さく笑う。
「うん、俺。こんばんは、獄寺君」
『どうなさったんですか、こんな時間に。何か……』
「うん。ちょっと君に用というかお願いがあって」
『お願い、ですか?』
「そう」
 困惑と期待と。
 そんなものが獄寺の声には入り混じっている。
 中学生の頃から変わらないその素直さが、どうしようもないほどに愛しい、と綱吉は思った。
『俺にできることなら何でも……、あ、すみません、十代目。その前に一言だけ、いいですか?』
「うん?」
『お誕生日おめでとうございます。あなたがこの世に生まれて下さって、俺は本当に嬉しいです』
「うん……ありがとう、獄寺君」
 自分の存在を心から喜び、祝福してくれる。目を閉じて、つかの間、綱吉はその深い響きに溺れた。
「それでね、俺の用なんだけど」
『はい』
「君の言葉通り、今日は俺の誕生日だろ。何となく真面目に学校行く気しなくてさ。君も一緒にサボらないかなーと思って」
『俺も一緒に……ですか?』
「そう。俺一人でサボってもつまんないし。一緒にどこか行かない?」
『それは勿論、喜んで! どこにでもお付き合いしますよ』
「ありがと」
 ふふ、と綱吉は小さく微笑む。
「じゃあさ、車、出してもらってもいい? 別に電車でもいいんだけど……」
『いえ、大丈夫ですよ。それじゃ何時にお迎えに行きましょうか』
「んー。母さんに見つかる前に家を出たいからなぁ。朝五時半、じゃ早すぎる?」
『とんでもありません! 大丈夫です』
「じゃあ、五時半にうちの前に来てくれる?」
『はい、分かりました』
「ありがとう。それじゃ、また後で。ごめんね、こんな遅くに」
『いいえ。俺は嬉しかったです。一番にお誕生日のお祝いを言えましたし』
「そう? 君が良かったんなら、俺も嬉しいけど」
『いいに決まってるじゃないですか! 本当は俺の方からかけたかったくらいなんですよ。ただ、もう時間が遅いですし……』
「そうだね。いつもならもう寝てるかな。夜更かし苦手だし」
『でしょう? あ、と、これ以上遅くなったらいけませんね。どうぞ寝んで下さい、十代目』
「うん。それじゃあ、また朝にね、獄寺君」
『はい。おやすみなさい、十代目。どうぞ良い夢を』
「ありがとう。おやすみ」
 ゆっくりと携帯電話を耳から離し、通話を切る。
 そして一つ、綱吉は溜息をついた。

「あの、今度の九日なんですけど」
おずおずと獄寺が切り出したのは、いつもの帰り道だった。
「うん? 君の誕生日だね」
「あ、はい。覚えていて下さってありがとうございます。
その日なんスけど、俺、学校休んでもよろしいでしょうか?」
「それはいいけど……何か用事?」
「はい。車の免許を取りに行こうと思って」
「ああ! 晴れて脱・無免許するんだ」
「はい。やっぱ車がないと不便ですから」
無免許、という言葉に悪びれもせず、獄寺はうなずいた。
もちろん、綱吉に否やがあるはずもない。笑って許しを与える。
「いいよ。行っておいでよ」
「本当に申し訳ありません」
「いいってば。その代わり、車買ったら、
どこかにドライブに連れて行ってくれると嬉しいかな」
傍を離れることを本気で詫びる獄寺に、こういうところも好きだな、 と思いながら
綱吉が提案すると、獄寺はすぐに食いついた。
「それは勿論、喜んで。どこにでもお連れしますよ」
しっぽをぶんぶんと振っているようなその様子に、綱吉は小さく笑う。
「ありがと。君のことだから、その場で実技一発、だよね?」
「はい」
「そういうのって試験管の人は、どう思うんだろうなぁ」
「さあ。でも珍しくないんじゃないですか」
「いやいや。日本の青少年は車校に通って、実技免除が普通だよ?」
「あんなとこ通っても、運転が上手くなるとは思えないんですけど」
「基礎を覚えるために行くんだって。上手くなるのは免許取ってから」
「非効率的ですねえ」
「それが日本の普通なの」
自動車学校に対する認識については、獄寺の常識が欠けているわけではない。
ただ、日本人の常識ではなく、イタリア人の常識で判断しているだけである。
だから、綱吉も別に怒るでもなく、必要と思うことだけやわらかく釘を刺した。
「いい? もし試験管に「上手いねえ」とか嫌味言われても、
正直に八歳の時から運転してたって言っちゃ駄目だよ?」
「……肝に銘じておきます」
「うん、そうして。
君に嫌味言う度胸のある試験管はいないと思うけどさ」
「言われても無視しますよ」
「そうそう。それが一番」

 一ヶ月ほど前の記憶をなぞって、綱吉は小さく微笑む。
 そして、もう一度、手の中の携帯電話を見つめた。
 それから傍らに置いてあった名刺大のカードを取り上げ、それを見ながら、ゆっくりと一桁ずつ電話番号を打ち込む。
 液晶に並んだ番号を眺め、それが間違いないことを確認してから、一つ呼吸を整えて、通話ボタンを押す。
 今度のコール音は、少しばかり長く待つことになった。
『Pront? (もしもし?)』
「Buonasera Nono? Sono Tunayoshi. Come sta? (九代目? 綱吉です)」
『Ciao Tunayosi. Abbastanza bane, grazie. E tu?(やあ、綱吉君。元気そうだね)』
「Bane, grazie.(ええ、あなたも)」
 久しぶりに聞く九代目の声は、温かく落ち着いていて、突然の日本からの電話に驚いてもいなかった。
 綱吉もまた、そのことに驚きもせずに続ける。
「Scusi, d’improvviso telefoni. Vogilo dire tu… (突然お電話してすみません。あなたにお伝えしたいことがあって……)」
『難しい話なら日本語で構わないよ。君のイタリア語はとても綺麗で耳に心地いいけれど、私は日本語の響きもとても好きだから』
「そうですか? それじゃお言葉に甘えます」
 この程度の会話であれば、別にイタリア語でも苦はなかったが、綱吉は素直に日本語に切り替えた。
「九代目」
 そして、一つ呼吸を整える。
 携帯電話を持つ手がかすかに震えた。
「俺は来年三月、高校を卒業したらそちらに行きます。そして、俺に本当に勤まるのなら……あなたの跡を継ぎます」
 電話の向こうの九代目から、すぐに言葉は返らなかった。
 ざわめく心臓の音を無視しようとしながら、綱吉はじっと受話器に耳を傾ける。
 やがて、ゆっくりと九代目の優しい声が響いた。
『とても嬉しいよ。綱吉君、君の言葉はとても嬉しい。だが、本当にそれで良いのかね? 一度こちら側に来てしまったら、そうそう簡単に戻れるものではない。無論、君が軽々しく言っているわけではないことは、私も百も承知しているが……』
「お気遣いありがとうございます。九代目」
 綱吉は微笑んだ。
 微笑むことが、できた。
「大丈夫です、俺は。これまでに散々考えました。むしろ、答えを出すのがこんなに遅くなったのを申し訳ないと思ってます。だから、大丈夫です」
 そのきっぱりした言葉に、九代目は小さく息をついたようだった。
『そうかね……。ならば、喜んで私は君を受け入れよう。綱吉君、いや、ボンゴレ十世』
「はい」
 生まれたての小さな生き物のように全身が小さく震えている。
 綱吉は会話にだけ集中しようと努めた。
「それで九代目。一つお願いがあるのですが……」
『リボーンのことかな?』
「ええ。そのつもりでいらっしゃるとは思いますが、彼にご連絡をお願いします」
『分かっているよ。もう情報を出し惜しみする必要はないと伝えよう』
「はい。ありがとうございます」
 そこまで言って、綱吉はいつも間にか詰めていた息を小さく吐き出す。
 言うべきことは全て言った。
「それじゃ九代目。突然にすみませんでした」
『いいや、まったく構わないよ。君の声が聞けて嬉しかった。またいつでもかけておいで』
「ありがとうございます。……Arrivederci, caro nonno.(それじゃまた、おじいさん)」
『Arrvederci, tesoro mio.(ああ、また会おう、可愛い子)』
 別れの言葉を交わして、そっと綱吉は通話を切る。
 それから携帯電話を置いて、自室のドアを見つめた。
 時間としては三十秒もかからなかっただろう。ノックも何もなく、不意にドアが開かれる。
「Si, …Non e possibile.(ああ、……いや、それはねえよ)」
 携帯電話を片手に話しながら黒衣の赤ん坊が入ってくる。黒曜石のような丸い瞳は、まっすぐに綱吉を見据えていた。
「Si, Lascia farea me. …Si,Ciao.(ああ、そうだな。俺に任せとけ。じゃあな)」
 愉快がっているように聞こえる、だがそればかりでもない声でリボーンは言い、そして無駄のない動きで通話を切って携帯電話をしまう。
 そして、綱吉を真っ直ぐに見つめた。
 綱吉は視線を逸らさない。
 全身はまだ小さくおののき震えている。だが、それを隠す気すらなかった。
「ツナ」
「何?」
「一つだけ聞くぞ」
 リボーンの声は、いつもと変わりなかった。
 幼児特有の高い、けれど幼児には有り得ない、感情の読めない静かで落ち着いた声。
「何故、十代目を継ぐ気になった?」
 その問いかけすらも真っ直ぐで、綱吉はその率直さをありがたいと思う。
 今、回りくどいことを言われたら、かえって心にもないことを口走ってしまいそうだったが、この質問になら真っ直ぐに答えることができる。
「守りたいから」
「何をだ」
「全部。……俺の回りにいる人、俺を大事にしてくれる人、そして、皆が大事にしてるもの、全部。俺が十代目になることでしか守れないものが、きっとあると思うから」
 リボーンの目を見つめたまま答える。
 と、ふっと彼が笑んだ。
 いつもの皮肉で満足げな笑みではなく、本物の温かさの通う微笑が小さな口元にほのかに滲む。
「守りたい、か。……悪くねー理由だな」
「リボーン」
 だが、そのほのかな微笑は一瞬で消え、冴え冴えとした光を浮かべた黒い瞳が綱吉を見つめた。
「ツナ、分かってんだろーが、明日から覚悟しろよ。お前が決めたんなら、俺はもう容赦しねえ。『できない』も『無理だ』も、金輪際、一切受け付けねーからな」
「……分かってる」
「よし。――今日一日は休みをくれてやる。今年最後の休暇だと思え。これから春までにお前に仕込まなきゃならねえことは山程あるんだからな」
「……うん。頼むよ、リボーン」
「ああ」
 綱吉の言葉に、にやりといつもの笑みを浮かべて、リボーンは部屋を出てゆく。
 どこで今夜を過ごす気なのかは知らないが、自分を一人にしてくれたことは理解できて、綱吉は震える息を吐き出し、冷たい窓ガラスに背を預けた。
 全身の震えはまだ収まっていなかった。
 だが、それも当然なのだろう。
 自分は今、この世界に生れ落ちたばかりに等しいのだ。
 リボーンがこの家にやってきてから、五年余り。思えば、あまりにも長い抱卵期間だった。
 外から殻を叩き割られないのを良いことに、卵の中で小さく体を丸め、ずっとまどろんでいた。
 けれど、もう戻れない。
 自ら割った殻は砕け散って、もう二度と自分を隠してはくれない。
 ───もう、戻れない。
 不意に目の奥が熱くなる。
 けれど、泣くのはまだ早い、と綱吉はぎゅっと閉じた目を開いて、窓の外へとまなざしを向ける。
 街灯に照らし出された街は静かで、夜明けはまだ遠い。
 だが、今夜はもう眠れないだろうということは綱吉自身にも分かっていた。

to be continud...





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