冬物語 〜12. 陽だまり〜












いい天気だった。
ここしばらく、ひどく冷え込む日々が続いていたのが嘘のように、今日は暖かい。
無論、春のような、と形容するには程遠く、やはり外へ出る時にはコートが不可欠だが、それでも真っ青に澄み切った空と眩しい日差しは、寒さに知らず縮こまっていた心をほっとさせてくれる。

正月の喧騒も少し遠くなった今日、日当たりのいいリビングに大きなカメラボックスを持ち込み、のんびりと手入れをしている。
年末に譲られたばかりの──こちらの心理としては預かっただけだが──カメラは、随分と古いモデルではあるものの傷も汚れも殆どなく、本当の持ち主の生前には大切に扱われ、その後も大切にしまってあったということが一目瞭然の品物だった。
精密に作られたパーツを外せる所はばらし、一つ一つ丁寧に拭き、レンズを磨いて、また一つに組み立てる。
それだけのことの繰り返しに、一点集中した思考はまるで停止したように空白を刻み、ゆっくりと時計の秒針だけが進んでゆく。

今、この家の中に居るのは、僕一人だった。
家主である人物は、乾電池やその他細々した物の買出しに、駅前のホームセンターまで出かけている。
出かける際に、あの人は何か買ってくるものがあるか、と僕に声をかけはしたが、荷物持ちに付いてこいとは言わなかったし、僕も一緒に行くとは言わなかった。
こんな風に別行動をするのは、付き合い始めて数年が過ぎた今、珍しくも何ともない日常風景だ。
どちらも単位習得が厳しいので有名な法学部の学生で、世間一般の大学生像に比べるとかなり多忙な日々を送っているのに、常に一緒に買い物に行くような時間の非効率的な使い方をしている暇など、どこにもない。
雑多な用事は効率よく、手分けして片付けて、できた余暇を二人でのんびりと過ごす。
そんな生活に不満を感じたことは、多分どちらにも一度もないはずで、このやり方が自分たちには合っているのだろうと思う。

そろそろ帰ってくる頃かな、と考えながら、次の交換レンズを手にとる。
このカメラ一式の持ち主である人物は、本当に写真が好きだったのだろう。本体は勿論、相当にいい品だが、交換レンズもなかなかのものだった。
高価な品物であるから、むやみやたらに買い揃えてあるわけではない。
吟味の上に吟味を重ねて、自分が綺麗だと感じたものを最も綺麗に撮るために必要なレンズを、必要なだけ整えてある。
そのことだけでも、どんな風にその人がこのカメラを手にし、ファインダーを覗いていたのか分かるような気がして、このカメラを託してくれた人の気持ちごと、ひどく嬉しかった。

殆どついていない埃を払うように、そっと手にしていた磨き布を動かした時。
玄関の開く音と、ただいま、という声が聞こえた。

「おかえりなさい」

さほど待つこともなく、ホームセンターの袋を下げた人がリビングへと入ってくる。
そして、彼は暖房で温められた室内にほっとしたようにコートを脱ぎ、壁のハンガーにかけた。

「駅前、どうでした?」
「まだ、えらく混んでおるよ。正月休み中だしな」
「でしょうねぇ」
「ちょっと行って帰ってきただけなのに、人が多すぎて疲れた。今からコーヒー、入れるが飲むか?」
「ええ」

こういう時、僕が入れましょうか、とは言わない。
案外フットワークの軽い彼は、こちらが世話を焼こうとしている間に、さっさと自分のことは自分でやってしまうから、そんなことを口にするのは無駄でしかない。
自分も飲みたい気分の時にコーヒーを入れてもらえるのなら、妙な気など使わず、ありがとうございますと感謝して受け取ればいい。──そういう哲学は、一つ屋根の下で暮らすうちに、この人から教えられたことだった。

「どうした?」
「え?」
「なんか機嫌が良さそうに見えるぞ。──ほれ、コーヒー」
「ありがとうございます。・・・・ちょっとばかり感慨に浸っていたんですよ」
「ほう?」

彼は自分のコーヒーカップを手にしたまま、少しだけ面白そうな顔をして窓際に立つ。
冬の日差しを背景にしたその姿を目で追いながら、僕は言葉を続けた。

「あなたが好きだなあ、と思って」

その言葉に、意表を突かれたのか彼は少しだけ目をみはって。
それから、

「そうか」

と、可笑しそうに小さく笑った。
綺麗な線を描く、光に縁取られた淡い笑顔を、僕も満ちた思いで見つめる。



───この人の、そうか、という答え方が好きだった。

当たり前と傲慢になるのでもなく、聞き飽きたと流すのでもなく。
照れるのでもなく、大げさに喜ぶのでもなく。
これまで飽きるほど口にした言葉を、そのままに受け止め、優しい手のひらに掬い上げて彼の心の中にある、きらきら光る小石を積み上げた山の一番上に、そっと置くような。
そして、新しく積み上げられたその言葉が、他の言葉の小石と同じように、きらきらと優しく光り出すのが見えるような。
そんな、静かで優しい、肯定。
何度も何度も繰り返す、ありふれた言葉を、何度でもこうして一つ一つ、この人は大切に積み上げてくれる。

───こんな幸福が、世界のどこにあるだろう?



「先輩」
「ん?」
「明日、一緒に出かけませんか?」
「そうだのう」

寄りかかった窓の向こうを、肩越しにちらりと見やって。
意地悪くもったいぶることもなく、彼は頷いてくれる。

「良いよ。天気も良さそうだしな。わしも一度、おぬしが写真をとるところを見てみたかったし」
「そんな面白いものでもないと思いますけどね」
「それでも」

見てみたい、と続けられた言葉に、苦笑が嬉しさへと摩り替わって。

「じゃあ、明日は好きなだけ見て下さい」
「うむ。そうさせてもらう」

眩しく満ちた冬の日差しの中、顔を見合わせた僕たちは小さく笑った。















少々更新の間が空きましたが、彼らは変わらず。

絶対に嘘をつかないし、隠し事もしない。相手を試すこともしない。
これがこのカップルの最大の強みです。



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