番外07:繊月







今頃どうしているのだろう、と考えて。
その思考の異質さに、思わず眉をひそめる。









これまで都合上、行動を別にしたことは数え切れないほどにある。だが、一度たりともその間に、相手の身を案じたことなどなかった。
公的な場における彼の行動は、基本的に綿密な計算を元にしており、同じように計算してからでしか動かない気質の自分としては非常に読み易かったという理由もある。
だが、それ以上に。

「僕があなたに、どうしているだろう、なんて・・・・・」

馬鹿馬鹿しい、と乾いた笑いが零れる。
彼の思考も行動も、いつでも自分には考えるまでもなく、手に取るように分かっていた。
これまで一度たりとも、どうしているだろう、などという愚鈍極まる自問をする必要などなかったのだ。


───望むと望まざるとに関わらず、察しようと欲するよりも早く、互いの心が見える。


出会った時から・・・・限りなく虚無に近い、何かを狂うほどに求めながら、すべてを諦めてしまったような瞳を見たその瞬間から、それは二人にとっては自明以外の何物でもなく。
そのことに疑問を感じたことすら無かった。

なのに。

彼が旅立つ直前の自分たちの関係は、いつになく不透明だった。
たとえ心の容(かたち)が見え透いていても、それですべてが通じ合えると自惚れたことはない。
しかし、こちらを見つめる瞳の色も、すがりつく指の強さも尋常ではなく。
そして自分は、その様を目の当たりにしながら、彼が突然不安定さを増した理由を正確に掴むことができなかった。

それを、何故、と考えるのは虚しい。
彼自身にも把握できていなかったものが、同質の存在である自分に分かるはずが無い。
ただ、はっきりしているのは、何かが変質しようとしている、それだけであり、そして、それで十分だった。

「────」

彼が彼でなくなることがあるだろうか、と細い月を見やりながら考える。
あの底無しに沈んでゆく瞳が、修羅に灼けた色を映さなくなったら。
自分はどうするだろうか、と自問して。

「・・・・・・・」

反射的に浮かんできた答えに、思わず苦笑が浮かぶ。

「そうだな・・・・。欠けたものが満ちたところで月が月であることは変わらない」

たとえば、砂礫しかない干からびた月の海が、いつの日か満々の水をたたえ、生命を育むようになったとしても、それで月の名前が地球に変わるわけではない。
どう変質したところで、今更どれほどのことがあろうか、とそんな思いが胸に湧く。

「あなたしかいないんですよ、僕には」

愛している、と何度繰り返し告げていようと、本心では、自分たちの間にあるものを愛や恋だと思ったことはない。
肌を触れ合う時でも肉欲で相手を求めたことは一度もなく、自分のものではない温もりをあたたかく感じたことはあっても、相手に慰めや愛情を求めたことはないし、求めようと思いつくことすらない。
ただ、いつでも存在を──彼の中に息衝く、止むことのない荒涼と渇いた風を感じていたいだけだ。

そんな自分の執着は、頑是無い幼子に似ている、と思う。
世界に一つきりの月が天上にあることも、満ち欠けすることも許せる。だが、月の裏側を他者が見ることだけは、決して許せないのだ。
月の素顔を──その修羅に灼けた瞳を知る者は世界に自分一人だけでいい、と思う感情に、名など付けられるものでもない。

「あなたが今、何に怯えていてもいい。何に苦しんでいても」

それでも、彼が彼であることには変わらない。
たとえ、彼が彼でなくなり、自分を求めなくなったとしても。



はいそうですか、と去ってゆくことを許容できるはずもないのだ。



「あなただって、離れていきたくないんでしょう?」

そうでなければ、どうしてあれほどに揺れるだろう。
言葉で聞かされずとも、彼の全ては自分に向けられていることを知っている。
束の間の交歓が過ぎた後、いつも彼が見せるのは、快楽の甘い余韻に浸るけだるさではなく、しんと物憂げに沈んで伏せられたまなざしばかりで。
それを見る度、互いの体温が異なること、刻む鼓動の速さが違うことに、言葉にならない虚しさを感じているのは自分だけではないのだと、笑うべきか哀れむべきか、いつもほのかに惑わずにはいられないのだ。

「愛なんて理解できませんし、信じてもいませんけどね。それでも、僕は」

・・・・本当は、彼の不安定さの理由に、まったく心当たりがないわけではなかった。少なくとも、いつからそれが始まったのかくらいは把握している。
だが、おそらくそれは、突き詰めて考える意味も必要もないことだった。
自分の中には、所詮、ただ一つしか答えは存在していないのだから。



──世界で自分以外にただ一人、修羅に灼けた瞳を持つ存在。



たとえ、その瞳が静穏を得たとしても・・・・・決して泣けない、泣かない瞳が涙を思い出したとしても、それでも自分は、必ず彼という存在に触れずにはいられないから。
彼自身が何を内面に抱えていようと、そのことすらどうでもいいと思う。
ただ、ここに・・・・・いつでもこの手が届く所に、彼が居れば、それで全ては足りる。

「今、どこで何をしていてもいい。但し、僕の忍耐が尽きる前に帰ってこないと・・・・・どうなっても知りませんよ」

どれほど遅くとも軍が朝歌に至るまでには、と。
かすかな笑みを含んだような声は、淡い月光のように儚く闇に溶けて。
それきり、夜は静かだった。










楊太が書きたい〜っ、と書いたはいいけれど、眠くて眠くて絶不調。
一晩熟成期間をおきましたが、まとまりがないのは変わらず・・・・。


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