#097:アスファルト







雨の匂いがする、と思った。
ぼんやりとたゆたうような浅い眠りの波間に、ぱらぱらともさやさやともつかない、優しい音が響いている。
窓を開け放しにしたままだっただろうか。濡れたアスファルトの匂いが、どこか懐かしいような気配を呼び起こすようだった。



雨は嫌いではなかった。
別に、何か特別な思い出があるわけでもない。むしろ、幼い頃の記憶や楽しい思い出として浮かぶのは、晴れた空の方が圧倒的に多いように思う。
けれど、大地に叩きつけるように降る激しい雨も、世界を包み込むような優しい雨も、どちらにも不思議と安堵を覚える。
そして、とりわけこんな静かな雨音は、心地よくまどろんでいることを世界が許してくれているような気がして、いつも、うたた寝から目覚めることを忘れた。








「────」

静かな雨の音や、遠く濡れたアスファルトを走ってゆく車の音とは違う、もっと近くに生まれた確かな気配に、ふと意識が浮上した。

「──楊ゼン?」

まだ覚醒しきっていない唇から、馴染んだ名前が、半ば無意識に・・・・あるいは条件反射的に零れる。
と、すぐに応えがあった。

「・・・・ああ、寝てたんですか」

そう言いながら、リビングへ入ってくる気配に、目をしばたたかせながら顔を上げる。
と、黄昏時の薄闇に包まれていた室内が、ぱっと蛍光灯の明かりに明るくなって、その眩しさに更に目を細める。

「いつ帰ってきた・・・・?」
「今ですよ。すみません、思ったより遅くなって」
「それは良いが・・・・」

ソファーから上半身だけを半端に起こして、見上げる。
と、ソファーの前を通り過ぎ、開け放したままだった窓を閉める楊ゼンの後ろ姿の、その長い髪に細かい霧雨のような水滴が留まったままでいるのや、シャツの肩の辺りが少しだけ濡れて色の変わっているのが目に入った。

「うたた寝するのはいいですけど、窓くらいは閉めないと駄目ですよ」
「ああ・・・・。雨が降っておるのには、何となく気付いておったのだがな。気持ちよくて」
「分かるような気もしますけどね」

小さく苦笑して、楊ゼンはソファーの傍へと歩み寄ってくる。
十分に近付いたところで手を伸ばし、その服を引いて長身ををかがませ、今度は細かな水滴のまとわりついている長い髪に手を触れる。

「いつ、降り出した?」
「駅に着く少し前くらいですか」
「なら、電話すれば良かったのに。他にも、駅前で適当に安い傘を買うとか、いくらでも方法はあるだろう」
「大した降りじゃありませんから。濡れてもたかが知れていると思ったんですよ」
「それはそうだがな」

いかにもらしい物言いにくすりと笑って、広い肩に両腕を回す。
と、中途半端にたしなめる苦笑まじりの声が、すぐ傍から聞こえた。

「あなたまで濡れますよ」
「別に構わぬよ。それくらいで風邪を引く季節ではないし、どうしても気になるなら着替えれば済む話だ」
「そうですけど」

言いながらも、温かい、確かな腕が背に回されて、優しく抱きしめられる。
濡れて少しひんやりとした髪やシャツの布地の感触の向こうに、直接触れるよりも更にリアルな体温を感じて。
優しい雨の匂いと、楊ゼンの匂いに、ふと何かがひどくいとおしくなって目を閉じる。

「そういえば、まだ言ってなかったな」
「何です?」
「おかえり」
「・・・・はい。ただいま戻りました」

くすくすと、ひそやかに笑い合って。
しばらくの間、優しい雨に包まれたまま互いの温もりを感じていた。










Midnightの2人。
どうして、こうも砂吐きラブなのでしょう。ナンバーワン不健全のくせに・・・・。

いつまでも続く真夏のような残暑に、早く秋雨の季節にならないかな〜という願望から生まれたSSです。


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