#060:轍







「すまぬな望、こんな姿で・・・・」
「・・・・・ほう」

いかにも辛そうに咳き込んで見せる相手を、太公望はこの上なく冷ややかなまなざしで見つめた。






「突然の知らせに驚いて来てみれば・・・・・・まさか、枕も上がらぬほど重い病に臥せっておられるとは思いもしませんでしたよ」
「そうであろうのう」
「そういうことでしたら仕方ありません。持参した上州屋の栗きんとんは、邑姜といただくことにいたしましょう」
「む?」
「なに、孝行な孫息子は、じいさまの大好物にカビを生えさせるような真似は致しませんから、どうぞ御安心してお休み下さい。──誰か、美味い茶を一杯・・・・」
「こりゃ待て!望!!」

がばりと跳ね起きた老人に、太公望は白いまなざしを向ける。

「お元気ではないですか」
「む? いやいや、わしは重病人で・・・・・」
「重病人に何故、栗きんとんが入用です? 無理して食べれば、喉を詰まらせるのがオチですよ」
「いやいや、この病には上州屋の栗きんとんが良く効くのじゃ。さあ、祖父のことを思うのなら、その手にある箱をよこせ」
「そんな奇妙な病は聞いたことがありませんね」
「おぬしの知らぬことが、世の中にはまだ山程あるのじゃ。さあ!」
「・・・・・まったく、幾つになられても意地汚い・・・・」

長々と溜息をつきつつ、太公望は手にしていた菓子折りを祖父の手に渡した。
すると老人は嬉々としてその箱を掲げ、そして雅な和紙と組紐の包装を解き始める。
その様を横目で見ながら、太公望は改めて枕元のインターフォンで人を呼び、茶の支度を頼んだ。

ほどなく、使用人の一人がしずしずと茶の一式を携えてやって来たのを受け取り、あとは自分たちでやるから、と人払いをする。
そうして太公望が、白磁の茶器に二人分の茶を注ぎ終わったところで、ようやく祖父と孫は今日初めて、まともに向かい合った。

「さて・・・・・。お呼びになった御用件は、とお伺いする必要はないでしょうね」
「うむ」

大好物の栗きんとんを手にしたまま、しかし、老人の白眉の下から、たった今までの様子からは想像もできないほど鋭い眼光が孫息子を射す。
そのまなざしを、太公望は泰然と受け止めた。

「これが最善の策というわけですか」
「わしでは、あの女に対抗できん。含むものが多すぎるのでな」
「確かに。感情が先走ってしまっては、必ず足元をすくわれます」
「うむ」

うなずく祖父に、太公望は静かなまなざしを向ける。

──あの女から宣戦布告を受けた、と実家に告げたのは昨日の朝だった。
深夜の酒場で、美しすぎる大輪の毒華のような女が口にした、遊ぶ、という言葉は、決して個人を対象にしていることを意味しない。
太公望に家も財もなければ、ターゲットは本当に身一つにしぼられただろうが、あいにく、太公望の背後には、国内でも随一の規模を誇るコングロマリットがひかえている。
そして、彼女の背後にも。

「現在の彼女の背後は掴めましたか?」
「そこにある」

深いしわの刻まれた指の指す方を見ると、分厚い茶封筒と複数のファイルが積まれている。
さすが、と祖父の──あるいは祖父の側近の仕事の速さに、太公望は口元に笑みを刻んだ。

「わしの好きに動いてもよろしいでしょうか?」

封筒の中身を手に取りながらの言葉に、老人ははっきりとうなずく。

「うむ。崑崙グループの取締役会長は、老齢から来る体調不良で療養中。その間、代表取締役及び株主としての全権は孫息子に預ける。既に、取締役会には承認させた」
「それは・・・・大胆なことをされましたね」
「これまでのような非常任の取締役専務程度の肩書きでは、権限が小さすぎる。周囲にどう言われようと構わん。おまえが今から崑崙グループの当主じゃ。これまで崑崙を信じてついてきてくれた社員と取引先を、何としても守り通せ」
「──承知致しました」

畳に軽く固めた拳を突き、太公望は畏まって一礼する。
そして、上げた顔は。
鮮やかなまでに不敵な色を含んで、笑んでいた。

「今日から当分の間、この屋敷に起居します。この際ですから、じいさまは囲碁をされるなり骨董を磨かれるなり、お好きになさっていて下さい」
「うむ」
「あ、そういえば金鰲の方はどうなっていますか?」
「向こうは向こうなりに対策を練っておるようじゃ。必要のあることは逐一、おまえに直接知らせるよう、通天に依願しておいた」
「さすが。打つ手がお早い」
「これくらいのことはな」

ふふ、と顔を見合わせて祖父と孫息子は笑う。

「あの女が仕掛けてくるのは、本気の『遊び』です。必死にならなければ凌ぎきれないでしょうが、かといって、ゆとりを失くしたらこちらの負け、と肝に銘じておいて下さい」
「分かっておる。だから、おぬしに崑崙を任せるのじゃ」
「わしは、遊ぶのは得意ですからね」

笑いながら、太公望は書類を抱えて立ち上がった。

「そうそう、その栗きんとん、せめてわしと邑姜に一つずつくらいは残しておいて下さいよ。わざわざ並んだんですから」
「ふむ、そうか」

言われて、名残惜しげに老人は膝の上においた菓子折りを眺める。
そして、部屋を出て行きかけた孫息子に声をかけた。

「通天の息子はどうしておる?」
「何も」
「やはり知らせておらぬのか」
「相手が悪すぎます。あやつが彼女相手に『遊び』を保つのは、至難の業でしょうから。知れるまで教えぬのが吉でしょう」
「そうか」

孫に代わって囲碁の相手をしてくれる青年を思ったのだろう、わずかに老人の眉宇が曇る。
が、かといって、理を情で押し切ってしまうような頑迷さを持っているわけでもなく、あっさりとうなずいた。

「よいだろう。ともかく全ておまえに一任する。良い報告を聞かせるのじゃぞ」
「任せておいて下さい」

鋭さの香る笑みをひらめかせて、太公望は祖父の居室を出てゆく。
そうして残された老人は一人、枯れた溜息をついて。

「・・・・・世がどうあれ、上州屋の栗きんとんはつくづく美味いのう」

可愛い孫にとはいえ、分けてやるのは惜しい、としみじみと呟いた。










一年半ぶりのonly youシリーズ。
最近、このシリーズに対するFANコールをいただきまして、何となく書こうかという気になりました。
今回のネタそのものは、100のお題を始めた時からあったんですけどね。
まぁ書き始めたからには、しょぼしょぼと続けていこうとと思います。

ちなみに作中の栗きんとんは、栗の実を裏ごしして茶巾しぼりにしたやつをイメージしてます。
今年は、岐阜県恵那市・すや(旧来の屋号は酢屋、らしい)の栗きんとんがお気に入り。ちと高いけれど、甘さ控えめで美味です(^_^)


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