#035:髪の長い女







見た瞬間に、分かった。









随分長い髪だ、と思った。
さらさらと腰まで流れる艶やかな髪。
甘い香り、甘い声。
甘い、まなざし。
カクテルのグラスを滑らせてきた細く美しい爪は、宝石のようにあでやかな真紅。
真意を問うように目を向けると、にこりと微笑む。

こんな毒そのものの存在を目にするのは初めてだった。

「──奢っていただく謂れはありませんが?」
「あら、出会ったこと自体が理由になるとは思わなくて?」
「あなたとの出会いに関しては、どんな理由であれ、理由になるとは思いませんね」

微笑み、辛辣な言葉を向けると、更に相手の笑みは深くなる。

「思っていた通り、素敵な子ね」
「ええ。あなたのご子息とは比較にもならないでしょう?」
「勿論よ。あの子は本当に嬲り甲斐がないけれど、あなたはうんと手を尽くして滅茶苦茶に傷つけてあげたくなるわ」
「光栄ですね」

互いに表面ばかりは甘い笑みを交わして。
ようやく指先に取り上げたグラスが、空中で触れ合って澄んだ音を立てた。






「これまで会う機会がなかったのが悔やまれてよ」
「祖父は、貴女と貴女の関係者には、いつどんな場合であろうと、断じて招待状を送りませんからね」
「たかが友人が妻に捨てられたくらいで・・・・・。随分狭量でいらっしゃるのね、崑崙グループの会長様は」
「ええ。おかげで苦労していますよ」
「嘘ばかり」

くすりと微笑んだ相手の、細い指がこちらの顎を捉える。

「綺麗な顔ね。お母様譲りだわ」
「よく言われます」
「でも、その性格はどなたに似たのかしら? まるで私の遺伝子を継いでいるのかと錯覚しそうよ」
「実の親子間で、精神的な親殺し子殺しを繰り広げるのも一興だと思われますか」
「ええ。きっと素敵な退屈しのぎになるわ」

甘く笑いながらも、頬に触れた冷ややかな爪は離れない。

「あなたの周囲には沢山の人がいるようね。この綺麗な顔を傷つけたら、皆さんはどう反応されるのかしら」
「男の顔ですよ。無意味です」
「あら、誰がやったか、ということになれば話は別になってよ。特に・・・・あなたのお祖父様とか、私の息子とか」
「無意味ですよ」
「何故かしら。理由を聞かせて下さる?」
「簡単です。どちらも、この自分に本気で制されたら止まらざるを得ない。平静ではいられないでしょうが、表面上は何も起きません」
「つまらないのね」
「ええ」

ふいと興ざめしたように手が遠のく。
そして、バーテンに新しいカクテルが2杯、注文される。
大して間をおかずに、形の異なるグラスがそれぞれの前に置かれると、再び美しい唇がゆっくりと動いた。

「・・・・では、あなたはどんな風にされると一番傷つくのかしら?」

濡れたような媚惑的な瞳が、まなざしを投げかける。

「御家族? 友人? それとも、私の息子?」
「──ターゲットが何であれ、我が身が可愛ければ手出しをされない方が賢明ですよ」
「あら、それは随分な言い草ではなくて?」 
「そうは言われても、事実だからのう」

がらりと声の調子が変わる。
笑んだ表情は変わらない。
だが、一際冴えた瞳が、真冬の星よりも冷たく隣りに立つ相手を見据えた。

「悪いが、わしはおぬしのタチの悪いお遊びに付き合う気はない。大火傷をしたくなければ、わしの目の届く範囲に立ち入るな」
「・・・・・虎の威を借る狐なんて、興ざめに過ぎてよ?」
「生憎、狐ではない。あんな引退間近のジジィに、今更どれほどの力があると思うのだ?」

カウンターを照らす淡いオレンジの照明の下で。
目の前の相手よりも壮絶なものを匂わせる笑みが、薄くひらめく。

「正式な移譲はまだ先だが、崑崙グループの決定権は、大半が既にわしの手にある。威を借る必要などあるはずがなかろう」
「・・・・随分と面白いのね」

くすりと、圧倒的な美貌が甘く笑んだ。

「あの子が執心するのも道理だわ」
「──今夜の目的は、それか」
「そんなことはなくてよ。たまたま見かけたから、私も挨拶しておこうと思っただけ。あなた、すごく面白そうな子なんですもの」
「そういう迷惑なところは息子そっくりだ」
「あら、でもあの子は可愛いでしょう? どうしようもなく愚かで詰めが甘くて」
「おぬしに似ず、な」

揶揄を多分に含んだ言葉に、彼女はますます嫣然と微笑む。

「ええ。この間、偶然会ってよく分かったけれど、本当につまらない子だわ。どこをどうすれば傷つくのか一目瞭然なのだもの。15年前と全然変わっていないのよ」
「だからといって、おぬしにそっくりでも捨てたくせに」
「あなたみたいな子でもね。あの子はつまらない子だったから捨てたけれど、あなたなら私のような母親に捨てられて、どんな風に傷つくのか見てみたいわ」
「悪趣味だな」
「あなたもよ。あのつまらない子がお気に入りなのでしょう?」

毒のように甘い声に。
冷ややかに冴えた瞳が、濡れた輝きを放つ瞳を見つめた。

「・・・・・誤解をしておるわけではないようだのう」
「勿論だわ。今のあの子には、あなたを本気にさせるだけのものは無い。だからこそ・・・・・」

意味深に語尾をぼかした相手に、こらえきれない笑みが零れる。

「大した眼力だと褒めさせてもらうよ」
「ええ」
「あやつを愛しているつもりも理解しているつもりもない。だが、あやつを知っている。それだけのことだ」
「その上、愛して理解していたら、今頃はどちらかが八つ裂きになっているわ」
「よくもそこまで悪どくなれる」
「あなたにも十分に素質はあってよ」

ふふと甘く笑んで、しなやかな指先が蟲惑的に頬をかすめて遠ざかった。

「私もあの子に習うことにするわ。だから機会があったら、また遊びましょうね」
「御免こうむるよ」
「ごきげんよう」

極上の宝石の如き微笑をひらめかせて、すんなりと魅惑的な後姿がバーの出入り口へと消えてゆく。
男に誘いかけるようにしなやかに揺れた長い髪を見送り。

「これからは息子を見習ってわし自身に直接、か。話には聞いていたが、本当に徹底したサディストだな。周囲に手出しをせぬよう牽制できただけでよしとするべきか・・・・」

だからといって直接にちょっかいをかけられるのも厄介な、と苦笑を零しながら、手付かずのグラスから伝い落ちた水滴を、細い指先が軽く弾いた。




















チャイムを鳴らすと同時に、ドアが開いた。

「どういう気まぐれです? あなたの方から来るなんて」
「だから、気まぐれだろう?」

最初の驚きは、マンション入り口のオートロックを解除させてからここに来るまでの短い時間でやり過ごしたのだろう。
ひどく面白そうな顔で、楊ゼンは太公望に尋ねた。

「今日は夜遊びじゃなかったんですか」
「まぁな」

今夜の太公望の服装は、普段大学に行く時と一見、同じ物に見えるが質が天と地ほどにも異なる。
見るものが見れば、その値段は推して量るべき代物であり、そんなものを身につけている意図も身近な人間なら簡単に知れて当たり前だった。

「寄ってきたのがひどくてな。適当にあしらって追い払ったが、マンションまで帰る気力も萎えた」
「ここの方が近かったというわけですか。そんなに酷い相手ですか?」
「最悪」

シャツの第2ボタンを外しながらの太公望の言葉に、楊ゼンは小さく笑う。

「そこまで言われると、どんな相手だったのか気になりますけど、でもあなた、好みのタイプ以外には妙に手厳しいですしねぇ」
「多分、おぬしも嫌いなタイプだぞ」
「へえ?」
「見掛けばかり綺麗な、大輪の猛毒の花。どうだ?」
「それは・・・・・最悪かも」
「ああ、アルコールはもう良いからコーヒーをくれ」
「あなたが悪酔いしそうな相手ですか。ある意味すごいな」

サイドボードに向かいかけたのを制した太公望のリクエストに肩をすくめて、楊ゼンは素直にダイニングキッチンに足を向けた。
ソファーにくつろいだ太公望は、湯を沸かし、コーヒーを入れる音を聞きながら、大きく息をついて天井を見上げる。

やがて、楊ゼンがカップ2つを手に戻ってきて、1つを太公望に渡した。

「どうぞ」
「うむ」

熱いコーヒーを静かに三分の一ほど啜り、太公望はソファーの肩越しに楊ゼンを見上げる。

「コーヒーを入れるのだけは上手いな」
「それだけじゃないですよ、上手いのは」
「だけ、だ」

ふん、と言い捨てて、再びカップに口をつける。

「言っておくが今夜は何もするなよ。こう見えてもかなり機嫌が悪い」
「・・・・・・いつもと同じレベルに見えますけど」
「それでもだ」
「そういうことなら、最初から自分の部屋に帰って下さいよ。期待させておいて」
「ここの方が近かったと何度言わせる」
「本当に横暴な人だなぁ」

ぼやきは苦笑まじりで、本気で責めている気配は微塵もない。
その声を聞き流して、太公望は空になったカップをローテーブルに置いた。

「風呂」
「はいはい。タオルの用意しますから待ってて下さい」

あっさりとリビングを出てゆく背中を見送って。

「・・・・本当に甘っちょろい奴だのう」

呆れたように太公望は呟く。

「愛しても理解してもいないが、知っている、か。あの女相手に余計なことを言ったな・・・・」

そして、母親と息子の面影を脳裏に並べながら、ソファーに身を預けて目を閉じた。










このテーマを見た時から、Only youしかないなと思ってました。
悪女というのは書いていて実に楽しいです。
ちなみに楊ゼン母は、40近いのに実年齢より10歳は若く見える年齢不詳の絶世美女。

しかし、太公望に母親が手出ししてるのを知ったら、楊ゼンは激怒するだろうな・・・・。


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