#045:年中無休







初めて好きになったのは、とても綺麗な人。
ものすごく意地悪で、気まぐれで。
でも抱きしめた細い身体は、溺れそうに甘かったりする。
(可愛いとはとても言えないのが辛いけど)

そんな人が時折、一瞬の幻のように見せてくれる優しさがどんなに嬉しいか、きっとあの人は知っていて知らないふりをしている──。










「先輩」
「──楊ゼン?」

呼ばれて顔を上げた太公望は、6人掛けの大きな机の向こうに年下の青年を見出して、まばたきをした。

「なんでおぬしが・・・・って、もうこんな時間か」
「そうですよ。講義が終わったから迎えに来たんです」

壁に設置された時計を見やって、一人納得する太公望に、楊ゼンは苦笑する。

「今日は何を調べてたんです?」
「最初は、ここ十年間の東アジア地域の経済動向を総括しておったんだがな。昼過ぎくらいまでは」
「でも、この本の図版は甲骨文字だと思うんですけど。こっちは……漢字学?」
「色々読んでおったら、急に漢字の成り立ちが気になってのう。東アジアに共通する文化の一つだし」

肩をすくめて答える太公望に、楊ゼンは小さく笑った。

「昨日は『アインシュタインからホーキンスまで』で、一昨日は亀の進化過程と生態、先週は大鏡に西行法師でしたっけ?」
「面白ければいいのだ。何だって人生の肥やしになる」
「それはそうでしょうけど」

太公望の趣味というか、興味の対象が実に広範囲に広がっていることを楊ゼンが知ったのは、恋人として付き合い始めてからである。
知識欲が旺盛といえば聞こえがいいが、それはもう無節操としか言いようがないほど何でもありで、ちょっとでも気になったことは、本題も忘れてどこまででも追求してゆく。

それ自体は悪いことではないのだろうが、さすがに寝食を忘れて積み上げた本に没頭することもしばしばとなると、楊ゼンも恋人として、太公望の健康を心配しないわけにはいかない。
結果、こうして毎日講義が終わると、楊ゼンは大学院の研究棟なり図書館なりに居る年上の恋人を迎えに来て、一緒に帰るようになったのである。

まるっきり忠犬ハチ公のような行動なのだが、太公望がそれを拒絶しない理由は判然としない。
単にどうでもいいか、それとも、さすがに自分でも健康上まずいと思っていたのかのどちらかだろうと思われるが、確かめるだけの勇気は楊ゼンにはなかった。

「で、どうします? その本、まだ読みかけでしょう?」
「いや、いいよ。肝心な所は拾い読みしたしな。読みたくなったら、また書庫まで取りに行けばいい」

読み終わるまで待っていてもいいが、と提案した楊ゼンに、太公望は首を横に振る。
そして、さっさと立ち上がり、机の上に放り出してあった10冊以上の本を、積み重ね始めた。
楊ゼンも自分の鞄を椅子の上に下ろして、片付けを手伝う。

「経済学の本はこっちに下さい」
「うむ」

こういう時、太公望は余計な遠慮はしない。
手際よく本を分けると、それを抱えてさっさと歩き出した。

「結局、今日はどれだけ読まれたんです?」
「大体目は通したが……そっちの3冊目は持ってきただけだな。一番下のやつは読んだのは半分くらいか」
「そちらの漢字学の本は?」
「気になっておったところは全部読んだよ」
「で、次の論文の締め切りはいつでしたっけ?」
「来月末。ま、このペースならどうにかなる」
「本当ですか?」

喋りながら書庫へと続く階段を上がり、入り口で二人はあっちとこっちに別れる。
そうして10冊近い専門書を元あった場所に返して、楊ゼンが戻ってくると、太公望は意外にもその場所で待っていた。
もともと太公望は楊ゼンの半数以下の本しか抱えていなかったのだが、それならそれで、いつもならさっさと一人で戻っていってしまう人が居たという、それだけのことにも楊ゼンは嬉しくなり、足早に歩み寄る。

「待っててくれたんですか?」
「たまにはな」

そんな楊ゼンの心理などお見通しなのだろう。
くすりと笑って、太公望は歩き出す。
それから閲覧室に戻って、机の上に広げられたルーズリーフや筆記用具を片付け、二人は揃って図書館を出た。








「今日は食事はどうします?」
「そうだのう」

楊ゼンも太公望も、自炊は殆どしない。
どちらも器用な性質だから、やろうと思えばやれるはずなのだが、その気にならないため冷蔵庫の中は殆ど空っぽのまま、コーヒーや茶を入れるためのケトル以外の調理器具も棚にしまいこまれている。
そして食事は外食か、テイクアウトできるものを買ってくることになるのだが、お互い朝食を取ることは少なく、昼はそれぞれの講義の都合もあるために大抵が別々、平日に一緒に食事をするのは夕食だけだった。

通用門へと歩きながら話す二人の姿は、見ようによってはハチ公と御主人様にも見えなくもなかったが、それでもそれぞれの持つ華やかさと、二人の間を流れるドライな艶を含んだ雰囲気が否応なしに人目を引き寄せる。
そんな二人を見送る視線は大体二分されていて、一つは、すごく綺麗なものを見たという満足と恍惚に溢れたうっとり系、もう一つは、羨ましい妬ましい憎らしいという嫉妬に満ち溢れたじっとり系で、どちらも四方八方から発射されていた。

しかし、どんな意味合いを持つものであれ、注目されることに慣れている二人は、向けられる視線にも一切関心を示さない。
特に急ぐでもなく、普通の速度で歩きながらキャンパスを出て行こうとする。


が、その時。


前方から歩いてきて二人と擦れ違った男子学生が、

「呪ってやる・・・!」

楊ゼンの脇をすり抜けざまに一言呟いてゆき。
それを耳にした太公望が、ぴたりと足を止めた。

「──ちょっと待て」

よく透る声に、行き過ぎようとした男子学生の背中がびくりと止まる。

「おぬし、どういうつもりだ?」
「先輩・・・・」

明らかに気分を害した表情で、学生に視線を向ける太公望に楊ゼンは戸惑った。
今、暴言を受けたのは間違いなく楊ゼンの方であって、太公望ではない。
が、楊ゼンにしてみれば慣れたことでもあり、目くじらを立てるほどのこととは思われなかったのだ。
なにしろキャンパス中の超人気者であり、これまで誰も相手にしてもらえなかったという高嶺の花の恋人になったのである。
今日だって、講義の合間に休憩時間に少し席を外して、戻ってきたら、鞄の中に呪いのワラ人形が入っていて、しかも御丁寧なことに、五寸釘は股間に打ち込んであった。
しかし、それくらいでくじけていては、太公望の恋人などやっていられない。

なにせ、今の楊ゼンにとって一番の危険人物は、恋人という名のいじめっ子に他ならないのだから。

「いいですよ、先輩。そんな・・・・」

所詮、相手はこちらをやっかみ、嫉妬しているだけなのだ。
そんな連中にいちいち応対する必要もないと、楊ゼンは太公望を制しようとする。
が、太公望はそんなものは綺麗に無視して、男子学生に向かって言い放った。

「わしの許可も取らずに、わしのものを呪おうなどとは良い度胸だのう?」
「・・・・はい?」

堂々と言われた台詞に、思わず楊ゼンは目が点になる。
どういう意味だ、と思わず自問する間に、男子学生は、きっとなって太公望を見つめた。

「それじゃあ、呪いの許可を下さい。俺はどうしても、その男が気に入らないんです」
「ふむ」

その台詞に、太公望は誰もが見惚れずにはいられない笑顔で、にっこりと笑う。

「最初から筋を通して、そう言えばよいのだ。良かろう」
「ありがとうございます!」
「但し、こやつが死んだり怪我したりしたら、こやつで遊べなくなってわしが困るからな。呪うにしても、あまりハードなのはやめてくれ。──そうだのう、女難あたりが当たりさわりがなくて良いか」
「分かりました! あなたのために、心をこめて呪います!!」
「うむ。頑張ってくれ」

「ちょっと待って下さい!!」

目の前で進行する会話に耐え切れず、楊ゼンは叫ぶ。
だが、太公望は気にすることなく、駆け去る学生を手を振って見送ってから、年下の恋人を振り返った。

「何だ?」
「何だじゃないでしょう!? あなたという人は、なんていう許可を出すんです!?」
「別に問題なかろう。素人の呪いがまぐれで実現したとしても、女難くらい」
「嫌ですよ、そんなの!」
「わしの恋人の分際で、贅沢言うな」
「贅沢って・・・・!」

肩をすくめて、さっさと歩き出す太公望に、追いすがるように楊ゼンは足を速める。

「一体どういうつもりなんです!?」
「だーかーらー、何に不満があるというのだ? ちゃんと、おぬしはわしのものだから勝手に呪うなと注意して、呪いの内容も怪我しない程度のものにとどめてやっただろうが」
「そういう問題じゃないでしょう!?」
「だったら、どういう問題だ」

ふん、と太公望は肩をそびやかして、楊ゼンを見上げた。

「おぬしは、わしのものだろう?」
「・・・・そうですけど」
「おまけに、苛めるのは自分だけにしろとも言ったな?」
「・・・・・確かに言いましたけど」
「じゃあ、わしは間違ったことは言っとらんぞ。それとも、おぬしを放ったらかしにして、他の奴らを苛めて遊んでも良いのか?」
「・・・・良くないです」
「だったら、文句言うな」

きっぱりと言い切られて、楊ゼンは反論の言葉を見つけられない。
何かが大きく間違っていることは分かるのだが、間違っているものが大きすぎて、それが何なのか、どう言えば太公望に通じるのかが全く分からないのだ。

しかし、困惑と混乱の局地で呆然としている間にも、二人の足は通用門を通り過ぎて、表通りに出てしまう。

「ほれ、しゃんとせんか。これくらいでうろたえておるようでは、素人の呪いにも太刀打ちできんぞ」
「・・・・誰のせいだと思ってるんですか」
「わしと付き合いたいと言ったのは、おぬし。さあ、さっさと飯食いに行くぞ」

もはや応じる気力も言葉も、楊ゼンにはなかった。








            *           *








「・・・・っ・・・あ・・」

夜の狭間に甘い声と吐息が零れるのを、熱に溺れながら聞く。
華奢な躰は、もう随分と愛撫に慣れてきていて、今は少し触れるだけでも確かな反応が返ってくる。
不規則にひくつく柔襞にきつく締めつけられる感覚に、甘い酩酊を覚えながら、そういえば、と楊ゼンは思う。
太公望は容赦なく口が悪いが、この行為に関しては文句を言われたことはない。
本当に不満がないのか、これまで経験がなかったために比較する対象もないから、こんな程度のものなのだと思って黙っているのか、一体どちらだろう、と考える。
と、気が逸れたことを敏感に感じ取ったのか、回された手が抗議するように細い爪を背中に立てた。

「ここ・・・・?」
「──っあ・・、や・・・!」

ぐいと感じる箇所を擦り上げるように突いてやると、背筋が綺麗な弧を描いてのけぞり、また一際きつく締めつけられる。
その反応に誘われたように楊ゼンが動きを深くすると、甘くすすり泣くような嬌声が、とめどもなく零れ始めて。
普段の言動からは想像もできない素直さに、微苦笑と愛しさが込み上げる。

「好きですよ」

ささやいた言葉は、届いたのかどうか。
確かめる間もなく、ゆっくりと波が満ちるように昇りつめる快楽に、意識は溺れた。










太公望の部屋の雰囲気は、楊ゼンのものと似ていた。
家財道具は少なくシンプルで、好きな本やCDばかりが積み上げてある。
自分の部屋より6割増くらいで雑然と本が散らばっているこの部屋が、楊ゼンは好きだった。

「大丈夫ですか?」

腕の中で太公望が小さく身じろぎしたことに気付いて、そっと髪を梳き上げるように撫でてやる。
その手を振り払われることはなく、太公望は気だるげな吐息を零す。
そして、まだ余韻が残っているのか、それとも眠くなったのか、どこかぼんやりとニ、三度まばたきを繰り返した。

「すみません、また無理をさせてしまって・・・・」
「大したことはないよ」

楊ゼンの詫びに、太公望は少しかすれた声で応じる。

「というより、眠い。やってる間は気持ちいいんだが、疲れるのか何なのか、どうも終わると一気に眠くなってくる」

言いながら、本当に太公望は小さく欠伸をして、ころんと楊ゼンの胸とは逆方向に寝返りを打ち、ベッドサイドにあるミニテーブルに手を伸ばした。
そして、目覚し時計や携帯電話、読みかけの文庫本などが置いてあるそこから、何かを取り上げて、また楊ゼンの方に向き直る。

「もうこのまま寝るから、忘れる前に渡しておく」
「え?」

手に押し付けられたのは。
何の変哲もない、ただの鍵。

「これって・・・・・」
「失くすなよ。わしが鍵を落とした時には、それで開けるのだからな」
「本当にいいんですか?」
「まぁ誕生日プレゼント代わりだと思って、黙って受け取れ」

その言葉に、楊ゼンは大きく目を見開く。

「知ってたんですか?」
「わしの記憶力を馬鹿にするな。一番最初にデートした時、本屋でそういう会話をしただろうが」
「そう言われると・・・・何月生まれかというような話はした気がしますけど」
「そんなもの、一度聞けば十分だ」

素っ気なく言って目を閉じる太公望に、楊ゼンは夕方、図書館で本を返しに行った時のことを思い出す。
そういう(あくまでも彼自身にとって)無意味な時間を好まない太公望が、どうして本を倍以上抱えていた楊ゼンが戻ってくるのを、ほんの数分とはいえ待っていてくれたのか。
いかにも彼らしい、気まぐれで分かりにくい優しさに、今ようやく気付く。

そして、帰り道での暴言も。
気に入った相手ほど苛めたい太公望の性格からすれば、あれはあれで最大級の愛情表現と言えないこともない。

「本も音楽も、わしとおぬしでは好みが違うからのう。自分の好みでないものをわざわざ買う気にもなれぬし、いい加減それも渡しておこうかと思っておったところだしな。一石二鳥というところだろう?」
「何だかすごくあなたらしいんですけど・・・・でも、すごく嬉しいです」
「ふん」

軽く笑って、太公望は毛布の中を小さく転がる。
そして、いつものように楊ゼンの腕を枕に、ことんと丸く収まった。

「感動し終わったら、もう黙るのだぞ」
「ええ。おやすみなさい」
「おやすみ」

目を閉じた太公望のさらさらと流れ落ちる髪を、楊ゼンは眠りを誘うようにゆっくりと撫でる。
可愛いという形容詞の対極にある人の、ひねくれ捻じ曲がった優しさが、どうしようもなく可愛らしく思えて、そんなものはただの錯覚だと分かっていても微笑が込み上げる。

「本当にありがとうございます。・・・・愛してますよ──痛ッ」

ささやいた途端。
無言で容赦なく脇腹をつねられた。
喋るなと言われたのに、話しかけたからに違いない。

あーあ、と内心で苦笑しながら楊ゼンは、やわらかな体温を優しく抱きしめ直す。

手強くて可愛くない年上の恋人の意地悪は、コンビニ並の年中無休で、たとえ誕生日でも手加減はないらしい。
でも、合鍵をもらった今夜一晩くらいは、腕の中に抱いた人と甘い夢を見られるといいなと、無駄だと知りつつもこっそり祈りながら、楊ゼンも目を閉じた。










Wild Heavenの楊ゼン誕生日ネタ。
本当は時期が合わないんですけどね。二人が付き合い始めて間もないんだから、時期的にはこの話は秋じゃないとおかしいんです。
でも王子の誕生日は6月だし、というわけで時差を無視して強行。

それにしても、年中無休な女王様の意地悪。やってる方は、すっごく楽しそうです。
まっとうな楊太Fanの皆さん、ごめんなさい・・・・。


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