#027:電光掲示板







ドアを開けた途端、あれ、と思った。






「楊ゼン」
「やあ、いらっしゃい」

既に客の途絶えた店内で、後片付けをしていた店主と雇われバーテンから、それぞれに声が掛けられる。

「もう終わりだから、少し待っていてくれ」
「もう少し速く来てくれたら、新作を試してもらえたのになぁ。明日は来るかい?」
「どうでしょう? どうしてもと言われるなら来ますけど」
「いい、いい。そんなにこやつを甘やかすな。一昨日も実験台にされたばかりであろうが」
「でも、あの最後のやつは結構美味しかったですし」
「うん、あれね。今日から店でも出してるよ。評判は悪くないみたいだから定番にしてもいいかな〜と」
「わしの好みではないがな」
「バーボンベースで甘くするのは至難の業ですよ・・・・」

そんな会話を交わしている間にも、手際よく片付けは進められ、蛇口の水を止めた太公望は、着替えてくる、と言い置いて奥のドアへと姿を消した。
その後ろ姿を見送り、太公望を常にもまして艶やかに見せるバーテンの制服が、普段着に戻ってしまうのを少しだけ惜しいと思いながらも、楊ゼンはまだ掛けられ続けているBGMのオールディーズに耳を傾ける。
自分が生まれる前の曲であるはずなのに、奇妙に懐かしい、心地いいメロディーのタイトルは何だっただろうか、と考えているうちに太公望が戻ってくる。
白いシャツと深いセピアのベストとはまた趣きの異なる、黒いシャツの上に革のブルゾンを羽織った太公望の耳には、まだ金のカフスが光ったままで、見慣れているはずなのに楊ゼンは一瞬、その艶やかさに目を奪われた。

「ではな、太乙」
「うん、また明日よろしくー」
「失礼します」

気安い挨拶を交わして、表の出入り口を抜け、狭い急な階段を昇って外へと出る。
途端に、太公望が革ブルゾンの肩を小さく震わせた。

「寒いな」
「今年も暖冬だって言いますけどね」
「春に比較すれば、暖冬だろうが何だろうが寒いのには代わりが無いだろうが」
「それは比較するものが間違ってますよ。沖縄だって冬には、それなりに気温が下がるんですから。暖かいのが恋しいのなら赤道直下にでも移住しないと」
「移住か。一考の余地はあるかもな」
「どうぞ好きなだけ、考えて下さい」

笑いながら言った楊ゼンの視界の端に、きらびやかなイルミネーションと、その背後の電光掲示板が飛び込んでくる。
BAR窖へ向かう途中にも見かけたそれに、ふと目を止めていると、太公望も気付いてそちらへと目を向けた。

「Meryy X'masか。気が早すぎる気もするが・・・・・」
「でも、もうあと一ヶ月ですから。どこもかしこも、クリスマス商戦真っ只中なんじゃないですか?」
「だろうな」

街中は、どこもクリスマスカラーとイルミネーションで華やかに飾り付けられ、どこに行ってもクリスマスソングが耳に飛び込んでくる。
それは、この不夜城でも昼間の街とさほどの違いはない。

「でも・・・・窖は、何もしてませんでしたよね。今日、店に入った瞬間に気付いたんですけど、飾りつけも何もしてませんし」

この時期、客商売なら店内にクリスマスにちなんだ小物──ツリーやリースといったものを置き、クリスマスソングをかけるのが当たり前なのに、と問い掛けると。
太公望は微笑った。

「そういうのをしないのがな、太乙の流儀なのだ」
「マスターの?」
「そう。ほれ、街中が浮かれて騒々しいだろう? だからな」

きらびやかな装飾もイルミネーションも、何もなく。
いつもの店内で、いつものオールディーズをかけて。
もちろん、クリスマス限定メニューなどあるはずもない。

「それに安心する客もいるだろう、それが嫌なら来てもらわなくてもいい、他に店はいくらでもあるだろうし、というのが、あやつの持論だ」
「・・・・らしいというか、意外というか・・・・。何となく、イベント好きな印象があったんですけど」
「あやつが好きなのは、Myイベントだ。自分や友人の誕生日とかな。自分に関係のない祝日はどうでもいいらしい」
「ああ、なるほど」

何となく納得できる気がして、楊ゼンは頷く。
そして、改めて、いつもと変わりなかった今日のBAR窖の店内を思い浮かべた。

「──不易、ですか」
「随分と古めかしい言い回しをするのう」

面白そうに太公望が見上げた視線を受けて、楊ゼンは苦笑する。

「だって、他にないじゃないですか。『常に変わらないもの』を表現する言葉が」
「まぁな」
「流行の反対語は不易ですし」
「うむ」

頷いて、太公望は街にあふれ帰っているきらびやかな光彩に目を向けながら、続けた。

「変わるものと、変わらないもの。どっちが大切ということはないがな、とりあえず窖は、変わらないことを重要な要素に考えている。そういうことだ」
「そうですね。クリスチャンでもないのに浮つくのは、あの店らしくないですね」
「だろう?」

今日も、世間のにぎやかしさとは無関係に、常連の客はやってきて、控えめに流れるオールディーズに耳を傾けながら静かに美味い酒を飲んで、帰って行った。
それでいいのだ、と太公望は微笑う。

「だから、あなたはあの店でバイトを続けてるんですよね」
「そう。本当に居心地のいい場所というのは貴重だからな」
「それも分かります」
「うむ」

楊ゼンの言葉を否定することも揶揄することもなく受け止めて、太公望は、夜の道に人影が途切れた所で、するりと楊ゼンの手に自分の手を絡ませた。

「変わるものも、変わらないものもある。そして、本当に大切なものは一握り、ということかな」
「そうなんでしょうね」

外気に触れて冷たくなった細い手を包み込むように、優しく指を絡ませ返して。
満点の初冬の星空の下を、楊ゼンは太公望とゆっくり歩いた。










Midnightシリーズの二人。相変わらずラブいです。

しかし、クリスマスを不易と流行に結びつけるのも珍しいでしょうな。
単に私が興味ないだけなんですけどね。街路樹や庭木のイルミネーションも、植物に対する拷問としか思えませんし。
あれやると、本当に樹木が弱るんですよ。若木だと枯れてしまうくらい。
植物だって夜は寝るんですからね。やる人間は、植物の身になって一ヶ月徹夜で働き続けたらどうなんだ、と思ったりする私は、人間より植物の味方です。


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