#010:トランキライザー







触れるだけの、ひそやかなキス。
激しく奪うばかりのキス。

意味もなく重ねられる、熱と──・・・。








口接けるのは嫌いではなかった。
というより、口接ける寸前に見せる彼の表情が好きだった。
手を伸ばして髪や頬にそっと触れた時。
彼は、口接けの予兆を察して、瞳を揺らす。

咎めるように。
制止を請うように。

そして。
───泣くのかと思うほど切なげに。

ほんの一瞬、誰であっても見過ごしてしまいそうなほど微かに、けれど瞳が揺らぐ。
次の瞬間には遠ざかり、確かめようと思っても瞳は閉じられてしまう、そんな不確かさで。

彼が口接けを嫌っていないことも知っている。
拒まれることがあるとしたら、それは寸前に彼の気に入らない台詞を口にして、痛みを感じさせた時でしか有り得ない。
それ以外では、さらさらとすべやかな肌のどこに口接けても、彼の手はこちらを押しのけることはないのだ。

そのことが。
愛しさと痛みをもたらす。

そしてまた、自分も胸の裡をよぎる不確かな感覚に、かすかに目を細めるしかなくなり。
彼を抱きしめたいと思う。





「・・・・っ、ん・・・・」

夜の狭間で飽きもせず、やわらかな感触と熱をむさぼる。
甘い甘い、毒のように甘い彼の吐息と、生命を奪い尽くすように。
何度も何度も唇を重ねる。

「・・・っは・・・・・」

応えることも忘れて従順に翻弄されるばかりになった舌と唇を解放すると、震える吐息が二人の間に零れて。
ゆっくりと彼の目が開く。

───潤んだ瞳は、口接ける寸前の色とよく似た面影。

濡れた唇を、そっと指先で拭ってやると、その瞳がうつむく。

「師叔?」
「───・・・」

返事はなく、ただ頭がことんと胸に預けられて。
さらさらと流れる髪を、ゆっくりと指で梳く。
と、細い手が布地を引っぱるように胸元の服を掴んだ。

「・・・・・・もう一度、キスしましょうか」

そう問いかけても返事はない。
だが、やわらかな髪やこめかみに口接けを幾つも落とすと、腕に抱いた細い躰が小さく身じろぎする。
それでもなお、触れるだけの口接けを重ねると、ようやく彼は顔を上げた。

見上げてくる瞳の色が。
好きだと思う。

咎めるようで、請うようで。
切なげで、辛そうで。

けれど、どうやって傷つけても泣かない、修羅に灼けた瞳。

───自分と同じ感情を知っている、瞳。

「太公望師叔」

たった一つの名前を口にして、また唇を重ねる。
優しく与えれば優しく、激しく奪えば同じように奪ってゆく、甘い吐息。
ただ、愛しいと思う。


───キスが好きなのは、欲しくてたまらない存在に触れて感じることができるから。

───キスが嫌いなのは、唇が離れたらまた、一人に戻ってしまうから。


与え合い、奪い合った熱は、離れた瞬間に冷えて消えうせる。
だから、口接けの前と、口接けの後に見交わす瞳は、いつも哀しく互いと己を責める。

けれど。
触れ合わずにはいられない、温もり。

触れ合うことさえ忘れたら、この心は均衡を保つ術を失う。
何度愛していると告げ、愛していると告げられても、本当は愛することも愛されることも分からない心が。
真実、乾いて干からびる。

それは、どちらも同じだから。

「・・・・楊ゼン」

もう一度、と請う声に誘われて、幾度目とも知れない口接けを重ねる。
不確かな想いは、それでもただ一人しか求めないから。
口接けて、抱きしめる。

それが、どんなに寂しさを伴っていても。





「愛してますよ、太公望師叔。この広い世界で、あなただけを」











またもや『雪』の二人。
面倒なので、いい加減にシリーズ名を付けましょうかね。

しかし、何をどう書いても寂しい連中です。
でも恋愛なんて所詮、こんなものだと思います。
誰かと居れば寂しくなくなるなんて幻想(妄想?)ではないでしょうか?


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