やわらかな午後






「ハイランドも兵力を消耗しているのは事実。今しばらくは大掛かりな出兵はないと思われます」
「北東方面の守りを固めておいて、今のうちに、旧都市同盟勢力の統合を図ることが重要だと思います。特にティントを仲間に引き入れることができると、武器防具の補給を含めて格段に同盟軍の戦力は上がるのですが……」
「加えて、我が軍の練兵もだ。なにしろ同盟軍の兵士は寄せ集め。士気は高いが、兵としての訓練はロクに受けておらぬものも多い」
「そうですな。故郷や家族を守りたいという気持ちはありますから、鍛えればそれなりの戦力に化けるとは思うのですが、なにぶん時間が足りません」
「それに関しては、キバ将軍とリドリー殿にお願いするしかありませんな。時間がないのは百も承知。しかし、ハイランドが我々に十分な余裕を与えてくれるとは到底考えられません」
「これは一つの例ですが、午前中は戦陣を組んでの実戦演習、午後は剣や槍、弓の修練、五日続けて一日休むというのはいかがでしょう? 詰め込みすぎかとは思いますが、これくらいはしないと……」
「ふむ。それは良い案だ、クラウス」
「それを二度繰り返して、十二日目と十三日目は二連休とすれば、兵の疲労も軽減できるのではありませんかな。いかがです、シュウ殿」
「その辺りはお二方に一任します。私としては、兵に怪我人が出ず、錬度が上がれば結構ですので。──軍主殿、いかがですか?」
「いいですよ。どれも必要なことだというのは僕にも分かりますから。──でも一つだけ、いいですか?」
「どうぞ」
「きちんと皆を休ませてあげて下さいね。特に最近、同盟軍に来たばかりの兵士の中には気持ちが昂ぶっちゃって、疲れとか痛みを感じない人も多いと思うんです。でも、そういうのは後からどっと来るから……」
「確かに、おっしゃる通りですな」
「我々も十分に注意して、兵士にも伝達しておきましょう。兵同士でお互いの体調を気遣い合えるようになれば、仲間意識も高くなって、尚よろしいでしょうからな」
「はい。お願いしますね、キバ将軍、リドリーさん」
「あとはティント方面だな。アップル、報告は?」
「相変わらずです。竜口の村の向こうにある関所には、ティントの士兵が目を光らせていて現在、街道の往来は殆どありません。行商人や職人の姿で何人かを行かせたのですが、どうしても通してはもらえませんでした」
「あの辺りの山は険しいからな……。街道を通る以外には、普通の人間には到底行けないだろう。もう一度、同盟軍がハイランドに大勝すればティントも靡くだろうが、それを待つのは……」
「ルカ・ブライトを討った事は伝わっておるだろうから、改めて会見を申し込んでみたらどうだ」
「その使者すらも、関所で追い返されたんです。市長宛の親書すら取り次いではもらえませんでした」
「それは無礼な! 最低限守るべき礼儀というものはあるだろう!」
「落ち着かれよ、キバ将軍。己の大切なものを守ろうと思う時、誰しもが頑なになるものでしょう。──とりあえずは好機を待ちましょう。必ず機会はあるはずです。我々もティントも、同じ敵を抱えているのですからな」
「そうですな。軍主殿は、どうお考えですか」
「……僕はリドリーさんの意見でいいと思います。もちろん協力するのは早いに越したことはないですけど、ティントの人たちも守りたい気持ちは一緒だと思いますから。これまでもそうだったみたいに、いつかは通じますよ。
 とにかく今は、僕たちが頑張って、向こうが無視できないくらいに同盟軍が大きくなればいいんです」
「セイ殿のお言葉、至言ですな。我々が強大になれば、ティントとて孤高を決め込んではおられぬだろうて」
「その為にも、今はこちらが力を蓄えておくしかありませんな。どんな小競り合いにも負けられぬと肝に銘じておきましょう」
「大体まとまったようですな。──では、ティント方面の様子を見つつ、しばらくの間は同盟軍の戦力を上げることに専念することとします。ですが、この空白時間に体勢を立て直すのはハイランドも同じこと。次に対峙する時には、より厳しい状況に直面すると各自の肝に銘じて下さるよう。以上、今日の軍議は終わりとします」
「お疲れ様でした。皆さん、よろしくお願いします」
「お任せ下さい、セイ殿」
「ご安心なされよ。このキバの手にかかれば、どんな弱兵をも虎狼も恐れぬ強兵と仕立て上げて見せましょう」
「すごく頼もしいですけど、ほどほどにしてあげて下さいね。皆、へばっちゃいますから」
「そんな軟弱な精神では、ハイランドに勝てませぬぞ。寡兵をもって強兵に勝つには鍛錬あるのみ!」
「大丈夫です、軍主殿。父のやる事には私が目を光らせておりますから。適当に手綱を引きますよ」
「はい。お願いします、クラウスさん」
「何をこそこそ言っておるのだ、クラウス。行くぞ!」
「はい、父上! それでは失礼します」
「それじゃシュウさん、アップルさん。僕も行きますね。お城の中に居ますから、用がある時は呼んで下さい」
「承知しました」
「お疲れ様でした、セイさん」
「二人もお疲れ様でした。それじゃあ」







 会議室から出て、ほう、とセイは一つ息をつく。
 軍議は必要なことだと分かっているし、取り立てて苦手とも思わないのだが、それでもやはり緊張はするし、疲れもする。
 でも、今日はそんなに揉めることもなくて良かったな、と思いながらふと見ると、廊下の窓からは明るい午後の日差しが差し込んでいて。
「──マクドールさん、どうしてるかな……」
 半ば無意識のうちに、そんな呟きが零れた。

 ──ティル・マクドール。

 隣国・トラン共和国建国の英雄であり、また世に27しかない真の紋章の一つ、生と死を司る紋章の主人。
 若くして既に伝説の存在となっている彼は、現在、偶然出会っただけの存在であるセイの頼みを聞き入れ、陰ながら(?)同盟軍に助力している。
 何の利益があるはずもないのに、トラン共和国首都グレッグミンスターにあるマクドール邸まで、セイが迎えに行く度に、気さくに「いいよ」とうなずき、どこにでも付き合ってくれる彼は、出会ってからまだ数ヶ月にもならないというのに、セイの中ではとても大切な尊敬すべき存在となっていた。

「用がなくても来ていいよ、って言われたけど……。やっぱり何にもなしで行くのって、気が引けるよね……」
 心なしかしょんぼりと呟きながら、二三歩、廊下を歩き。
「あ、そうだ」
 はたと立ち止まったセイは、何かを思いついたように顔を輝かせる。
「……うん、そうだよね。いつも何かしてもらうばかりじゃマクドールさんに申し訳ないし」
 ぶつぶつと独り言をこぼし、納得したようにうなずいて。
 セイは元気よく小走りに廊下を走り出し、辿り着いた先にある壁際、エレベーターの下降ボタンを押して、開いたドアにすかさず飛び乗る。
 そして軽い衝撃と共に昇降箱が1階に着くと、開いたドアから再び小走りに駆け出した。
「ルック、ルック」
「──大声で人の名前、連呼しないでくれる?」
 階段を駆け下りながら名を呼んだのが、彼の気に障ったのだろう。君の声は響くんだから、と実に嫌そうに眉をしかめた魔法使いの少年に、約束の石版の前に辿り着いたセイは、ごめんと謝って。
「ごめんね、ちょっと聞きたいことあって」
「──何」
「あのね、ルックは知らないかな。マクドールさんの好きなもの」
「……は?」
 名を呼んだ時から刻まれていたルックの眉間のしわが、更に深くなる。
「食べ物でも何でもいいんだけど。やっぱり知らない?」
「……僕が他人に全然興味ないような言い方するね。実際にないけど」
「でもマクドールさんとは前からの知り合いなんでしょ? 一つくらい知らないかなーと思って」
「…………」
 半分期待しているようで期待していないような、伺うようにぱたりぱたりと尻尾を振っている風情のセイに、ルックは深く嫌そうな溜息をついた。
「──酒は嫌いじゃなかったと思うよ」
「お酒?」
「そう。何でも飲んでたから、種類までは知らないけど」
「ふぅん。確かに、お城に泊まっていく時は、よくビクトールさんたちと一緒にレオナさんの所に行くよね。でも、お酒かぁ……」
「分かったら、止めてくれない? その子犬みたいな目と尻尾」
「尻尾!? ないよ、そんなの!」
「あるんだってば。今度、鏡で見てみれば? さあ分かったら、さっさと行く。僕は君の相手をするために、ここに居るわけじゃないんだ」
「ないって言ってるのに……。まぁいいや、教えてくれてありがとう、ルック。あともう一つ質問なんだけど、ビクトールさんたち見なかった?」
「……今日は、まだ見てないよ」
「じゃあ、ここを通ってないのなら兵舎に居るかな? ありがとう。それじゃあね」
「もう来るんじゃないよ」
「それは無理ー!」
 振り返りながら、きっぱりと叫んで、セイは今度は兵舎に向かって駆けて行った。




「ビクトールさん、フリックさん!」
 ぱたぱたと駆けてきた軍主を、娯楽室に居た二人の傭兵は笑顔で迎える。
「どうした、そんなに急いで」
「軍議は終わったのか?」
「軍議はいつもと同じ感じで終わりましたよ。それで、軍議とは全然関係ないんですけど、二人に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「はい」
 珍しい、と傭兵二人はセイを見やる。
 どちらかというと何事も自分で考えて、答えを出そうとする少年の性格を知っている二人にとって、セイが直接質問をぶつけてくるというのは少々意外な話だった。
「何だか知らねえが……とりあえず座れや」
「はい。……そんな大した事じゃないんですよ。僕にとっては重要なんですけど」
 勧められるままに、方卓を挟んで座っていた二人の間、フリックを左、ビクトールを右に見る位置に腰を下ろして、セイは二人を交互に見る。
 そして、真面目な顔で切り出した。
「あのですね、マクドールさんの好きなもの、知りませんか?」
「……ティルの?」
「どうしてまた」
 何だそりゃ、と目をまばたかせた傭兵たちに、セイは説明を始める。
「僕、マクドールさんにいつも、すごく良くしてもらってるから、たまには何か御礼したいと思って……。で、御礼ならやっぱりマクドールさんの好きなものがいいでしょう?」
「そりゃ嫌いなものをもらっても、なあ」
「というより、それ以前に、礼なんか要らないってティルは言うと思うがな」
「僕もそういう気がするんですけど。でも、やっぱり感謝してるのなら、それをきちんと形にして伝えたいですし……。だから、ルックにもさっき聞いたんですけど、そうしたら、お酒はよく飲むって教えてくれて。
 ──でも、僕がお酒をプレゼントするのって、何かいかにも『御礼』っぽくてマクドールさん、「そんなのいいのに」って言いそうな気がして……」
 セイの言葉に、さもありなん、と二人はうなずく。
「言うな、あいつなら」
「絶対言う」
「喜ばないってことはことは、ないだろうがな」
「セイのこと、かなり気に入ってるみたいだしなぁ。でも、だからこそ嫌がるまではしなくても、複雑な気分になるかもな」
 言い合う二人を眺めて、セイは困ったように首をかしげながら、改めて彼らに問いかけた。
「だから、二人に聞きたいんですけど。マクドールさんの好きなものとか、好きなこととか、何かないですか? ヒント欲しいんです」
「ヒント、ねえ」
「あいつの好きなもの、か」
 うーん、とビクトールは腕組みをし、フリックは頬杖をついて宙へと視線を浮かべ。
 傭兵二人は、のどかな日差しの差し込む兵舎の娯楽室でうなる。
「食べ物に関して言うなら、好き嫌いは聞いたことねぇな」
「躾が良かったんだろ、ほら、あんな『母親』がいるから」
「だろうなー。甘いもんも辛いもんも食うしな」
「あ、そういえばいつだったか、美味い茶が飲みたいって零してたことがあるぞ。まだ解放戦争やってた頃」
「ああ、そういえば酒じゃない時は茶ばかり飲んでやがるな」
「お茶……。お茶かぁ」
「あと、思い出したんだけど、あいつ結構、一人でいるの好きじゃなかったか。セイラン城に人が増えてきても、器用に人の居ない場所を見つけ出して、よく遠くを見てた気がする」
「それは俺も気付いてた。兵を出した時も、何かっていうと単騎でふらっと離れて、見晴らしのいい所で風景を見てたぜ。よく呼びに行ったから覚えてる。最初のうちは地形を見てるだけかと思ってたんだが、どうもそれだけじゃねぇなと思い出したのはいつだったか……。とにかく好きというか、何かあったのは間違いねぇんだろう」
「生まれが生まれだから、案外、風流なのが好きだったのかもな。今から思うと、鳥の鳴き声とかに一番早く気付いてたのは、あいつだったんじゃないのか」
「あの頃は、単に生き物の気配に敏感なだけだと思ってたが……違ってたのかもな。もちろん総大将としてはケチの付け所はなかったし、敏感なのは敏感だったと思うが」
「……そういえばマクドールさん、綺麗な花も好きみたいだったし……。そっかぁ……」
 二人の会話を聞きながら、どこか納得したように呟いたセイの声に、二人の傭兵は首をかしげる。
「花?」
「花、はどうだったかなぁ。本拠地に花壇作るの許してたくらいだから、嫌いじゃあなかっただろうが……」
「でも、この間、ミューズに行く前にお迎えに行った時、桜の花を見てましたよ、マクドールさん。一面の花吹雪で、すごく綺麗でした。……あれは、お花だけ見てたんじゃないと思うけど……」
「え? 何だって?」
 半ばから独り言のように小さくなったセイの言葉を聞き取れなかったらしい二人に、何でもない、とセイは笑顔を向ける。
「何となく分かってきました、マクドールさんが喜んでくれそうなこと。ありがとう、ビクトールさん、フリックさん」
「お、もういいのか?」
「はい。大丈夫だと思います」
 にこにこと笑顔で応じるセイに、目を見交わした二人の傭兵も笑顔になって。
「そんじゃあ頑張れよ」
「後で報告しろよ、協力してやったんだから」
「はい!」
 立ち上がり、ありがとうございました、とぺこりと頭を下げて、セイは兵舎を後にする。
 やるべきことはもう、頭の中で決まっていた。

...to be continued.

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