04 待ちぼうけ







 じっとしているのは、あまり得意ではない。

 貴族の使用人というのは、働かざるもの食うべからずが基本であり、それどころか一日中、身を粉にして働いても、正当に報われないことが少なくない。
 そういう境遇で育ったから、どうしても何もせずに居る時間というのに遭遇するたび、妙に危機感というか、落ち着かないものを感じて仕方がないのだが、おまけに加えて、自分は、誰かをじっと待つことも苦手だった。
 これもまた、持って生まれた性分というより、育った環境の責任が大きいだろう。
 一瞬たりとも目を離すのが、危なっかしくて仕方がない。そんな輩(やから)が幼少時から身近にいたおかげで(しかも世話をするべき対象として!)、結果的に、自分は家の中に居ようが屋外に居ようが、天気が晴れだろうが嵐だろうが、おとなしく座っているのが大の苦手な子供になった。

 それなのに、今は。

「変な感じ、だよねぇ」
 うーん、とシュリは呟く。
 まだ朝早い陽射しが降り注ぐ明るいオープンカフェのテーブルに陣取り、頬杖をついてミルクティーのカップを、のんびりともてあそんでいる自分が、自分でも正直、信じられない。
 軍主としてゼーランディア軍の頂点に立っていた時ですら、ちょこまかと雑用に動いては仲間に叱られていた自分は、一体どこに消えたのだろう。
「でも、お茶も美味しいし、ケーキも美味しいし」
 自分でも理解できない不可思議さに首をひねりつつ、蒸留酒漬けの干果とナッツをたっぷり焼き込んだ素朴なケーキをつつき、一口ぱくりと食べる。
「うん。美味しい」
 美味しいのは結構だが、この事態をどう受け止めたものか。
 フォークを置いて、シュリは溜息交じりに空を見上げた。

 単に環境や立場が変わっただけでは、自分の性格は変わらないことは過去が証明している。
 自分の家族の言動を考えると、何事も率先して動かずにいられない気質は、育った環境ばかりのせいではなく、遺伝子のなせる業(わざ)という可能性も、かなり大きい。
 なのに、傍にいる人間が違う、というだけで、この二十年近く培ってきた性格が変わることがあっていいのだろうか。
 少なくとも、自分はどちらかというと頑固な性質だと、ずっと思っていたのに。
 けれど現実を省みてみれば、一人でのんびり、相棒を待ちながらお茶を楽しんでいる自分が居て。
 どうしたものか、とシュリは、もう一度首をひねった。

「そりゃあ、これまでだって、どんなに忙しくても小さな息抜きは大事にしてきたけどさ」
 だが、それは本当に極短い時間のことで、小間使いの時も、騎士見習いの時も、軍主の時も、一度の休憩はせいぜいが五分、十分も休んだら休み過ぎ、というレベルの話だった。
 こんな風に、本当の意味でのんびりしたことなど、この旅に出るまで……正確には旅に道連れができた日まで、一度も経験したことは無い。

 けれども。
 それも仕方がない、とは思わないでもなくて。

 何しろ、旅の相棒は、見知らぬ街で放っておいたからといって、別に迷子にもならないし、チンピラに絡まれることもないだろうし、たとえ絡まれたとしても自力でどうとでもするに違いなくて。
 賑やかな定期市で野放しにしたからといって、露店の店主にぼったくられることも、不良品を売りつけられることも、スリに財布を盗られることもないだろうから、別々に行動することに何の不安も覚える必要はなく、自分は思う存分に値切り交渉をしながら買い物を済ませ、待ち合わせ場にのほほんと座っていることができるのだ。
 そればかりか、今現在、自分たちがしている旅は気の向くまま、足の向くまま、どこか目的地があるわけでもなく、おまけに、自分の左手にあるものも、旅に出て以来、存在を忘れそうになるくらい沈黙を保っている。
 一年前までの自分が、どうしてああまでも逸っていたのか、理由は自分でも分からないような分かるようなといった感じだが、少なくとも今は、あの頃とは全く違っていて。
「つい、くつろいじゃっても仕方ないよね。いい買い物もできたんだし」
 溜息混じりに呟きながら、また一口、ケーキをぱくりと食べる。

 ───久しぶりの大きい定期市に遭遇して、別行動を提案したのはシュリの方だった。
 市場での買い物は早朝に限り、時間が経てば経つほどに掘り出し物は店頭から消えてゆく。だからこそ、手際よく上手な買い物をしようと、分担を決めて広場の入り口で分かれたのである。
 考えてみると、共に旅をするようになって以来、明確な単独行動を取ったのはこれが初めてだったのだが、それはそれで楽しいということを、シュリは発見した。
 自分のペースで露店を覗いて回り、心行くまで店主と値切り交渉をしながら、今頃何の店にいるだろうとか、あれはちゃんと買ってくれただろうかとか、この品物をヘルムートにも見せたいとか、そんなことを取り留めなく考えるのは、これまで知らなかった心の浮き立つ感覚だった。

「……っていうより、買い物が本当に楽しかったのって、もしかしてこれが初めてかも?」
 おや、とシュリは新たな発見にまばたきする。
 おつかいも交易も必需品の買出しも好きだと思っていたが、楽しかったかというと、今から考えると少し違う気がする。
「子供の頃のおつかいは……とにかく失敗しないよう一生懸命だったし、交易は大暴騰や大暴落を狙うのは面白かったし、買出しも毎回大荷物で、やり甲斐があったけど……」
 純粋な楽しさ、というのは無かったかもしれない。
 時間や効率を気にせずに品物を物色したり、店主を泣かせるまで徹底的に値段交渉をしたり、こんなに自由にのびのびと市場で振舞ったことは、これまで一度もないような気がする。
「……そっか」

 自分は自由なのだ、と妙な所で実感して。

 シュリは空を見上げる。
 空が青い、と思ったその時。

「待たせたか?」
 雑踏の中でも良く通る声で呼びかけられて、シュリは地上に引き戻されるように意識を戻し、そして笑みながら振り返った。
「少しね。ヘルムートも座ったら? ここのお茶、結構美味しいよ」
「……朝から甘いものか?」
 やれやれと言いたげにテーブルの上を見下ろしたヘルムートに、シュリはにっこりと満開の笑顔を向ける。
「うん。ケーキも美味しいよ。そんなに甘くないから、君にもお奨め」
「……遠慮しておく」
 他人が聞いたら素っ気無いと感じるだろう、けれどシュリにしてみれば何とも微笑みたくなるような口調で言って、ヘルムートは向かい側の椅子に腰を下ろした。
「良い物買えた?」
「まあまあだな。そっちは」
「僕は買い物のプロだよ? どれもこれも、これ以上はないっていう底値の掘り出し物ばっかり。見たら驚くよ」
 どの店の主人も揃って涙目になってたからね、と誇らしく報告すると、ヘルムートは何ともいえない複雑な顔で、小さく眉をしかめた。
「まったくお前は……」
「頼もしい相棒でしょ?」
「──楽しいのは分かったから、程々にしておけ。まあ、もう一度ここに来ることは当分ないだろうから、さほど気にする必要はないだろうがな」
「それくらいは僕も計算してるって」
 一見(いちげん)だからこそだと言えば、ヘルムートは肩をすくめる。
 そして、テーブルの近くに来た女給を呼び止めて、自分の分の茶を頼んだ。
「あ、僕もお茶のお代わり」
 彼もまた、くつろぐ気になったことを感じて、シュリもすかさずその女給に声をかける。
 注文を受けた彼女が足早に厨房へと戻って行くのを見送ってから、シュリはヘルムートへとまなざしを戻した。
「何だ?」
 何を言うでもなく、ただ機嫌よく笑みを浮かべて見つめるシュリに不審を感じたのだろう。ヘルムートが問いかける。
「んー。何でもないんだけど」
 ただ、とシュリは小さく首をかしげた。
「こういうのも悪くないんだなーと思って。何の予定もなくて、のんびりお茶飲んでてさ」
「……確かにな」

 昨日この街に着いて、翌朝に定期市が開かれると知った時、シュリとヘルムートはもう一晩余分に宿に滞在することを決めた。
 何しろ二人が再会したのが辺鄙な田舎の街道沿いであり、以来これまで、村の小間物屋程度でしか必要物資を調達できなかったのである。
 そこに月に一度の大きな市が立つと聞いたら、心ゆくまで買い物をしたくなるのが人情というものだし、そうして買い物をしていたら、結果的に出立時間が遅くなり、日暮れまでには次の集落に辿り着けなくなる。
 となれば、定期市で必要物資を買い揃えて、宿屋で荷物の整理をし、翌朝に発とうという二人の結論は、当然の判断だった。

「せっかくなんだし、今日はゆっくりしようね」
「そうだな」
 思えば休日らしい休日など、これまで殆どなかった。
 今の旅にしても、一日も休まずにここまで歩いてきたのだ。
 たまには二人でのんびり過ごすのもきっといい、と肩の力を抜いて、シュリは椅子の背もたれに体重を預ける。
 こんな風に時間を気にせず、のんびりするのは慣れない感覚だけど、だからといって、嫌だとは感じない。
 そればかりでなく。
 買い物が楽しいと感じるのも。
 お茶とケーキが美味しいと感じるのも。
 それはきっと、今の自分は一人ではないからだ。
 ヘルムートと再会するまで一人で旅をしていた間も、それなりに何でも物珍しく楽しかったけれど、こうして大して意味のない会話をしたり、買い物の待ち合わせをしたりすることは、一人では絶対に不可能なことだった。
 でも今は、こうして一緒に居る人がいる。

 ───僕は今、一人じゃない。

 頭上に広がる青い空を眺めながら、シュリは小さく伸びをする。
「本当にいい天気だよねぇ。なんだか陽だまりの猫みたいな気分になってきた」
「……昼寝なら宿屋に戻ってからにしろ」
「うーん。昼寝は、さすがにのんびりし過ぎて勿体無い気もするけど……でも、たまにはいいかな」
「いいだろ」
 短く応じながらティーカップを口元に運ぶヘルムートの隙のない仕草を、こっそりと目の端で愛でつつ、シュリは、そうだね、とうなずく。
「じゃあ、このお茶を飲み終わったら宿に帰ろう」
「ああ」
 そうしてシュリは、まだ半分ほど残っているケーキの再攻略に取り掛かった。  





end.







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