- the one and only happiness -










 銘を呼んだ声は、届いたかどうか。
 咄嗟に掴んで引き寄せた腕の中で、彼が両手を合わせ、青い練成光が薄暗い倉庫の中で輝いたのが、僅かに視界の端に見えた。
 それは爆風と炎の中で、まるで彼の生命の輝きそのもののように見えたと言ったら、果たして彼は怒るだろうか。
 だが、それでも良かった。
 怒ろうが怒鳴ろうが、それは彼が生きているという証だったから。







          *          *







「───っ、ゲホッ」

 もうもうと立ち込める埃と煙にむせながら、涙に滲んだ目を懸命にみひらく。
 何が起きたのかは、どうにか把握できていた。ただ、自分ともう一人の状況がどうなっているのかが分からない。
 少しでも現状を把握しようと効かない視界の中、手探りで両手を伸ばすと、右手がすぐ後ろにあった堅い壁に触れた。
 つい先ほどまで何もなかった空間にあるそれは、爆発の瞬間に自分が練成したものだろう。
 少しずつ視界を遮る埃と煙が薄れてくると、その障壁が支えとなって自分たちの身を、元は倉庫だった瓦礫から多少なりとも庇ってくれているのが理解できた。

「──鋼の、無事か?」

 直ぐ耳元で聞こえた声に、エドワードははっと我に返る。

「大佐! あんた何で……!」
「……すまないが、怒鳴るのは後にしてくれないか。文句は、後から幾らでも聞く」
「そんなわけにいくか! 大体、あんたが言ったんだろうが、庇わないって……!!」

 構わずに怒鳴りながら、自分にのしかかっている青年の身体を押しのけるようにして横倒しになっていた身体を起こそうとする。
 と、彼が低く呻いて息を詰めるのが分かり、エドワードは顔色を変えた。

「あんた、怪我を……!? 一体どこを……」

 慌てて不自由な体勢のまま、首をよじって相手の状態を確かめようとする。
 が、半ば相手の胸に抱きこまれているために、距離が近すぎて、一見しただけではどこに傷を負ったのか分からない。
 その上、この体勢のままでは、たとえ怪我の箇所が分かっても、応急手当すらできないことに気付いて、エドワードは焦燥に駆られながら青年を呼んだ。

「大佐、身体を動かせる範囲でいいから俺を放してくれよ。このままじゃ、どうしようもない」
「ああ。そうだな」

 応じるロイの声は、怪我を負っているとは思えないほどに平静だった。
 だが、わずかな身動きにも強い痛みが生じるのだろう。彼らしくもなく一呼吸おいてから、思い切ったように上半身をひねって背後の障壁に身を預ける。
 同時にエドワードの肩を押さえ込んでいた腕も離れてゆき、そうして出来た隙間から、極力彼に触れないよう、這い出すようにしてエドワードは身体の自由を取り戻した。
 そして、ほっと息をつく間もなく、ロイへと視線を向ける。
 と、激痛をこらえるようにきつく眉をしかめた端整な顔が視界に入り、初めて見るその表情に、エドワードは全身の血の気が引くのを感じた。

「大佐、どこを……」

 焦燥のままに彼の傍らに膝をつき、かすかに震える声で問いかけながら、彼の全身に素早く目線を走らせる。
 頭部、肩、胸、そして腹部へと無事を確認しながら下りていったその視線が、左大腿に辿り着いたところで、びくりと怯えを含んで止まった。

「大、佐……」
「大丈夫だ。動脈は逸れているから、このまま動かさなければ問題ない」
「そ…うかもしれないけど……」

 大きくみはったエドワードの視線の先で、ロイの青い軍服が左大腿の部分だけ、赤黒く染まっていた。
 不規則な形をした赤黒い染みの、その中心から伸びているのは。
 崩れた瓦礫から伸びた、鉄筋だった。

 上から落ちてきたものなのか、横方向から飛んできたものなのか。
 二人のすぐ側に落ちている重いコンクリート塊からしなって伸びた、太さ1.5cm弱の鉄筋が、ロイの左大腿のほぼ中央を突き抜けている。
 その光景の異様さに全身が震え始めるのにも気付かないまま、それを見つめていたエドワードは、鉄筋をコンクリート塊から切り離さなければ、と不意に思い立った。
 本来ならば真っ直ぐのはずの鉄筋は、コンクリート塊の重みでしなり、それはそのままロイの肉体をもひしがせている。それがロイに与えているだろう苦痛を想像するだけで、背筋が粟立つようだった。

「大佐、この鉄筋を切断してもいいか? かなり衝撃があると思うけど……」
「ああ。どうせ、この忌々しいコンクリートをどうにかしない限り、私はここから動けない」

 普通なら工具で切断しなければならないものが、君が居てくれたのは不幸中の幸いだと、まるで他人事のように言うのに、思わず憤りが込み上げる。
 だが、怒鳴りつけようとした途端、ロイの額に滲んだ汗に気付いて、憤りはあっさりと霧散した。そして、その代わりに胸に広がったやりきれない苦さに、エドワードはかすかに眉をひそめる。
 彼が強いことは知っているし、痛いものを痛いと言うことを厭う矜持の持ち主だということも知っている。
 だが、それをこんな形で目の当たりにするのは正直、辛かった。
 しかし、それを口にした所でどうにかなるものでもなく、エドワードはぐっと唇を噛んで呼吸を整え、そして、両手のひらを合わせる。

「鉄筋を押さえてろよ。反動が結構強いだろうから、気休め程度にしかならねぇだろうけど」
「ああ」

 ロイの手が鉄筋を傷口の少し上で強く握るのを見届けてから、エドワードは両手を鉄筋に押し当てる。
 その瞬間に青白い錬成光が走り、切断された反動で鉄筋は大きく振れたが、ロイは息を詰めたのみで呻き声一つ上げなかった。
 ひとまず切断が成功したことにほっと息をつき、それから周囲を見回して、エドワードはぼろぼろになった自分のコートの袖を片方引き千切る。そして、それを材料に今度は清潔な包帯を練成して、大腿を貫く鉄筋が動かないよう、しっかりと固定して縛った。

「きつくないか?」
「大丈夫だ。どうせすぐに救助が来る」

 確かにロイの言う通りだった。
 改めて周囲を見回そうにも、自分たちが居るのは障壁と瓦礫によって作られた正真正銘の隙間であって、下手に錬金術で出口を作って脱出を試みたりしたら、すべてが崩れて生き埋めになりかねない。
 しかし、この瓦礫の山の向こうには、ロイの腹心たちを始めとする二十人あまりの軍人たちとアルフォンスがいる。
 テロリストは全員拘束済みで、仕掛けられた爆弾も今のが最後の一つだったはずであり、彼らの有能さからすれば、ロイが苦痛に耐えなければならない時間も、おそらくはさほど長くないはずだった。

「……どうしてだよ……」

 自分にできることはもう何もなく、彼に並んで障壁に背を預けて座り込みながら、エドワードは力なく問いかける。
 わずかでも目線を上げれば視界に入る、忌々しい鉄筋の影。
 もしこれがあと数十センチもずれていたら──ロイの内臓を傷つける位置にあったら、と考えるだけで全身が震える。
 今、こうして会話をしていられるだけでも幸運であるのには違いなかったが、だからといってそれを喜べるものでもなかった。

「さて、どうしてだろうな。私にも分からない。爆発の瞬間、咄嗟に手が出ていたんだ」
「分からないって、そんな答えあるかよ……」

 もう怒鳴る気力もなく、エドワードは泣き出したいような気持ちでうつむく。

「あんたが言ったんだろ、目の前で俺が怪我しそうになっても庇わないって。それでいいって、俺も言ったじゃねえか……!」
「そうだな」
「そうだな、じゃねぇだろ!?」

 あの日の会話から今日まで、一体どれ程の時間が過ぎたというのか。
 わずか二ヵ月半で完璧に己の発言を翻して見せた男に、悲しいのを越えて、再び感情が沸騰する。
 前回の会話と今回の行動を照らし合わせてみれば、あまりにも身勝手に思える相手の言動に、どうしようもないほど腹が立った。

「もう嫌だ…っ!!」
「鋼の?」
「嫌だっつってんだよ! こんなのは!」

 きっとロイを睨みつけた金の瞳が、滲んだ涙に霞んで揺らめく。

「あんたはもっともらしい言葉で俺を突き放しといて、それなのに、こんな風に俺を庇って、こんな酷い怪我をして。一体何なんだよ、あんたは!? 俺を振り回してるだけじゃねえか!!」
「鋼の」
「何考えてるんだよ!? 今だって運が良かっただけで、あとちょっとずれてたら死んでたかもしれないのに……!!」
「そうだな」
「そうだなじゃねえって言ってるだろうが!」

 込み上げる激しい憤りのままに怒鳴りつける。
 だが、男の方は烈火の如き怒りを目の当たりにしても、顔色すら変えなかった。

「君が怒るのは尤もだ。それに対して私の弁解の余地はない。だがね、鋼の」

 こんな時でも強い輝きを宿した、黒曜石のような瞳がエドワードを真っ直ぐに見つめる。

「私は、君に怪我がなかったことを喜んでいるんだ」
「──な…に馬鹿なこと……」
「馬鹿でも愚かでも。正直な気持ちだよ。後先を考えた行動ではなかったが、自分が間違ったことをしたとは思っていない」

 蒼褪めた顔色のまま、それでも笑みさえ滲ませて告げられた言葉に。

「な…んだよ、それ……」

 ロイを見上げたエドワードの瞳から、こらえきれずに涙が零れ落ちた。

「なんで、そんなんでいいと思うんだよ……!? 俺が、あんたが怪我して平気だとでも思ってるのか? 庇われて喜ぶと思ってる?」
「鋼の」
「俺は嫌だ! あんたがこんな風に傷つくなんて……! こんな……!!」

 エドワードが言葉に出来たのは、そこまでだった。
 それ以上うまく言葉にならない想いを訴えかけるように、ロイにすがりつく。

「もう、嫌だ…っ」

 激しい嗚咽にエドワードの肩が震える。
 幼い子供のように泣きじゃくりながら、エドワードはロイの首筋に両手を回し、引き離されまいとするかのようにしがみついた。

「もう俺、あんたの言うことなんか金輪際、聞かねえ! どうせ、どんなに約束しても、あんたはそれを平気で破るんだ。そんな約束なんか、もう知らない……っ」
「鋼の」
「約束とか都合とか、そんなのもういいだろ!? 俺もあんたも好きにすればいい。あんたが俺を庇うんなら、俺だってあんたを庇う……!」
「鋼の、落ち着きなさい」
「嫌だっ! だって落ち着いたら、あんたはまたロクでもないこと言う……っ」

 嗚咽交じりに訴えながらすがりつくエドワードに、ロイは困惑したのか、宥めるようにゆっくりと片手で頭を撫でる。
 その優しい感触に、ますますエドワードの涙は止まらなくなる。
 初めての優しい仕草を、よりによってこんな場面で見せるなんて、どうしようもなく最低の男だった。

「大佐、頼むから、もういいって言えよ……!」
「? どういう……」
「だから! いいって言ってくれればいいんだよ! もう好きにしてもいいって。あんたも俺もお互いに好きなんだから、もう我慢しなくてもいいって。目的があったって、好きなものは好きでいいだろ……!?」
「鋼の」
「俺は、あんたもアルも大事なんだ。だから、あんたの邪魔はしないし、あんたに邪魔されたくもない。だけど、それでもやっぱり、あんたのことは好きなんだ。分かったような振りしても、割り切れるわけがねえんだよ……!」

 きつくしがみついていた腕を緩めて、エドワードはロイを見上げる。
 泣き濡れた金の瞳が、すがるような光をたたえて、それでも強いきらめきを放った。

「どんなに辛くても苦しくても、自分を我慢してごまかすのはもう嫌だ。あの時は、あんたの言葉が正しいと思った。でも、本当はそうじゃない。そうじゃないだろ?」
「鋼の……」
「頼むから、もういいって言ってくれよ。この間の話は無しにしようって。駄目だって言ったって、どうせあんたも約束を守れやしないんだから。だったら、口先だけでごまかすのはもう止めろよ……!」

 見上げるエドワードの瞳から、ロイも視線を逸らさなかった。
 向けられた真っ直ぐな黒曜石色の瞳を見つめて、どうしようもないほどにこの男が好きだと思う。
 互いに何にも替えられない目的があることを承知して、大人らしい気遣いで互いの距離を守ってくれていて。
 それなのに、爆弾テロに遭えば後先考えずにこちらを庇って自分は大怪我をしながら、怪我がなくて良かったなどと口にする。
 どうしようもなく最低で、馬鹿で。
 でも、おそらく誰よりも自分を想っていてくれる、誰よりも優しいこの男が。
 今直ぐ心臓が止まってしまいそうなくらいに好きだった。

「大佐……」

 呼び名を呼んだ時、瓦礫の向こうから人々のざわめきが届いて、エドワードはびくりと震えた。
 もう時間がない。
 自分を呼ぶアルフォンスの声や、司令官を探す人々の声が聞こえてくる。

「大佐…っ」

 早く答えを、とエドワードは青い軍服にすがる手の力を強くする。
 今を逃してしまえば、自分たちの関係は元の木阿弥どころか、もっとひどい状況になってしまう。
 それだけは絶対に嫌だった。

「兄さーん!」
「大佐、どこですかー!?」

「こっちだ! 瓦礫の状態がかなり危うい! 慎重にやってくれ!!」

 呼び声に答えて、ロイが大声で指示を出す。
 途端に瓦礫の向こう側が沸きかえり、エドワードはこのまま突き放す気なのかと蒼褪めて、男を見上げた。

 ロイが視線を戻し、二人の視線が至近距離で絡む。
 と、不意にロイが笑んだ。

 長い指先に軽く顎を持ち上げられ、触れるだけのごく軽い口接けが落とされる。
 そして、何が起きたのか咄嗟に把握できず、呆然と目を見開いたエドワードの額に、もう一度優しいキスをして、ロイは涙で濡れたエドワードの頬を指で拭った。

「私の負けだよ、エドワード」
「……え……?」

 低い囁きの意味が分からず、聞き返すのと同時に青白い練成光が迸り、周囲を遮っていた瓦礫が霧散して。

「大佐!」
「兄さん!!」
「げっ! 何ですかその左脚!!」
「おい、担架持って来い!!」
「担架は不要だ。自力で歩ける」
「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい! 一生、左脚を引きずりたいんですか!?」
「兄さん、兄さんは無事なの!?」
「ああ、俺は平気」

 一気に喧騒に包まれたエドワードは、弟たちが浴びせかける質問に答えながらも、戸惑ったままの視線をロイへと向ける。
 と、部下の肩を借りて立ち上がった彼は、エドワードに向けて小さく微笑して見せた。
 それはほんの一瞬のものではあったが、彼の『答え』を伝えるには十分なものであって。
 エドワードは目をみはり、それから込み上げた喜びに顔をほころばせる。
 そして、アルフォンスが傍らに寄って来たのを見て、自分は無事だからと立ち上がった。

「兄さん、どこか痛い所はない?」
「んー。まぁ、あちこちぶつけはしたからな。痛いのは痛いけど、大した事はねぇよ。大佐も庇ってくれたし」
「そっか。良かったぁ。後で大佐にもお礼言わなきゃね。──あれ、目が赤いよ。大きなゴミでも入った?」
「ああ、うん。瓦礫が崩れた時の土埃がすごくってさ」
「そうなんだ。大丈夫なの?」
「平気平気。もうゴミは取れたから」

 弟を安心させるように笑いながら、エドワードは視界の端でロイを探した。
 彼はちょうど、担架に乗る乗らないで部下たちと押し問答を繰り広げているところで、そのらしさにエドワードは笑いが込み上げるのを感じる。
 どうしようもないくらいに好きだと──幸せだと思った。

 










「報われない恋」その後・ver.B。
Aに比べると、大佐がヘタレなのはどうしようもありません。
流されたらいけない所で流されてしまったわけですから。
それにつけこんで泣き落とすエドも、本筋からいくとニセモノ。
おそらく、この後の二人は喧嘩の耐えないラブ甘カップルと化すでしょう。
というわけで、なし崩し的にくっついてしまったバカップルに乾杯(*^_^*)



もう一つの結末を見てみる >>
BACK >>