ある晴れた日に 02

 熱い唇がゆっくりと首筋を辿りながら降りてゆく。そして首と肩の境目に、かぷりと甘く歯を立てられて、ああ同じだ、と臨也は安堵する。
 静雄の愛撫の手順は、三年前と何も変わっていなかった。そのことが不思議に嬉しくて、安心する。そんな自分に内心で苦笑しながら、臨也は静雄の少し痛んだ金の髪に指を差し入れて、ゆったりと梳いた。
 余裕などない、と言った割には、静雄の動きは優しかった。
 性急さが全く感じられないわけではなく、戯れるような余裕は無さそうだったが、決して乱暴ではない。
 だがこれは、昔から、というより、一番最初からそうだった。
 一番最初に誘い込んだのは臨也の方だったが、その時は路上での殺し合いの延長のような、レイプまがいのSEXになるだろうと予想していた。
 それでも構わない、どうしても傷付けられないこの男の胸の奥に焼印を押せるのならば、と思って仕掛けた辺り、当時の自分がかなり追い詰められ、いかれていたことは臨也自身も分かっている。
 だが、蓋を開けてみれば、静雄は乱暴なことは何一つしなかった。
 不器用な性格だから、過去の女性相手の経験をそのまま応用したのかもしれない。壊さないように、傷つけないように。そう気遣っているとしか思えない慎重な手つきで触れ、最奥を暴(あば)いて体を繋いでからも、無茶はすることなく、臨也を絶頂に導いてから自分も達した。
 無論、その間に睦言めいた言葉は一言も無かったし、キスも一度しかしなかった。
 それでも臨也は予想外の結果に呆然とし、相手の不可解さに対する嫌悪と憎悪を更に募らせたのだから、今から思い返しても本当に救い難い。
 だが、一番最初のSEXが予想通りの苦痛のみのものであったなら、性的な関係はそれきりで終わっていたはずなのだ。肉を切らせて骨を絶つ。そんな捨て身の作戦は、一度決行したら終わりだ。何度も試みるほど、臨也は被虐気質ではない。
 最初で最後。そう事前に思い定めていたのに、その後もずるずると回数を重ねたのは、間違いなく彼とのSEXが気持ち良かったからだった。
 或いは、三年の月日を経た今、素直に認めるのなら、睦言の一つもない夜の中で、静雄の愛撫だけはその文字通り、確かに優しかったからだった。
 あの頃は自分の心さえ理解できずにひたすら苛立っていたが、本当は、その一滴(ひとしずく)の優しさが欲しくて必死に縋り付いていただけなのだと、今なら素直に認められる。
「──っ、ん…くすぐったいよ……」
「それだけじゃねぇだろ」
 臨也の受け止め方がどうあれ、相変わらず静雄の愛撫はやわらかく、優しい。
 Vネックセーターの裾からもぐりこんだ指の長い大きな手が、脇腹を撫で上げる。その感触に身をすくませながら、臨也は唇に落とされるキスに応えた。
 案外に前戯に時間を掛ける手順は変わらない。けれど、昔はこんな風にしつこくキスはしなかったな、と思う。
 そもそも、部屋になだれ込むなり濃厚なキス、という流れ自体が、過去には一度もなかった。キスをしたことがなかったわけではないが、行為の最初から最後まで、互いに相手の出方を探り合うような、張り詰めた緊張感が漂っていたと記憶している。
 だが、今日はそれが無い代わりに、言葉にしがたい、敢えて表現するなら煮え立った糖蜜のような緊迫感が二人の間に張り詰めている。
 どちらが先に、その煮え立った甘さの中で融けてしまうのか。或いは、二人共になのか。
 分からない、と思ううちにも感じていたくすぐったさが、ある一瞬を境に甘いものにすり替わって、ああ、と臨也は無意識に安堵の息をついた。
 もう大丈夫だった。久しぶりの行為に一抹の不安が無かったといえば嘘で、けれど、身体のスイッチは入ったから、後は何をされても気持ちよく感じられる。心のままに欲しがることができる。
「シズちゃん……」
 その想いが滲んだのか、名を呼ぶ声は自分でも分かるほどに甘ったるくなった。すると、報復のように胸元に軽く歯を立てられる。
 小さな尖りを甘く噛まれ、舌先でつつかれて、ぞくぞくとするような快感が背筋を走った。
 絶え間なく生まれる快感は熱に変わり、体の中心へと集まってゆく。身体の線にフィットしたジーパンの前が苦しく感じられてきて身をよじると、脚と脚の間に入り込んでいた静雄の太腿に、ぐ、とそこを押されて、臨也は脳天まで突き抜けた快感と苦しさに小さく呻いた。
「もうキツそうだな」
 そう呟かれて、揶揄するつもりかと臨也は閉じていた目を開く。だが、予想に反して、静雄は 情欲に彩られた、どこかぼんやりとした印象の表情をしており、臨也の視線に気付くと、何だ、というように小さく目を動かす。
 臨也は何でもない、とごく小さく首を横に振り、ジーパンのボタンを外し、チャックを下ろした静雄の求めに応じて腰を浮かせる。するりと下着ごと脱がされて、布地による圧迫感が無くなった開放感と、肌がほんのりと冷えた空気に触れる感覚に、ぶるりと身体が震えた。
「寒いか?」
 目敏くそれに気付いたのだろう。気遣う声を静雄がかけてくる。
 こればかりは、昔は無かったことだ。愛撫は優しくとも、暑い寒いを気遣われたことは過去に一度も無い。彼もまた変わったのだと改めて思いながら、臨也は小さく首を横に振った。
「平気……エアコン入ってるし」
「なら、いいけどよ」
 そう言いながら触れてくる手のひらは温かい。狭いアパートで身体を重ねていたあの頃、唯一認めることができていたのは、この温かさは嫌いではないということだけだった、と思い返しながら臨也は目を閉じて、再び全てを委ねる。
 核心には触れることなく、周囲をゆるゆると撫でる手指の感触の心地良さに浸っていると、不意に、なぁ、と呼びかけられた。
「この三年間、誰ともしてなかったのか? 女とも?」
 その思いがけない問いかけに、臨也が目を開くのと、熱く張り詰めた中心に静雄の長い指が絡むのとは同時だった。
「……っ、な…にを……っ」
「なぁ、答えろよ」
「そ…んな、無茶…っ…」
 全体を包み込むようにした手指で急所をゆるゆると上下に扱かれて、平然としていられる若い男がいるわけがない。臨也も例外ではなく、そこから生まれる目の眩むような快感に背筋をのけぞらせて喘ぐ。
 だが、静雄は求めを引っ込めることは無かった。
「臨也」
 響きのいい低音で名前を呼ばれて、臨也は何故か無性に泣きたくなる。どうにかしてその衝動を押さえ込もうと、懸命に目を開けて、静雄を見上げた。
「シ…ズちゃんは、どう…なんだよ……っ」
 自分にばかり答えさせるのはずるい。少なくとも、他の男とは寝ていないことは既に明かしたのだから、次はそっちが先に答えろとばかりに要求すると、静雄は臨也をじっと見つめたまま、ゆっくりと唇を動かした。
「してねぇよ」
 その短い、端的な返答に、臨也の胸のうちに込み上げたものは何だったのか。
 見極めが付く前に、静雄が続ける。
「元々、女なんざ俺には寄ってこねぇしな。寄って来ても、ガキばっかだしよ」
「あの…金髪美人の、後輩ちゃんは……?」
「あいつもガキの一人だ。俺は年下は、そういう目じゃ見れねぇ」
 でも、と臨也は思う。
 取立ての仕事で繁華街を回っていれば、好みの年上美人に出会う可能性だって少なくは無いだろう。その中の幾人かは、興味本位であったとしても、静雄の強烈な都市伝説と、それとは全く裏腹の端整な外見に惹かれたはずだ。
 なのに、誰にも応えなかった。
 誰にも触れなかった。
 そのことを、どう解釈したらいいのだろう。
 喜んでもいいのだろうか。込み上げる気持ちのままに、泣いてもいいのだろうか。
 そう惑った臨也の思考を更に乱すように、ゆるゆると動いていた静雄の指の動きが変わる。
「──っふ、っ、あ、あぁ…っ、や、だぁ……っ!」
 熱の先端を包み込むようにして、親指と人差し指でなめらかな薄い肌をくりくりと可愛がられる。そこから生まれる快感に耐え切れず後から後から溢れ出す先走りが濡れた音を立てて、鼓膜からも臨也を犯してゆく。
「やだじゃなくて、答えろよ。俺は答えただろ」
「そんな…の…っ、無理……!」
 内容が、ではなく、筋道の通った言葉で説明することが、どうしてこの状態でできると思うのか。
 だが、静雄は容赦しなかった。
「ローションなんて殆ど要らねぇんじゃねぇか、これ」
 そう言いながらも、開いている片手だけで器用にローションのボトルのキャップを外し、透明な粘液を臨也の熱の先端にたっぷりたらす。
 室温のままのひんやりとした粘液が先走りと交じり合い、とろりと幹を伝い落ちてゆく感触に臨也は耐え切れず、細い泣き声を上げた。
「やだ…っ、や……! シ…ズちゃんっ、手、離してよ……っ!」
「だから、答えろっつってんだろ。早く答えねえと、どんどんキツくなるぜ」
「何を……っ!?」
 何を言っているのかと混乱したまま問おうとした時、最奥にぬるりと触れてくる感触があった。
 肌に触れてほんのりと温まった粘液で、既にそこは触れれば水音を立てるほどに濡れている。そこを丸く撫でる、指先の感触。
 この三年間、誰にも触れられなかったそこに静雄の指を感じて、臨也はたまらず目をきつく閉じた。
「なぁ、臨也」
 底に甘さの潜む低音で名を呼び、はち切れそうなほどに張り詰めた熱全体を優しく苛めながら、かつての感触を呼び覚ますように蜜口とその周囲を硬い指先でやわらかく撫で、時折ノックするように軽い刺激を送ってくる。
 それだけで、どうしようもないほどの疼きが身体の奥から湧き出してくるのを臨也は感じる。
 そう、三年ぶりであろうと何だろうと関係ない。臨也の身体は、間違いなくこの行為を──静雄を覚えていた。
「──し…てない……っ」
 目の眩むような快感と泣き出しそうなほどの疼きに唇を震わせながら、臨也は答えを喉から搾り出す。
「だ…れとも、してない…っ…、三年前の、シズちゃんが最後だ……!」

 ───三年前、池袋から立ち去った時点で、臨也の中からは様々な欲が抜け落ちていた。
 言い方を変えれば一種の虚脱状態にあり、諦観に感情と思考を支配されていたとも言えるだろう。
 そして、その抜け落ちた欲のうちには、性欲も含まれていた。
 正確に言えば、性欲そのものではなく、誰かと寝たいという欲求が、池袋を離れた時点で臨也の内から消えたのである。別に不能になったわけではないが、しかし、この三年間、誰ともそういう関係を持ちたいとは思えなかった。
 一時の逃避に身を任せたところで、本当の深い快楽を得られるわけではない。むしろ、心身の記憶に巣食う誰かとの様々な差異を感じて、余計に虚しくなるだけだろう。そうと分かっていて、そんな惨めな行為に身を投じることは臨也にはできなかった。
 勿論、人目を惹く容姿であるから、日本と世界のあちこちをふらついている間、声をかけられることがなかったわけではない。だが、せいぜいが茶やアルコールを共にするだけで、それ以上は相手が男であれ女であれ、全てやんわりと拒絶し続けた。
 そして、その間、何を思っていたかといえば。

 快楽と感情に霞みそうになる目を臨也は懸命に開いて、焦点を合わせようと務める。
 そうして探し当てた鳶色の瞳は、真っ直ぐに臨也を見つめていた。その澄んだ色合いの奥に、言い知れない感情が渦巻き、迸っている。
 この目を見ていれば、と臨也は思った。
 三年前、彼がこんな目を自分に見せていれば、きっと色々な事が変わっていただろう。だが、それは臨也自身も同じだった。
 三年前のあの最後の夜、『この街でやりたいことは全部やってしまった』、そんな稚拙な、本心を隠すにしてもあまりにも遠い言葉ではなく、もっと違う言葉を紡いでいれば。
 きっと彼も、聞こえてさえいなかったような沈黙で応じたりはしなかっただろう。
 けれど、それはすべて願望に満ちた仮定の話であり、現実のあの頃の二人は、どうしようもなく擦れ違っていた。
 それぞれの感情を──互いの存在に執着していることすら認められず、ただ刹那的な言葉の応酬と、後先を省みない暴力と快楽だけをぶつけ合っていた。
「馬鹿じゃねえのか。俺も、手前も」
 そんな自分たちの過去の関係を、静雄が低く呟くような一言で纏め上げる。
 そう、馬鹿の所業だった。どれもこれも。
 あまりにも愚かしくて、考え無しで、馬鹿馬鹿しい。
 そんな関係を十年近くも続けて、挙句、何も掴めないまま離れた。或いは、臨也が一方的に立ち去った。
 そうして離れて、初めて思い知ったのだ。
 本当は、どれほど離れがたかったのか。
 もう二度と会うことはないのだと、思い定めるのがどれほどに苦しいことか。
「シ…ズちゃん」
 震える喉から声を絞り出し、シーツを握り締めていた両手をほどいて差し伸べる。その手は無碍に払い落とされることも、無視されることも無かった。
「臨也」
 ゆっくりと上体を屈めた静雄が紡いだ名前は、臨也の鼓膜を甘く、ほろ苦く打つ。その広い肩に両腕を回し、抱き寄せて、臨也は下りてくる唇を無我夢中で受け止めた。
 この両腕を離したくないと言ったら、あまりにも自分には似合わないだろうか、と熱く貪るようなキスに応えながら、臨也は朧気に思う。
 だが、もう離したくなかった。何があっても離れたくなかった。
 二度と会えないのだと思いながら、遠い空と海を眺めるのは、あまりにも心が冷える。もう二度と、あんな思いはしたくなかった。
「……シズちゃん……」
 長いキスを終えて、小さく喘ぎながら名前を呼べば、臨也、と返される。
 そして、一旦止まっていた愛撫の指が再び動き始め、蜜口へゆっくりと押し入ってくる感触に臨也は目を閉じる。
 痛みはなかった。それどころか体が欲しがっている。まだ何も解されていないのに、更なる指での愛撫を、その先を求めて蠢いているのを感じて、臨也は無意識のうちに細い腰を震わせた。
「相変わらず、お前ん中、すげぇな……」
 ゆるゆると浅く指を遊ばせながら、情欲にかすれた声で静雄が呟く。
「すげえ欲しがってる感じするぜ。あれ以来、使ってねぇなんて嘘みてぇだ」
「……な、に…それ。ま…さか、疑ってる、の?」
 さすがに聞き捨てならず、目を開いて睨み上げる。責める言葉は吐息に邪魔されて切れ切れになり、迫力は足りなかったが、それでも言わずにはいられなかった。
 だが、臨也の視線の先で、静雄は情欲は滲んでいても静かな目で臨也を見つめ返し、いいや、と首を横に振る。
「疑ってねぇよ。……疑ってねえ」
 言い聞かせるように、確かめるようにそう告げて、宥めるような触れるだけのキスを唇に落とす。
 そして、臨也の身体の求めに応じて愛撫する指を増やした。
 狭い入り口を押し広げる圧迫感の後、ずるりと二本目の指が滑り込んでくる。そのまま慣らすように少しだけ静止してから、ローションを塗り込めるように緩い抜き差しが繰り返され、やがて頃合と見たのか、長い指の一本が柔襞のうちの一点をこりこりと指の腹で刺激し始める。
「──っあ、あぁ…っ、駄、目…っ、それ、されたら…っ…、すぐ…っ、達く、から……ぁ!」
 決して急がず、十分に力加減されたその愛撫に、臨也はたまらず高い声を上げて身悶えた。
「駄…目っ…、シ…ズちゃん……っ、それ、気持ちいい…っ…」
「相変わらず、こうされんのに弱いのな」
 温かく含み笑うような声は、もう臨也には届かない。与えられる愛撫を受け止め、感じるままに腰を震わせて、甘い声をとめどなく上げ続ける。
 そうするうちに更に指を増やされて、圧迫感がもたらす甘やかな疼きに、臨也は更に声を透き通らせてすすり泣いた。
「も…ダ…メ……っ、ひ、あ……駄目…っ、達き、たい……っ! シズ、ちゃん……!」
 いつの間にか張り詰めた熱からは手指が離されており、両方を弄られればすぐに達することができるのに、久々の愛撫を受ける後ろだけでは容易には解放は訪れない。
 自分で熱に手を伸ばそうとすれば、それはやんわりと両手首をまとめて押さえつけることで制され、体の中で燻り、出口を求めて狂乱する熱に臨也は耐え切れず、半ば焦点を失った瞳で静雄を見上げたまま、ほろほろと涙を零す。
 すると、静雄はその濡れた目元に口接け、そのまま唇で零れ落ちる涙を拭った。
 そして、臨也と目を合わせて、ふっと微笑む。
「お前の泣き顔、久しぶりに見るとすげぇクるな。おまけに昔より随分、素直だしよ」
 もっと苛めたくなっちまう、と囁いて、唇を重ねる。
 深く唇を合わせて舌全体で口腔をくまなく探りながら、最奥に差し入れられた複数の指もまた、感じやすい入り口付近や、その少し奥の快楽の源泉のようなしこり、更には一番奥の体全体に響くような性感帯を同時に刺激しようと蠢き、たまらず臨也は、息苦しさに喘いでキスを振りほどき、高い悲鳴を上げた。
 だが、あとほんの僅かで絶頂に届く、というところで、ずるりと指が引き抜かれる。
「──っ、あ……?」
 咄嗟に何が起きたのか分からず、解放し損ねた疼きに体を震わせながら、泣き濡れた瞳を開き、ぼんやりと視線を彷徨わせると、宥めるようなバードキスが唇に下りてきた。
「そのまま力抜いてろよ」
 蕩け切った思考では言われた言葉の意味の半分も理解はできなかったが、大きく開かされた両脚の奥に熱と圧迫感を感じて、臨也は半ば無意識に深呼吸して体の力を抜く。
 すると、それを合図のように、ゆっくりと圧倒的な質量を持つ熱が最奥に侵入してきた。
「っ、あ…あぁ…っ…、あ、あああぁ……っ!!」
 ギリギリまで高められた身体は、三年ぶりの媾合であっても微塵も痛みなど覚えなかった。それどころか濡れた柔襞は、おもねるように侵入者に絡み付き、更に奥へといざなってゆく。
 押し開かれる圧迫感が、灼熱の重みが、濡れた粘膜が擦れ合う感触がどうしようもないほどに気持ちいい。
 抵抗することも敵わず、甘やかな悲鳴を上げて侵入者を迎え入れた臨也は、やがて静雄が熱を全て柔襞に納め終えた時には、吐精なしに軽く達していた。
「おい、大丈夫か?」
 ぐったりとベッドに身体を沈めて荒い息をつく臨也の頬を、静雄の無骨な手がそっと撫でる。その優しい感覚に臨也はかろうじて目を開け、小さくうなずいて見せた。
「でも……す…こし、だけ…、動か…ないで……」
 殆ど吐息だけの声でそう告げると、ああ、と静雄はうなずく。
 そしてまた、臨也の唇に触れるだけのキスを何度も落とした。
 そのやわらかな感触にうっとりと溺れているうちに、少しずつ呼吸も落ち着いてくる。同時にまともな思考も少しだけ戻ってきて、臨也はゆっくりともう一度目を開き、至近距離にあった静雄の目を見つめた。
「……昔は……こんなにキス、しなかったよね……?」
 爪の先まで甘い砂糖細工と化してしまったような気のする手を持ち上げ、精悍なラインを描く頬をそっと撫でる。すると静雄は目を細め、口元にかすかな笑みを滲ませた。
「お前だって、こんな素直じゃなかっただろ」
「──うん…」
 確かにその通りだとうなずく。
 そして、ゆっくりと顔を近づけた静雄に目を閉じて、キスを受け止めた。
 やわらかく舌を絡ませ合い、互いの口腔を交互に愛撫する、あの頃はしたこともなかった、ゆったりとしたキスを交わしながら、シーツの上に投げ出していた手のひらに一回り大きな手が重ねられるのを感じて、臨也はそっと指を絡める。
 すると、直ぐに応えるようにやわらかく握り返されて。
 こんな風に手を重ね合わせることすら、あの頃はなかった。そう思うと何かたまらず、長いキスを終えて目を開く頃には、臨也の眦からは涙が零れ落ちていた。
「臨也?」
「ねえ、シズちゃん」
 戸惑って名を呼んだ静雄には構わず、臨也は零れ落ちる涙もそのままに、あの頃には決して有り得なかった、控えめながらも優しい光を宿した鳶色の瞳を見上げる。
「俺が居なくなって、寂しかった……?」
「は……」
「少しは、会いたいと思ってくれた……?」
 そう問いかけると、静雄の瞳が惑う。
 だが、黙って答えを待つ臨也の前で、その困惑の色はゆっくりと薄れてゆき、見たこともないような切なく真摯な色が真っ直ぐに臨也を見つめた。
「──ああ」
 答えは、極短い一言だった。
 だが、それだけで全て足りた。
 胸の奥底、否、魂の一番深いところから、叫び出したいような熱い何かが込み上げてくる。けれど、それは涙にしかならなかった。
 ともすれば零れそうになる嗚咽を懸命に押し殺しながら、臨也は繋いでいた手をそっとほどいて、静雄の首筋に両腕を回し、縋り付く。
 そうすると、かつては苛立つほどに感じた煙草の残り香はもう無く、代わりに温かな肌の匂いが強く感じられて。

「ずっと、会いたかった……」

 そう告げるのが、精一杯だった。それ以上は、もう涙にまぎれて言葉にならない。
「──本当に馬鹿だろ。手前も俺も……」
 そんな風に互いをなじる静雄の声もまた、小さく震えていたから、臨也は更に両腕に力を込めて広い背中を抱き締める。
 そして、
「もう離れんな」
 低く囁くように、しかしはっきりと発音された言葉と共に背を強くかき抱かれて、うん、と臨也は子供のようにうなずいた。
 そのまましばらく互いの体温を感じ合ってから、どちらともなく腕の力を緩めて、目を見合わせる。
 静雄は手を上げて、臨也の目元に残っていた涙をそっと拭い、そこに宥めるような優しいキスを落としてから、やわらかく唇を合わせた。
 ゆるやかに舌を絡ませ合っていると、一時忘れていた疼きが戻ってくる。すると、それを見透かしたかのように、静雄の舌が臨也の過敏な顎裏を撫でた。
 刺激を与えられれば、もともと限界だった身体はすぐにその先を求めて蠢き出す。思わず無意識に最奥に留まったままだった熱を締め付けると、静雄が喉の奥で低く呻くのが感じ取れた。
「──もう動いてもいいよな?」
 唇が離れた途端にそう問われ、そういえば先程動かないでくれと頼んだかもしれない、と臨也は朧気に思い出す。だが、臨也自身がもう、それどころではなくなりつつあった。
「動いて……シズちゃん」
 ずっと重みのある熱に圧迫されっぱなしの柔襞は、再びずくずくと疼き初めている。自分ではどうにもならない身体のざわめきに、むしろ懇願するような思いで臨也は静雄を求める。
 すると静雄は、困惑するような微妙な表情で臨也を見つめ、それから僅かに目を逸らして舌打ちした。
「ったく……素直になろうとなるまいと、手前は性質が悪過ぎだ」
「え……」
 その言葉の意味を理解するよりも早く、身体の奥深くにうずめられていた熱をずるりと引き抜かれて、その感触に臨也は思わず背をのけぞらせる。間髪入れず、溜めた腰を突き入れられて、擦れ合った粘膜全体に甘過ぎるほどの愉悦が弾け飛び、たまらず甘い喘ぎが零れた。
「シ…ズちゃん……っ、あ、ひぁ…っあ、シズ、ちゃん……!」
 何度も繰り返し突き上げられ、感じやすい箇所を狙って雁で抉るように擦り立てられる。
 そこから生まれる愉悦にたちまちのうちに臨也は追い上げられ、すすり泣きながらひたすらに静雄の名を呼んだ。
「気持ち、いい……っ、あぁ……もっ、お…かしく…っ、なり、そ……っ」
 どんな風に動かれても気持ち良かった。まるで快感しか拾えなくなってしまったかのように柔襞は蠢き、静雄の熱に絡み付いていく。
 静雄が腰を引けば追いすがり、奥深くまで侵入してくれば歓喜して、全ての歓びを吸い尽くそうとざわめく。そんな素直過ぎる柔襞のよがり方は、静雄にも強烈な快感をもたらすのだろう。
「──クソッ、手前の身体、良すぎだ……!」
 もう長くはもたないと、静雄が低く呻くように毒付く。そして、その声は快楽に浮かされた臨也の耳にも、奇跡的に届いて。
「……シ…ズちゃん…っ……」
 涙に霞んだ目を懸命に開いて、臨也は静雄を呼ぶ。同時に、シーツを握り締めて爪を立てていた手も、静雄の手を求めて震えながらシーツの上を彷徨った。
 そんな臨也に静雄も直ぐに気付いて、臨也の手を包み込むように自分の手を重ねる。
 温かな指が自分の指に絡む、その感触に臨也は安堵しながら、縋り付くように繋いだ指先に力を込めた。
「お…願い……、一緒に……っ」
 何を、と言わずとも静雄には通じる。
 鳶色の瞳に情欲だけではない光を浮かべて静雄は臨也を見つめ、答えの代わりに、快楽に喘ぐ薄い唇に口接けた。
「臨也…っ」
 そして、名前を呼び、臨也の過敏な箇所を狙って腰を突き上げる。
「──シズちゃん……っ、シズ…ちゃんっ……!」
 何度も何度も感じ過ぎる場所を擦り上げられて、つま先から脳天まで突き抜けるような甘過ぎる愉悦に、声を震わせてよがり泣きながら、臨也はそれ以外の言葉を忘れたかのように静雄の名前を呼び続ける。
 十六の歳から、もはや数え切れないくらいに呼んだ名前──渾名だった。静雄が嫌い続けたその渾名は、それゆえに臨也独りのものだった。
 彼から離れる前も、離れた後も、唯一、臨也が持っていられた平和島静雄という存在の縁(よすが)。
 本当にそれしかなかった。それ以外の全ては臨也のものではなく、また、決して臨也のものにはなり得なかった。
 他の誰も呼ばないその渾名を呼ぶことしか、後にも先にも臨也に許されたものは無かったのだ。
「シズちゃん……っ!」
 どこまでも天井知らずに引き上げられる苦痛にも似た強烈な快感に、臨也は助けを求めるかのように絡めた指先にきつく力を込める。
 なめらかに研いだ爪が静雄の手の甲に食い込んだが、静雄は臨也の手を振り払いはしなかった。
「ひ……あぁっ、も…ぅ、駄…目……っ、シ…ズちゃん……!」
「い…いから、もう達け……っ、臨也っ」
「シ、ズ…ちゃ……っ、あ、っあ…、あ…あああああぁ……っ!!」
 一際強く、一番奥まで突き上げられて、臨也はそのまま激しく昇り詰める。
 ほぼ同時に静雄も達して、熱い迸りを吐き出した。
 それきりしばらくの間、寝室には二人の荒い呼吸だけが響く。
 先に自分を取り戻したのは、やはり静雄の方だった。
 気だるげな仕草で、それでも臨也の汗に濡れて張り付いた前髪を優しく額から払う。そして、目元に残る涙の跡を、指先でそっと拭った。
 その優しい感触に、臨也もようやく感覚を現実へと引き戻される。
「──シ…ズちゃん……?」
 細くかすれた声で切れ切れに呼び、頬に僅かに触れたままだった静雄の手のひらの温もりに、うっすらと開いた瞼を瞬かせた。
「大丈夫か?」
「うん……」
 気遣う言葉は、まだ半分ほどしか理解できていなかったが、それでも胸の奥がふんわりと温かくなるような感触に臨也は微笑む。
 頭がぼんやりとしていて、思考が上手くまとまらない。だが、悪い気分ではなく、むしろ全身が温かい気だるさに包まれていて。
「ご…めん……」
「ん?」
「少し…眠らせて……」
 ほんの五分だけ。
 そう呟いて、臨也はもう我慢しきれずに目を閉じる。
 そして、いいぜ、と静雄が低く笑うのを朧気に聞きながら、気絶するように意識を手放した。

to be continued...

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