君のいる場所

 大浴場から寝室に戻ってくると、獄寺は既に室内にいて、自分のデスクに向かっていた。
 とはいえ、何かの作業をしていたというわけではなく、片頬杖をついて目を閉じ、右手は──正確には右手の指がデスクの表面で何かのリズムを刻んでいた。
 五本の指が優雅に、デスクの上で跳ね、踊る。
 その仕草が何を意味するかは、あらゆる物事にうとい綱吉にも分かる。そうしている時の獄寺が、それに全神経を集中しているということも。
 そのためだろう、彼にしては珍しく、綱吉が戻ってきたことに反応するのにドアが開いてから二秒ほどのタイムラグがあった。
「あ、十代目、おかえりなさい」
「うん、ただいま」
 ぱっと目を開いて振り返り、笑顔になった獄寺に綱吉も微笑み返して、手に抱えていた洗濯の終わった衣類を片付けるため、壁際のクローゼットに歩み寄る。
 そうしながら、獄寺に声をかけた。
「もうずっと、獄寺君のピアノ、聴いてないね」
 綱吉がそう言うと、背後で獄寺が照れくさそうに笑う雰囲気がした。
「ここにはピアノがないっスからね」
「そうだね。十年後の俺も気が利かないなぁ。ここはこれだけ広いし部屋もいっぱい空いてるんだから、ピアノの一台くらい、運び込んで置けばよかったのに」
「いいえ、多分、十代目のせいじゃないですよ。きっと十年後の俺が、要らないとか何とか言ったんでしょう」
 俺の言いそうなことです、と獄寺が言うのを聞きながら、手持ちの衣類を全部片付け終えて、綱吉は振り返る。
 予想に反して、獄寺は穏やかな表情をしていた。
 これまで十年後の自分について何かを言う時は、ひどく苦い、憎しみや嫌悪すら感じさせるような鋭い目をするのが常だったから、その穏やかさを少し不思議に思いながら綱吉は獄寺の傍まで戻る。
 そして、隣りの自分用のデスクの椅子に腰を下ろした。
「背中の傷は大丈夫ですか?」
「あ、うん。今日はシャワーだけじゃなくてお風呂にも入ったけど、昨日みたいにはお湯が染みなかったから、もう殆どふさがってるんじゃないのかな」
「そうっスか」
 明らかにほっとしたように獄寺が笑みをこぼす。
 やわらかな気持ちでそれを見つめながら、綱吉も尋ねた。
「獄寺君は? あちこち痛くない?」
「んー、まあ、全然痛まないって言ったら嘘になりますけど。もう動きに支障はないっスよ。認めんのはムカつきますが、姉貴の治療の腕は確かっスね」
「うん、そうだね」
 昨日、満身創痍でアジトに戻ってきた綱吉たちの手当てをしたのは、当然の如く、医療セットを万全に整えて待ち構えていた女性陣だった。
 晴の炎に限らず、死ぬ気の炎を現出させること自体が全身の細胞を活性化させるのか、それぞれが戦いで負ったダメージは、アジトに帰る頃には出血も止まり治癒の方向に向かっていたのだが、それを帰還後、ビアンキの指示に従って、晴の炎を帯びた治療器具によって更に治癒を加速させた結果、表面的な傷は殆んど消え、内部のダメージが多少残る程度までには回復したのである。
 ラル・ミルチだけは療養が必要だったため全て良しとはいえなかったが、それでも互いが全快に向かっていることが何となく嬉しくて、二人は笑み交わす。
 と、その時、やわらかな気配が背後で動いて。
 綱吉が、何だ?と思うと同時に、足元に何かが擦り寄った。
「うわっ!」
「あ、コラ瓜!」
 綱吉の足に行ったり来たりしながら体を擦り付けているのは、二段ベッドの下段で丸くなっていたはずの獄寺の匣兵器だった。
 不意打ちだったから驚いたが、以前にも記憶にある仕草は、やはり甘えているとしか思えない。
 とはいえ、本当のところは分からなかったから、綱吉はすねの辺りにぶつかってくる思いがけないやわらかな圧力を感じながら、首をかしげて嵐猫の飼い主(?)に問いかけた。
「……ねえ獄寺君、瓜は何して欲しいのかな?」
「あ、これっスか? 猫が甘える時の仕草の一つっスよ。猫はあごの横に匂いを出す器官があって……人間の鼻じゃ全然分かんないんスけどね。とにかく飼い主とか、自分のなわばりに自分の匂いをつけて、安心しようとするんです。──って、コラ! 十代目に何してんだてめーは!」
 獄寺は、綱吉の足元の瓜を捕まえようと手を伸ばす。
 すると案の定、瓜は「フーッ!!」と目を吊り上げて獄寺の手を素早く引っかき、獄寺が思わず手を引いた隙に、綱吉の膝の上に飛び乗った。
「あっ! コラ!!」
「い、いいよ、獄寺君。俺、平気だから」
 これまで匣兵器以外の動物になつかれたことはなかったから、膝の上に猫に乗られるのも、勿論これが初めてである。
 だが、綱吉の戸惑いにはお構いなしに、瓜はさっさと綱吉の膝の上で上手い具合に体を落ち着けて丸くなってしまい、綱吉としては驚くと同時に、自分にもこんなになついてくれるのかと妙な感動を覚えた。
 膝の上の猫は重くはなく、かといって軽くもない。ほどよい重さとぬくもり。おそるおそる撫でてみると、毛皮はふわふわでゴロゴロと喉のなる音が返る。
 まるで、毛皮にくるまれたやわらかな湯たんぽみたいだ、と綱吉は思った。
「十代目、本当に大丈夫っスか? 重けりゃそんな奴放り出しちまって構いませんから」
「ううん、全然平気。可愛いね」
「ずうずうしいだけっスよ、こんな奴」
「そんなことないよ」
 言いながら、綱吉はくすくすと笑う。
 ずうずうしいも何も、戦闘で消耗して匣に戻っていた瓜を出したのは獄寺自身である。
 おそらく獄寺は、匣に戻ってしまった瓜が心配でならなかったのだろう。今朝、一晩休んで炎が回復すると同時に匣から出してやったのだから、間違いなかった。
「でも良かったね。こうして見ても、傷とか全然ないみたい」
「匣に戻れば回復するらしいっスよ。何なんですかね、匣兵器ってのは」
「さあ」
 十年後の世界は分からないことだらけだが、匣兵器も謎の一つである。
 十年後の雲雀が何やら言っていたが、結局意味がよく分からないまま彼も中学生次代と入れ替わってしまったために、それ以上のことを聞く機会は失われてしまった。
 もしかしたら彼の右腕の草壁が何か知っているかもしれないが、現時点においては『匣とは何か』という問いは、さほど重要なものではない。大事なのは匣を使いこなし、ミルフィオーレを倒すこと。それだけだった。
 そういえば、と綱吉はデスクの上に置いてある、鮮やかな橙色の匣を見やる。
「この新しい匣も気になるよね。勝手に開けるなってリボーンに言われたけど、何が入ってるんだろ」
「十代目の奴は、きっとメチャクチャにカッコいいものっスよ。そうに決まってます!」
 自信満々で獄寺は断言した。
 どうしてそう言えるかな、という呆れと、ああいかにも彼らしいという安心のような気分が同時に沸き起こり、綱吉はうーんと困り笑いをこぼす。
 それから何とはなし瓜を撫でながら、獄寺のデスクの上の真紅の匣へとまなざしを向けた。
「獄寺君の匣も、何が入ってるんだろうね」
「そりゃすげーものに決まってますよ。十年後の十代目が用意して下さったんですから」
 何気なく言われた言葉に、綱吉の瓜を撫でる手が止まった。
 ───十年後の、自分。
 未来の自分が立てた、計画。
 それしかないと思い定めてのことだったのだろうが、周囲全てを巻き込む、一か八かの残酷な策略。
 未だ、綱吉はそれを考案したのが自分だということが上手く呑み込めていなかった。
 けれど、入江正一の言葉は辻褄が合っているとリボーンも言っていたし、最初から意外なほど協力的だった十年後の雲雀の行動も、彼も計画の一端を担っていたのだと言われれば筋が通る。
 だが、それでも綱吉の心は、自分はそんなことは考えないと思いたがっていた。
 よりによって、京子やハルまで巻き込むなんて。まともに身を守れない幼いランボやイーピンまで戦場に連れてゆくなんて。
 その結果、守りたいという必死の気持ちが強く働いて、計画の狙い通りに普段以上の力が出たことは認める。
 だが、認めることと納得することは別だった。
「十代目?」
 気遣うように呼ばれて、はっと綱吉は我に帰る。
「あ、ご、ごめん。なんかぼーっとしてた」
「いいえ……」
 別に構わないのだと獄寺は首を横に振り、それからふと何か思案するような顔になった。
 真面目な顔でまなざしをやや伏せた獄寺に、綱吉は何だろうと相手の言葉を待つ。
 ほどなく獄寺は、ゆっくりと目線を上げた。
 霧がかかった山奥の湖のような銀緑色の瞳が、まっすぐに綱吉を見つめる。その思わぬまなざしの強さに、綱吉の胸が不意にどきりと音を立てた。
「十代目、俺は十年後のあなたの計画は間違ってなかったと思います」
 不思議なほど強い、はっきりとした言葉だった。
「──え」
 何故、思っていたことが獄寺に分かったのか。
 そんなに顔に出ていただろうかと、思わず目を丸くした綱吉を見つめたまま、獄寺はきっぱりとした口調で続ける。
「俺は十年後の十代目にはお会いしてませんから、どんな方か分かりません。でも十年後の俺が、今の俺と同じように忠誠を尽くしていたお方なら、十年後の十代目も、今のあなたと同じように争い事が嫌いで、ファミリーの全てを守ろうとされる方だったと思うんです。現に入江のヤローも言っていたでしょう? 十代目はチビたちを巻き込むのを最後まで抵抗されてたって」
「それは……そうだけど……」
「俺、それを聞いた時に納得できたんです。十年後の十代目は、皆を守るために信条に反することまでなさった。なら、それは考えに考えて、悩みに悩まれての結論だったに違いありません。……たとえ計画を知らなくても、十代目が苦しまれていたことは十年後の俺も絶対に分かっていたはずです」
 そこまで言って、獄寺はふっと微苦笑未満の表情で眉を寄せた。
「俺は……本当のことを言うと、十年後の俺のことをずっと許せなかったんです。力不足で十代目を守り切れなかったクソヤローだって……」
「そんなこと……!」
 綱吉は、今度こそ心の底から驚く。
 言われてみれば、獄寺が考えそうなことではある。だが、十年後の綱吉にどんなことが起こったのであれ、それは獄寺の責任ではなかった。それだけは絶対に断言できた。
「そんなの、絶対に違うよ! だって、獄寺君、あのG文字の手紙の時に言ったじゃないか。十年後だろうが百年後だろうが、俺を惑わせるような手紙は持たないって。
 俺は十年後の俺がどうなってるのかなんて知らない! でも、そんな気持ちで俺の傍にいてくれた人を、俺が信じないわけないよ! 十年後の獄寺君は絶対に、自分ができることを全部精一杯にやってくれてた! 実際にあの手紙を今の俺たちに届けてくれたじゃないか……!!」
 綱吉の言葉の激しさに、膝の上の瓜が驚いたように目を開く。が、振り落とされる気配はないと思ったのか、三角耳をぴくぴくさせてから再び目を閉じた。
「十代目……」
「あ、ご、ごめん。勝手なこと言って……。でも……十年後の君が力不足とか、君の責任とかいうのは違うと思うんだ」
 力不足とか責任とか。そういう言葉を使われるべきなのは、十年後の自分だった。
 十年後の事情は未だによく分からない。だが、仲間たちが窮地に陥ったということは、ボスとなっていた自分の判断がどこか間違っていたか、甘かったからなのだろう。
 十年後の獄寺は、そんな自分のことを心から案じながら、きっと最善を尽くしてくれていた。他の守護者たちもだ。
 責められるべきなのは、自分。そしてボンゴレをこんな窮地に陥れたミルフィオーレ。
 その二つなのだと綱吉には分かっていた。
「十代目。でも、あなたの責任でもありません。悪いのは結局、ミルフィオーレです」
 獄寺の声は優しかった。
 その声に込められたぬくもりに、綱吉はいつの間にかうつむいてしまっていた顔を上げる。
 獄寺の瞳は、声と同じように温かな、けれど少し悲しい色合いで綱吉を見つめていた。
「連中が無茶苦茶なことを考えて始めなけりゃ、十年後の俺たちは平和にすごしてたはずです。ボンゴレは絶対に、自分たちからは抗争を仕掛けたりしないんスから。
 ……ただ、十年後の俺たちは連中の悪辣さを見誤った……軽く見たのは間違いありません。そのツケを取り返すために、こんな無茶な計画を立てるしかなかった。きっとそういうことなんです」
「獄寺君……」
「俺、十年後の十代目が立てられたこの計画が、入江と雲雀にしか知らされてなかったって聞いて、すげーショックでした。でも、それで十年後の十代目の御覚悟も分かったんです。十代目がそんな風に隠し事をされるなんて、普通ならありえません。一番辛かったのは、間違いなく十年後の十代目なんです……」
 静かで優しい、けれど深い悲しみのこもった声は、ひたひたと綱吉の胸に染みて満ちてゆく。
「それからもう一つ、十年後の俺たちにも隠し通されたってことは、十年後の十代目はきっと、何も言わなくても……俺たちが何も知らなくても、俺たちがちゃんと動くってことを信じて下さっていたんじゃねーかと思うんです。
 十年後の俺が、十代目が意図された通りに動けたのかどうかは、もう分かりません。でもここまでは計画通りだって入江のヤローは言いました。それなら十年後の俺は、力不足でも間違えたわけじゃねーんだろうって……」
 そこまで言って、獄寺はまなざしを伏せる。
 そのうつむき加減の顔には、未だ深い葛藤と悔恨が色濃く滲んでいた。
「……すいません……」
 計画の概要を知って、ある程度は納得できた。十年後の自分が全て間違っていたわけではないのだとも思えた。
 だが、まだ許せないことはあるのだと獄寺の声が震える。
「それでも……それでも、十年後の俺がもっときちんと最初から状況と敵の力を分析していれば……きっとこんなことには……!」
「獄寺君」
 綱吉は瓜を抱き上げて床に下ろし、立ち上がった。
 一歩の距離を詰めて、獄寺の真ん前に立つ。そして獄寺の膝の上で握り締められた手に、そっと自分の両手を重ねた。
「君のせいじゃない。君が言ったんだよ、悪いのはミルフィオーレだって」
「十代目……」
 激情に慄(おのの)いていた獄寺の握りこぶしの震えが、綱吉の手の中で止まる。
 そして上げられたまなざしを、綱吉はまっすぐに見つめた。
「君は十年後でも、絶対にできることを全部やってた。君に手抜きなんてできるわけがないよ。きっと、それだけミルフィオーレと白蘭が普通じゃないんだ」
 ───普通ではない。
 それは何気なく口をついて出た言葉だったが、ふとそれは確信をついているのではないかという気が綱吉にはした。
 そう、ミルフィオーレが普通のファミリーであれば、きっとボンゴレはこんな壊滅的な状態にはならない。九代目も父親も、あのヴァリアーもいる強大な組織なのである。
 何かがあるのだ。ミルフィオーレと白蘭には。
 世界を滅ぼせるほどの、特別な何かが。
「十代目」
 銘を呼ばれて、綱吉は我に帰る。
 そして改めて、獄寺の瞳を見つめた。
「やれることを精一杯にやろう、獄寺君。十年後の俺たちも今の俺たちと同じで、結局はそれしかなかったと思うんだ」
「十代目……」
 きっと十年後の自分たちも、敵の意図や能力を読み誤ったことを悔やみ、己を罵(ののし)りながらも懸命に足掻き続けた。その結果が現状なのだろう。
 一つの戦闘を経ても、状況の厳しさは変わらない。けれど、まだ自分たちにはできることがある。新たに仲間に加わった入江やスパナも知恵を絞っていてくれる。
 過去を変えることはできない。けれど、未来は変えられる。
 十年後の自分は、それに賭けたのではないか。
 自分たちの先には必ず、また皆で笑い合える平和な日々が再び訪れると、そう信じて。
「──はい、十代目」
 綱吉の思いが伝わったのか、獄寺の瞳に強い輝きが戻る。
 それを見届けて、綱吉は獄寺の手から自分の手を離した。と、その手が引き止められる。
 獄寺の左手が、綱吉の右手を掴んでいた。
 綱吉が軽く腕を引けば、簡単に引き抜ける。それくらいのやわらかな、けれど確かな力で、獄寺は綱吉の手を自分の方に引き寄せた。
 綱吉の、まだ子供らしい線の丸さが抜けない細い手の甲に、獄寺の唇がそっと押し当てられる。

「あなたに俺の命と魂の全てを捧げます、十代目。必ずやあなたに勝利を」

 手を押し戴いてささやかれた誓句に、かっと綱吉の全身が熱くなる。
 慌てて手を取り戻し、真っ赤になった顔で何か言おうとしたが、口をパクパクさせるばかりで言葉が出てこない。
 獄寺はそんな綱吉をどこか嬉しそうな顔で見上げてから、さてとばかりに椅子から立ち上がった。
「すみません、十代目。何か御心配かけちまうようなことを言って。でも、俺は大丈夫っスから。自分のやるべきことはちゃんと分かってます」
「う、うん……それはいいけど……」
「それじゃ、今夜はそろそろ休みましょうか。明日もまた朝から早いですし」
「……うん……」
 俺はボスじゃないし、命だの魂だの捧げられても困るんだけど、と口の中でぶつぶつ言いながらも、ここで下手に反論して更にややこしいことになっては困るため、綱吉は獄寺の言葉に従って二段ベッドに向かう。
 そして、ふと見ると、先程膝から下ろした瓜は、ちゃっかりと下段の獄寺のベッドの真ん中で丸くなっていた。
「瓜、ごめんな」
 せっかく膝の上で気持ち良さそうだったのに、とお詫びの気持ちを込めて丸くなった背中を撫でてやると、ゴロゴロとやわらかな響きが手のひらに伝わる。
「甘やかさなくっていいっスよ、そんな奴」
 獄寺は毒づいたが、しかし、今日一日はトレーニングの予定もなかったのに今朝、瓜を匣から出したのは彼自身である。
 相変わらず可愛い矛盾を起こしているなぁと綱吉は苦笑しながら、もう一度瓜の小さな頭を撫でて体を起こした。
 そして梯子を上って、上段の自分のベッドへと辿り着く。
 枕の位置を整え、横になって毛布にくるまりながら、綱吉は獄寺が言ったことを思い返した。
 ───俺は、十年後のあなたの計画は間違ってなかったと思います。
 この衝撃的な十年後の世界に来て、誰もが苦しみ、辛い思いをした。
 それは獄寺も同じで、あれこれ苦しんでいたことは同室の綱吉には何となく伝わってきている。
 だが、それでも獄寺は、今夜もこれまでと同じように綱吉を肯定してくれた。今現在の綱吉ばかりでなく、十年後の綱吉までも。
 何年、何十年経とうと、獄寺は彼自身が言った通りに、自分を信じ、傍にいてくれる。
 それはとてもかけがえのないことだと思った。
(あ、でもだからって、ボスとかそう言うのは困るんだけどさ……)
 先程、右手に感じた獄寺の唇のあたたかな感触を思い出して、綱吉はまた耳まで赤くなる。
 ああいうのは恥ずかしいし、本当に困る。
 けれど、嫌かと言われたら、決してそうではなかった。
 あれは獄寺が自分を信じていてくれる証(あかし)だ。そして、誰かに信じてもらえることは力になる。
 自分を信じてくれる人たちを──こんな自分を友達だと思ってくれている人たちを守りたい。
 心の底からそう思って、綱吉はまなざしを上げた。
「──ねえ、獄寺君」
 ころんと横向きになって、下に向かって声をかける。
先程から寝支度を整えているらしい獄寺が、小声で瓜と寝場所だか何だかで言い争っている声は聞こえていたから、呼びかけるのには躊躇しなかった。
「はい、何ですか?」
「あのさ、十年前の世界に帰ったら、またいっぱい、皆で楽しいことしようよ。寒くなる前にまた遊園地に行って、冬になったら雪合戦とかクリスマスとか……」
「春になったら花見で、夏になったら海水浴に花火っスね」
「うん」
 唐突に言い出した綱吉の言葉にも、すぐに獄寺は応じてくれる。
 そのことが単純に嬉しくて、綱吉は笑った。
「あとね、獄寺君。俺、君のピアノも聞きたい」
「え……俺のピアノ、っスか」
「うん」
 獄寺は何故か人前ではピアノを弾きたがらないが、彼のマンションで綱吉と二人の時だけは、宿題やゲームをやる合間にクラシックから綱吉の好きな最新のヒットソングまで惜しみなく腕前を披露してくれる。
 彼の奏でるピアノの色鮮やかな音は、皆の笑い声と同じ、幸せな日々の象徴の一つであり、それもまた、こうして日常から遠ざかって初めて分かったことだった。
「はい。幾らでも何でも弾きます。でも、このところピアノに全然触ってなくて、指が鈍っちまってますから、それを取り戻してからでいいっスか?」
「勿論だよ」
 毎日学校に行って、宿題をして、遊んで、御飯を食べて。ただそれだけのつまらないほど平凡な毎日を取り戻したい。
 幸せというのが何を意味するのか、もう嫌というほどに思い知っていたから、綱吉は言葉に力を込めた。
「元の世界に帰ったら、また楽しいことがいっぱいできる。だから、また明日から頑張ろう」
「はい、十代目」
 ベッドに横になりながらの会話だから、獄寺の顔は見えない。
 けれど今も、あの晴れやかで、綺麗な色の瞳に強い光を浮かべた表情をしているのだろうと思う。
 綱吉もまた、穏やかに澄んだ微笑みを浮かべながら告げた。
「それじゃ、おやすみ。獄寺君」
「はい、おやすみなさい。電気消しますね」
「うん」
 綱吉が応じると、獄寺が動く気配がして、程なくいつもと同じようにフットライトを残して明かりが消える。
 そして、「もっと隅っこ行け、てめー」と瓜に小声で毒づく獄寺の声を聞きながら、綱吉はそっと目を閉じた。

End.

やっと二人っきりになったぞ編。
以前から、獄ツナの二人には十年後の獄ツナを、それぞれに許してあげて欲しいなぁと思っていたのですが、やっと形になりました。
まだまだ辛いことがいっぱいっぽいですが、仲良く頑張ってくれたらいいなぁと思います。

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