Il compleanno 〔誕生日〕

 やわらかな雨音が、窓ガラス越しにかすかに響いている。
 物音といえばそれだけの静かな夜だった。
 その静けさに包まれながら、完璧だ、と綱吉は思う。
 寒くもなく暑くもなく、窓の向こうを常夜灯に照らされて淡い銀色にきらめく雨が絶え間なく世界に降り注ぐ、静かでやわらかな夜。
 あまりの心地よさに、自然に小さな笑みが零れ落ちる。
 と、
「何ですか?」
 とこの夜にふさわしい、静かに満ちて優しい、低い声が耳元で響いた。
 その声に、綱吉は更に微笑みを深める。
「完璧だと思って」
 そう言い、肩越しに振り返って獄寺を見上げた。
「完璧、ですか?」
「そう」
 この夜も、この恋人も、と綱吉は心の中で呟く。
 霧がかった湖のような銀緑色の瞳は、どこまでも優しく、深く、真っ直ぐに綱吉を見つめている。
 美しい織り生地を張った長椅子にゆったりと体を沈め、背後から綱吉をやわらかく抱き締めている腕も、力強く、温かい。
 ほのかなコロンの香り、衣服越しに感じる鼓動、触れ合っている箇所から伝わる温もり。
 ただ寄り添っているだけで、こんなにも満ち足りる存在を綱吉は他に知らなかった。
「君がすごく好きで、ものすごく幸せっていう意味」
 微笑と共にそう言うと、獄寺は少し驚いたように目をみはり、それから彼もまた、この上なく幸せそうな笑顔になる。
「それなら、俺も一緒です」
 そう答えて、ほら、と時計の方へとまなざしを向けた。
「もうすぐですよ」
 ほぼ重なった長短の針と、刻々と動き続ける秒針。
 それら全てが一点に重なるまではあとわずかで、二人は黙って雨音に耳を傾けながら、その瞬間を待つ。
 長いような短いような、一分間が過ぎて。

「お誕生日おめでとうございます、綱吉さん」

 秒針が頂点を差すのと同時に、獄寺が深い喜びに満ちた声で告げた。
「あなたが生まれて下さったこと、俺と出会って下さったことに、心から感謝します」
「うん、ありがとう」
 自分も一月余り前に同じことを告げた、と思い返しながら、綱吉は微笑む。
 そして、二人はゆっくりと唇を重ねた。
 やわらかく熱を感じ合うキスは、とろけそうに甘く、触れた時と同じようにゆっくりと離れる。
「愛してます。世界で誰よりも、あなただけを」
「うん」
 知っているよ、とうなずいて綱吉は、獄寺の手に頬を摺り寄せる。
 甘えを滲ませたその仕草に、獄寺の瞳の色が一段と深くなった。
「綱吉さん」
「何?」
「綱吉さん」
「うん」
 繰り返し呼ぶ声に、綱吉は何度でも答える。
 そんな綱吉を、獄寺は強く、けれどやわらかく抱き締めた。
「大好きです。あなたが居る限り、俺はこの世界が、人間が美しいものだということを信じられる。生きていていいんだという気になれるんです」
 あまりにも彼らしい、理屈が飛躍していて大げさで、けれど切実で真剣な訴えに、綱吉は獄寺の腕の中でやわらかな微笑を浮かべる。
「生きていいも何も。君が居なくなったら、俺はまともでいられなくなるよ?」
「そんなの駄目です」
「駄目ですって言ったって、君だって俺がいなくなったら、まともじゃいられなくなるだろ? それと一緒」
「いなくなったら駄目です。あなたが居なくなったら、俺は生きてゆけません」
「俺だって生きていけないよ。君がいなくなったら」
 だから、と綱吉は優しい声で笑った。
「長生きしようね、一緒に」
「はい」
「百歳になるまで、俺に誕生日おめでとうって言って? 俺も君に言うから」
「はい……はい、絶対です」
「うん、約束」
 うなずきながら、獄寺の背中をぽんぽんと軽く叩く。
 その優しい感触に、やっと彼は落ち着きを取り戻したようだった。
 顔を上げて、はにかんだような笑みを綱吉に向ける。
「すみません、俺、全然進歩ないですね。もう二十一歳にもなったのに」
「んー。でも、それでいいんじゃない?」
 そういうのをひっくるめて、俺の好きになった君だから、と笑う綱吉の左手を押し戴くようにして、その薬指に輝く美しい黄金と紅玉の指輪に、獄寺はそっと口接けた。
 そして、もう一度綱吉を抱き締める。
「俺、いつも思うんです。好きになったのが、あなたで良かったって。あなた以外だったら、絶対に駄目でした」
「……そんなことないと思うけど?」
「あるんです。だから、綱吉さん。ずっと傍にいさせて下さい」
「当然だろ。何千キロ、何万キロも離れた所から、俺に誕生日おめでとうを言う気なの?」
「いいえ!」
 とんでもない、と獄寺は大きく首を横に振る。
「だろ? だったら来年も再来年も、その先もずっと、俺の傍で俺の誕生日をお祝いしてよ。俺も君の一番近くで、誕生日おめでとうを言うから」
「はい。……はい、綱吉さん」
 ぎゅっと獄寺の腕が綱吉を抱き締める。
 けれど、決して苦しくならないよう加減されたその優しい抱擁に、綱吉は微笑んだ。
 そうしてひとしきり、互いの温もりを感じたところで、名残惜しそうに獄寺が腕を緩める。
「そろそろ寝ないといけませんね。今日は大事なパーティーですから」
「そうだね」
 ボンゴレ十世の誕生日パーティーは、毎年、内輪だけで行われる。
 ファミリーや同盟幹部等の本当に親しい人々だけが集い、次々に余興が披露されたりする和やかかつ陽気な雰囲気で、皆でボスの誕生日を祝うのだ。
「何やかや言いながら、雲雀さんや骸も来てくれるしね」
「来なきゃ、守護者失格ですよ」
「うーん。でも、それはそれとして、やっぱり皆の顔を見られるのは嬉しいよ」
 楽しみだね、と綱吉は笑い、それから顔を上げて獄寺の唇に小さく口接けた。
「それじゃ、シャワー浴びて寝ようか」
「ええ。今日も一日、お疲れ様でした」
 言いながら綱吉は床に降り立ち、獄寺も立ち上がる。
 何よりも綱吉にとっての最善を最優先する獄寺は、次の日に何か大切な仕事や用事があると分かっている時には、決して綱吉に必要以上に触れない。
 ただひたすらに愛おしむように抱き締め、優しいキスを贈るばかりで、時には綱吉の方が焦れて物足りなくなることすらあるほどだった。
 だが、そんな欲求不満はほんの一瞬のことで、獄寺が与えてくれる限りない愛情で包まれることは、何にも変えがたい心地よさであり、魂が震えるような喜びであって。
「ねえ、隼人」
「何ですか?」
「明日のパーティーが終わったら、その後の休暇は、思いっきりいちゃいちゃしようね」
「はい!」
 茶目っ気を含んだ綱吉の誘いかけに、獄寺は大きくうなずく。
 そんな素直な恋人の反応に綱吉も微笑み、そしてまた二人は静かな雨音の響く部屋の中で、優しいキスを交わした。

end.

オフ作品を見て下さっている方に補足。
時系列で言うと、『病める時も健やかなる時も』→今作→『氷が溶けて血に変わるまで』→「子猫」→「休日」→「剣と盾」です。
思いついたネタから仕上げているので、順不同ですみませんm(_ _)m





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