Vacanza 〔休日〕

「暑い、よねえ」
「暑いですねえ」
「俺としてはさ、最高気温が摂氏40度なんて、もう人間の生きていける温度じゃないと思うんだけど」
「それは俺も否定しませんよ」
「ねえ? おかげでジェラートは必要以上に美味しいんだけどさ」
「それも同感です」
 うなずいて、獄寺は手元の銀皿のジェラートをスプーンで崩す。
 テーブルの向かい側では綱吉も同じように、エトナ山を思わせるジェラートを崩しては口に運んで、その冷たさを味わっている。
 二人が居るテーブルの上に広げられたパラソルは、少しばかり古くて色が褪せ気味ではあるものの、強烈な日差しをしっかりと遮っていてくれる。これがなければ、どれほどこの店のジェラートが魅力ではあっても、石畳の上に並べられたカフェ形式のテーブル席に、到底こんな風にのんびりとは座っていられないだろう。
 海が近いために絶えず風があることが救いではあるが、時刻がまだ午前中であることを考えると、本当にうんざりするほどの暑気だった。
「でも十代目、暑いのがお嫌なら、世界中どこにでもボンゴレの夏別荘はありますよ」
 ジェラートが溶けないうちにと、せっせと働くスプーンの動きを目で追いながら、笑いを含ませた声で獄寺が言うと、綱吉はそのスプーンの動きを止め、じと目で獄寺を見上げた。
「……あのねえ、隼人。世界中どこに行っても仕事が追いかけてくるって分かってるのに、なんでわざわざ遠くに出かける気になれると思うわけ?」
「でも、少なくともシチリアよりは涼しいですよ。アルプスもアラスカも、いっそのこと南半球も」
「そりゃ俺だって涼しいのは恋しいけどね。クーラー大好きの現代っ子だし」
 つまらなさそうに言いつつ、綱吉は再びジェラートの山を崩し始める。
「だけど、俺がバカンスに出かけるってことは、本部もそのまんま、バカンス先についてくるってことだろ。そんなの、もう最初の夏で懲りたよ。何十人も、ぞろぞろぞろぞろ。隼人、君も分かってるんだろ? だったら言わないでくれる?」
「はい、すみません」
 心の底から敬愛するボスの叱責ではあるが、所詮ジェラートを食べながらのくつろいだ会話なので、さすがの獄寺でも恐縮するには至らない。
 そもそも綱吉の反応を予想した上での発言だったから、むしろ微笑ましさに似た感情が胸の内に広がる。
 綱吉の方もそれを見透かしているのだろう。ジェラートを口に運びながら、軽く肩をすくめた。
「いーんだよ、無理に大掛かりなバカンスに行かなくったってさ。シチリアにも夏別荘は海と山にあるんだし、そこからなら車で一時間もかからない距離に、世界一美味しいジェラート屋があるんだし」
「それに、万が一の時も二時間ちょっとで総本部まで戻れますしね」
「そういうこと」
 イタリアの夏はバカンスに尽きるが、しかし世界に目を転じれば、夏の間中に及ぶ長期バカンスに興じているのはヨーロッパの一部のみ、というのが実態である。
 そして世界的企業の顔を持つボンゴレは、たとえ本拠地がイタリアにあったとしても、世界経済に合わせて年中無休で動き続けることが義務付けられる。無論、構成員や一般人の社員たちは交代でバカンスに出かけているが、社主である綱吉には、はっきりいってそんな暇はなかった。
 ただ、イタリアやフランスの経済を牛耳る企業の大半は、やはりバカンスシーズンには半身不随のような状態になるため、多忙とはいえ、ある程度は執務にも余裕ができることになる。
 それを幸いとばかりに一泊二日とか二泊三日とか、まるっきり日本人らしい、欧米人の価値基準からすれば、いじましいような休暇を取るのが、ここ数年の綱吉の夏の過ごし方なのだった。
「まぁ長期のバカンスには憧れるけど、俺、あの海辺の夏別荘は本当に気に入ってるしね。あそこなら護衛がぞろぞろついてくることもないし、建物も風景も綺麗だし」
「確かに、あそこは素晴らしいですよね」
「うん」
 獄寺の同意に、こればかりは本当に楽しげに綱吉はうなずく。
 パレルモ近郊にある総本部から車で二時間強の海辺、それも緩やかに海に向かってせり出した岬の先端にある夏別荘は、綱吉の言う通り、小さくて美しい大理石造りの館だった。
 周囲には何もないため海風が心地よく吹き抜け、眺望も輝くような空と海がどこまでも開けている。
 加えて重要なのは、あまりにも周辺に何もないため、不意打ちの敵襲を食らう可能性が殆どない、という点だった。
 岬までの道は、夏枯れた背丈の低い草ばかりが見渡す限りに広がる荒野で、敵が姿を隠せる場所は全くと言っていいほどにない。
 海側も断崖絶壁であり、衛星システムと連動した侵入者探知・迎撃システムが張り巡らされている。
 万が一の敵襲の可能性があるとしたら、戦闘ヘリによるミサイル攻撃か、特殊部隊崩れを使った突撃くらいだろうが、地下に備え付けられた頑丈なシェルターは、ミサイルを数発食らった程度ではびくともしない。
 油断は禁物であるのは当然だが、岬の夏別荘はその美しさとは裏腹に難攻不落の要塞であり、安心して滞在していられる隠れ家の一つなのだった。
「涼しくて綺麗な夏別荘で、うっとうしい護衛もなしに君と二人でのんびりできるんだから、わざわざ遠くまで出かけなくったって、これで十分じゃない?」
 世界一のジェラート屋もあるし、と笑って綱吉は、最後の一掬いのジェラートをぱくりと口に運ぶ。
 そしてその冷たさと甘さに満足するように目を細めるのを見つめて、獄寺もまた幸せそうに顔をほころばせた。
「あなたがそれでいいのなら、俺に不満があるはずないですよ」
「じゃあ、もう俺のバカンスについて、とやかく言うのはやめようね。俺はこれで十分なんだからさ」
「はい」
 笑い合って二人は立ち上がる。
 顔見知りの店主に「今日も美味しかったよ」と声をかけて銀製の皿とスプーンを返し、軒先から張り出したテントから一歩足を踏み出すと、強烈な日差しが降り注いだ。
「あー、でもやっぱりあっついね」
「こればっかりは仕方がないですよ。この島にいる限りは」
「分かってるけど。なんか鉄板焼きにされてる気分だ」
 呟きながら綱吉は日差しよけのサングラスをかけて、あっち、と指差す。
「ノンナの店でカンノーリ買って行こうよ。久しぶりに食べたい」
「あ、いいですね」
「ジュリアとマッシモの分も合わせて……8個くらい?」
「妥当なとこです」
 別荘の管理人夫妻にも、と伺うように見上げる綱吉に、同じく日差しよけの濃い色のサングラスをかけた獄寺はうなずいて見せた。
 ノンナの店は小さなお菓子屋ではあるのだが、恰幅の良い女主人が作るリコッタクリームの濃厚ななめらかさは、ちょっと他所では味わえない絶品なのである。
 本当に小さな小さな、大人の足で一時間もあれば一周できてしまうような町なのに、二人が世界一だと認めるジェラート店といい、ノンナの店といい、甘党の人間にとっては実に天国のような場所だった。
「じゃあ、行こっか」
「はい」
 まだ午前中だというのに激しく照りつける陽光の中、ジャスミンの甘い香りが漂う古い石畳の道を二人はのんびりと歩き出す。
「ねえ隼人」
「はい?」
「今日のデザートはカンノーリでいいけど、明日はセミフレッド食べたいな。アーモンドが入ってるやつ。ジュリア、作ってくれると思う?」
「あなたが頼んで、嫌だって言う女性はいませんよ」
「うーん。そう買いかぶったものじゃないと思うんだけど」
「そんなことありません」
 心の底から言っているらしい獄寺の言葉に、綱吉は笑う。
「じゃあ、二人で頼もうか。この間作ってくれたやつの味が忘れられないんだ、って」
「それもいいですね」
「じゃあ、決まり」
 ジェラートにカンノーリにセミフレッド。
 甘くて冷たいお菓子と、海辺の夏別荘と、ジャスミンの香りのする乾いた風。
 夏を満喫するのに足りないものは何もないと知っている二人は、肩を並べて甘やかに言葉を交わしながら、石畳に濃い影を落としている昔ながらの店構えのパスティッチェーレへと向かった。

end.

※ カンノーリ(単:カンノーロ)の作り方 ※
 円筒形に揚げて冷ましたパイ生地に、リコッタチーズ、チョコチップ、マルサラ酒、砂糖をなめらかになるまで合わせたクリームを詰めて、オレンジピールを飾りつけ。

※ セミフレッドの作り方 ※
 八分立てにした生クリームとメレンゲを合わせ、オレンジの蜂蜜、砂糖、キャラメリゼしたナッツを加えて混ぜ、器に入れて冷凍庫で固める。





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