Five-seveN

1.

「今日は別の場所で講義をやるぞ」
 リボーンがそう告げたのは、綱吉がボンゴレ十代目を告ぐことを正式に決め、本格的なボス教育が始まってから六日目のことだった。
 土曜の朝九時半に獄寺が沢田家へ来るのを待って、腰を上げたりボーンは、階下にいた奈々に三人で出かけるから昼食は要らないと告げ、表へ出た。
 綱吉と獄寺も顔を見合わせたものの、リボーンが唐突なのは今に始まったことではないし、リボーンが出かけると言ったのなら従うしかない。慌てて綱吉は財布と携帯電話だけを掴んで、獄寺と共に後を追った。
「リボーン、どこに行くんだよ」
「ついて来りゃ分かる。そんなに遠くねぇ」
「そりゃそうだろうけど……」
 リボーンは獄寺に車を回せとは指示しなかったのだから、移動手段は徒歩か公共交通機関に限られる。
 だが、駅とは反対の方向に向かっていることを考えると、目的地には徒歩で向かおうとしているのだということ、つまりは遠距離でないことは推測がついた。
 とはいえ、ミステリーツアーではあるまいし、唐突にどこかに連れてゆかれるのは、あまり釈然とするものではない。それがリボーン式のスパルタ講義の一環ともなれば、尚更に不穏さは増す。
 前を行く小さな後姿に綱吉は眉をしかめ、隣りを歩く獄寺に『目的が分かる?』とそっと問いかけのまなざしを送ったが、彼も困った顔で首を小さく横に振る。
 マフィアのやり口やマフィアに必要なものを十分すぎるほどにわきまえているはずの獄寺にも見当がつかないとなると、ますます厄介だった。
 だが、疑問は口には出せないまま黙々と歩き続けるうちに、住宅の密集地を抜けて、所々に空き地や畑が目に付く町外れへと差し掛かる。
 家を出てからちょうど二十分ほどが過ぎた頃、リボーンは道の角に建っている一軒の古ぼけた雑貨屋に入った。
 それは田舎町の外れに今でも時折ある、前時代のコンビニエンスストアのような店だった。
 元は煙草屋だったかと思われたる狭い店内には、煙草とライター以外にも駄菓子や子供向けの文房具、町指定のゴミ袋、それに何故か軍手などの日曜雑貨がぎっしりと並び、そしてそれらの昭和時代の遺物のような商品は、どことなく日焼けして色褪せ、埃をかぶっているように見える。
 奥で店番をしていたのは、気弱そうな壮年の男だったが、店内に足を踏み入れたリボーンの姿を認めるとぺこりと頭を下げて見せた。
「地下を使わせてもらうぞ」
 店主にうなずき返したリボーンは、そんな風に一言断ってレジの横にあるドアを勝手に開け、奥に進んでゆく。
 戸惑いながらも綱吉も店主に無言で──どういう態度を取るべきか分からなかった──会釈し、リボーンの後に続いた。
 ドアの奥は短い廊下があり、正面にはバックヤードのような商品置き場が見え、左にはもう一枚、ドアがあった。
「ツナ、鍵だ」
 え、と思う間もなく、銀色に光る小さなものが投げて寄越される。反射的に受け止めてみると、それはごく普通のシリンダー錠だった。
「……これで開ければいいのか?」
「当然だろ」
 あっさりと返すリボーンに眉をしかめながらも、綱吉はポケットをさぐってハンカチを取り出し、それでつまみ部分をくるむようにして鍵を持ち直す。
 木綿のハンカチでは電撃は避けられないし、飛び針も突き抜ける可能性がある。まったくの無防備よりはましという程度の防御だったが、ここは敵地ではないようだし、リボーンが開けろと指示をしたのだから、この程度で良いだろうと判断して、綱吉は慎重な手つきで鍵を鍵穴に差し込んだ。
 ゆっくりと回すとかちりと手ごたえがあって、鍵が開く。その瞬間も鍵を抜く時も、異常らしい異常は感じなかった。
「開けるの?」
「ああ」
 背後で獄寺が、自分がやりたいとじりじりしているのを感じつつも、綱吉は鍵を開けた時と同様、慎重な手つきでドアノブに手をかけ、ゆっくりと細く開け、ドアの向こうに何の気配もないことを確認してから、ドアの陰に身を隠しつつ、大きく手前に開いた。
 ───これら一連の流れは、以前から獄寺が綱吉の眼前で取っていた手法であり、この一週間にリボーンによって正式に叩き込まれた手法だった。
 一般人ならばまず必要のない慎重さが、裏社会に生きる人間には必須の生存手段となる。
 一見、馬鹿馬鹿しい限りの用心だが、これらの儀式めいた慎重さを軽く見た場合、そのツケは自分の命で払うしかない。リボーンは生真面目な顔で、そう繰り返した。
 ドアの向こうにあったのは、綱吉が半ば予想していた通り、下に向かって伸びる階段だった。
 所々に蛍光灯がついているため暗くはないが、そっと首を伸ばして覗き込んでみても、地下一階という深さではないらしく、踊場の下に踊場が見える。
「下りるぞ」
 ここまでの綱吉の手順に取り立てて注意点を見出さなかったのか、リボーンは短く言って、再び先に立って階段を下り始めた。
 地下に向かって下りる、というのはどことなく嫌な印象を覚えたが、ここまで来て逆らえるものでもない。仕方なく綱吉もついて階段をおり始める。
 振り返りはしなかったが、すぐ後ろに獄寺が居てくれるのは、ひどく心強かった。
 ───世界の果てでも、地獄の底へでも。
 地獄への道行きというのはこんな感じなのかもな、と不意にくだらないことを思いつきながらも下ってゆくと、およそ通常のビルやデパートの地下二階くらいの辺りで階段は終わっており、今度はやたらと頑丈そうな金属製の扉があった。
 オフホワイトに塗装されたスライド型の扉の横には、カード式の電子錠と思しき認識装置があり、見るからに尋常な雰囲気ではない。
 隣りをちらりと伺うと、獄寺もひそめた眉に緊張感をあらわにしており、ここがまともな場所ではないという綱吉の直感が間違ってはいないことを裏付けていた。
「ツナ、それの鍵だ」
 だが、教え子の気分に構わず、リボーンは今度はカードキーを放り投げてくる。シルバーブルーに反射するそれを溜息を隠しながら受け取め、綱吉は電子錠に歩み寄った。
「ここに差し込めばいいわけ?」
「そうだ。差し込んだら信号が点滅するから、それが赤く変わったら俺の言う暗証番号を入力するんだぞ」
「分かったよ」
 言われるままにカードキーの方向を確かめて、電子錠のスリットに差し込む。
 すぐに反応はあって、ネオングリーンの信号が五回点滅した後、ネオンレッドの信号に変わり、リボーンの声がゆっくりと響いた。
「45089302381472だ。ちなみに覚えても意味はねーぞ。三時間おきに変わるからな」
「覚えないよ、そんなもの」
 綱吉が口答えすると同時に、ピッと電子音が響いて信号がネオングリーンに戻り、ドアがスライドする。
「よし、いいぞ。キーは抜いて俺に返せ」
「はいはい」
 用の済んだカードキーを抜き出し、リボーンの後を追って室内に足を踏み入れる。
 そして、リボーンにカードキーを返そうとしたところで、綱吉の動きは止まった。
「な…に……ここ……」
 室内は明るかった。天井には煌々と明かりが灯り、ここが地下だということを忘れさせる。
 雑貨屋の面積をはるかに越えて空間は広く、やはりオフホワイトに壁は塗られていて、何かの実験場のような無機質さを見る者の印象に加えていた。
 だが、綱吉の動きと思考を止めたのは、そんなものではなかった。
 広い空間は二分されており、綱吉たちが今いる側には何もない。ただコンクリート塗装の床が広がっているだけである。
 しかし、右手側には。
「射撃…場……!?」
 漫画やドラマ、映画で見たことはある。だから、複数に仕切られた長いレーンと、その向こうに備え付けられた人型の板が何を意味するのかは判別がついた。
 だが、判別することと理解することは別だった。
「何で……、リボーン!!」
 思わぬ場所に連れて来られた衝撃と怒りとで、綱吉の瞳が金色に燃え上がる。
 それは綱吉の背後に居た獄寺も同様だった。
「リボーンさん! 何故、十代目をこんな場所に……!?」
 ここまで従順に沈黙を守ってきた獄寺もまた、声を上げる。
 その声に含まれた衝撃と怒りは綱吉が感じているものと等しく、それは綱吉に、自分の怒りは不条理なものではない、という奇妙な自信を与えた。
 だが、若い二人に険しいまなざしを向けられても、リボーンは動じる気配を見せなかった。
「必要なことだからだ」
 短く言い、射撃場の方へとゆっくりと歩み寄る。
 そうして愛銃のCZ75を取り出し、ゆっくりとスライドを引いて弾薬を装填しながら背中越しに問いかけた。
「ツナ、街中で敵が拳銃で襲ってきた。どーする?」
「──え?」
「獄寺もだ。敵は複数で拳銃を装備。周囲には一般市民。おめーはどう迎撃する?」
「───」
 思っても見なかった質問に二人が押し黙る間に、リボーンは相変わらずのゆっくりとした動きで銃を構え、引金を引く。
 パン、と案外に軽い音と同時に、標的の左胸──心臓の位置に穴が開いた。
「]グローブで戦うか? ダイナマイトをぶん投げるのか? 拳銃を撃ちまくってくる敵相手に? 周囲の一般市民には構わず?」
 感情の綺麗に消えた声が、淡々と問いかける。その間にも、リボーンはCZ75の引金を引き続けた。
 人型の標的の頭部中央と心臓の位置に開いた、二つのピンホール。
 寸分と外れることなく、リボーンは複数の弾丸を同じ場所に撃ち込み続ける。
「ヴァリアーやミルフィオーレ級の敵なんざ、滅多にいるもんじゃねえ。そこいらの三下を相手にするのにイクスグローブじゃ、立ち回りが派手になりすぎる。街中でダイナマイトなんざ論外だ。──ここまで言えば、分かるだろ」
 やっとリボーンは拳銃を下ろし、振り返る。黒い瞳が、冷たいほどの光をたたえてまっすぐに二人を射抜いた。
「拳銃とナイフ。お前らには、その二つの戦闘技術が絶対に必要だ」
「───…」
 咄嗟に綱吉は答えることができなかった。
 拳銃とナイフ。
 その冷たい金属の持つ響きに、感情と思考の双方を打ちのめされるようで。
 けれど。
「待って下さい! 何もそれなら、十代目までもが身に着ける必要はないじゃないですか! 俺が……!」
「ツナ」
 獄寺の叫びを、リボーンは短い呼びかけで遮った。
「想像してみろ。お前は拳銃を持っていない。獄寺は持っている。どうなる?」
 その冷徹な問いに、今度こそ綱吉は青ざめる。
 ───綱吉が拳銃の扱い方を知らず、獄寺が拳銃を持っていれば。
 獄寺は間違いなく綱吉に逃げろと言うだろう。我が身をもって、丸腰の綱吉を庇うだろう。
「別に獄寺じゃなくてもいい。了平でもランボでもハルでも。お前、どうする?」
 綱吉を真っ直ぐに見つめたリボーンは、容赦しなかった。
 決して綱吉を追い詰めようとして言っているのではない。この小さな家庭教師は、彼の能力の及ぶ限りで生徒を守ろうとしているのだ。彼自身が傍に居なくとも身を守れる手段を、綱吉に身に着けさせようとしている。
 この冷徹さ、厳しさこそが、リボーンの思いやりであり、愛情に他ならない。──そうと分かる以上、綱吉はうなずくことしかできなかった。
「──分かった。俺はどうすればいい?」
「十代目!」
 まだ納得しきれないのか、叫ぶように銘を呼んだ獄寺へと、綱吉はまなざしを向ける。
 そして、感謝と悲しみを込めた目で見つめ、言った。
「俺は、君を盾にはしたくないよ。君だけじゃなくて、他の誰も」
「……十代目……」
 静かな言葉がどう響いたのか、獄寺は言葉を途切れさせる。
 が、やがて唇を噛み、握り締めた手をゆっくりとほどいてから、二人に向かって深く頭を下げた。
「すみません、十代目、リボーンさん。俺が間違ってました」
「獄寺君……」
「分かりゃいい」
 獄寺の謝罪をあっさりと受け入れて、リボーンはこっちへ来いと手振りで合図する。そして自分もまた、シューティングルームの壁際へと歩み寄った。
 入り口からは見えなかった角度のそこは壁一面の銃器棚となっていて、大小様々な拳銃がガラス扉の向こうに並べられ、その手前の簡素な白いテーブルには、二つの拳銃と銃弾が詰まっているらしい小箱が出してあった。
「獄寺、お前は好きなのを棚から選べ。ツナはこっちだ」
 言われるままに綱吉がテーブルに歩み寄ると、リボーンは二つある拳銃のうちの片方を差し出した。
「握ってみろ」
「え?」
「普通に構えてみりゃいいんだ。持ち方くらい分かるだろ」
「う、うん……」
 手渡された拳銃は、案に反してそれほどの重さはなかった。0.5kgあるかどうかというところだろうか。よく見てみれば、主なパーツは金属ではなくプラスチックのような樹脂でできている。軽いのはそのせいなのだろう。
 とりあえず漫画やドラマの見よう見真似で、右手で持ち手を握り、引き金に人差し指をかけてみる。
「……ふん。次はこっちだ」
 テーブルの上に立ち、その手元をじっと見つめていたリボーンが、もう一つの拳銃を差し出す。
「何なんだよ、一体」
 手に取って見た限り、二つの拳銃の外観は全く同じもののように見えた。銃身に施されている刻印も同じである。が、一つ目と同じように握ってみると、少々感触が違った。
「どうだ?」
「どうって……」
「握った感触だ。さっきのと違うだろ」
「あ、うん……。こっちの方がしっくりくるっていうか、握りやすいよ」
「チッ、仕方ねーな」
 綱吉の感想の何が不満なのか、リボーンは舌打ちしつつもうなずいた。
「今日からそれがお前の銃だ。ベルギーのFN社のFive-seveN。覚えとけ」
「Five-seveN……」
 意味のある単語というより英数字だから、覚えやすいといえば覚えやすい。何かの呪文のような暗号のようなそれを、綱吉は不思議な気分で呟く。
「そっちとこっちの差はな、装弾数の差だ。そっちは十発、こっちは二十発が弾倉に入る。その分、グリップの太さが違うわけだ。お前の手が、もう少しでかけりゃ良かったんだがな」
「しょうがないだろ、そんなの」
 いかにも不満げに言うリボーンに、綱吉もつい唇を尖らせる。が、小さな家庭教師は厳しかった。
「馬鹿ツナが。実戦でのことを考えてみろ。十発と二十発の差はメチャクチャでけーぞ。まあ、その分の差は弾倉交換の腕で補ってもらうからな。覚悟しとけ」
「なんだよそれー!」
「何だもクソもねぇぞ。獄寺、おめーの方は決まったか?」
「あ、はい」
 リボーンが声をかけると、じっくりと銃器棚を見て回っていた獄寺が振り返る。
「とりあえずは、これで……」
「IMIのジェリコ941? いっそ素直にCZ75にしといたらどうなんだ」
「いえ、それはちょっと……。いくら何でもリボーンさんと同じ銃は使えません」
「フン、同じ銃っつっても、俺とお前じゃ月とすっぽんもいいとこだろうが」
 短く鼻で笑って、9ミリパラも一箱持って来い、と指示する。
 言われた通りに獄寺が、自分の選んだ拳銃と弾薬を持ってくると、リボーンは改めて二人に向かった。
「獄寺、お前は撃ち方は習ってるだろ。とりあえず勘を取り戻せ。ツナは、俺がみっちりしごいてやる。二人とも、ナイフ格闘技と合わせて三ヶ月でベテラン兵士並の腕にはなってもらうからな」
「……また無茶なことを……」
 綱吉は思わず呟いたが、どんな無茶でもやり遂げてしまうのがリボーンである。この先に待つスパルタを想像すると、三ヵ月後に自分の命があるだろうか、と疑わずにはいられなかった。
 溜息を押し隠しつつ、ふと、まなざしを向けると、獄寺と目が合う。
 まだどこか気遣わしげな色を残した獄寺の瞳に、綱吉はそっと笑んだ。
 ───こんな並盛町の片隅の地下で、自分たちが拳銃片手に肩を並べている光景など、想像の範疇を超えている。
 現実離れした、だが、これが現実なのだと、綱吉は静かな覚悟の裏で理解していた。

to be continued...





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