去りゆく日々の足音に

21.

「獄寺君?」
 何故、立ち止まるのかと、綱吉は一歩遅れる形になった彼を振り返った。
 そして、街灯に照らし出された彼の表情を見て、小さく息を呑む。
 それほどに獄寺の表情は、険しかった。
「どうしたの?」
 何かを言い間違えただろうか、と表情には出さないようにしながら、めまぐるしく一連の会話を思い返す。
 だが、何かに思い当たるよりも早く、獄寺が口を開いた。
「十代目、あなたはもう覚悟を決めてるんでしょう」
「──え」
 咄嗟に反応ができなかった。何か返さなければ、肯定と受け取られてしまう。分かっているのに、表情をつくろえない。
 浮かんでしまっているだろう驚きを、見当外れのことを言われたからだと解釈してくれればいいのだが、この状況でそれを望めるだろうか。
 だが、そんな綱吉の内心の狼狽に気付いているのかいないのか、獄寺は性急に言葉を紡いだ。
「あなたはもう、決めてるんだ。いつですか。いつ決めたんですか。少なくとも昨日までのあなたからは、そんな感じはしなかった。まさか──昼間の俺の言葉で、」
「違うよ」
 思いがけない獄寺の察しの良さに驚きながらも、綱吉は冷静に彼の言葉を遮った。
 いつの間に自分はこんな腹芸ができるようになったのだろう。内心はパニックに陥っているのに、表情と声だけは平静を保つなんて。
「違うよ。まだ決めてなんかない。それに決めるとしても、それは全部、俺の責任だよ。冷たい言い方かもしれないけど、君の言葉を理由になんかしたりしない」
 言いながら、ああそうか、と理解する。
 獄寺が恐慌状態に陥りかけているから、自分には理性の制御がかかったのだ。
 ここで取り乱せば、彼は間違いなく彼自身を激しく責める。
 彼は何一つ、悪くないのに。
「もちろん、早いうちに決めるべきだってことは分かってる。俺も正直、今度の夏が終わるまでには、答えを出さなきゃいけないと思ってた。でも、まだ決めてはないんだよ、本当に」
「……十代目」
「獄寺君、君が俺のためを思って言ってくれてるのは分かってる。でも、これは俺が一人で決めなきゃいけないことなんだ。……だから、俺は君の言葉にも左右はされない。君の言ってくれたことを忘れはしないけど……それ以上にはできないんだ。だから、ごめん」
 その言葉は、掛け値なしの本音だった。
 自分が何を決断するにせよ、獄寺の言動を理由にする気はない。
 すべては自分の意志によるものだ。
 誰よりも彼が大切な存在であっても、否、そうであるからこそ、絶対に獄寺の存在を自分の決断の理由にはできなかった。
「……すみません、十代目」
「どうして謝るの。俺のために言ってくれたことなのに。──まぁ、君が先走って、変な勘違いしたのは否定できないけどさ」
「すみません。俺の悪い癖っスね」
「いいよ。気にしてないから」
 笑って、再び歩き出す。
 獄寺が本当に納得してくれたのかどうかは、分からなかった。
 けれど、彼が表面上だけでも受け入れてくれたのなら、それに甘えるしかない。
 自ら執行猶予を作ったことが、二人にとって真実救いになるのかどうかは、正直な所、綱吉自身にも判断が付かなかった。
 だが、少なくとも今日、獄寺の部屋で彼の言葉を契機として覚悟が定まったということだけは、たとえどれほど見え透いていたとしても、獄寺には明かしたくない。そんな強い思いが、綱吉の口をそれきり閉ざさせた。

 ───ごめんね。本当の事を言わなくて。
 それでも、全ては俺の意志、俺の決めることだから。
 だから、何一つ悪くない君を責めないで。
 どうか、お願いだから。

22.

「ただいまー」
「あら、おかえりなさい。すぐに御飯よ」
「うん」
 台所で揚げ物をしながら振り返った奈々にうなずき、綱吉はテーブルの指定席で夕刊を読んでいるスーツ姿の赤ん坊をちらりと見やった。
「ただいま、リボーン」
「おう」
 返答はそれだけだった。紙面から顔を上げすらしない。
 異様に察しのいい家庭教師のことだ。何かを言われるのではないかと少しばかり身構えていた綱吉は、少しばかり拍子抜けした気分で肩の力を抜く。
 だが、踵(きびす)を返して階段に向かいながら、獄寺が気付いたのにリボーンが気付いていないわけがない、とすぐに思い直した。
 綱吉が決めたのなら、自分が言うことなど何もない。
 おそらくリボーンの真意はそんなところだろう。こちらが正式に口に出すまでは、これまで通りのスタンスを通すつもりに違いなかった。
(そういうところ、あいつはクールだもんな)
 心根が冷たいわけでは決してないが、リボーンは常に他人に対して突き放した態度を取る。一定の線を越えることは、自分のためにも相手のためにもならないと知っているからだ。
 いつもはそんな彼の態度を冷たいと感じることも多いが、今夜ばかりは、何か言われたら自分がどう反応するか自分でも予想がつかないため、そんな彼の態度がありがたいと少々複雑な心理で思う。
(何しろ、こんな形で覚悟が決まるなんて、自分でも思ってなかったし……)
 二階に上がり、自分の部屋のドアを開けて明かりをつける。
 そして、そのまま綱吉は、ゆっくりと窓辺に歩み寄った。
 まだカーテンの閉まっていないガラス窓越しに見下ろすと、思った通り、夜道を歩き去ってゆく獄寺の後姿が見えて。
 こつりと綱吉は、冷たいガラスに額をぶつける。
(……どうして気付いたの)
 今更ながらのように、心臓が鉛の足枷を引きずるかのように重く鼓動を打っているのを感じる。
 自分はいつもと同じように振舞っていたはずだったのに。
 それでも、何かが違ってしまっていたのだろうか。
 自分の表情に、言葉に、彼は何かを見てしまったのだろうか。
 できれば、彼には──ボスになる必要などないと言ってくれた彼には、自分の口から告げるまで気付かないでいて欲しかったのに。
「……でも、気付かれちゃったものは仕方ない、んだよな……」
 獄寺は、彼自身が自分の右腕となることを夢見るのと同じくらいの強さで、自分がマフィアにならない道を選ぶことを望んでくれた。
 ならば今日、早々に気付かれてしまった自分の決意は、彼にとっても、自分を真実、ボスと仰ぐ覚悟を定めるためのきっかけとなるのかもしれない。
 それはおそらく、彼にとっても自分にとっても、ひどくほろ苦い執行猶予ではあるのだろうけれど。
「信じられないよね。俺がマフィアのボスだなんて」
 自分の手のひらを見つめ、綱吉は淡く自嘲する。
 昼間に獄寺が言った通り、ボスになりたくなければ、まだ逃げる余地はあるのかもしれなかった。マフィアの世界を知り尽くしている彼が言うことだ。おそらくは確証があっての発言だったのに違いない。
 けれど。
「それでも、俺がボスになることでしか守れないものがあるのなら……」
 迷う理由など、もうどこにもない。
 それはきっと、自分が想像しているよりも遥かに恐ろしく、冷たい修羅の道ではあるのだろうけれど、自分は決して一人ではないから。
 だから。
「ごめんね……」
 もう一度小さく呟いて。
 綱吉は、そっと窓辺を離れた。

23.

 二階の綱吉の部屋に明かりがついたのを見届けて、獄寺は踵を返す。
 ゆっくりとアスファルトを歩きながら、煙草を一本取り出して加え、火をつける。そして、口の中に広がる苦味を感じながら、大きく息を吐き出した。
(言うべきじゃなかった)
 否、言わなければいけないことだった。それは間違いない。
 ただ、遅すぎたのだ。言うのならもっと前、それこそイタリア語を教えて欲しいと請われた時に言うべきだった。
 だが、どうして自分の言葉を契機にして、彼が覚悟を固めてしまうなどと予想できただろう。
 今ですら、自分の言葉の何が彼を刺激したのか、まったく分からない。
(情けねえ)
 結局、自分は彼の何にも役に立ちはしない。
 あの人の幸せのためなら何でもできると息巻きながら、それだけの人間だ。ちっぽけ過ぎて、乾いた笑みすら浮かんではこない。
 けれど、それでも。
(あなたは、こんな俺のために嘘をついてくれた)
 確かに、彼の決断に自分が影響するなどと考えたのは、僭越極まりなかった。彼が否定したことを疑う気はない。
 けれど、決めてない、というのは彼の優しい嘘だ。
 彼が何と言おうと、先程確かに、今日の午前中までは感じなかったひそやかな痛みと、それを覆い包む目もくらむほどの強さが、彼の横顔に透けて見えた。
 彼は否定したけれど、自分が見間違えるはずもない。
 五年前のあの日から、何度も何度も繰り返し目の当たりにし、強烈に惹かれ続けてきたまばゆい黄金の輝き。敵を前にしていたわけでもないのに、それが夜道を歩く彼を包んでいた。
 けれど、それでも彼は。
 まだ、決めてはいない、と。
 彼にマフィアになって欲しくないというこちらの身勝手な思いを汲んだ、優しく、ほろ苦い執行猶予を与えてくれたのだ。
「十代目……」
 ただ一人と心に定めた主の銘を呼び、ぐ、と獄寺は拳を握り締める。
 ───今度の夏が終わるまで。
 彼はそう言った。
 ならば、それまでには、自分も覚悟を決めなければならない。
 ボンゴレ十世の右腕として彼の傍らに立ち、その優しい手を血と硝煙に染めてゆくだろう彼を憐れむのではなく、毅然として支える覚悟を。
 彼が彼に似つかわしくない、どんなに非情かつ残酷な命令を下しても、顔色一つ変えずに忠実に実行する覚悟を。
 そして、もう一つ。
(あなたはこの先永遠に、俺一人のものにはならない)
 他者の影を感じることなく二人きりでいられるのは、今、この国にいる間だけだった。
 ドン・ボンゴレは、ファミリー全てのもの。
 ファミリー全ては、ドン・ボンゴレのもの。
 それは決して冒されることのない不文律。
 彼を自分だけのものにしたいなどとは、もうこの先、夢想することすら許されない。
 三年前、リボーンに冷や水を浴びせかけられて自覚した想いは、もはや永遠に叶わない。
(叶うなんて、思ったこともねぇけどな)
 誰よりも優しい、綺麗な人。
 好きだった。いつからなんて分からない。気がついたら、この想いだけが自分の存在意義だった。
 世界でたった一人、これからも一生、この命が尽きるまで愛し続けるだろう。
 それは変わらない。
 だから。
 泣きたいような思いで唇を噛み締める。
 ───覚悟を。
 最愛の主がくれた、優しい執行猶予が終わるまでに。

24.

 明かりを消し、ひどく重く感じられる体を、綱吉はベッドの上に横たえる。
 昼間に奈々が干してくれたらしい日向の匂いのする布団は、馴染んだ感触で体重を受け止めてくれたが、心は何一つ、慰められなかった。
(獄寺君)
 夕食の間は、リボーンや母が自分の決意を知った時にどう反応するかということが気にかかってそれどころではなかったが、夜が更けると共に、今度は昼間、覚悟と同時に自覚したばかりの感情が、綱吉を苦しめ始めていた。
 夜間は、理性よりも感情に天秤が傾くという巷説は本当なのだろう。今にもあふれそうな想いを持て余して、暗闇の中で唇を噛み締める。
 こうして目を閉じてくると、浮かんでくるのは彼のことばかりだった。
 出会ってからこれまで目にしてきた彼の瞳の色、髪の色、表情や言葉、仕草の一つ一つまでが、鮮やかに自分の裡に焼き付いている。
 これほどの感情に、何故今日まで気付かなかったのか。
 そして、今日、彼の言葉を聞くまで、どうして彼の気持ちに気付かなかったのか。
(違う。気付かなかったんじゃない。気付かないようにしていたんだ)
 何故なら、自分たちの想いには未来がないから。
 自分がこのままボンゴレの十代目となれば、たとえ右腕と称されようと彼はあくまでも部下の一人にすぎず、彼だけを特別扱いするわけにはいかない。
 そして彼もまた、部下の一人である以上、ボスに対して忠誠以上の感情を持つことは許されない。
 だから、自分の感情に、無意識に目隠しをしていたのだ。
 自覚してしまえば、辛いばかりだから。
 多分、と仮定するまでもなく、自分たちが恋人同士になるのはとても簡単な事に違いなかった。互いに想い合っているのだから、それこそ好きだと一言、告げるだけでいい。
 だが、想いが通じ合えば、恋心はそのまま独占欲となる。マフィアのボスと特定の部下が、互いに独占欲を持ち合い、第三者に対していちいち嫉妬心を抱いていたら、お話にもならない。
 おそらくは、獄寺もそれを恐れていたのだろう。
 忠実な右腕であろうとするのなら、恋心など邪魔な感情でしかないから、あれほど感情豊かな彼が、その部分だけは徹底的に押し隠していたのだ。
 今日の昼間、自分が気付いてしまうまでは。
(好きだよ。君が一番好きだよ)
 いつからとか、そんなことは分からない。
 けれど、あんなにまでも全身全霊で、文字通りに命がけで想ってくれる相手を愛さないでいられるわけがなかった。
 呆れるくらいに純粋で、一途で、不器用で、誰よりも優しい人。
(君は知るわけがないけど、俺は君が笑うと、すごく嬉しくなるんだ。どうしてなのかは、今日まで分からなかったけれど)
 それでも、この想いは永遠に叶わない。
 どれほど自分たちが想い合っていても、ボスと部下である限り。
 そして、自分の裡にある、獄寺を含む大切な人たちを守りたいという想いも本物だったから、どうあっても自分は、獄寺一人を選べない。
(それでも、好きだよ。これからもずっと)
 いっそ一生、感情に目隠しして気付かずにいた方が、楽だったかもしれなかった。
 胸の一番奥から込み上げる悲痛な叫びにも似た想いに、こらえきれず眦(まなじり)から涙が零れ落ちてゆく。
 リボーンに気付かれるかもしれないと思ったが、あふれ出したものが容易く止まるはずもない。
 頭から布団を被って嗚咽を押し殺しながら、涙が枯れるまで綱吉は泣いた。

25.

 月曜日も上天気だった。
 いつもの時間に綱吉が玄関を出ると、今日も門のところで獄寺が律儀に待っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
 いつもと変わりない挨拶を交わしながらも、綱吉は目ざとく、寝不足らしい獄寺の目の充血を見逃さなかった。
 だが、それはお互い様だろう。
 日曜を挟んだおかげで、少しばかり気分は落ち着き、泣いて腫れた目も大体元通りにはなったが、それでも寝不足なのには変わらず、自分の目もまだ赤いはずだった。
「寝不足って顔、してるね」
 何となく苦笑を覚えながら、綱吉は隣りを歩く獄寺に語りかける。
「俺ですか?」
「俺も、だよ」
 眠れなかったことを隠す気はなかった。目が赤いのに、そんな意味のないことをしても仕方がない。
 それよりも、今朝は彼に言いことがあるのだ。バス停に着くまでに、言うべき事を言ってしまいたかった。
「別に君のせいってわけじゃないから、そんな顔しないで欲しいんだけど。それよりさ、獄寺君」
「はい?」
 ゆっくりと歩きながら綱吉は切り出す。
「俺もね、土曜から色々考えてたんだ。これまでのことと、これからのこと」
「……はい」
「それで、心配してくれた君には悪いと思うんだけど……、例の事はどうせ近いうちに答えが出るというか、出さなきゃいけないことだから。それなら、今はちょっとだけ横に置いといてもいいかもしれないと思って」
「……つまり、結論は先延ばしってことっスか?」
「そういうことになるのかな。俺なりに真剣に考えたんだけど、何が一番大事なのかって自問自答したとき、浮かんだのはやっぱり皆のことだったんだ。君とか山本とか、京子ちゃんとかハルとか……。
 だから、とにかく今はごちゃごちゃ考えるよりも、『今』を一番大事にしたいって思ったんだよ。こういうのって、やっぱり現実逃避だと思う?」
 そう問いかけると、獄寺は考えるような表情になった。
 朝の光の中で、霧がかった湖のような瞳が深い色に揺らめく。
 その綺麗な色を見やりながら、綱吉は続けた。
「将来も大事だけど、現実的には今日、交通事故に遭うかもしれないわけだし。明日がどうなるのかっていうのも、本当のところは分からないだろ? ……もしかしたら平和なのは、今のうちだけなのかもしれないからさ。俺としては、こうして君と一緒にいる時間とか、もしかしたら今しかないかもしれない、当たり前に感じることを大事にしたいんだ」
「十代目」
「俺、ずるいかな」
「いいえ、とんでもない!」
 意気込んで否定する獄寺は、いつもの彼だった。
 少しだけ嬉しくなって、綱吉は笑う。
 そのせいだろうか。続きの台詞は、何の気負いもなく口から滑り落ちた。
「じゃあさ、君さえ嫌じゃなかったら、もう少しだけ俺のモラトリアムに付き合ってくれる? そんなに長い間じゃないはずだから」
「はい。……でも」
「でも……何?」
 問うと、獄寺は少しだけためらった後、そっと言った。

26.

「いいんですか。あなたのお傍にいるのが、俺で」
「何言ってるの、今更」
 真剣に問われたその言葉に、綱吉はポーズではなく心の底から呆れる。
 思わず足を止めて、まじまじと獄寺の顔を見つめた。
 この土日に自分も随分と色々考えたが、彼の方はそんなことを考えていたのか。
 自分のことを大切に思ってくれているからこそであるには違いないが、時々、彼の思考は空回りした挙句、てんで的外れな明後日の方角へと飛んでゆく。
 そんな部分すらも、獄寺隼人という人間を構成する大切な要素であることには変わりはないのだけれど。
「っていうより、俺から離れて一体、どうするつもりなわけ? そもそも君と俺は、同じ学校で同じクラスなんだよ? これから卒業まで半年以上、学校サボりつづけるつもり? それともいっそ中退でもするの?」
「いや、それはそうなんですけど。……俺がお傍にいたら御迷惑かなとか、」
「何、馬鹿なこと言ってるんだよ。いいんだよ、君はそのままで」
 それこそ、俺の方が迷惑かけてるんじゃないかと言いたいくらいなのに、とぶつぶつぼやくと、獄寺は更に困った顔になりつつも叫んだ。
「十代目が迷惑だなんて、天地がさかさまになったって有り得ないですよ!」
「だったら、もうゴチャゴチャ考えない! 俺の傍に居たいのか、居たくないのか、どっち!?」
「居たいです!!」
 間髪入れない即答だった。
 満足して、綱吉は微笑む。
「うん。俺も、こうして君と一緒にいるのは楽しいし、君が居なくなったら困るよ」
「……本当ですか」
「こんなことで嘘ついて、どうするの」
 ほがらかに言うと、獄寺はほっと安堵したような表情になる。
 ───これが、綱吉が一日考えた結論だった。
 ようやく定まった覚悟を口にしない限り、自分と獄寺はまだボスと部下ではない、などというのは、ずるい詭弁かもしれない。
 けれど、一昨日、彼を傷つけるのが怖くて本心を言えなかった自分の弱さを、それならそれで開き直って、最大限に利用しても良いのではないか、と考え方を切り替えたのである。
 こんな風に獄寺と過ごすことを許されるのは、どうせ今しかないのだ。
 だからといって、もちろん、一線を越える気はこれっぽっちもない。
 想いを伝えても、互いに苦しむ事になるばかりか、将来のファミリーのことを考えれば、何一つ有益なことはないことは重々分かっている。
 だから、ただもう少しだけ、憧れではない初めての恋をした相手と一緒に、友達とも仲間とも呼べない、このほろ苦く優しい関係に浸っていたいと思うのだ。
 それはもしかしたら、彼にとっても自分にとっても、ひどく残酷なことなのかもしれなかったけれど。
 それでも、今だけは。
「……今年の夏も暑くなるのかな」
「どうっスかね。予想では、また酷暑になるって言ってますけど」
「そんな予想、当たってもちっとも嬉しくないなぁ」
 見上げた朝日の眩しさに、綱吉は目を細める。
 あと幾らもしないうちに入梅したら、夏はもう目の前に迫る。
 ───それまで、あと少しだけ。
 もう少しだけ、このままで。
 この平和な日々を、まるで世界に二人きりみたいに。
 決して恋人同士にはなれなくても、と心のうちで呟いて、綱吉は隣りを歩く獄寺を振り仰ぐ。
「じゃあとりあえず、今日も学校に行こっか」
「はい」
 ためらいなくうなずく彼の瞳の翠緑色に、笑みを返して。
 そして綱吉は、迷いのない琥珀のまなざしを前へと向けた。

End.






<< PREV
格納庫に戻る >>