千年恋神楽

「まったく呆れたひとですね」
 常闇の鬼神が冷たい声で言い放つのは、惨事が起きた直後の極楽満月の畑の端である。
 力任せに暴れるばかりでなく、今日は炎まで使ってくれたせいで、地面は至る所が掘り返され、下草もあちこち焦げている。
 そのくせ、貴重な生薬や仙桃の木には被害が及ばないよう、器用に避けている辺りが実に憎らしい。
 どこまでも嫌味な奴だと思いながら、白澤は地べたに転がったまま、傍らに立つ鬼を睨み上げた。
「この卑怯者。うちの元従業員まで味方に付けやがって……」
「芥子さんは、悪党をかちかちするのを手伝って下さっただけですよ」
 かちかち、って何だ。その語彙選びは一体何なんだ、この野郎。
 そう思いつつも口には出さない。出したら最後、百倍になって返ってくるからだ。ことによっては、おや分かりませんでしたかと涼しい顔で一から呵責を繰り返しかねない。
 とかく迂闊な性格の白澤であるが、それくらいのことは想像がつくし、口を噤むだけの賢さもある。
 そのうちぎゃふんと言わせてやるからなと心に誓いつつも、ようやく立ち上がって土埃に汚れた白衣を手で払った。
「まったくひどい目に遭った……。芥子ちゃんも芥子ちゃんだよ。この鬼に馴染み過ぎ」
「そうですか?」
 きょとんと見つめ返してくる様は、実に愛くるしい。雪白でふっわふわの毛皮につぶらな目。外見だけならば人畜無害、百点満点だ。
 しかし、その実態は、草食動物の乙女の身でありながら、かちかち山の凄絶な伝説を作った猛者である。しかも、日本地獄の現役獄卒の肩書付きだ。
 何ともしょっぱい現実に、白澤は深い深い溜息をつく。
 それから気を取り直して、目線を傍らの鬼へと向けた。
「まぁいいよ。芥子ちゃんは元従業員だし、女の子だし。問題はお前だ」
 そもそもの元凶は、この不倶戴天の敵である。
 ろくでもないことばかりするのはいつものことだが、今日は少しばかり昔の話をわざわざ引っ張り出して、それを口実に桃源郷まで殴り込みをかけてきたのだ。
 しかも、こんな平日の真昼間にである。
 普段、忙しい忙しいと言っているのは一体、何なのか。
 そんな暇があったら仕事しろ、全力で残業を回避しろと、腹の底から思わずにはいられない。
「確かにな、僕はこの子に芥子味噌の作り方を教えたよ。機会があったら食わせるなり塗るなりしろとも言った。でも、芥子ちゃんは実際にお前にそんな真似したか? してないよな? 実害ないのに、この仕打ちはないんじゃないのか」
「貴方は存在自体が害悪なんですよ」
 鬼灯の答えはにべもなかった。
「お前の方がよほど悪だろうが!!」
「それに、別に私は芥子味噌の報復をしたわけじゃないですよ」
「無視かよ! って、それじゃあ何で僕はこんな目に遭わされたんだよ?」
 聞こえないふりで言葉を続ける鬼を睨み付ける。
 すると、彼は恐ろしく冷たい目つきで白澤を見た。
「忘れたとは言わせませんよ。あの和漢親善試合の直後。身に覚えがあるでしょう?」
「和漢親善試合〜?」
 何だそれは、と白澤は顔をしかめる。
 無論、試合そのもののことは覚えてはいる。千年前など昨日も同じだし、少し前にも、あの時の賭けの対象になった係員の鬼が見つかったとかで、勝敗を争う議論が再燃したばかりだ。
 だが、その直後となると。
 実に、まことに、この上なく、限りなく、ひたすらに不愉快な記憶しか浮かび上がってこない。
 ―――美芳ちゃんに振られて、若菜ちゃんに素っ気無くされて、青霞娘々ちゃんに交際を断られて、花梨ちゃんにビンタくらって……。
 そう、あの頃、可愛い女の子たちの誰もかれもが口を揃えて言ったのだ。
「私、鬼灯様の方が好きだから、貴方と付き合うのは無理」
「付き合うなら鬼灯様の方がいいわ。浮気しなさそうだもの」
 と。
 今から思い返しても腸が煮えくり返るような思いがする。
 だから、当時の自分は。

「―――あ、」

「思い出したか」
 そういえば、と声に出した途端、地の底を這うような重低音が降ってくる。
 まなざしを向けると、この上なく険悪な顔をした鬼がガンを付けていた。
「まさか……」
「そのまさか、ですよ」
「お、前、メチャクチャ根に持つ奴だな……!?」
「何を今更」
 自分を生贄として殺した故郷の人々を死後の世界で探し出し、数千年を経ても未だに呵責し続けているような鬼である。執念深さは折り紙付きだとばかりに、鬼灯は眼光を一層鋭くした。
「日本地獄創設千周年の記念式典を滅茶苦茶にして下さった貴方の愚行。今の今まで私も理由を存じませんでしたが、女に振られた腹いせの逆恨みだったそうですねえ……?」
「あれ、は……!」
「何です? 異論があるならおっしゃってごらんなさい」
 口調ばかりは穏やかだが、鬼を形作る全てが壮絶な殺気を放っている。
 何をさえずったところで、ミンチになるまで叩き潰す気がありありと見えて、白澤は思わず固唾を呑んだ。
「さあ、白澤さん。あれは? 何なんです?」
 ずいっと一歩、鬼が詰め寄ってくる。じり……と白澤は後退する。
 そんなことを数度繰り返すと、白澤の背が何かに触れた。
 ごつごつとした感触に桃の樹だと気付いたが、逃げる方角を誤ったと悔やんでも今更である。そして鬼灯も、好機を見逃すような甘い性格ではない。
 どん!、と頭の上に手を突かれ、いわゆる壁ドンの体勢で白澤は追い詰められた。
 真正面から冷たく燃える目が白澤を見つめる。
「たかが女に振られたくらいで逆恨みして、うちの式典を台無しにしてくれたんですか。本当にどうしようもなく下劣な人ですね」
「だから、あれは……!!」
「あれは?」
 叫びかけて、はっと白澤は口を噤む。
 目の前の鬼は恐ろしい形相でこちらを睨み付けている。それなりの言い訳をしなかったら、死ねないことを心底悔やみたくなるような酷い目に合わされるのは明らかである。
 だが、ひとには言えることと言えないことがあるのだ。明らかにしたならば、更に悪い事態を招くことが目に見えている、という時に、うかうかと事実を喋るのは、ただの愚か者でしかない。
「白澤さん?」
 ぐい、と鬼灯が更に詰め寄る。
 もはや互いの吐息がかかる距離だった。
 体勢といい距離といい、他者に見られたらあらぬ誤解を抱かれること間違いなしだ。幸い、ここには桃太郎と芥子を含む兎しかいないが、いつ薬を求める客が訪れるとも限らない。
 いや、そんなことはどうでもいい。問題は目の前に迫っている危険だ。
 回避しなければ身の毛もよだつような、この先一万年はトラウマになるような恐ろしいことが間違いなく起きる。
 そう、全身の皮を剥がれ、こんがり焼かれた上に芥子味噌を塗りこまれるような。そのための道具と人員は揃っている。
 となれば。
 白澤の選ぶ道は、ただ一つだった。

「逃げる!!」

 三十六計、逃げるにしかず。
 たまには人間も良いことをいう。
 故国に生まれた名軍師の言葉を忠実に守って、白澤は素早い踏み出しと共に鬼灯の腕を払い、かいくぐって包囲から逃れると同時に変化を解く。
 瞬時に巨大な獣の本性を取り戻した白澤は、そのまま青空へと駆け上がった。
「逃げるな駄獣!!!!」
 下方からすさまじい怒号が届いたが、ここで立ち止まったらそれこそ阿呆だ。
 白澤は一目散に雲を踏んで駆け、全速力で十分ほども逃走してからやっと歩を緩めて、地上を見下ろし現在地を確認した。
「ここまで来れば大丈夫かな」
 桃源郷の外れ、あと少し行けば崑崙の山域に入るという地点である。
 地図で言えば、日本のあの世と接している境界の真逆に位置している。天を駆けることの出来ない鬼がここまで追って来ることは、まず不可能だ。
 白澤はほっと息をついて、渓流沿いの開けた場所に降り立った。
 目立つ神獣の姿から人型に変じ、やわらかな下草の上に腰を下ろす。
 そして、せせらぎの涼やかな水音を聞きながら深い溜息をついた。
「ったく……人の気も知らないで、あの鬼め……」
 山深い仙境であるがゆえに、小鳥たちのさえずりが遠く近く響き渡っている。
 風は穏やかで、花の香りを仄かに含んで甘い。
 俗世を離れた美しさに身を浸しながらも、白澤の気鬱は留まるところを知らなかった。
「どれもこれも全部、お前のせいじゃないか」

 ―――ひらりと舞う扇。

 はっとするほど鮮やかに翻った漆黒と緋の衣装。
 今でもありありと思い出せる。
 億年を超えて存在し続けている神獣にとっては、千年前など昨日と大差ない。興味のないことは無論忘れるが、印象深いことであれば記憶は細部まで鮮明だ。
 和漢親善と銘打った、くだらない宴の席だった。
 暇を持て余した常世の住人たちが、ここらで一度、互いの技の優劣を競ってみてはと言い出し、何やら訳の分からぬ競技会を開くこととなった。
 その事前の打ち合わせの後、お約束の流れで酒宴の席が設けられたのだ。
 大いに盛り上げて良い大会にしましょう、負けませぬぞ、いやいや、こちらこそ勝たせていただきますぞ。
 そんな会話がそこかしこで聞こえる中、酒も進み、銘々が宴会芸を披露し始めて幾らか飽きがきた頃。
 日本側の神々に何やら言いくるめられたらしい鬼が、渋々ながらも立ち上がり、座の中央へと進み出た。

 ―――僭越ながら、一指し舞わせていただきます。どうぞ御照覧あれ。

 口上を述べて、手にした扇を広げ、楽の音に合わせてすいと足を踏み出した。
 大陸の舞踏とはまた異なる、ゆるやかで雅やかな舞踊。
 ひらひら、はらはらと花びらが風に流れるのにも似た風情で、鬼は舞った。
 くるりと身が回転し、ひらりと扇が翻る。
 とん、と素足で床を踏む音は心地よく響き、ふいと傾けたまなざしに落ちかかる長い睫毛の影が何とも艶めかしく匂い立つ。
 賑やかしかった宴の席がしんと静まってゆき、聞こえるは楽の音と衣擦れの音、床を踏む音だけとなる。
 時間にすれば、ほんの五分かそこら。
 一曲を舞っただけで鬼神は扇を畳み、お目汚しでしたと一礼した。
 そこでやっと、白澤は我に返ったのだ。
 我に返り、自分が彼に見惚れていたことに気付いて、愕然とした。
 あれは鬼だ、二代目補佐官だよと閻魔大王に紹介されて幾らか経つが、どうにもそりの合わない憎たらしい奴だと、現実を思い出そうとした。自分に言い聞かせようとした。
 けれど、一度焼き付いた艶姿は消えることはなく。
 じりじりとしたまま、和漢親善試合の当日を迎えて。
「――ああ、クソッ。なんであの時、あんな風に言っちゃったかなぁ。もっと普通に食事に誘えていたら、もしかしたら今頃は……」
 過ぎたことに、たらればを論じるのは虚しい。
 そうと分かっていても悔やまずにはいられない。
 くだんの酒宴の後、およそ一月ぶりに顔を合わせた倭国の鬼神は相変わらずの素っ気無さで、ずっと隣りに居ても、まともに口を利くきっかけすら中々掴めなかった。
 それが焦りに繋がってしまったのだろう。
 女性相手ならば決してしないような稚拙な方法で、会話を持ちかけてしまったのだ。
 果たして、馬鹿馬鹿しい賭けは有耶無耶の結果になり、かの鬼との関係は険悪さを増しただけで終わった。
「あんな展開になる予定じゃなかったのに……」
 ―――本当は、ちゃんと話してみたかっただけだった。
 閻魔大王も太鼓判を押す有能さ、言葉の端々に窺える怜悧さ。
 思わず目を吸い寄せられてしまう、顔立ちの端正さ。
 そして、あの艶やかな舞い姿。
 どうしても忘れられなくて、親善試合当日になれば会って言葉を交わせるかと、本当は一月の間、ずっと胸をときめかせていた。
 それなのに、何一つ上手くいかなくて。
 むしゃくしゃして。
 気を取り直して可愛い女の子たちと遊ぼうと思ったのに、親善試合で一気に上がった鬼灯人気に阻まれて、それも上手くいかなくて。
 かっとなった挙句、ついついやってしまったのだ。
 可愛さ余って憎さ百倍。あの時の自分の心境はまさにそれだった。
 本当に馬鹿なことをしたとは思う。
 日本地獄の記念式典を滅茶苦茶にするなんて、閻魔大王が寛容な人柄でなかったら、とんでもない問題に発展していただろう。鳳凰と麒麟にも散々に叱られ、説教され、どつかれた。
 けれど、そんな馬鹿な真似に走らざるを得なかった自分の心境を、一体誰が分かってくれたというのか。
「いや、分かるわけないんだけど。誰にも言ってないし」
 そう、口に出すことが出来ない。
 そのこともまた白澤の悩みを深くしていた。
 自他共に認める女好きの自分が、異国の鬼(♂)に千年も前から心を奪われたままでいる。そんなことを一体どうして言えようか。
 想いを受け入れてもらえる余地があるならば、他人に相談のしようもあったかもしれない。
 だが、相手はよりによってあの鬼神である。白澤のことを嫌いこそすれ、やわらかな気持ちを向けてくれる可能性は完全に無だ。たとえ百回転生したとしても、愛してくれるとは到底思えない。
 そんな絶望的な想いを言いふらしたところで、憐れみの目を向けられるだけである。ましてや、鬼灯自身に知られたら、どんな大惨事が我が身に降りかかるか。
 嫌われているのは既に満願全席だから良いとして、憎悪にまで感情がエスカレートしてしまったら、それこそ悔やんでも悔やみきれない。
 白澤に残された選択肢はただ一つ。ひたすらに想いを耐え忍ぶことのみだった。
「……ちくしょー……」
 膝を抱えて、顔を伏せる。
 どうしてあんな鬼に惹かれてしまったのか。
 あの姿を美しいと思ってしまったのか。
 一瞬の気の迷いだったことにしてしまいたかったのに、それすら叶わず、こんな風に一千年を経た今も無様に恋煩っている。
 嫌いになりたいのに、嫌がらせをされたら問答無用で腹が立つのに、どうしても嫌いになれない。
 ふとした表情を美しいと、愛しいと感じてしまう。
 諦め切れないのだ。
 想いを返してもらえることなど決してないというのに。
「辛いなぁ……」
 こんな自分の気持ちなどまるで知らない鬼は、式典を滅茶苦茶にしたあの日以来、白澤を永遠の敵認定して千年の月日が過ぎても喧嘩を売りまくってくる。
 自業自得だということは分かっているが、しかし、これほど苛烈な罰を受けなければならないほど悪いことをしたのだろうか。
 だが、鬼灯のモットーは「自分の気が済むまで」だ。
 きっとこの先も何千年と、彼は自分を目の敵(かたき)にし続けるのだろう。
 それでも、攻撃の対象にすらしてもらえないよりはマシだと思ってしまう自分は、本当に愚かだった。
 傷心の白澤を、仙境のやわらかな風が優しく撫でる。
 少しばかり慰められつつも、胸に募る恋しさに白澤は再び切ない溜息を零したのだった。

*               *

「まったく逃げ足ばかりは素早い……」
 空を飛んで逃げられたら、翼のない身としては追いかけようがない。
 歯噛みしながらも、鬼灯は諦めて桃太郎に「お騒がせしました」と侘び、芥子をつれて極楽満月を後にした。
 まったくもって不十分ではあるが、それでも白澤をかちかちするという一定の目的は達せられたから、多少の満足はある。
 続きはまた今度だと思考を切り替えて、鬼灯は足元の小さな協力者を見下ろした。
「芥子さんも御協力、ありがとうございました」
「いえいえ〜」
 一回ぶちのめしてみたかったんですよね、あのひと。
 そう呟く獄卒兎は今日も絶好調に物騒だ。鬼灯の好きなタイプである。獄卒たるもの、こうでなければいけない。
「あそこで私が修行していた間も、本当にひどかったんですよ。次から次に女性をナンパして……。あそこには十年も居ませんでしたけど、あの人が女性に声をかけない日はなかったです」
「なるほど」
 芥子は、雌の兎としては珍しいほどにお堅い気質をしている。
 そういう意味では、白澤は最も相性の悪い上司だったに違いない。漢方医としての才覚は抜群なのに、その性癖で全てを台無しにしている残念な神獣である。
 芥子が早々に薬剤師の修行を終えて、他で職を見つけようとしたのも、さもありなんというところだった。
「でも、鬼灯様」
「はい?」
 芥子は、ひょこひょこと器用に二足歩行しながら鬼灯を見上げてくる。彼女に合わせて、鬼灯の歩調はゆっくりとしたものだった。
「鬼灯様は、本当に白澤さんのことをお嫌いなんです?」
「ええ。嫌いですよ」
 即答すると、芥子は考え深げにまばたきをする。
 納得しているようには見えないその様子に、鬼灯はふと、彼女の目には自分がどう見えているのかということに関心を持った。
「嫌っていないように見えますか?」
「ん〜〜〜」
 お堅い彼女は言葉も軽々しくは使わない。頬に手を当てて首をかしげてから、再び鬼灯を見上げた。
「かちかちするくらいですから、お嫌いだとは思います。でも、ちょっと違うかなって……」
「違う?」
「はい〜〜。私は狸と見聞きしただけで我慢しきれないくらいに憎いですけど、鬼灯様は違いますよね?」
「――ああ……」
 彼女の狸に対する憎しみは尋常なものではない。
 あれと比べられたら、どんな恨み辛みでも大概ぬるいだろうと思いつつも、鬼灯はうなずいた。
「憎いかと言われたら、そういう感情はありません。ただムカつくだけです」
「ですよね〜〜」
 ふむふむとうなずいた彼女は、それで納得したのか、何故ムカつくのかとは尋ねてはこなかった。
 彼女の狸以外の事柄にはあっさりした気性は、こういう時、助かると思う。説明するのが面倒くさいことを説明せずとも済むからだ。
 どうしてあの神獣にムカつくのか。
 その理由自体には長々と言葉を連ねる必要は全くない。むしろ十字以内で済んでしまう。

 ―――あのヘタレ神獣め。

 鬼灯の白澤に対する感想は、この一言に尽きる。
 だが、そういう結論に至るまでには幾らかのことがあったので、説明するのは面倒なのだ。
 数えること千年もの昔。
 誰が言い出したのだか、和漢親善試合などというものが開催されることに決まり、閻魔大王の第一補佐官として鬼灯がその準備に追われていた頃。
 両国の準備委員会メンバーが寄り集まって、競技種目の選定や、細かいルールの規定を詰めた後、自然な流れで酒宴が張られたことがあった。
 酒が進み、酔った面々がとっておきの隠し芸を披露する中、どうしてもと押し切られて鬼灯は一指し舞ったのだ。
 舞踊の心得があるというわけではない。補佐官という立場になると何かと接待をしたりされたりの機会があるから、宴会芸を一つくらい身に付けておいた方がいいという忠告に従って、習い覚えただけのつまらない芸である。
 内輪の宴会であれば、どれほど請われようと拒絶した。だが、その場には大陸の重要人物たちも居並んでいたから、多少は大人しく振る舞うことを選んで立ち上がったのだ。
 だが、その舞の最中に、ふと強い視線を感じて。
 さりげなくそちらにまなざしを流せば、競技ルールを策定していた間中、何かといがみ合っていたはずの神獣が目を瞠ってこちらを見つめていた。
 漆黒の瞳に燭台の炎が映り込んでいたせいもあって、彼の虹彩は黄金の輝きを宿しているように見え、思わずどきりと鼓動が跳ねた。その時の感覚は今でも鮮やかに覚えている。
 そうして舞い終えて席に戻って見れば、彼は夢から覚めたような顔で、けれど、その後もちらちらとこちらへ視線を送ってきていて。
 何となく察してしまったのだ。
 そして、それは一月後、和漢親善大会の当日に確信となった。
 ―――まったく、誘いたいのなら飯くらいスマートに誘えというんですよ。
 当日も朝からちらちらとこちらを伺っていた神獣は、休憩時間になって、珍妙な賭けを持ち出してきた。
 勝った方が飯を奢る、という稚拙な申し出に内心どれほど呆れたか、彼は想像したことすらあるまい。
 色恋沙汰には疎い方だが、その言葉の内に一緒に食事をしたいという気持ちが含まれていることくらいは、さすがに察することができた。
 まぁいいだろうと思って賭けに付き合ったものの、結果は勝負つかずの体たらくで、その場は喧嘩別れに終わり、食事どころではなくなった自分達は、試合が終わると早々に会場を引き払った。
 何ともしょっぱい結末であり、あの神獣には似合いの末路だ。
 だが、当時の自分はまだ幾らか、甘かったのである。
 今から振り返れば実にらしくないことだが、ひとしきりの腹立ちが収まった後は、これきりになるのかと少しばかり惜しく思ったりしていたのだ。
 なのに、それからしばらく後、とんでもないことをあの神獣はしでかしてくれた。
 忘れもしない、日本地獄の創設千周年を祝う式典当日。
 和漢親善試合の何倍も気合を入れて準備した式典のクライマックスを滅茶苦茶にされた怒りは、未だに鬼灯の中に根強く燻っている。
 ―――けれど、私も迂闊だった。
 かの神獣を敵と思い定め、徹底的に叩くことをその場で決意した。それによって鬼灯の中では全てが棚上げとなり、何故、彼がこんなことをしたのかという理由に注意を払うことを忘れてしまったのだ。
 理由などどうでもいい、結果が全てだと割り切り、迷いも躊躇いもなく突き進んできてしまったこと自体に後悔はない。
 だが、果たして本当にそれで良かったのかどうか。
「もっと徹底的に潰してやるべきだった……」
「はい?」
 思わずぼそりと零してしまった言葉に反応して、芥子が顔を上げる。
「何ですか、鬼灯様」
「いえ。少しばかり私も手ぬるかったと反省をしていたのです」
 鬼灯が答えると、芥子は考えるように長い耳をぴこぴこと動かした。
「白澤様のことですか?」
「はい」
 こくりと鬼灯はうなずく。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、まさか女に振られた腹いせで、あんな真似をするほど馬鹿だとは考えていませんでしたので」
 もとより色恋沙汰には疎いのだから、事象を自分絡みの色恋に結び付けて考えることも得意ではない。だから、式典での嫌がらせも、てっきり賭けに勝ち切れなかったことへの鬱憤晴らしか何かだろうと安易に考えていたのだ。
 それがまさか、女絡みの八つ当たりだったとは。
 呆れてものも言えないとは、まさにこのことである。
 どうせ彼のことだ。酒宴でのことを忘れようと女性に声をかけたものの、振られまくって、その挙句にこちらに怒りをぶつけることを思い付いたのだろう。
 まったく愚かしいにも程があった。
「また、かちかちしましょうか?」
「そうですね」
 芥子の提案に鬼灯は首をひねって考える。
「今日は逃げられてしまいましたから、今度はきちんと囲い込んでやらないと駄目ですね。火事にならないような場所をきちんと選んで」
「ですです」
 ふすふすと鼻を鳴らしながら、芥子はうなずく。
 どうやら彼女の中には元上司をヤるということに対する罪の意識はないらしい。よほどあの神獣の女遊びっぷりが腹に据えかねていたのだろうと、鬼灯は推測した。
「まぁ、またそのうち締めてやりましょう」
「はい」
 美しい花が咲き乱れる桃源郷の道を歩きつつ、日本地獄の住人ふたりは何とも物騒かつ血生臭い会話を交わす。
 そして、鬼灯はどこまでも青く澄み渡った空を見上げた。

 ―――たった一言でいいんですよ。

 千年もの間、言いたくても言えずにいるのだろう、その一言を告げてきたなら。
 すべてを水に流してやる気など毛頭ないが、それとこれとは別で、もう少し優しくしてやってもいいというくらいのことは思っているのだ。
 けれど、妙に臆病な天の獣は気持ちを押し隠し、逃げ回ることばかりを考えている。
 まったくもって阿呆であり。
「……私もつくづく悪趣味です」
 極々小さく呟いただけだったが、傍らを歩いているのは抜群の聴覚を持つ種族である。耳聡く聞きつけて、芥子は顔を上げた。
「? 何のことです?」
「いえ、独り言ですよ」
「そうですか」
「はい」
 仕事熱心な獄卒兎は、余計なことには関心を持たない。再び前を見て、ひょこひょこと歩き続ける。
 彼女に合わせて鬼灯もゆっくりと歩きながら、青空の彼方へと逃げて行った神獣のことを思い、そして次に会った時にはどうしてくれようかと、新たな呵責の策を練り始めたのだった。

End.

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