SWEET PAIN 3








 この数日、呂望はひどく元気がない。
 もちろん、話しかければ普通に笑って受け答えするし、表面的には普通に振舞っている。
 だが、先週の木曜日、ウサギのように真っ赤な目で登校してきた時、一目で何かあったと気付いた。
 呂望は、寝不足なだけとごまかしたが、人一倍寝つきのいい、寝汚いといってもいい彼女が、夜に眠れないなどということがあるはずがないのだ。

 だから。

 一つ深呼吸してからノックをすると、すぐに中から雅やかな声が返る。
「失礼します」
「おや、邑姜ではないか。生徒会長殿自らのご訪問とは珍しいのう」
「一つ、学校祭について打ち合わせを忘れていたのを思い出しまして」
「はて、まだ何かあったか?」
「はい。今、御説明してもよろしいでしょうか?」
「うむ」




            *            *




「よ・お・ぜ・ん」
「なんだ、君か」
「なんだって何よ。せっかく見つけて声かけてやったのに」
「毎日教室で会ってる奴と、学校の外でまで顔を合わせて嬉しいと思うのかい?」
「おう、オレは嬉しいぜ。こう何度もめぐり逢うのは、運命の出会いだとか思わねぇ?」
「思わない」
「──どうしたんだ? 機嫌悪ぃな」
 いつもにもましてクールというか、冷淡な調子の楊ゼンに韋護は首をかしげる。
 だが、楊ゼンは肩をすくめただけだった。
「別に機嫌が悪いわけじゃないよ。ただ、ちょっとね」
「何なに、話してみそ」
「話すようなことでもない」
 言いつつ、楊ゼンは友人の視線を避けるように、書店の中へと視線を向ける。
 平日とはいえ、夕方の店内に人は多い。その中を、ふと楊ゼンの目線がさまよった。
 と、
「へー、なるほど。そういうことかぁ」
 納得したように韋護が1人でうなずく。
「──何」
「いやいや。こういうのは口に出すこっちゃねぇだろ」
 口元に笑みを浮かべながら言う相手に、楊ゼンはちらりと白いまなざしを向ける。
「そう、ならいいよ。僕はもう帰るから」
 エレベーターの方へ行きかけた背中に、
「あ、おい楊ゼン、いいのか?」
 少し慌てたような声がかけられた。
「──何が」

「だって、あんた、あの子探してたんだろ? 何つったっけ、あの可愛い後輩の女の子」

 その言葉に。
 楊ゼンは足を止める。
「……探してたわけじゃないよ。言っただろ、ただの後輩だって」
「でも、気にしてんじゃん」
「そういうんじゃないよ。何度も言うけど」
 溜息をついて、楊ゼンは韋護の方へと向き直った。
「あの子とは、たまたま会っただけで君が勘ぐるようなことは何もない」
「そんじゃ、なんで本屋の中で人探ししてるわけ?」
「してないよ」
「してるだろ? セーラー服が通り過ぎるたびに目が追ってるぜ」
「!」
「その様子だと、近頃、会えてねぇわけか」
 思わず友人の顔を見直した楊ゼンに、韋護は笑いながら問いかける。
 それに少々嫌そうな顔をしながらも、楊ゼンは否定はしなかった。
「今週末は学校祭だからね。忙しいんだと思うよ」
 視線を逸らしながらの返答には、どこか決まり悪げな素っ気なさが漂う。
「分かってるのに、探しちまうってか。青春だね〜」
 韋護は、留年を重ねているために、ゼミは同じでも年齢は3歳上である。既に彼のオヤジくさい言動には慣れっこになっている楊ゼンだが、さすがに今は顔をしかめつつ、同じ台詞を繰り返した。
「だから、そういうんじゃないって。第一、まだ知り合ってから一月にもならないし……」
「知り合ってからの時間なんて、関係ないっしょ。世の中には、出会って一週間で結婚する奴もいるんだし」
「──たとえが極端すぎるよ」
「その方が分かりやすいだろ?」
「それはそうだけどね。でも僕は……」
「そんくらいにしとけって」
 笑いながら、韋護は楊ゼンの言葉をさえぎった。
「気になってるんなら、それでいいっしょ? あんた、あの子と居る時、いい顔してたぜ。だからオレは、彼女だと思ったんだしな」
「──お節介の理由は分かったけど、そういう言い方は彼女にも失礼だよ」
「……そうかぁ?」
「何?」
 口の中で呟いた声は楊ゼンには聞こえなかったらしく、鋭く問い返されるのに韋護は首を横に振る。
「うんにゃ、何でも」
 そして、続けた。
「とにかく、俺から見たら、あんたは充分、彼女のこと気にしてるぜ。あれだけ可愛い子なんだし、さっさと自覚して行動に移した方が後悔しなくてすむと思うけどな」
「───…」
「あの子が、他の男と一緒にいるとこ想像して平気か?」
「──韋護君」
「なんだ?」
「君、もう少しデリカシーってものを勉強した方がいいね」
 冷ややかな言葉に、韋護はボリボリと頭をかきながら肩をすくめる。
「今のあんたにゃ言われたくねぇなぁ」
「……どういう意味だい?」

「だって、あんたがただの後輩だって言った時、あの子、顔色が変わったぜ」

 その言葉に。
 楊ゼンは目を見開く。
 それを見て、韋護は面白そうに微苦笑した。
「女にもてるくせに、案外、あんたって鈍いのな」
 だが、友人の言葉など耳に入っていないように楊ゼンは呟く。
「──だから、あの時、急に帰るって……」
「じゃねえの? 俺にはそう見えたけどな」
 言って、韋護は楊ゼンの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「ま、上手くいったら何か奢ってくれや」
 そのまま通り過ぎてゆく背中に、楊ゼンは呼びかける。
「韋護君」
「ん?」
 何と言うべきか少々迷った後。
 とりあえず、気遣ってくれて、背を押してくれたのは確かだ、と自分を納得させて。
「ありがとう」
 一言告げる。
 と、韋護は、奢るの忘れんなよ、と笑った。




            *            *




 学校祭当日は、緊張と安堵が半々だ。
 何とか無事に本番を迎えられた、という安堵と嬉しさと、当日ならではのトラブルの多さは紙一重で、のんびり出し物を見て回る暇など生徒会役員や実行委員会幹部にはない。
「とりあえず、B棟の見回りは終わったぞ。1年2年の教室での展示クラスは、ひどく混雑しとるが特に以上なしだ」
 ルーティンの見回りを終えて、呂望が戻ってきた途端。
 ちょうど内線電話の受話器を置いた邑姜が振り返った。
「いいところに戻ってきてくれたわね。悪いけど、今すぐ保健室に行ってくれる? 何か用事があるらしいの」
「うむ、いいよ」
 一般開放日の昼過ぎの生徒会室は、役員は皆、出払っており、会長の邑姜だけが留守番で居残っている。
 だから、呂望は快くうなずいた。
「それが終わったら戻ってくるから、留守番を交代しよう。306の教室でやっておる劇が、かなり面白いらしいぞ」
「レ・ミゼラブルでしょう。演劇部の子が主役やってて、涙なしで見れないって評判よ」
「うまく開演時間に合うといいがな」
「そうね」
 正直なところ、これまでの準備期間で、精神的にも肉体的にもかなり疲れているのだが、それでも学校祭当日となると、喜びと満足感が隠せない。
 浮き立った調子で会話を交わし、呂望はドアへと向かう。
「じゃ、行ってくるよ」
「ええ」
 もう一度、廊下へと出てゆく細い後ろ姿を見送った直後。

 ノックもなしに、もう一度ドアが開く。

「行ったな」
「行ったわよ」
 にこりと微笑んで、邑姜は恋人の青年を迎えた。
「ったく……こんな悪巧みしやがって」
「だって、元気のない呂望なんて見たくないんですもの」
「まぁな。あいつも2、3日前から妙に落ち着かないしな。らしくねぇ親友を見てるってのは、ストレスになるもんだ」
「そうよ」
 うなずき合って。
 誰もいないのをいいことに、邑姜は甘えるように、隣りの椅子に腰を下ろした青年の肩にことんともたれかかる。
「……うまくいくといいわよね」
「そうだな」
 そんな恋人の仕草に目を細めて、姫発はそっと細い肩を抱き寄せた。





「失礼します」
 ノックしてから室内に入り、ドアを閉めて部屋の奥を振り返った途端。
 呂望は大きく目をみはった。

 ───余程の用でもない限り、来ないわけがないと分かっていた。

 けれど。
 まさか、こんな風にいきなり1対1で会ってしまうなんて、考えてもいなかった。

「あ……」
「久しぶりだね」
 驚いた顔を、先に笑顔に変えたのは彼の方。
「あの、竜吉先生は……」
「たった今、出て行かれたよ。僕に留守番を頼んで……」
 その返事に、頭の中が真白になる。
「10分くらいで戻ると言っていたから、ここで待っていればいいと思うよ」
 妥当な提案だった。
 もし、ここに彼がいなければ、呂望は1人で保険医が戻ってくるのを待っただろう。
 けれど。
「いえ、あの、わしが来たということだけ伝えてもらえればいいですから」
 うつむきがちの小さな声でそう告げ、
「それじゃあ、失礼します」
 ドアに手をかける。
「待って」
 だが、楊ゼンの声がそれをさえぎった。
「久しぶりに会ったんだし、先生が戻るまで少し話をしていかないかい? 姫発は彼女が待ってるからって逃げたし、1人で留守番をしているのは正直、つまらなくてね」
 その言葉に心が揺れる。
 が、呂望はかぶりを振った。
「すみません、今ちょっと忙しくて……。また後で」
 ぺこりと頭を下げて、ドアを開け、廊下に飛び出す。
 と、
「おや、呂望」
 雅やかな声がかけられた。
「先生!」
「どうしたのだ、そのように急いで」
 たった今戻ってきたらしい美しき保険医が、熱々のたこ焼きを片手に微笑んでいる。
「あの、生徒会への御用って何ですか?」
「ああ、そうであったな」
 うなずいて、保険医は透き通った良く通る声で呼びかけた。
「楊ゼン! 留守番はもう良いぞ」
 その意味が分からず、大きな瞳をまばたかせる呂望の前に、保健室から留守番役を押し付けられていた青年が出てくる。
「──たこ焼きのために、僕に留守番を言いつけたんですか、先生」
「まさか。いくら私でもそこまで非道なことはせぬぞ。用はこっちじゃ」
 言いながら、保険医は傍らにいた小柄な少女を片手で押しやる。
 それに、呂望は慌てた。
「せ、先生!?」
「ではな、楊ゼン。次に来る時の手土産は栗羊羹がよいぞ。姫発にも伝えておくが良い」
 パニックを起こした女生徒には構わず、にっこりと微笑んで保険医は己の城へと戻ってゆく。
 ドアが閉まり、廊下に取り残されて。
 呆気に取られたまま、2人は顔を見合わせる。

 そうして、少し困ったように微笑みかけられて。

 呂望の理性の糸が切れた。

「失礼します!」
 頭を下げるのもそこそこに、回れ右して全速力で廊下を駆け出す。
「ちょ…呂望さん!?」
 咄嗟に追いかけようとして、楊ゼンははたと気付いたように保健室のドアに向かって声を上げる。
「これは一つ貸しですからね、先生!」
 そして、上着を片手に持ったまま、少女を追いかけて走り出した。
「足が速いな……」
 既に校舎の向こうにまで走っていった少女が、渡り廊下の方へと右に曲がるのが視界に入る。
 だが、楊ゼンの方も脚力には自信があった。
 ましてや、内部構造を知り尽くした母校である。
 この人込みでごったがえした中、逃げようとしたら最後はどこに行きつくか。
 「……とりあえず、行ってみるか」
 考えつつ、楊ゼンは人込みの中を少女を追った。






「───っ、は…」
 敷地の一番西の端、白いペンキで塗られたプールの壁に寄りかかって、呂望は乱れた呼吸を整える。
 保健室のあるA棟からB棟へと走り、3階まで駆け上がって廊下を駆け抜け、また階段を駆け下りて、校舎の西側にある自転車置き場を通り過ぎ、ここまで走ってきたのだ。
 そうして、大きく息を継いだ途端。

「捕まえた」

 肩をつかまれる。
 心臓が止まりそうなほど驚いて顔を上げれば、楊ゼンがいた。
 ほとんど息も乱していない彼は、軽く溜息をつき、少女を見つめる。
「悪いけど、学校祭当日、どこが一番人気がないかくらいは覚えてるんだ」
 そして、続けた。
「──どうして逃げたの?」
 決して厳しい声ではなく、むしろ優しい響きの声だったのに、呂望はいたたまれずにうつむく。

 ───泣きたくないから、逃げたのに。

 追いかけてこられて、悲しくて悔しくて、でも嬉しくて、やっぱり悲しくて涙がにじむ。

 そんな少女の様子に、困惑した表情を見せたのは青年の方だった。

「ごめん」

 華奢な体を胸に抱き寄せて、ささやいた言葉に、呂望は潤み始めていた瞳を大きく見開く。
「でも……君がそんな顔をするのは、この間、君のことをただの後輩だと言ったせい?」
 優しい声に、呂望はびくりと震えた。
 と、抱きしめる楊ゼンの腕の力が少しだけ強くなる。
「ごめん、あの時はまだ気付いてなかったんだ。あの後、君と本屋で顔を合わせることがなくなってから、初めて君と会うのを楽しみにしていた自分に気付いた」

 彼が何を言わんとしているのか。

 思いがけない予感に、呂望の胸がドキドキと激しく脈打ち始める。
 と、楊ゼンが腕を緩めて。
 わずかに身体を離して、呂望の瞳を覗きこむ。
 微笑み、大きな瞳から今にも零れ落ちそうな涙をそっと指先でぬぐって。

「好きだよ」

 優しい優しい声がささやく。
「まだ知り合ってから20日しか経ってないけど、軽い気持ちじゃない」
 その言葉に。
 深い色をした大きな瞳から、涙が傾きかけた陽射しにきらめきながら落ちる。
 それを優しく指先で受け止めながら、
「──僕は自惚れてもいいのかな」
 楊ゼンは微笑んだ。
「都合のいいように解釈してもいい?」
 耳に心地好い声で問われて、呂望はこくりと小さくうなずく。

「先輩が……好きです」

 涙にかすれかけた細い声に、楊ゼンが、うん、とうなずいた。
 そして、もう一度呂望をやわらかく抱きしめる。
「ありがとう」
 深い想いをにじませて、ささやかれた言葉に。
 青年の腕の中で、少しだけ呂望は泣いた。






「よう、お二人さん」
 廊下の向こうから歩いてきた姫発が、右手を上げた。その隣りには邑姜もいる。
「他の子が帰ってきたから、留守番は交代してもらったの」
 邑姜は、にっこりと親友に向かって微笑んだ。
「邑姜……」
 そんな彼女を、呂望はほんのり目元を赤らめたまま睨む。
 だが、
「上手くいって良かったわね、呂望」
「こいつに感謝しろよ、楊ゼン」
 一向に2人は悪びれない。
「竜吉先生に貸しを作ってまで、気を回してくれたのは感謝するけどね」
 そんなカップルに楊ゼンも溜息をついた。
「いいだろ、上手くいったんだから」
 だが、姫発は軽く笑い流す。
「俺もこいつも、友達が悩んでるのを放っておけるほど薄情じゃねぇんだよ」
「余計なお節介だとは思ったんだけど……、この人が、先輩も様子がおかしいって言うから」
「俺たち抜きで話が出来るようにって、こいつが先生に頼んだんだ」
 口々に説明されて、楊ゼンと呂望は複雑な顔になった。
 友人の思いやりに感謝すべきなのだろうが、決まりが悪いというか気恥ずかしいというか、そんな気分が先に立って、素直な礼の言葉が出てこないのである。
 顔を見合わせて、
「まぁ、一応2人のおかげだしね」
 楊ゼンが、もう一度溜息をついてから、姫発と邑姜に向き直る。
「お礼は言っておくよ。心配させて悪かった」
 だが、姫発はそれをあっさり笑い流した。
「いやいや、面白かったぜ。悩んでるお前なんて、滅多に見れねぇからな」
 いかにも楽しそうな言葉に、楊ゼンは肩をすくめる。
 そんな彼を見上げてから、呂望は邑姜に目線を移した。
 と、瞳が合った途端、彼女が微笑む。
「良かったわね」
 その優しい笑顔と声に。
 思わず、涙がにじみそうになる。
「……ありがとう、邑姜」
 二、三度まばたきして、そう告げると邑姜は嬉しそうに目を細めた。

「じゃ、そういうことであちこち見に行こうぜ。せっかくの学校祭なのに、ロクに見ないで終わっちまったらもったいねぇ」
 言いながら、姫発は邑姜をうながす。
「とりあえず、306の劇だっけか?」
「そうよ。そろそろ前の上演が終わるから、急がないとは入れないわ」
「教室だと、雛壇作ってぎゅうぎゅう詰めでも、60人くらいしか入れねぇからなぁ」
 歩き出しながらの2人の会話に、楊ゼンが傍らの呂望を見る。
「306の劇って?」
「レ・ミゼラブルです。昨日の校内発表の時から、すごく評判が高くて……。ジャン=バルジャンを演劇部の女の子がやってるんですけど、ものすごく上手いらしいんです」
「面白そうだね」
 うなずいて、楊ゼンは呂望に手をさしのべる。
「行こうか」
 呂望は軽く目をみはって、楊ゼンの顔を見上げる。
 だが、優しく微笑まれて。
「はい」
 小さく笑みを浮かべてうなずき、彼の手に自分の手を重ねた。
 青年の大きな温かい手に手を包まれて、気恥ずかしさと、何かに安心するような感覚に胸が脈打つ。
 そして、2人は前を行く友人たちを追った。







 3時で外来客は帰る時間となり、講堂のステージでは校内のオーディションで1位を取ったグループのファイナルライブが始まる。
 そして、あたりが夕闇に包み込まれる頃、校庭でボンファイアーに火が付けられる。
 夏の名残を残した夜空に赤々と燃え上がる炎の周りで、フォークダンスの輪ができ、オクラホマミキサー、マイムマイムと途切れることなく延々と踊った後。
 生徒会長による体育祭と文化祭の成績発表が行われて、後夜祭はラストイベントへと移った。
 実行委員会の後夜祭班による、ボンファイアーの炎を移したトーチを使ったトワイリングの演技の後、用意されていた火文字に炎が灯される。
 今年の文字は。

”NeverEnd”

 祭は終わらないと、夜空に燃え上がる火文字が告げて。
 同時に、数十発の花火が打ち上げられる。

「“NeverEnd”か」
 楊ゼンが呟いた言葉に、呂望は隣りを見上げる。
 2人がいるのは、校舎のすぐ前。
 校庭の西の端の方に燃え上がる火文字は、少々遠いものの、くっきりと見えている。
 姫発と邑姜は、朝礼台の傍で、同じように何か言葉を交わしながら火文字と花火を見つめていた。
「先輩たちの時は、どんな言葉だったんですか?」
 問いかけに、楊ゼンは呂望を見つめて微笑んだ。
「似たようなものだよ。最後の年は“Forever”だった。その前の年は、“Victory”」
 その言葉に、呂望は火文字へとまなざしを戻す。
 あでやかに燃え上がる文字は、あまりにも綺麗で。

「綺麗だね」

 心地好い響きの声が紡いだ言葉に。
 呂望は傍らに立つ青年を見上げる。
 花火の上がり続ける夜空を映した瞳が重なり合って。
 上体をかがめた楊ゼンが、そっと呂望に口接けた。

「───…」
 軽く触れるだけで離れたキスにも、呂望の頬が赤く染まる。
 そんな少女に微笑んで、楊ゼンは華奢な肩を胸に引き寄せた。

 よりそったまま、火文字がゆっくりと炎の勢いを弱めてゆくのを見つめる。
 グラウンドでは至る所に生徒の輪ができ、祭の終わりを惜しみながら打ち上げについて話し合っている。
 と、前方で顔を寄せ合って何かを話していた姫発と邑姜が、2人を振り返った。

「なぁ、明日の代休、4人でどこかにいかねぇか?」
 近付いてきながら、姫発が笑顔で提案する。
「ダブルデート?」
「ああ。二人っきりの方がいいっていうなら、邪魔はしねぇけどよ」
 そういう彼の隣りで、邑姜もやわらかく微笑んでいて。
 どうする、と楊ゼンに視線を向けられて、呂望はうなずいた。
「先輩さえ良ければ・・・」
「いいよ」
 あっさりと楊ゼンもうなずき、姫発の方に視線を戻す。
「よっしゃ、じゃあ待ち合わせは10時くらいでいいか?」
「まぁ妥当かな」
 4人がうなずいた時。

「おお、皆そろっておるな」

 雅やかな声がかかる。
「先生!」
 見れば、帰り支度を整えた美しき保険医が微笑んでいた。
「仲が良くて結構なことじゃ。姫発、楊ゼンにはもう言ったが、次に来る時は手土産に栗羊羹を忘れずにな。
 それと全員、相手方に何か進展や痴話喧嘩があれば逐一、私に報告するのを怠ってはならぬぞ。自己申告でも一向に構わぬが」
 よどみなく歌うように告げられた言葉に、4人は一瞬、反応が遅れる。
「ではな」
 その間に、にっこりと麗しい笑顔を残してスキャンダル総元締めの保険医は立ち去ってゆく。

「───おい、邑姜」
「私に文句いわないでちょうだい」
「……じゃあ、楊ゼン」
「………どうして僕に」
「やっぱり、わしが……」
「あなたは何にも悪くないわよ」
「君に責任なんかあるわけないよ」(ハモる)

 そのまま、じとっと4人は黙り込み。

 やがて、大きく姫発が溜息をついた。
「──要は、お互いの状況がバレなきゃいいんだよな」
「バレなきゃ、ね」
 姫発の言葉に、楊ゼンは視線をあさっての方向に向ける。
 男たちの方は、高校生でもあるまいし、いちいち恋人との状況を話したりはしない。
 けれど、少女たちの方は。
 話すなという方が無理だ。
「……でも、悪いことは言わなければいいんじゃないのかしら?」
「いつも、上手くいってるようです、で先生が納得してくれるかのう?」
「大丈夫じゃないかしら。先生は別に、揉め事が好きなわけではないし」
「ただ生徒の話が聞きたいだけだからのう」
 うなずきあう少女たちに、青年2人は溜息をついた。
「そうだね、聞かれた時にはノロけておけばいいか」
「それも馬鹿みてぇだがな」
「でも、いつも僕は、惚気話か、喧嘩したって愚痴しか君に聞かされてないよ」
「んなことねぇよ!」
「そうかなー」
「そうだよ!」
 TPOも忘れて水掛け論になりかけるが、さすがに少女たちの視線を意識して、姫発と楊ゼンは視線を逸らしあう。
「ま、とにかく、あんまり正直に話すなよ。遊びに来た時に、先生にからかわれるのは御免だからな」
「それはこっちだって同じよ。普段、先生と顔を合わせるのは私たちなんだから」
 うなずき合い、そして4人はもう一度溜息をつく。

「とりあえず、明日だ。ぱーっと遊んで、嫌なことは忘れちまおう」
「それが一番賢いかもしれないわね」
「4人でとなると……定番は遊園地か、街中で遊ぶかだね」
「……そろそろ秋物が出揃ってきている時期ではないか?」
「あ、私も服見たい。秋冬用の靴も」
「──決まりかな」
「買物してカラオケ行って、お茶飲んで飯食って、か。定番だな」
「文句あるの?」
「ありません。荷物持ちでもなーんでもやってやるよ」
「──その言い方、何か腹立つわね」
「そりゃ良心の呵責って奴じゃねぇのか? 先月だって夏の終わりの売り尽くしセールで……」

 なにやら口論を始めたカップルに、楊ゼンと呂望は顔を見合わせて苦笑した。
「明日、晴れるといいね」
「多分、大丈夫ですよ。星が出てますし……」
「うん」
 微笑み合い、そっと2人は手を繋ぐ。

 火文字は燃え尽き、ボンファイアーの火も消えかけて、グラウンドの生徒たちも、既に帰路につき始めて人の流れが校門へと出てゆく。
 騒がしかった季節が終わりを告げて。
 けれど、終わらない想いがここから始まることを、互いの手の温もりが確かに告げていた。






Neverend.










というわけで、ようやく完結いたしました。
この作品は最初に書いた通り、10000HITを踏まれました藍羅様のリクエストによるものです。
リク内容は、
 *パラレル楊太
 *ごく普通の女子高生師叔と、大学生楊サマ
 *楊サマに片思いしている師叔の苦しみ
  (最初、楊ゼンは恋愛対象として師叔を見ていない)
 *最後は幸せに
というものでした。
頑張ってはみましたが、果たしてお応えできたでしょうか?
個人的には、美しき保険医さまがお気に入りですvv

とりあえず、この作品はこれで終わりです。
甘いばかりの内容になってしまいましたが、もし感想等ありましたらお聞かせ下さると嬉しいです。
では、ここまで読んで下さってありがとうございました。m(_ _)m





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