Secret Affair








「疲れたのう──」
 正月も3日目の昼過ぎ。
 新年の挨拶客も一段落して、ようやくのんびりできるかという頃合に。

 やってくる馬鹿というのは、どこにでもいる。





「兄さん」
 ぽすぽすというノックの音が消えるかどうかというタイミングで、しゅたんとふすまがスライドした。
「お客様よ」
 二つ折りにした座布団を枕に大の字になった姿勢から動かないまま、まなざしだけを動かして、太公望は妹を見上げる。
「……客?」
「ええ」
「──追い返せ」
「はい?」
「こんな正月そうそう来る奴なんぞ、ロクなものではあるまい。追い返してしまえ。わしは寝る」
「何馬鹿なことを言ってるのよ」
「わしは疲れておるのだ。大晦日からこの方、連日ジジィやオヤジ相手に馬鹿みたいにニコニコニコニコ……。今日はもう、誰とも話したくない」
「お愛想するからじゃないの。嫌なら、本性を暴露してしまえばいいんだわ。会社のことは御心配なく。兄さんがドロップアウトしたら私が継ぎますから」
「───…」
「国内屈指の大企業を好き勝手にできる地位に未練があるのなら、起きてちょうだい。私も暇じゃないのよ。お客が来てるのは、兄さんだけじゃないんですから」
 取り付く島もない、素っ気ない口調で言い放ち、妹はわずかに身体を退いて廊下の向こうへと呼びかける。
「どうぞ入って下さい。この人はゴロゴロしてるだけですから、お気になさらず」
 その声から、わずかに間をおいて。


「正月だからといって出迎えてくれるとは思ってませんでしたけど……本当に予想を裏切らない人ですね」

「俺もいるぜー。久しぶりだな、太公望」


「───やはり、おぬしらか…」
 冷凍マグロのごとく畳の上に転がったまま。
 太公望は素晴らしく不機嫌な表情で、年下の知人どもを迎えたのだった。








「──で、何でこうなる?」
「まぁまぁ、堅いことは言いっこなしで。正月なんだしよ」
「正月といったら寝正月だろうが。わしはこの3日間、ずっとジジィどもの相手で疲れておるのだぞ」
「そんなのは僕たちだって一緒ですよ。実家には、ひっきりなしに客が来てますから」
「そうよ、兄さん。私だって散々、お茶とお茶菓子を運ばされたんですから。しかも振袖で」
「なら、おぬしたちも大人しく昼寝しておれば良かろう」

 うんざりとぼやきながら、太公望はカードの山から1枚を取り、数字を確かめてから場に放り出す。
 続いて、左隣りの妹は、手持ちのカードを1枚、場に捨てる。
 更に、その隣りの妹の彼氏は、カードの山から1枚取り、舌打ちして手持ちのカードに加える。
 最後に右隣りの幼馴染が、手持ちのカードをさりげなく場に置く。

「ダブルカード〜?」
「他に出すものがないので」
 にっこりと笑顔を見せる青年を横目で睨みつけながらも、太公望は手持ちのカードから1枚抜いて放り出した。
「なら、わしはフォーカードだ!」
「おい、何すんだよ!?」
「相変わらずえげつないわね」
「それが兄に向かって言う言葉か?」
「あなたが性格悪いのは誰にも否定できないでしょう?」

 口々に言い合いながらも、ゲームは進む。
 やがて、
「あがり」
 ぽい、と最後のカードを場に捨てて、太公望はそのまま後ろに倒れこみ、畳の上に転がった。
「赤か黄だと思ったのに……」
「緑緑赤青青ときて、そのままラストも青とは思わんかったか?」
 自分を妨害すべくカードを出してきた幼馴染に対し、くっくっと面白げに笑って、太公望は目を閉じる。
「あ、勝手に寝ないで、兄さん!」
「そうだぜ、太公望。俺らはまだ終わってねぇってのによ」
「わしは終わった」
「ダメですよ。僕ももうあがりです」
「ちょっと待てよ、楊ゼン!」
「あなたって本当に往生際が悪いわね。私もあがり」
「おい邑姜!」
 手元に5枚ばかり残ったカードを、この世の終わりのような情けない表情で見つめた後、ちくしょうと妹の恋人──姫発はカードを放り出し、太公望と同様に畳に転がった。
 が、すぐにがばりと起き上がる。
「負けてばっかでいられるか! おい太公望、次はトランプだ!」
「まだやるのかい?」
「当たり前だろ? おまえだって、もう少し太公望に勝ちたいな〜とか心の中で思ってるんだろ」
「……まぁ、否定はしないけどね」
 俺にはお見通しだ、と言わんばかりの姫発の言葉に楊ゼンは苦笑する。
 それから、楊ゼンがちらりと邑姜の方に視線を向けると、仕方がないと言いたげに彼女は小さく肩をすくめた。恋人がどんな性格の男なのか、よく分かっているらしい。
 そんな彼女に苦笑を返して、楊ゼンは隣りで転がっている太公望の肩を軽くゆすった。

「再戦だそうですよ。起きて下さい」
「───ん〜? わしは寝る〜〜」
「ダメですって」
「嫌だ〜〜〜」
 ゲームが終わってからまだほんの数分だというのに、本気で眠りかけていたのか、いつもに比べるとかなりボケた声で太公望は応じる。
 当然、目を開けようともしない。
「おい太公望、寝るなよ」
「そうよ、ずるいわよ兄さん」
 口々に文句を言いかける中。

「今すぐ起きないと、キスしますよ」

 笑いを含んだその声から数秒の間をおいて。
 がばりと太公望が跳ね起きた。
 その勢いに目をみはった妹とその恋人、対照的に常と変わらぬ余裕の笑みの幼馴染の顔をぐるりと見渡して。
「──今、何か恐ろしいことを言わんかったか?」
「別に減るものじゃなし。怖がるほどのことじゃないですよ」
「たわけ!! おぬしにキスされて何が嬉しい!?」
「女性はみんな喜んでくれますが」
「ダァホ!!」
 太公望は幼馴染の青年を怒鳴り倒す。
「まぁまぁ、いいじゃん。楊ゼンが女しか相手にしないのは分かってるんだしよ」
「そもそも状況を忘れて寝こけてたのは、兄さんでしょう。たかが脅し文句に大騒ぎしないでもらえないかしら」
「そういう問題か!?」
「そういう問題でしょう。ほら、次はトランプゲームらしいですよ。準備して下さい」
 勝ったのはあなたなんだから、と52枚のカードを丸ごと手に押し付けられる。
「まずは大富豪からだな」
「私はポーカーの方が好きよ?」
「じゃあ、後でポーカーもやりましょう。ほら、カードを配って下さいよ」

 喜々とした3人の声に、大きな目がじっとりと据わってゆき。

「───おぬしら…」
 ゆっくりとカードを二分し、器用にシャッフルしながら太公望は低い声で言葉を紡ぐ。
「わしを叩き起こしたことを後悔するなよ? 後から泣き言は聞かぬからな?」
 ふふふ、と笑みが混じるのが怖い。
 が、そこにいるのは、そんな言葉に動じるような面々ではなかった。
「そうこなけりゃな」
「それはこちらの台詞ですよ」
「そうよ。簡単に私に勝てると思わないで」
 よく言った、とばかりに微笑む彼らのもとに、すばやく太公望はカードを配り終える。

「勝負だっ!!」




           *           *




「疲れた〜〜〜」
「そうですねぇ。さすがに僕もちょっと」
 結局何と何をやりましたっけ、と指折り楊ゼンが数えるのを無視して、太公望はばふっと布団に転がる。
 今日、楊ゼンと姫発の2人がやってきたのが昼過ぎのこと。
 そこから延々と勝負は手を変え品を変え、トランプに花札に最後は麻雀卓まで持ち出して、最終的に、太公望の勝率が5割5分、楊ゼンと邑姜が2割、姫発が5分という結果で、日付が変わる少し前にようやく終わったのだ。

「──で、何でおぬしがここにおる?」
「そりゃ、僕の泊めてもらう部屋がここの隣りですから」
「じゃあ、さっさと隣りに行け」
「別にいいじゃないですか、少しくらい。久しぶりに会ったんですから」
「大晦日に会っただろうが」
「あんなもの、会ったうちに入りませんよ。ニューイヤーキス以外、指一本触ってませんし」
「それを言うなら、ここだって条件は一緒だろうが」
「でも、とりあえず今は、余計な人目はありませんしね」
「なくても寄るな触るな何もするな! わしの実家だぞ!?」
「そんなことは分かってますけど、ねぇ」

 きっぱりはっきり拒絶する太公望に対してつまらなさそうな顔を隠しもせず、楊ゼンは軽く肩をすくめ、そして、改めて年上の幼馴染を見やる。
 既に入浴をすませて、どちらも浴衣姿である。
 崑崙グループ会長の本宅は、典型的な日本家屋で夏は熱いし冬は寒い。だが、この部屋は寒がりの太公望の寝間らしく、暖房は充分に効いているし、布団も乾燥機で暖められている。
 だから、単(ひとえ)の浴衣でも別段、寒さは感じなかった。

「久しぶりですよね、こうやって泊めてもらうのも」
「……それはそうだな。子供の頃以来ではないか?」
「ええ。小学5年生の正月に、父に連れられてきた時以来ですよ」
「あの頃は、見かけだけは可愛かったのにのう」
「あなたは今でも可愛いですよ。見かけだけは」
「おぬしは、もう見かけさえも可愛くない」
「そうなんですよね〜。この外見って、女性受けはしますけど、企業のトップとしてはあまり良くないんですよ。どうも、余計な先入観を抱かせるみたいで」
「ああ……」
 整いすぎて冷たく見えるほどの容貌は、妙な威圧を相手に感じさせかねないし、また、一目で初対面の相手の信頼を得られるということは少ない。
 人間はどうしても外見に左右されがちであり、そういう意味では、人懐っこい雰囲気が微塵もなく、人好きのするタイプの美形ではない楊ゼンは損をしているといっても良かった。
「外見云々以上に、おぬし自身、初対面の相手には素の表情を見せぬしな。個人的に話せば、結構、話も分かるし融通も利いて、ビジネス相手としては申し分ないんだが」
「否定はしませんけど、あなたには言われたくないですよ。公の場では猫をかぶって、もっともらしい表情をしているのはお互い様でしょう」
「まぁな。崑崙グループは大きすぎるし、わしは若すぎる。あまりのほほんとした表情をしているわけにも、な」
「うちは、父が、あと20年くらいは現役で頑張ってくれるでしょうけどねぇ」

 かたや畳に片膝を立てて座り、かたや布団の上に転がって、揃えたように溜息をつく。
 だが、嫌だな、とは口にしない。
 そもそも、どちらも巨大企業の次期会長という立場を嫌がっているわけではないのだ。
 己の器量が不足していると思ったことは一度もないし、世界のトップ企業を相手にして戦略戦術を立てるのは、ある意味、楽しみでさえある。
 だが、それでも時々、近い将来に己が背負うものを思いやって、少しだけうんざりしたような気分になることがある。それだけのことだった。

「───で、何をしておる?」
「厭世的な気分になった時は、これが一番でしょう?」
「寄るな触るなと言わんかったか?」
 太公望は、ぺしりと首筋に触れていた手を叩き落とす。
 だが、そんなことでめげる楊ゼンでもない。
「だから、最後まではしませんってば」
「わしは何もするなと言っておるのだ!」
「それじゃ僕が嫌なんです。せっかく久しぶりにあなたのところに泊まるのに」
「一体いつ、わしがおぬしの希望を聞いた!?」
「いいですから、ちょっと黙ってて下さい」

 抗議を続けようとした唇に口接けられ、侵入してきた舌に条件反射的に応えてしまうと、そのまま身体に手をかけられて仰向けに返される。
 ぽすん、とやわらかな布団は軽い音を立てて2人分の体重を受け止めて。

「──考えてみれば和室で布団の上で、って初めてのシチュエーションですよね」
「たわけっ!!」
 勿体無いなぁなどと呟く青年の後頭部を、太公望は利き腕で殴りつけた。
「痛いですって、もう……。だから、最後まではしないと言ってるでしょう。人の言葉は正確に聞いて下さいよ」
「途中までだろうが何だろうが……っ!」
 言いかけた言葉は、浴衣の合わせ目から滑り込んだ楊ゼンの手に妨げられる。
「要は、何かしたっていう痕跡を残さなければいいんでしょう?」
「ダァ…ホ……ッ」
 ダイレクトに中心に触れられて、太公望はびくりと躰を震わせる。
 いくら淡白な性質であるとはいえ、直接に快楽を煽られては反応せざるを得ない。
 熱を呼び覚ますように優しい動きで触れてくる指に、条件反射のように身をよじると、楊ゼンは小さく含み笑って、そらされた細い首筋に唇を這わせた。
 優しいふりをしつつも執拗な愛撫に、太公望も諦めたように躰から余分な力を抜く。
「……跡…は、つけるなよ…」
「分かってますって」
 答えながらも、楊ゼンは甘噛みとキスを繰り返し、少しずつ浴衣の胸元をはだけてゆく。
 そして、薄い布地の上から小さな尖りを引っかくように爪弾くと、太公望は大きく反応して息を詰めた。
「───っ、ん…」
 さすがに過敏な箇所を複数同時に愛撫されるのは刺激が強すぎるのか、抑え切れないくぐもった嬌声が零れる。
 だが、その快感を堪える表情に返ってそそられた楊ゼンは、手による愛撫はそのままに、はだけた胸元にあらわになった、もう1つの尖りに口接けを落とす。
「……ぁ…ふっ……」
 反応し始めた小さな果実をついばむように数度口接け、唇で挟み込むように愛撫を加える。更に、ごく軽く歯を立てつつ舌先で転がすと、組み敷いた華奢な躰がびくびくとおののいた。
 風呂上りの清潔な肌が淡い情欲の色に染まり、甘い香りがふわりと立ち上る。
「本当に感じやすい躰ですよね。女性でもこれだけ感度がいいのは滅多にいませんよ」
「馬…鹿っ……」
 それぞれの性感帯に異なった形で与えられる快感に、太公望は急速に追い上げられてゆく。
「───っ!!」

 だが、熱を帯びた躰が大きくのけぞった瞬間。
 楊ゼンは太公望の躰からすべての愛撫の手を引いた。

「楊っ……」
 快楽に甘く潤んだ瞳で青年を睨み上げ、だが、直ぐにはっとしたように太公望は瞳をまばたかせる。
「──やっぱり最後までというのは無理っぽいですね。余裕無しで追い詰めれば、我を忘れておねだりしてくれるかと期待したんですけど」
 そんな太公望を面白げに見つめて、楊ゼンは乱れた呼吸を繰り返している薄い唇に軽く口接けた。
「でも、せっかくですからおねだりしてくれませんか? その代わり、最後までするのは本当に諦めますから」
「お…ぬし……っ!」
「何ですか?」
「本っ当に最低だな……!!」
「何を今更」
 あっさりと笑って、楊ゼンはまたもや太公望の首筋に顔を埋める。
 彼の感じやすい箇所の1つであるうなじに舌を這わせ、薄い耳朶に歯を立てると太公望は切なげにきつく目を閉じて息を詰めた。
「早く言わないと、最後までしちゃいますよ?」
「たわけっ!」
 かすれた声で怒鳴りつけて。
 だが、追い詰められた熱を自分でどうにかしようにも、そんなことを楊ゼンが許すはずもないと良く分かっている太公望は、恨めしげなきついまなざしで自分を組み敷いている青年を睨み上げる。
「──覚えておれよ」
 ぼそりと呟いて。
 乱れた呼吸で一つ息をついてから、太公望は細い両腕を持ち上げて楊ゼンの首筋にするりと回した。
 微笑したまま抗いもしない青年を引き寄せて、唇を重ね、深く口接ける。
 ゆっくりと誘いかけるように、絡めた舌を離して。
「……達かせて」
 濡れた瞳でささやく。
「お望みにままに」
 微笑と共にささやき返された声も。
 ぞくりとするほどに濡れていた。





「……あっ…く……」
 途切れ途切れに零れる抑え切れない声に、応えるように濡れた舌が蠢く。
 先端を舌先でつつき、唇で甘噛みするように曖昧な刺激ばかりを贈ってくる。
 そのくせ、不意打ちのように感じやすい処を舐め上げたり、熱く濡れた口腔全体に含んで吸い上げたりして、一時も愛撫の手を休めない。
「楊…ゼン……っ!」
 先程から何度も昇りつめようとするたびに感覚を逸らされて、いい加減、太公望は限界を迎えていた。
 だが、蹴り飛ばしてやりたくとも両脚は大きく広げさせられたまま、快楽に萎えておののくばかりで持ち主の言うことを聞かない。
 青年の長い髪を引っ張るくらいがせいぜいなのだが、それさえも極限まで追い詰められたような状態では満足できるほど手に力が入らなかった。
「い…い加減にっ……あっ!」
 抗議する声は、不意に最奥に与えられた刺激によって途切れる。
「や…っ……楊ゼン!!」
「だって、あなた、こっちの方が好きでしょう?」
 張り詰めた快楽の徴から唇を離して、楊ゼンは笑みを滲ませた声で応じる。
「どうせなら、気持ち良くなってもらわないと。たとえ本番抜きでも、手を抜いたと思われるのは心外ですしね」
「た…わけ……っ!!」
 普段は小気味よく響く罵声も、今は甘くかすれて震えて。
「トロトロになってますよ。ものすごく欲しがって、吸い付いてくる」
「──ぁっ……やめ…っ…」
 ゆっくりと動いていた指が増やされ、柔襞を探られる感覚に太公望は身をよじる。
 それを面白がるかのように、くい、と長い指がポイントを刺激した。
「ひあっ……!」
 途端、全身を突き抜けた電流のような快感に、躰が大きくのけぞる。
 それを合図のように、楊ゼンは再び太公望の中心に舌を絡めた。
「──っ…く…、ん……!」
 前後を同時に責め立てられて、太公望は懸命にあふれだしそうな喘ぎを噛み殺す。
 声を立てることのできない苦しさと、躰の芯からとろけてしまいそうなどうしようもないほど甘く深い愉悦に、固く閉じた瞳に涙さえ滲み、更なる快楽を求めるかのように、細腰がおののきながら小さく揺れるのにも気付くだけの余裕はなく。
 甘すぎる責め苦から逃れようと無意識にかぶりを振るのに合わせて、癖のない髪がぱさりとかすかな音を立てる。
 くちゅ…ちゅぷ……と淫猥な濡れた音と、乱れきった荒い呼吸だけが、夜更けの部屋に響いて。
「……っあ……もうっ……!」
 抑えきれずに零れた高い嬌声と共に、華奢な躰が大きくのけぞる。
 同時に、指を深く咥えさせられたまま強く快楽の中心を吸い上げられて。
「────っっ…!!」
 声もなく太公望は昇りつめた。


「美味しかったですよ」
 解き放たれたものをすべて飲み干して、楊ゼンは顔を上げ、一つ息をつく。
 それからやわらかな内部からゆっくりと指を抜き、蜜に濡れたそれを舐めながら、脱力して荒い息をつく太公望を見下ろした。
 浴衣はしどけなく着乱れて、胸元と裾が大きく開き、そこからすべやかな肌やすらりと細い綺麗な脚が覗いている。
 そんな何とも扇情的な姿態を見つめて、楊ゼンは小さく笑みを浮かべる。
「次は僕の番ですよ」
「───阿呆」
 だが、うっすらと一瞬目を開いた太公望は、気だるげに再び目を閉じて、かすれた声で応じた。
「わしはもう疲れた。自分で始末しろ、それくらい……」
「──そんなことをおっしゃると……」
 するり、と楊ゼンはあらわになっている細い脚を手のひらで撫で上げる。
「このまま最後までしますよ? ちょうど具合良く、あなたの方も準備は整ってるみたいですし」
「ば…っ!」
 笑みを含んだ暴言に、太公望はぱっと反応して顔を上げる。
「────」
 そのまま、下から睨み上げる太公望と、上から余裕の笑みで見下ろす楊ゼンのまなざしが交錯して。
 たっぷり二十秒ほどが過ぎたところで、太公望が不機嫌極まりない顔で溜息をついた。
 そして、片手で楊ゼンの肩を押しのけるようにして、布団の上に起き上がる。
「本当に、どこまでいっても外道というか最低というか……」
「随分な言い草ですね。否定はしませんけど」
「その開き直り具合が気に入らん」
「そう言いつつ、世を拗ねていじけたりしてたら、相手にもしてくれないでしょう?」
「当然」
 言いながら、太公望は楊ゼンの首筋に腕を回して、軽く触れるだけのキスをする。
「───あんまりわしを甘く見るなよ?」
「ええ。甘い人だとは思ってますけど、侮ってはいませんよ」
「ふん」
 不満げな顔をしつつ、太公望は相手の耳朶に歯を立てる。
 血が滲むほどではないものの、予想外に鋭い痛みに、楊ゼンは軽く目を細めた。
 が、戯れを咎めることなく細い腰を抱き寄せて、深く口接ける。
 深く舌を絡め、その甘さに心地よく酔いながら、互いに互いの熱を煽って。
「──満足、させて下さいね?」
 ささやいた楊ゼンの言葉に。
 ふん、と太公望は意地悪く、だが見惚れるほど綺麗に笑んで、青年の肌に顔を伏せた。





「───…」
 やわらかな舌が過敏な箇所を繰り返したどるのに、思わず溜息のような吐息が零れる。
 気を紛らわせるように、太公望のさらさらと指に心地良い髪を撫でながら、楊ゼンは与えられる快楽を追って目を閉じた。
 同性ということで感じるポイントは分かっているからか、それとも先天的に勘がいいのか、どこで覚えたのかと思わず疑問を感じてしまうほど、彼の愛戯は的確で心地好い。
 男の性感など単純なものなのだが、簡単には解放に導かず、少しでも長引かせるように、それでいて単調だとは感じさせないだけの器用さで、小刻みに熱を煽ってくる。
 外見からは窺い知れない、享楽的と言ってもいい嗜好は、自分にも通じるもので、なんとなく楊ゼンは笑いたくなった。
 そうして、好き心に誘われるまま、髪を梳いていた指を浴衣の襟から見え隠れする、細いうなじへと滑らせる。
 明確な意図をもって、すべやかな肌に指先を這わせると、太公望が愛撫を止めて顔を上げた。

「──余計なことをするのなら止めるぞ」
「そうしたら、最後まですると言っているでしょう?」
 他者の熱を煽ることで彼自身も煽られるものがあるのか、かすかに情欲の滲んだ、艶めいたまなざしで睨みつけてくる太公望に、楊ゼンは笑みを返す。
「大丈夫ですよ。そんなきわどいことはしませんから。僕だって気持ちよくしてもらいたいですしね」
 あなたの集中力が極度に途切れるような真似はしません、と悪びれもせず言う青年に、太公望は露骨に嫌そうな表情をする。
 が、楊ゼンのこういう言動には慣れたのか、それとも単に今夜のところは諦める気になったのか、溜息をついて、つ…と細い指先を屹立した逞しい熱に這わせた。
「………っ」
 過敏な裏筋を軽くなぞり上げられて、楊ゼンはわずかに息を詰める。
「いい加減、わしとしては寝たいんだがな。そういうつもりなら……こっちも遊ばせてもらうぞ?」
「……どうぞ、お好きに?」
「後悔するなよ?」
「させてみて下さい」
 戯言めいた台詞に、太公望は楊ゼンの熱の濡れた先端に、ちゅ…と軽く口接ける。
 そして、視覚的にも煽るつもりか、ちろちろと舌先で軽い愛撫を加える。
 拒むことなくその様子を楽しみながら、
「どうせなら、もう一度僕もしてあげましょうか?」
 楊ゼンが提案すると、太公望は否、と即座に却下した。
「あれは集中できなくなるから嫌だ」
 快楽を与えるのも受け止めるのも、どちらも半端になるのは好きではないという理由は十分に納得できるものだったから、楊ゼンもそれ以上は迫らない。
「じゃ、やっぱりあまり際どいことはしないでいてあげますよ」
「満足させてほしいのなら何もするな」
「それだと僕がつまりませんし」
「──分かった。なら、おぬしの余裕が無くなるまでやってやる」
「じゃあ、どちらが先に余裕がなくなるか競争しましょうか。僕は、あなたに浴衣の上から手が届く範囲でしか触れない。それなら、いくらあなたが過敏でも公平でしょう?」
「……いいだろう」

 こういう勝負を持ちかけた時、まずもって太公望は断らない。
 どう見ても不利、という時でさえ話に応じることが多々あることを考えると、単なる負けず嫌いというよりは、勝負好きなのだろう。
 結局、日常に退屈してスリルを求めているのは同じかと、また奇妙な共通点を見つけて、楊ゼンは内心、微笑した。

 そして、張り詰めたままの熱に再び愛撫が加えられる様を楽しみながら、浴衣をまとった背筋に指を這わせる。
 すべやかな肌の感触を感じられないのは物足りなかったが、細い背筋の緊張は薄い布地越しにも充分に感じ取ることができて、その抑えた反応を楽しむように、綺麗に浮き出た背骨を指先でたどる。
「……ん…」
 口と手を駆使して与えられる愛戯に、時折、熱い吐息が混じるのが、何とも言えず心地好くて。
 思っていたよりも早く、ぞくりとした熱が背筋を這い登りはじめる。
 現金な己に微苦笑して、息遣いに合わせてわずかに揺れる細帯を結んだ腰に手をのばす。
 と、びくりと太公望の背中が震えて、猛々しい熱を愛撫する舌の動きも一瞬止まった。
「──もうギブアップですか?」
 そんなわけはないでしょうと、揶揄を込めて問いかけると、くびれの当たりをやわらかく歯先で擦られる。
 鋭く突き抜けた快感に息を詰めながら、ゆっくりと華奢な背筋を撫で上げ、うなじを指先で愛撫する。
 それに合わせるように濡れた舌先で裏筋を舐め上げられて、煽られた欲望に、ほんのかすかにではあるが腰が揺れた。
「───ねぇ」
 彼の弱点の一つでもある、首から肩へと繋がる境界線のあたりに優しく指先を這わせながら、低くささやきかける。
「あなたとこんな風に遊んでる時が……一番楽しいと言ったら、信じてくれますか?」
 与えられる微妙な愛撫にか、ささやかれた言葉にか、太公望の動きがわずかに止まる。
 が、それもほんの1秒かそこらのことで、猛った欲望に熱い吐息を感じたと思った時には、濡れた口腔に含まれていた。
 そして、微妙な舌の動きと、全体を軽く圧迫される甘い感覚に楊ゼンは目を閉じる。
 そのまま問いかけは、どちらのものともつかない僅かに乱れた熱い吐息に紛れて返らなかった。





「───…!」
 込み上げた熱に逆らわず、楊ゼンは抑え続けてきた欲望を解き放つ。
 注ぎ込まれた熱い奔流を受け止め、零さないように飲み下してから、太公望は雫を拭うようにしながら楊ゼンのものから口を離した。
 そうして、布団の上に座り込んだまま荒い息をつく太公望に、薄い笑みを口元に浮かべた楊ゼンが手をのばす。
「──勝負は引き分けですか?」
 指先が触れただけでびくりとおののいた肩を抱くようにしながら、顔を上げさせると、明らかに情欲に潤んだ瞳で太公望は楊ゼンを睨み返してくる。
 この期に及んでも強気を崩さない彼に微苦笑しつつ、楊ゼンはすっきりとした線を描く頬に添えていた手を、すぅ…っと首筋に滑らせる。途端、あからさまなほどに太公望の全身が反応した。
 最後の方は着ている浴衣が肌に触れるのさえ辛くなっていたらしい彼の肌は、熱を帯びてかすかにおののいているのが感じられる。
 たった今、熱を解放したばかりだというのに、すぐさま元通りになってしまいそうな扇情的な有様に、楊ゼンは微苦笑しながら細い背中を抱き寄せた。
「……今度は、指だけで達かせてあげましょうか?」
 耳元で低くささやきながら、軽く耳朶に歯を立てると、びくりと太公望は震える。
 顔を覗き込むと、きっぱりはっきり恨めしそうな悔しげな濡れた瞳が、至近距離から睨み上げてきて。
「───…」
 そのまましばらくの間、眉をしかめて何かを考えている表情になった後。
「………仕方ない、か」
 不本意極まりないと言いたげな表情で呟いて、太公望はぐいと楊ゼンの肩を押しやった。
 そして、わずかにふらついたものの、ちゃんと自分の足で立ち上がる。
「望?」
 どうするのかと問いかけた年下の幼馴染を、実に嫌そうな顔で見下ろして。
「風呂場に行くぞ」
 心底忌々しげに告げた。




           *           *




 純和風の邸宅に備えられている浴場は、当然、純和風の総檜造りである。
 十人以上が同時に入れそうな、まるで温泉宿のような大きな浴槽も壁も床も、すべてが穏やかな色合いの木で作られ、家人が在宅中の間はいつでも入浴できるようになっている。
 肌の上を滑り落ちる布地の感触に眉をしかめながら、脱衣所で浴衣を脱ぎ落とした太公望は、そのままやわらかな照明に照らされた浴室へと足を踏み入れた。
 そして、浴槽には入らずに待っていた楊ゼンの腕に引き寄せられるままに唇を重ねる。
「……っ…ん…」
 深く舌を絡ませ合い、十分に互いの熱を煽って。
 ゆっくりと離れた太公望は、情欲絡みではない深い溜息をついて、楊ゼンの肩にことんと顔を寄せた。

「──まさか、自宅でこんなことをする羽目になるとはな…」
 とことん嫌そうな呟きに、楊ゼンは軽く笑う。
「じゃあ、今度は僕の実家でしますか? 僕の部屋には誰も入りませんし、変わったシチュエーションで楽しみたいなら、客間の天蓋付きベッドなんてどうです?」
「たわけ」
「あれはあれで気持ちいいと思いますけど? 寝具はドイツ製の最高級フェザーですし。満足した後は絶対に熟睡できますよ」
「阿呆。とにかく、もう二度とおぬしはこの家に泊めぬからな」
「そうは言ってもね、このお屋敷の主人は元始会長でしょう。碁の相手をするという条件付きなら、会長は何日でも宿泊許可をくれますよ」
「なら、おぬしの寝室はジジィの隣り部屋にしてやる」
「無駄ですって。夜這いに行きますから」

 ふすまは風情があるけど鍵がかからないのが難点ですよね、と笑いながら楊ゼンは太公望の頬に口接ける。
 その肩から流れ落ちる長い髪を、太公望はぐいと引っ張った。
「余計な戯言はいいから、さっさとせい」
「さっさとって……。まぁ、確かにのんびりできるシチュエーションじゃありませんけど」
 言いながらも、楊ゼンは太公望の細い首筋に唇を落とし、舌を這わせる。
 その感覚に目を閉じた太公望は、自分のものではない体温がゆっくりと胸元へ降りてゆくのに、微かに体を震わせた。

 ここの浴室には、幸か不幸か内鍵が取り付けられている。
 家族が皆、長風呂が好きなため、誰かが入っている最中にかち合わないようにという配慮によるものなのだが、とりあえず突然、闖入者がやってくるという心配はない。
 ましてや夜中過ぎであれば、使用人にも起きているものはまずいないはずだった。
 だからといって、ひとり暮らしの部屋ではない以上、さすがに安心して行為に及ぶわけにはいかず、極力、声を押し殺して太公望は楊ゼンの愛撫を受け止める。
 楊ゼンの方もそれくらい──最低限レベルの良識はわきまえているようで、常ほどに意地の悪い煽り方はしなかった。

「───っ…」
 音響効果満点の浴室に、二十四時間風呂の微かな音にまぎれるように、押し殺した嬌声が響く。
 湯船の中には入らず、洗い場で戯れていても、湯気に満たされた空気は体温を奪うことはない。むしろ、躰の内側から込み上げる熱にどちらの肌もうっすらと汗が滲んでいる。
「ほとんど慣らさなくても大丈夫みたいですね」
 切なげにきつく眉を寄せた太公望の表情にくすりと笑って、楊ゼンは挿し入れた長い指でやわらかな肉襞を優しく刺激する。
 長時間、前戯に焦らされ続けていたに等しい華奢な躰は、既にとろけきっているようで、熱い内部は淫らがましく蠢き、指に絡み付いてきて。
 のけぞった胸元に紅く色づいた尖りに歯を立てると、きゅっときつく締めつけ、更に刺激をねだるようにおののいた。
「……っ…く…」
「──もう我慢できませんか?」
 ささやきかけると、恨めしげな、だがいつもほどの余裕は失せた表情で小さく太公望はうなずく。
 その素直さに含み笑って、楊ゼンはゆっくりと2本の指を抜いた。
 そして、向かい合って膝の上に座り込むような体勢になっていた切なげにおののく躰を支えて腰を浮かせさせ、濡れてひくつく秘処に己の欲望をあてがう。
 と、
「僕が支えてますから……」
 低い濡れた声に応じて、ゆっくりと太公望は腰を落としてゆく。
 圧倒的な熱と質量をもったものが躰の奥深く穿たれてゆく感覚に、楊ゼンの肩に置かれた手にぎゅっと力が入り、肌に浅く爪の跡を刻む。
「───ぁ…」
 時間をかけてすべてを収め尽くし、小さく息をついた太公望の唇に楊ゼンは軽く口接けた。
「今、あなたどれくらい色っぽい表情をしてるか分かります?」
「……え?」
 浅く息をつきながら、濡れた色の瞳を開いた太公望を見つめて、楊ゼンは微笑する。
 普段の彼からは想像もできない、快楽をこらえて切なげにまばたく瞳も、桜色に上気した頬も、小さく喘いでいる唇も。
 たとえようもないほどになまめかしく、艶めいていて。
「ものすごく興奮しますよ」
 くすくすと笑い混じりに言いながら、楊ゼンは抱きしめた躰を軽く揺すり上げる。
「んっ……!」
 途端に、太公望は息を詰め、深く溶け合っている箇処はきつく楊ゼンの熱を締めつける。
「分かるでしょう?」
 常よりも早い鼓動に合わせて、欲望もまた熱く脈打っている。
 それが太公望に感じ取れないはずがなかった。
「阿呆……」
 軽く眉をしかめたまま、太公望は溜息をつくようにかすれた声で呟いて、けれど、先ほど楊ゼンがしたのと同じように、軽くついばむだけのキスをする。
「──今夜は、無茶な…ことは、するなよ?」
「分かってますよ。あなたのいいようにして下さい」
 呼吸を乱しつつもしっかりと釘を刺した太公望にあでやかに微笑んで、楊ゼンはもう一度、今度は深く口接けた。




 ほんの少し身動きをするだけで、どうしようもないほど甘い感覚が全身を貫いてゆく。
「………っ…ん…」
 呆れるほどに広い邸宅とはいえ、家族がいる家の中でこうして行為に及んでいることに感覚を煽られているのかと思うと、どうにもこうにも己の感性がひどくお手軽なように思えて、八つ当たりめいた感情と共に、太公望は楊ゼンの肩にきつく爪を立てた。
 けれど、彼にささやかな意趣返しをしたところで体内を駆け巡っている熱が減じることは微塵もなく、思考さえも白く灼かれて、先ほどから断続的に記憶に空白が生じている。
 過ぎた快感に思考が遠くなり、そして、甘すぎる愉悦にふと意識を引き戻される。それの繰り返しだった。
「──ここは、鏡がないのが難点ですよね」
 耳元にささやかれた、熱を帯びた低い声に、快楽にかすむ瞳で、艶めいた微笑を浮かべる青年の瞳を見上げる。
「今のあなたの顔を見せてあげられないなんて……」
「───阿…呆」
 あなたの顔を見てるだけで達きそうですよ、と紡がれる戯言に、まともに言い返す気力もない。
 決して声を上げられない分、感じる快楽はどこまでも鮮やかで。
 このまま蕩けてしまいたいような甘い甘い感覚と、あふれ出そうになる声を押し殺す苦しさの狭間で、涙さえ滲む。
「……っく…」
 最初に、あなたのいいように、と言った通り、楊ゼンは躰を繋げあってからはほとんど何もしなかった。
 ごく控えめに肌に触れ、口接ける程度で、常の過剰にしつこい愛撫に比べれば、本当に大人しいといえる。
 それは声を出したくない太公望にとっては助かることではあったが、代わりに、いつまでたっても頂上にまでたどり着くことができないでいる。
 自力でどうにかしようにも、感じ過ぎている躰では身動きさえほとんどままならない状態で。
「望……」
 低く名を呼ぶ声と同時に、胸元に指先を滑らされて、過剰なほどに躰が激しく反応する。
 走り抜けた電流のような感覚に、穿たれた熱をきつく食い締め、そうすることで同時に躰の奥深くに焦れったいような甘い愉悦を感じる。
「───っ…ぁ…」
 何もかも手放してしまいたいほどの深い快楽に、懸命に声を押し殺そうとするが、吐息だけの喘ぎさえも浴室ではあからさまに反響して。
 どうしようもなく躰が震える。
「──ぁ…、も…う……!」
 思考を灼く、とろけてしまいそうな甘さにおののく唇が、かすれた悲鳴を紡ぐ。



「い…かせて……っ」
 本当にギリギリの、余裕の失せた声に、楊ゼンはわずかに目を細めた。
「も…駄目っ……、これ…以上…っ」
 きつく眉根を寄せ、途切れ途切れに限界を訴える表情は、泣き出す寸前のもので。
 ───否、泣き出さないのが不思議なほどだった。
 どんな時でも強気を崩したがらないのに、今夜は嬌声を上げないようにするのが精一杯なのか、ひどく切なげな、快楽にとろけた甘い苦悶の表情を隠しもしない。
 華奢な躰も切なげに慄え続けていて、時折快楽の先にあるものを求めて小さく動くだけなのに、そのたびごとに熱くとろけた柔襞は、貪欲なまでにひくつき、楊ゼンの欲望に絡み付いてきて刺激をねだり、きつく締め付けてくる。
 彼を形作るものすべてが、これまでにないほど深い快楽を感じていることを楊ゼンに伝えていて。
「──僕に達かせて欲しいんですか?」
 わざと耳にささやき込むと、太公望はびくりと躰を震わせる。
 そして、わずかな逡巡の後、小さく──だが楊ゼンを見上げてはっきりとうなずいた。
「本当に? 良いんですか?」
「───…」
 うるさい、とでも言いたかったのだろうが、喘ぎは声にならず、込み上げた疼きに太公望は切なげに息を詰めて、ぎゅっと目を閉じる。
 その泣きじゃくりたいのをこらえているような表情に、楊ゼンは微苦笑して。
 綺麗に浮き出た鎖骨の上に口接ける。
 唇が肌に触れた瞬間、華奢な背筋が大きくのけぞって、楊ゼン自身を締め付けた。
「……正直、僕もあまり余裕はないんです。加減はしますけど、多少のことは許して下さいね?」
「い…いから……っ、協…力しろ…っ…!」
 涙の滲んだ深い色の瞳で、詰るように睨み上げられて。
 苦笑しながら、浅く喘いでいる唇に口接ける。
「要請したのはあなたなんですから、後から文句言っても聞きませんよ?」
 そして、泣き濡れて慄え続けていた太公望の快楽の徴にするりと指を滑らせた。



「───っ…!」
 与えられる過剰なまでの快感に、太公望は逃れようとするかのようにかぶりを振る。
 確かに楊ゼンの動きに激しさはなかった。が、それでも同時に二箇所、三箇所を責め立てられる快楽に、神経は焼き切れる寸前まで追い込まれる。
 その状況でもなお、声を出すまいとする理性のかけらは悪あがきにも似て、快楽に溺れ、没頭することを許さず、いたずらに苦悶を長引かせる要因になる。
 だが、それと分かっていても、やはり声を上げることを己に許すことは太公望にはできなかった。
 とうに真夜中を過ぎていて、屋敷中が寝静まっているのは疑う余地もない。
 けれど、それとこれとは別なのだ。
「…っ…く……!」
 粘膜の交わる淫猥な音が、広い浴室内にいやらしく響く。
 深く突き上げられる律動に身を任せたまま、すがりつくように青年の背に爪を立てて。
 容易には解放にまでたどりつけず、激し過ぎる快楽に灼かれる苦しさに太公望は忍び泣く。
「──望」
 それに気付いたのか、やや息を乱した声で楊ゼンが名を呼んだ。
「快楽だけ……追って?」
 その言葉と同時に、中心をややきつく握りこまれて、太公望は声にならない悲鳴を上げる。
「もう我慢しないで……」
 そのまま数度、強めに扱き立てられて。
「ひっ…ぁ……!」
 躰の芯から込み上げた、純粋な熱の塊のような奔流に。
 悲鳴がほとばしりそうになるのを止める術を求めて、太公望は楊ゼンにすがりつく。
 そして。
 全身の血液が沸騰するような、快楽の極みに。
 太公望はきつく楊ゼンの肩を噛んだ。




「───…っ…」
 突き抜けたすさまじいまでの快楽に、すうっと意識が遠のきかけるのを、太公望は己を叱咤することで食い止める。
 だが、全身の脱力感はどうすることもできず、抱き寄せられるままに楊ゼンの胸に体重を預けた。
「あーあ、くっきり跡ついてますよ。爪痕だろうが歯型だろうが、勲章みたいなものですから別に構いませんけど……」
 早くも平常に戻った幼馴染の声を聞きながら、そういえば最後に噛んだのだっけ、と太公望は未だ完全にはまとまらない思考の中で思い返す。
 身体に比べれば、最後まで理性を残していた思考の方はよほど無事だったが、それでも全身の脱力感にひきずられて、かなりぼんやりしている。
 かろうじて声は殺しているものの、すすり泣くような呼吸もおさまらない。
 宥めるように髪を撫でていてくれる楊ゼンの指の動きは心地好かったが、そのまま眠り込んでしまいそうで、無理やりに太公望は片手を上げ、精一杯の力で楊ゼンの腕に爪を立てた。
「とに…かく……部屋に……」
「はいはい」
 痛みらしい痛みも感じていないのだろう。微苦笑して楊ゼンは、腕に爪を立てている太公望の手を取り上げ、ゆっくりと躰を引き離す。
「……っ…」
 だが、感覚が収まりきっていない躰には、先ほどまでの硬さを失っているとはいえ、それが引き抜かれる感覚は甘すぎる毒に等しい。
 きつく眉をひそめて躰を震わせた太公望に、楊ゼンは宥めるように軽く口接け、それから、湯を汲んで汗やら何やらを洗い流した。
 湯が肌を流れ落ちてゆく感覚に太公望が耐え切れなくなる前に、手早く後始末を終えて、華奢な躰を抱き上げて浴室を出る。
 そして、脱衣所に戻ったところで、ようやく太公望が小さく身動きした。

「自分でやる……」
「といっても……」
「いいから、バスタオルを渡せ」
「はいはい」
 手渡された大きな厚手のバスタオルで、太公望はのろのろと全身の水滴を拭う。
 続いて、ひどく億劫そうにしながらも自分の浴衣に袖を通し、細帯を結んだ。
「大丈夫ですか?」
「この期に及んで大丈夫もくそもあるか、この色魔」
「色魔って……すごい言われようですね」
「反論があるならしてみろ」
「いえ、ありませんけど」
 ようやく呼吸のみは正常に戻った太公望に、じろりと睨まれて楊ゼンは肩をすくめる。
「で、どうするんです? 部屋まで抱いていってあげましょうか?」
「いらん」
 ふん、とそっぽを向いて、太公望は身体の具合を確かめるように寄りかかっていた壁から離れる。
 そして、浴場の内鍵を開けた。

 温かかった浴場を一歩出ると、廊下の空気はひんやりと全身を包む。
 本当に温泉宿よろしく浴衣姿に裸足で、やや足元の頼りない太公望に合わせてゆっくりと2人は歩いた。
「さすがに寒いのう」
「一応、暖房は効いてるみたいですけどね」
「屋敷内は人口密度が低いから、むやみに設定温度をあげるわけにもいかんしな」
「まぁ、今は身体も温まってますから良いですよ。冷える前にさっさと戻りましょう」
「誰のせいだ?」
「僕はきっかけを作っただけ。決断を下したのはあなたです」
「責任転嫁するな!」

 低い音量で低レベルの口論をしながら、数度角を曲がり、やっと太公望の部屋にたどりつく。
 ふすまを開けて室内に入るなり、太公望は布団の上に転がった。
 本当に疲労困憊した声で、疲れた、と呟き、そのままの体勢でちらりと楊ゼンを見上げる。
「おぬしもさっさと部屋に行け。そんな所に居られては、安心して寝ることもできん」
「今夜は満足しましたから、もう襲いませんよ。それよりもちゃんと布団に入って下さいよ。いくら暖房をつけっぱなしにしていても、風邪引きますよ。まだ正月なんですから」
「分かっとるわ」
 口答えしながらも、もう指一本動かすのさえ億劫なようで、太公望は掛け布団の上から動こうとはしない。
「意地張らずに、大人しくお姫様抱っこをされていればいいのに……」
 苦笑した楊ゼンは、布団の脇に膝をついて細い身体をよいしょと抱え起こす。
 一瞬抗いかけた太公望だが、どうせまともに動ける状態ではないし、動きたくないのは確かだ、とすぐに力を抜いて人形よろしく青年のなすがままになった。
 楊ゼンは片腕で太公望を支えたまま、空いた方の手で掛け布団をめくり、華奢な身体を横たえ布団をかけ直して。
「はい、できた」
 そして、仕上げとばかりに太公望の前髪を軽くかきあげて、あらわになった額に一つ口接ける。
「……ダァホ」
「はいはい」
 小さく笑いながら、楊ゼンは立ち上がった。
「じゃ、おやすみなさい」

 心地好く響いた声に何となく応じる気にはなれないまま、太公望は姿勢のいい後姿が続き部屋へと向かうのを目で追う。
 と、ふすまに手をかけた楊ゼンは、肩越しに振り返って軽く手を振り、その向こうへと消える。
 ふすまが元通り閉ざされた後、ほんのしばらくの間、身動きするような音がかすかにしていたが、それもすぐに聞こえなくなり、彼も眠る体勢を整えたことが知れた。
 そういえば昔、子供の頃に彼が泊まった時には、邑姜も交えて3人で布団を並べて眠ったな、と思い出しながら太公望は目を閉じる。
 あの頃と何が同じで、何が変わったのか。
 考えようとするまもなく、またたく間に睡魔のやわらかな闇に囚われた。










 翌朝。
 昼過ぎに太公望が起きた時には、既に楊ゼンは辞去した後だった。
 そして、昼食にも遅すぎる時間帯の朝食を取っている間中、しっかり者の妹に「いくら休みだからといってだらけすぎよ!!」と小言を言われ続けた太公望は、金輪際、年下の幼馴染をこの屋敷には泊めるまじ、と固く心に誓ったのだった。






end.










というわけで、既に年末年始も遠くなりましたが、企画第3弾。本当に遅くなってすみません。
遅れた原因は、忙しかったのもあるのですが、何よりもエロを書く気になれなかったことが最大の理由です。
どうも、取り立ててエロを読みたくもないし書きたいとも思わない、という谷間にハマってしまったようで、とことんノリが悪く、毎晩PCに向かっていたのですが全然書き進みませんでした(-_-) 
書けないなら書けないで、本番に持ち込まなければいいんですが、69はイマイチ情緒がなくて、書いていてもつまらないから好きじゃないんですよね。で、結局余計に手間がかかってしまったわけです。
そんなこんなで、今回は本当に長いばかりで色気もありません。この2人の関係はケダモノ的な本能に基づいているので、見事なまでに情緒がないんですよ・・・(T_T)

しかし、今回書いていて気付いたのですが、望ちゃんが抱かれる立場に甘んじているのは多分、面倒だからですね。もともと淡白ではあるんだけど、かといって断るほど禁欲的でもなく、結果的にマグロになってるんだろうという気がしてなりません。
何というか、このシリーズの彼は非常に掴みにくい性格をしていて、「何考えてるんだろう?」と首をかしげることもしばしばです。シリーズもこれで8作目?になって、多少は思考が読めるようにもなってきたんですが。

とりあえず、次の年末年始企画ラストも、太公望メインの予定です。
頑張って数日中に書きますので、もう少し待っていて下さいね〜。m(__)m





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