#043:遠浅







触れるたび、涙を零すことを忘れた瞳が、泣きたいと感じる。








夜の帳の中、伸ばした手に触れる肌はいつも熱い。
時間も立場も忘れたふりをして、求め、与える交歓に溺れる。

貪られているのか、貪っているのか。
自分は何を求め、相手は何を求めているのか。
とうに答えを知っている気がすることを──本当は無なのだと知っていることを、形をなさない思考の中で繰り返し考え続ける。

「・・・・っあ・・・! や・・・楊・・・ゼンっ!」

快楽に震えて逃げかけた腰を捉えられ、更に深く突き上げられる衝撃に、白く灼けた脳裏に火花が散る。
報復するように力任せに爪を立て、甘い甘い毒のような熱に霞む瞳を、無理やりにこじ開けて、抱いている男の瞳を捜す。



一瞬、薄闇をさまよった後、見つけた宝玉のような瞳。



いつもは砂漠のように乾いた、感情を置き忘れたような瞳に、今は狂おしいほどの熱が滲んでいて。
その熱に、視線を奪われる。

自分も今はこんな瞳をして、見上げているのだろうかと思いながら、寄せられた唇に目を閉じ、濡れた熱に舌を絡ませ、応える。

どちらの熱なのかも分からなくなるほど、深く絡み合い、溶け合う。
そこには快楽以外の何もない。
ただ、気も狂いそうなほどの熱が、すべてを白く灼き尽くしていく。

立場も、思惑も。
哀しみも、喜びも。
すべて灰になる。

───この胸に巣食った、底無しの虚無だけを焼け残して。













耳元で、自分の物ではない鼓動がゆっくりと響く。
虚無を数えるようなその音が、けれど、ひどく自分を落ち着かせ、安心させる。

静かに髪を撫でる手も。
低く響く声も。

胸に虚無を巣食わせた存在は、世界に自分ひとりではないのだと教えてくれる。

この想いが、傍目にはどう見えようと構わない。
愛しさでも憎しみでも。
自己憐憫でも同属嫌悪でも。
感情につけられた名前など、どうでもいい。

ただ、離れずにいられるのなら。
虚無を抱えていることを・・・・捨てることもできなければ、捨てようとさえ思わずにいることを、責めも慰めもしない、ただ一人の存在と共にいられるのなら。

「明日も晴れそうですね」
「・・・・そうだな」

ぽつりぽつりと他愛ない言葉を交わしながら、溢れそうになる想いに、きつく目を閉じる。
泣くことをとうに忘れた瞳で、泣くというのはどういうことだったかとぼんやり考えながらも、唇からは共に過ごす夜の決まり文句が零れ落ちてゆく。

「愛しておるよ」
「僕も愛してますよ」

何を失くしてもあなただけは、と告げられたいつもの言葉に。



いつものように、心が灼ける。



──ここがこの世の果てなら。
世界の果てで、二人きりだったなら。

自分も、この男も泣く方法を思い出せたのだろうか?

けれど。
目の前に広がるのは、獣道さえない荒野。
あるいは地の底まで続く断崖。

自分も、この男も、ここではないどこかに行くことさえできない。
足を踏み出すことも忘れ、ただ、朽木のように心の地平に立ち尽くすだけだ。

「────」

幼かった頃のように唇を噛む気さえ起きず、目を伏せた時。
夜の空気に冷えた肩に、不意に抱き寄せる温かな腕を感じた。
言葉もない静かな抱擁が、そのままでいいと・・・・これが自分たちだと囁くのを感じて。

一つまばたきして、目を閉じる。







・・・・どれほどの時を経ようと、何も変わらない。
変わる方法さえ思い出せない。

それでも。

自分のものではない鼓動と温もりがあるのなら。










『雪』の2人。INSOMNIAが楊ゼン視点だったので、今度は太公望視点。

少し前(といっても2ヶ月くらい前のはず)に、この2人のシリーズ名を思いついたような気がするのですけど思い出せません。
何か、ぴったりなフレーズが浮かんだような記憶だけはあるんだけどな・・・・。


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