永久とわの夜 久遠くおんの空






「セイ! 言い訳できるか!?」
 語気鋭く迫る青年に、彼は一度だけまなざしを落とし、そして静かな静かな、哀しみすら窺わせる瞳で真っ直ぐに青年の瞳を見つめ返した。
「──僕が真実を語ったとしても、もし、それが『僕がアナベルさんを殺した』という以外の答えだった時……、あなたはそれを信じてくれるんですか?」
「な……!」
「そうでないのなら……僕は、何も言えない。何も、言えません」
 それきり面差しを伏せるようにして口を閉ざした少年に、青年の激昂はむしろ煽られたようだった。更に声高に弾劾の言葉を投げつける。
「なにが何も言えない、だ! 貴様が殺したから、答えられないんだろう! やはりこいつが……!!」
 いよいよ声を高め、言い募ろうとしたその時、進み出たのは。
「ジェス殿」
 知勇を兼ね備えた驍将として名高い、コボルト族の長だった。
「トゥーリバーの将軍として言わせてもらう。それ以上、我らがリーダーを侮辱することは許しませんぞ」
 冷静な、しかし気迫のこもる声に、さすがに各市の重鎮が居並ぶ今の状況を思い出したのだろう。失礼する、と短く辞去の言葉を告げて、ミューズ市長補佐だった青年は同市の将軍と共に出てゆき。
 その足音がドアの向こうに遠ざかると、部屋の中央に居た少年は、溜息とも取れる小さな息をついた。
「ありがとうございます、リドリーさん。それから、ごめんなさい。僕が不甲斐ないから庇うようなことをさせてしまって……」
「いや、感情的になっている者を相手に、何を言っても意味を成しませんからな。……ジェス殿はアナベル殿を尊敬していたから、色々と思うところもあるのでしょう」
「そうですね……」
 落ち着いたリドリーの声にかすかに微笑み、そして改めて少年は、室内の大人たちを見渡す。
「お分かりになったでしょうけれど……僕はアナベルさん暗殺の容疑をかけられていて、それを晴らすことができません。
 ──あの日、僕たちの養い親だったゲンカクの話を聞かせるからとアナベルさんに呼ばれて、アナベルさんの部屋に行ったのは事実です。でも、僕とナナミがノックしても返事がないことを不審に思って、鍵のかかっていなかったドアを開けた時には、もう……」
「そして、ジェス殿はそこに来られた、というわけですかな」
「はい……」
 少年は、敢えて自分の傍らに居た傭兵の顔を見ることはせず、静かな声で言った。
「証拠はありません。でも、決して僕でもナナミでもない。それだけは誓えます。信じてもらえなくても……それが僕の知っている唯一の真実です」
 それきり、しんとホール内が静まる。
 だが、沈黙は長いものではなく。
「……なるほど」
 重苦しい空気を打ち破るように、大きく息をつきながら、グスタフが嘆息した。
「よく分かった、セイ殿。あなたが違うとおっしゃるのであれば、アナベル殿を手にかけた犯人は他にいるのでしょうな。わたしはセイ殿の言葉を信じましょう」
「当然ですな。セイ殿がそのような事をできる方でないのは、我らが一番良く知っております。そうでなくば、どうして長年不仲であったコボルト族、ウィンドボード族、人間族の心を結集することが叶いましょうか」
「お気になさいますな、セイ様。我々はあなたを信じております」
 口々に言う大人たちに、少年は一瞬、まなざしを泣きたいかのように揺らし、しかし、それを押さえ込んで微笑む。
「ありがとうございます、皆さん」
 そんな少年を大人たちは微笑んで見つめ、気分を切り替えるようにグスタフが大きな声を出した。
「さて、話が横道にそれてしまったが、今はネクロードにどう対処するかが最大の問題ですぞ。あやつを迎え撃つ作戦を立てましょう」
「そうですな」
「ああ、そのために俺たちは、ここに居るんだ。余計なことをしゃべくってる暇はねえぜ」
 そして、卓上に広げられたティント市内及び近郊の地図を囲み、人々はあれやこれやと論議を始める。
 ──その様を終始、一歩引いた位置から見つめていた青年は、作戦会議の間も意見を求められた時を除いて一言も言葉を発することなく、やがて何かを思うように窓の外へとまなざしを向けた。
 






 結局、様々な意見が出されはしたものの、まとまりを欠いた軍議は翌日へと持ち越されることになり、一足先に出て行ったビクトールとクライブ、ルックに続いて、セイとナナミ、ティルも会議室を後にする。
「何だか疲れちゃったね、セイ」
「そうだね。でも、明日もまた作戦会議だろうし、ネクロードもいつ来るか分からないんだから、今日はナナミもちゃんと寝ておかなきゃ駄目だよ?」
「あー、何よ、それ! セイのくせに偉そうに。私の方がお姉ちゃんなんだからね!」
「それは知ってるけど……ナナミって他所に泊まると、いっつも探検しようとか言い出して、なかなか寝ないじゃないか」
「そんなことないわよーだ。セイの方こそ、枕が替わると寝られないくせに!」
「最近はちゃんと寝てるよ。あちこち行くのに、そんなこと言ってられないもん」
「何よ何よ、自分ばっかりいい子ぶって!」
「違うってば……」
 二人のすぐ後を歩くティルが笑いをこらえるような表情をしているのに全く気付く様子もなく、姉弟は賑やかに騒ぎながら階段を上がり、そして用意された客間へと二階の廊下を進みかけた、その時。
 ぴたり、と三人のうち二人の足が止まった。
 さりげなく片手を伸ばしてティルがナナミを制するのと同時に、セイが一歩進み出て廊下の先へとまなざしを向ける。
 壁に取り付けられた燭台の灯に照らされたそこには。
 昼間、会議室を出て行ったきり戻って来なかった青年の姿があった。
「あー! 何よ、やる気!?」
「ナナミ……」
 セイとティル、二人の隙間から相手が誰なのかを見て取ったナナミが、セイが制する間もなく騒ぎ始める。
 が、対する青年の方は、賑やかな少女の方など見てはいなくて。
「俺はお前のことなど信じない。絶対にだ」
 睨みつけるような視線と共に、それだけをセイに告げて、少年たちの横を通り過ぎ、階段を下りてゆく。
 と、一瞬呆気に取られていたようだったナナミが、我に返ったように、その後姿に向かって盛大なあかんべを送った。
「な、何よ何よ、あんたなんか知らないわよ! べーっっだ!!」
「ナナミ、もう止めなってば。どうせジェスさんは聞いてないから」
「だってセイ! あんな言われっぱなしじゃ……!」
「言い返しても仕方ないでしょ? 僕たちじゃないって言っても、今のジェスさんには通じないんだから」
「だけど、だけど……」
 眉をしかめ、それでも懸命に言葉を捜そうとする姉を、セイは困ったような微笑を浮かべて見つめた。
「いいんだよ、ナナミ。今日はもう寝よう? 僕も疲れたし、ナナミも疲れたでしょ?」
「……うん…」
「ほら、ナナミの部屋は一番向こうだから。ね、お姉ちゃん?」
「……こういう時ばっかり、お姉ちゃん、って……」
「お姉ちゃんなんでしょ? じゃあね、ナナミ。お布団、蹴っ飛ばしちゃ駄目だよ。おやすみ」
「なっ! 蹴っ飛ばさないわよ! セイこそ、おなか出して寝るんじゃないわよっ!!」
「はいはい」
 威勢のいい捨て台詞を吐いて廊下を走っていく姉に、ひらひらと右手を振って、セイは傍らにいた青年を見上げる。
「ごめんなさい、うるさくて」
「別に構わないけどね。あんな風に元気がいいのがナナミちゃんなんだし」
 笑顔を見交わすようにしながらドアを開け、手にしていた燭台の灯を壁際の燭台に移して。
 そして二人は、荷物を床に下ろす。
「疲れちゃいましたね。何だか大騒ぎで」
「そうだね。──でも、セイ?」
「はい?」
 何ですか、と振り返った少年の頭を、わしゃわしゃとティルは手袋を外した手でかき回した。
「え? えっ? マクドールさんっ? 何です……」
「僕の前でまで、無理して笑わない」
「……え」
 ぴたりとティルはセイの髪をかき回す手を、セイはティルの手を制しようとする手を止めて。
 セイは大きな目をみはって、自分よりも背の高い相手を見上げる。
 そんなセイの乱れた髪を、今度は優しい手つきで直しながら、
「言いたくない事なら言わなくてもいいし、無理に聞こうとも思わないけど……。でもね、セイ。僕も、あの意固地な彼とは別の意味で、納得していないよ?」
 ティルは静かに真面目な口調で言った。
「何を…ですか?」
「セイ」
 分からない、と大きくみはった瞳に疑問符と、それからかすかな怯えを浮かべて見つめ返した少年に、ティルは溜息をつくように名前を呼ぶ。
「僕をごまかそうとしても無理だよ。ごまかされて欲しいのなら、ごまかされてあげるけど……それでいいの?」
 そう穏やかに問いかけると。
「───…」
 セイは揺れる表情を隠しきれずに、小さく唇を噛んでうつむく。
 その頭を、ティルは宥めるように優しく撫でた。
「とりあえず座って? 話をするのもしないのも、それからでいいから」
 立ち尽くしていても仕方がないから、と促して、二つあるうちの一方の寝台に腰を下ろしたティルの隣りに、セイもおずおずと腰を下ろす。
 そして、泣き出しそうに途方にくれた瞳で、ティルを見上げた。
 そんなセイの甘やかな茶色の瞳を見つめ返し、静かにティルは微笑む。
「──ごめんね、苛めているみたいだよね、これじゃ」
「そんなこと……」
「でも、実際に僕の言っていることは、君への意地悪に等しい。そうだろう?」
 言いながら、ゆっくりとティルはセイのやわらかな髪を梳くように撫でて。
 静かに続ける。
「言いたくなければ言わなくてもいいよ。でも、もしセイが誰かに聞いて欲しいことがあるのなら、僕が聞く。──大丈夫なんだよ、僕には何を言っても。僕はハイランドにも都市同盟にも関係ない人間だし、周囲がどう見ようと、本当のところはトランの関係者であるつもりもない。僕は僕の意識の中では、無国籍の存在だ」
「無国籍……?」
「そう。この世界のどこにも留まらないし、どこにも関わらない。三年前から、僕はそのつもりで生きてきた」
「……それで…」
「うん?」
「それで、寂しくないですか……? マクドールさんが言うのは、どこにも帰る場所がないっていうことじゃないんですか……?」
「その通りだよ、セイ」
 おずおずと紡がれた問いかけに、ティルはうなずく。
「トランは故郷だし、グレッグミンスターには生まれ育った家もあるけどね。今の僕にとっては、そうだね、たまに立ち寄る宿り木程度の意味しか持たない。けれど、いいんだよ。僕はこれで。帰る場所はないけれど、世界のすべてが行くべき場所だから」
 静かに言い切り。
 微笑んだティルに、セイは少しだけ戸惑った瞳を向ける。
 けれど、ティルはそれ以上は語らずに、再びゆっくりとセイの髪を撫でた。
「とにかく、僕には地上のあらゆる利害は関係ないということ。今の僕が気にするのは、極少数の身の回りにいる人たちのことだけだ。──だから、ね。セイ」
 君さえ良ければ話して欲しい、と誘い水を向ける。
 そんなティルの、燭台の明かりを映した漆黒の瞳を見つめ、考えるようにセイは少しだけまなざしをうつむけた。
 どこか物悲しい少年の表情に、ティルはそれ以上は言わずに、ただ相手の反応を待つ。
 と、セイがぽつりと言った。
「……どうして…」
「何?」
「どうして、マクドールさんには全部分かっちゃうのかな。──分かってるんですよね? きっと、あの日に何が起こったのか全部……」
「分かっているわけではないよ。これまで聞いた話や、君やナナミちゃんの様子から推測してみただけ。それこそ証拠も根拠もない」
「それでも。ちゃんと分かってるんですよ、マクドールさんは……。ううん、マクドールさんだけじゃない。きっとビクトールさんも……」
「セイ」
 名を呼ばれて。
 セイはゆっくりとうつむけていた顔を上げる。
 その瞳を真っ直ぐに見つめて、ティルは静かに問うた。
「ミューズが陥落した日。その日まで、君たちは三人だったんだね? 君とナナミちゃんと、もう一人……」
 責めるでもない、ただ確認するだけの静かな問いに、セイは泣き出しそうに瞳を揺らして。
 そして。
「……はい」
 断罪される罪人のように目を閉じ、うなずいた。
「はい、そうです。マクドールさん……」
「……うん」
 うなだれた少年の背に腕を回し、包み込むようにティルは抱きしめる。
「──大丈夫だよ、セイ。今は何も言わなくても、何も言えなくても。真実はいつか明らかになるだろうけれど、でも、先のことは誰にも分からないから……」
「でも……」
「うん?」
「でも、あの人は……ジェスさんは、知りたがってる。──そうでしょう? 知りたいのに本当の事が分からなくて、だから、ジェスさんはあんなに苦しんでる。それなのに、僕は……!」
「セイ」
 おののくような響きを帯びたセイのかすれた声に、ティルはそっと名を呼ぶ。
「でも、君も苦しんでいるよ。十分過ぎるほどに。──だからね、今だけは流れに任せよう? いつか、どうしても君の口から言うしかなくなる時が来るかもしれない。『彼』が自ら罪を明かす日が来るかもしれない。ジェスが、僕のように自分で推理して気付くかもしれない。
 辛いだろうけれど、こればかりはいつか必ず、真実が明らかになることだと思うから。どうしても真実を語れないと思うのなら、今は黙っていてもいいよ。そのことを誰が責めても、僕は君は間違ってなかったと言ってあげるから。僕だって、こうして真実を察した上で黙っているんだからね、君に罪があるのなら、僕も同じだよ」
「マクドールさんは何も悪くなんかないです! 悪いのは……!」
 声を上げかけたセイの唇を、ティルの人差し指がそっと押さえて封じた。
「いいんだよ、僕はこれで」
 先程と似たような言葉をまた繰り返して、ティルは抱きしめていた腕を緩める。
 そして、至近距離からセイを見下ろした。
「ごめんね。いつも辛いことばかり訊いて」
「そんなこと……。だって僕のためでしょう? どれもこれも本当ならマクドールさんには何の関係もない事なのに……」
「僕のことはいいんだよ。好きで君にお節介を焼いているんだから。君は僕の事なんか気にしなくていい」
「そんなこと出来ません」
 泣きたいような瞳で、ティルの瞳を見つめて。
「マクドールさんのこと、気にしないなんて……そんなこと……」
 出来るわけがない、と繰り返して、セイは唇を小さく噛み、じっと考えるように自分を緩く抱いているティルの胸元辺りへと、まなざしを落とす。
 そして、少しの沈黙の後。
「……今は、僕が助けてもらうばかりですけど、でも」
「うん?」
「いつか……、いつかでいいんです。もしマクドールさんに何かあった時、誰かに何かして欲しいと思った時に、僕に出来ることがあったら、絶対に言って下さい。僕、何でもしますから。何にも出来ないかもしれませんけど、それでも……」
 再び顔を上げ、必死と言っていいほど真剣な顔で言いつのるセイに、ティルは少しだけ目を丸くし、それからゆっくりと微笑んだ。
「君が何にも出来ないなんてことは絶対に無いけど……。でも、セイ。その『いつか』に、僕がとんでもない無理難題を言ったらどうするの?」
「別にいいです。だって、マクドールさんは、その数倍の僕のお願いを聞いてくれて、助けてくれてるんですから。きっとどんな無理難題でも、マクドールさんが僕にしてくれてる事には足りません」
「それは買いかぶりだと思うけどね。僕は大した事は何もしてない。……うん。でも覚えておくよ。いつか僕が困っていたら、セイが助けてくれるんだね?」
「はい」
 真剣にうなずく少年に、ティルは、分かった、と応じる。
「それじゃあ、その時は遠慮せずにセイに頼むよ。それでいいかな」
「はい!」
 ようやく表情を明るくしたセイの頭を軽く撫で、そしてセイは、少しはにかんだような笑みをティルに返しながら、ふと室内へと視線を向ける。
「セイ?」
「……このお部屋、水差し置いてないみたいですね」
「──そういえばそうだね。見当たらないかな」
「僕もらってきます。少し喉渇いちゃいましたし」
「僕も一緒に行こうか?」
「平気ですよ。下まで行って戻ってくるだけなんですから」
 大丈夫、と笑ってセイはティルから離れ、立ち上がる。
「それじゃ、すぐに戻ってきますね」
「怪しい奴が居たら、一人でどうこうしようとせずに、すぐに僕を呼ぶんだよ?」
「分かってます。でも大丈夫ですよ」
 夜こそが吸血鬼の本分であり、いつ敵の一味が襲ってくるか分からない。また、この街には同盟軍軍主に根深い反感を持っている輩もいる。
 それを心配してのティルの言葉だったが、セイはいつもの軽やかな足取りで部屋を横切り、出てゆきざまにティルを振り返って、小さく手を振った。
 いってらっしゃい、とティルも応じて。
 そしてドアが閉まると同時に、表情から笑みを消して大きく嘆息した。
「──自分たちを裏切った親友のために、沈黙を守る、か」
 足を組み直して、その膝に軽く頬杖をつき、
「僕なら……ああ、でもテッドだったら、僕も沈黙を守ったのかな。それとも、たとえテッドでも……」
 溜息混じりに呟き、艶やかな木目の美しい天井を見上げる。
 燭台の灯を受けて深い色に艶めく漆黒の瞳が、何かを思うように伏せられて。
「……しかし……、セイが一番守りたいと思っていたはずの『親友』が、あれでは……」
 低く語尾を途切れさせ、それきりティルは口を閉ざした。

...to be continued.

NEXT >>
BACK >>