真昼の月 - NOON MOON -






 ミューズ方面の偵察を終え、三日ぶりに戻ってきた城でゆっくりのんびり食事でも、と思った途端、待ち構えていたシュウとアップルに捕まってしまった。
 軍議は必要なことだと分かっているし、もちろん帰城したら一番に彼らに偵察の結果を報告に行くつもりだったけれど、でも。
(せっかくマクドールさんが、城のレストランで御飯食べてから家に帰るって言ってくれたのに……!)
 おそらくシュウに軍議のことを告げられた時、自分は思いっきり驚いて、そんなどうしよう!?、という顔をしてしまったのだろう。
 そうでなければ隣りにいた彼が噴き出し、爆笑を堪えながら「終わるのを待ってるから、行っておいで」などと言うはずがないのだ。
(恥ずかしいなぁ、もう)
 思い出しただけで頬が熱くなるのを感じ、セイは城内を小走りで駆け抜けながら、ぶんぶんと頭を振る。
(えと、確か兵舎の方に行ってるって……)
 城内警備の兵士から聞いた伝言を頼りに、左翼へと向かう。
 まず辿り着いたのは兵舎二階の談話室だったが、そこには目当ての人物の姿はなかった。きょろきょろと見渡し、手近に居た相手に訊いてみる。
「リッチモンド、マクドールさん知らない? こっちに居るって聞いたんだけど……」
「ああ、いるぜ」
 にっと笑って自称名探偵の中年男は、立てた右手親指で階段の方を指差す。
 階段といっても兵舎は三階まであり、上か下かどっちだろうと思った時、階下からわあっと人々の歓声が上がった。
「?」
 一体何が、と事情を知っていそうなリッチモンドを振り返ると、行ってみろよ、と自称名探偵は笑う。
「自分の目で確かめるのが一番さ。それが出来ない時こそが俺の出番だからな」
 今は自分は必要ないだろうと男くさい笑顔を向けるリッチモンドに、セイは笑ってうなずいた。
「分かった。ありがとう、リッチモンド」
 階下のにぎわいには、きっと彼が関わっている。そんな確かな予感を覚えながら階段を駆け下り、人の声を頼りにドアを開け放したままの娯楽室へと足を踏み込む。
 すると、そこにはちょっとした人だかりができていて、その向こう側にセイは探していた相手を見つけた。というより、その声をきいた。
「だーっ!! てめぇ、イカサマしてんじゃねえのか!?」
「してないって。ほら次いくよ」
「くそ〜〜〜」
 見えなくとも聞こえてくる声だけで何となく状況が分かったような気になりながら、セイは「ごめん、ちょっと通してくれる?」と人ごみを掻き分けて前へと出る。
 おい押すなよ、などと文句をつけかけた兵士も、セイの額に輝く金のサークレットを見た途端、ぎょっとしたように脇へ退いてくれて、一番前の特等席へとたどりつくのにはさほどの苦労は要らなかった。
「あれ……」
 だが、予想に反して、目の前で行われている賭博は、いつものちんちろりんではなかった。
 サイコロを使ってはいるが、やり方が違う。真ん中というか上座に一人の兵士が座って、草で編んだ小さな筒茶碗のような籠の中に二つのサイコロを投げ入れ、畳の上に伏せる。すると、左右に別れて陣取っている人たちが、チョウとかハンとか言って小さな木札を出すのだ。
 その一番上座に近い位置に、シロウとティルが相対して座り込んでいた。
「よーし、出揃ったな」
 シロウの声と共に、上座の兵士が伏せていた小さな籠壷を明ける。
「四六の丁!」
 二つのサイコロはそれぞれ四と六の目を上に向けて、畳の上に鎮座していた。
 それを見て、シロウは兵舎の天井を仰ぎ、両手で頭をかきむしる。
「またかよ!!」
「悪いね」
 対してティルは、涼しい顔で自分の出した木札を手のひらの上で玩んでいる。
「おい、本当にてめぇ、こいつとグルじゃねぇのか!?」
「違いますよう、シロウさん」
「本当に何もしてないってば。第一、僕が今日ここに来たのも成り行きだし、彼とは個人的に話したこともないし」
 胴元が罪のない壷振りを苛めない、と笑って、ティルはちょいちょいと指先で手招きして、何かを請求する。と、シロウは獰猛にうなりながら、場から回収した木札をティルを含む勝った者たちに分配し始めた。
「畜生、もう一度だ!」
「いいけど、次が最後だよ。迎えが来たから」
「迎え?」
 ひょいと顔を上げたシロウが、ティルが差し向けた視線を追ってこちらへとまなざしを上げる。
 二人だけでなく、周囲の兵士たちの視線も一斉に最前列の特等席にしゃがみこんでいる城主へと集中して、セイは一瞬、どんな表情をすればいいのか迷った。
「セイじゃねぇか。お前もカモになりにきたのか?」
「だから違うって。セイ、軍議は終わったんだ?」
「あ、はい」
「じゃあ、ちょこっとだけ待ってて。次で終わりにするから」
「なんでぇ、違うのかよ」
 せっかくカモネギが土鍋と取り皿と箸しょってやってきたのに……と、ぼやくシロウの声が聞こえて、セイは苦笑いする。
 実のところ、賭博自体は嫌いじゃないというか、負けず嫌いの性格が災いして、やり始めると結構むきになってしまう方なのだが、運がないというべきか才能がないというべきか、シロウの言う通り、毎度毎度それはもう理想的なまでに美味しいカモになってしまうのである。
 以前、出会ったばかりのタイ・ホーやシロウと勝負して勝ったこともあるにはあるのだが、それはたまたまラッキーだったからだとしかセイ自身も思っていない。
 第一、勝つまでに一体何度勝負する羽目になったことか。あまりにも見事なセイの負けっぷりを見るに見かねて、賭博の神様があの時一瞬、味方をしてくれただけの話なのだ。
「よっしゃ、じゃあ次でここは打ち留めだ! 有り金賭ける意気地のねぇ奴は降りろ!」
 シロウのどすのきいた声に、うわっと歓声が上がる。
 手元の木札を数えつつ悩む者、木札をかき集めてさっさと傍観を決め込む者、そしてそれらに野次を送る観客と、しばらくの間、娯楽室内は騒然となり、そして結局場に残ったのは壺振り役を除けばシロウとティル、それから二人の兵士だけだった。
「なんでぇなんでぇ、意気地のねえ野郎ばっかりだな」
「そりゃ有り金全部なんて言えば、こんなもんだって」
 苦笑しながら、ティルはかつかつと小さな音を立てて、自分の持分の木札を場に積み上げる。
 その小山の如くと形容していい木札を見やりながら、確かに、とセイは思う。
 これだけの勝負運を見せられて、それでも全額賭けようという輩は病気といってもいいくらいの博打狂いでしかないだろう。
 でも、イカサマをしていない以上、サイコロの目は天の運任せだ。一か八かを狙う勝負師がいてもおかしくはない。
 思わず握った拳に力を込めるセイの目の前で、壺振り役の兵士が、さすがに緊張した面持ちで二つのサイコロと壺を構える。
「入ります!」
 この兵士も相当にやりこんでいるのだろう、流れるような目にも止まらぬ動きでサイコロを壺の中に投げ込み、畳の上にたんっと伏せる。
 その壺を睨むように一瞬の間が空いて。
「半!」
「丁」
「半」
「半っ」
 それぞれが賭ける目を告げる。
「丁半出揃いましたね? では!」
 ぐっと焦らすように壺振り役の兵士が、ゆっくりと芝居がかった仕草で壺を持ち上げる。
「うぎゃああああっ!!」
「二二のゾロ目っ!」
 一瞬早く響いたシロウ+二人の兵士の絶叫を追うように、出た目が告げられた。
「てめぇっ!! マジで何か細工してやがるだろう!?」
「してないよ。単に運と計算。セイ、ちょっと聞くけど、僕がイカサマなんかするような人間に見える?」
 突然質問を向けられて、咄嗟に何を考える暇もなく、セイは反射的に大きく首を横に振る。
「マクドールさんは、そんなこと絶対しません!! そんなことしなくても絶対に勝てますから!!」
「だってさ。城主もこう言ってることだし、潔く諦めて、さあ精算精算」
「ちくしょおおおおっ!」
 雄叫びを上げ、歯噛みをしながらもシロウはやけくそのように、すさまじい勢いで点数勘定を始める。
 その様子を横目で見ながら、ティルはセイに向かって涼しい、少しだけ悪戯めいた笑みをひらめかせた。
 外見年齢以上に実年齢を感じさせるそんなティルの表情に、セイは少しだけどきりとする。
 たった今、自分が言った言葉は根拠があってのものではなく、単なる勢いだが、やはり彼には負けという単語が似合わない以上に、イカサマという言葉も似合わない気がする。 (でも、人の裏をかくのは、なんだか得意そうだな……)
 こっそりとセイがそんなことを考えているうちに、各自の木札の点数に合わせて実際の掛け金が分配され、ティルの前にも少なからぬ金銀銅貨の混じった貨幣の山ができる。それをざっと数えて、ティルは大体半分を手持ちの革袋にすくい入れ、残りをシロウの方に押しやった。
「じゃあ、こっちは胴元への祝儀ね」
「へ?」
「一応、礼儀だよ。久しぶりに本気でやれて楽しかったし」
 その言葉に呆気に取られていたシロウが、ふっと口元に笑みを浮かべる。
「腐ってもトランの英雄だ。ただのガキじゃねえとは思ってたが……ボンボンのくせに相当、場数踏んでやがるな? 普通、てめぇくらいの年齢じゃ祝儀のことなんか知らねぇぜ」
「まぁね。それじゃまた、時間がある時に遊ばせてもらうよ」
「おう。今度はカモらせてもらうからな」
「あはは。楽しみにしてる」
 笑ってティルは立ち上がる。
 そして、今一つ意味が把握できないまま会話を見守っていたセイの元へと歩み寄り、
「待たせてごめん。行こうか」
 声をかけた。
「あっ、はい!」
 慌ててセイも立ち上がり、自然に人垣が退いてできた通路を抜け、二人並んで娯楽室を出る。
「久しぶりに面白かったなー」
 城内の食堂へ向かって、傾きかけた日差しの差し込む明るい回廊を歩きながら、屈託のない調子でティルが言う。その声の明るさに、セイは気になっていたことを聞こうという気になった。
「あの、マクドールさん」
「何?」
「さっきの祝儀ってどういう意味ですか? 僕、知らなくて……」
「ああ、あれね」
 うなずき、ティルは隣りを歩くセイへとまなざしを向ける。
「賭博場の慣習の一つだよ。今日の僕みたいに一人勝ちした時、稼がせてもらった御礼というか、幸運のおすそわけみたいな感じで、ああやって儲けの半分を胴元に渡すんだ。そうすることで胴元や他の客に対する印象も良くなるし、次もまた気持ちよく遊べるだろう?」
「ああ! そうですよね。そういうことかぁ」
「セイは博打はやらないのかい? シロウがカモネギが鍋しょってとか何とか、ややこしいこと言ってたけど」
「あー。えーと、その言葉通り、です……」
 何といって説明したところで情けないのに変わりないのは明らかで、セイは言葉を濁す。
「マクドールさんは強いですよね、すごく」
 いささか強引にも聞こえそうな話の持っていき方だったが、ティルは突っ込んでは来なかった。
「まぁ、強い方なのかな。この三年間も旅の路銀の殆どは、これで稼いでたし」
「ええ!?」
「そりゃ家には金はあるけど、僕の代で食い潰すのもご先祖様に申し訳ないからね。まぁ次代なんか事実上、ないんだけどさ」
「だからって……」
 驚きと呆れを当分に混ぜたセイの声に、ティルは笑う。
「これが一番効率いいんだよ。あとは宿屋とかその近所で、ちょっとした手伝いとか日曜大工をしたりして、宿代をまけてもらったりとか……。野宿も多かったし、結構普通に旅してた」
「……そうなんですか……」
 少し意外な感じで、セイはティルを見上げる。
 別に、そういう旅が似合わないという意味ではなく、どことなく彼という人間は浮世離れしているというか、俗っぽさがまったく感じられないような独特の雰囲気を持っていて、なのに、人並み以上に世間をよく知っていて場慣れしている。そのことに少し驚いたのだ。
「じゃあ、久しぶりに本気でやったっていうのは?」
 自分と手合わせした時も同じ台詞を言っていたが、それとはまた意味が違うのだろうと思いながら問いかける。
「ああ、旅してる時は、派手に勝ったり負けたりすることは避けてたからね」
 すると、ティルはまたあっさりと答えてくれた。
「派手なことして目立つと、顔を覚えられたりするだろう? そういうのは、とかく面倒を招きがちだから、次の街に着くまで困らない程度に、ほどほどに勝った所で止めるようにしてたんだ」
「今日はそれをしなかったんですか?」
「今の僕にとって、ここ以上に気楽に遊べる賭場なんてないからね。久しぶりに手加減なしでやってみた」
 面白かったよ、と笑うティルに、セイもまたつられて微笑む。
「本当にこの城は雰囲気がいいよ。面白い人間もたくさん居るし」
「本当ですか?」
「うん」
「だったら嬉しいです。マクドールさんにそう言ってもらえて」
 食堂にたどり着き、こぼれてくる美味しい匂いに誘われるようにドアをくぐりながら、セイは本心から言った。
「ここに居る人たちは、皆それぞれの気持ちで来てくれた人ばかりでしょう? そういう皆が一生懸命、頑張ってくれていて、それがいい感じだって言ってもらえるのはすごく嬉しいです」
 自分のことを誉められるよりも、ずっとずっと嬉しい、とは告げる。
 そんなセイにティルは穏やかなまなざしを向けた。
「セイ」
「はい?」
 窓際のテーブルに席を取り、注文を取りに来たミンミンに今日のお勧めを聞いて、二人とも同じものを頼んでから、ティルはいつもと変わらない声で切り出す。
「ちょっと前から思ってたんだけど……君は僕に何も聞かないね」
「聞くって……何をですか?」
 きょとんと問い返したセイに、ティルの顔に苦笑未満の表情が浮かんだ。
「色々だよ。たとえばリーダーとしての相談事とか助言とか。そういうことをね、もっと訊かれるかと思ってたから」
 そういうティルの表情は穏やかで、気分を害しているようには見えない。どう受け取ればいいのか分からないまま、セイは何と答えようかと考える。
「ええと……。そういうつもりで協力をお願いしたんだってマクドールさんが思われてたのなら、それは違います。全然そういう気がなかった訳じゃないですけど……」
 自分が同盟軍のリーダーという立場になってからは、隣国の英雄と呼ばれる相手に会ってみたいとぼんやり思ってはいたし、訊きたかったこともあったような気がする。
 でも。
「僕は僕だし、マクドールさんはマクドールさんだし、そういうのを訊くのはずるいっていうか、何か違う気がして……。じいちゃんも、大事なことは自分で考えなきゃいけないっていつも言ってたし、答えはやっぱり自分で見つけないと駄目でしょう?」
 それに、とセイは続ける。
「僕はマクドールさんが協力してもいいって言ってくれただけで嬉しくて……。手合わせとかもしてもらってるし、だから他のことは全部忘れちゃったというか、どうでも良くなっちゃったというか……」
 最後の方はさすがに、ごにょごにょと口の中で呟きながらうつむいてしまう。
 正直な気持ちだったが、子供っぽくていい加減な軍主だと思われても仕方がない。なんとなく軽蔑はされないような気がしたが、それでもきっと笑っているだろうと、恐る恐るうつむいた視線を上げてみると。
「……?」
 確かにティルは笑っていたが、それは可笑しがるというよりも、むしろ、
「──困るなぁ」
「え?」
 苦笑交じりのひどく優しい声と瞳で呟かれて、セイは戸惑う。
「困るって、僕の……」
「ああ、そういう意味じゃないよ」
 穏やかにセイの言葉を否定して、ティルは水の満たされたグラスに指先を触れた。
 今日も空は良く晴れて、風も乾いているが、それでもグラスには透明な水滴がにじんでいる。その冷たさを楽しむように軽くグラスを揺らしながら、ティルは続ける。
「本当はね、何を訊かれても答える気はなかったんだけど、そう言われると、かえって何でも答えてあげたくなるから。困ったなぁと思って」
「……はい?」
 何やらものすごく天邪鬼なことを言われたような気がして、セイは一瞬、相手の台詞の解釈に悩む。
 だが、何かを言う前に、
「お待たせしましたー。本日のお勧め定食です」
 ウェイトレスの少女の明るい声が飛び込んできて。
 話はあっさりとそこで途切れた。










「それで、さっきの続きだけど」
 ティルがそう再び切り出したのは、食後のデザートとお茶が運ばれてきた後だった。
 毎度の事ながらハイ・ヨーが腕を振るった料理に、今日のランチも美味しかったなぁ、マクドールさんと一緒に食べられて良かったなと幸せの余韻に浸っていたセイは、何のことかと一瞬反応が遅れる。
 それに気付いたのか気付いていないのか、ティルはにっこりとセイに笑みを向けた。
「何でも好きなこと聞いていいよ。答えられる範囲のことは全部答えるから」
 思わずその極上の笑みに見惚れ、それからセイははっと我に返る。
「何でも、って……」
「だから、何でも」
 あっさりと言い切り、そしてティルは自分のお茶を一口飲む。
 その隙のない手指の動きを見つめながら、セイは眉間にしわを寄せた。
「いきなり言われても、思いつきません」
「そう?」
「それに聞きたい事と言っても……」
 先程言った通り、彼自身が良いと言ってくれても、無闇に答えを求めるのは、やはり、してはいけないことのような気がするのだ。
 確かに自分の行く道と、彼が歩いてきた道は少し似ているのかもしれない。
 けれど、実の父親と戦い、倒さなければならなかった彼の道は自分よりも遥かに過酷だったに違いなく、そんな戦いの中で得たものを、当時の彼を知らない自分が軽々しく問い掛けたり受け取ったりしてはいけない、とセイは思う。
 今ひとつ彼の真意がどこにあるのかよく分からないものの、何でも聞いていいと言ってくれたのは、おそらく親切……それも破格の好意だということは十分に分かる。
 だからこそ、これ以上甘えることには自制心が強く働いた。
「……僕は政治のことも戦争のことも分からないし、悩むことも一杯あります。でも、皆が色んな事を教えてくれるし、一緒に考えたり悩んだりしてくれるし……。だから、まだ自分の力で頑張れると思うんです」
 時には自分の進むべき道が分からず、心細くて不安でどうしようもなくなることもある。
 でも、まだ頑張れる、と思うのだ。
 どれほど努力したところで、目の前にいる存在には及ばないだろうけれど、それでも自分なりに皆のため、そしてナナミとジョウイのためにできることをしたいという気持ちは、きっとこれからも変わらない。
「……そう」
 精一杯誠実に自分の気持ちを告げたセイに、ティルは淡い笑みを浮かべてうなずく。
「セイらしいね」
「すみません、せっかくマクドールさんが言ってくれたのに…」
「いいんだよ、そんなのは。聞く聞かないは君の自由だし、何か聞かれたら僕は答える。それを覚えておいてくれたらいいんだ」
 涼やかによく透る声は、さらりと頬を撫でてゆく初夏の風にも似ていて。
「マクドールさん」
 セイは、ふと不思議になる。
「どうしてそんなに良くしてくれるんですか? 僕は何もしてないどころか、無理なお願いばかりしてるのに……」
 問い掛けると、ティルは少しだけ楽しそうな表情になった。
「一つ目の質問?」
「え、あ、そういうわけじゃなくて……」
 一瞬わたわたと慌て、でも結局はそういうことなのかとセイは訂正することを諦める。
「……はい。質問、です」
 観念してうつむいたセイに、ティルは小さな笑い声を立てた。
「そうだね……」
 言葉を選ぶ様子のティルに、セイはじっと答えを待つ。
 思えば一番最初から、ティルはセイの頼み事を、どれもこれも「いいよ」とあっさり請け負ってくれているが、彼がそこまでしてくれる理由が分からない。
 優しいのは確かだが、だからといってお人好しという感じもしない彼が、どうして自分の頼みに付き合ってくれているのか。考えてみると、ひどく謎だった。
 しかし、そんなセイの物思いも、ゆっくりと口を開いたティルの声にかき消される。
「その一、猫の手でも借りたい君たちの気持ちが分かるから。その二、久しぶりに故郷に帰ってきたはいいけれど、やることがなくて暇だったから何となく気まぐれに。その三、セイが気に入ったから。──どれだと思う?」
「……はい?」
 にっこりと悪戯っぽく微笑まれて、セイは反応できない。
「どれって……」
「僕が君に協力してる理由。好きなのを選んでいいよ」
「…………それって答えって言わないんじゃ……」
「そう?」
 結構真剣に答えたつもりなんだけど、と笑うティルに、セイはひどく複雑な顔になる。
「……じゃあ、大穴で、『その四、何だか面白そうだから』に百ポッチ」
「あ、そうくるんだ」
 当たりかも、とティルは、上目遣いで言い返したセイの答えを否定することなく面白げな表情のまま、手にしたティーカップを傾け、そして改めて視線をセイに向けた。
「冗談はともかくね、本当に他意はないよ。ただ、君にお願いされて、協力してもいいかなという気になった。それだけだから」
「──…」
 告げる口調は、いつもと変わらないどこか飄々とした軽いものではあったけれど、その奥底には揺るぎのない何かが秘められているかのように、耳に残る響きはしんと深くて。
 セイは、その言葉を丸ごと信じよう、という気持ちになった。
 おそらく本当に嫌だと思ったら、彼ははっきりとそう言い、去っていくだろう。
 ならば、そうならないよう自分が頑張ればいいことだった。
(あ、でも……)
 ふと、セイは初めて出会った直後のことを思い出す。
 バナーの村の少年コウを、ポイズンモスの毒から救うためにグレッグミンスターを訪れ、なりゆきでマクドール邸に一晩世話になった翌朝。
 一宿の礼を言って出立しようとしたセイに、グレミオは、「しばらくの間は『家』に居たいようですから」と笑いまじりに耳打ちしたのだ。
 それは、つまり。
「……マクドールさん」
「うん?」
「もう一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ?」
 テーブルに軽く頬杖をついて、涼やかな瞳を向けてくれる人をセイは真っ直ぐに見つめる。
「あの……また旅に出るんですか?」
 その質問はやや意表をついたのか、ティルは一つまばたきした後、うなずいた。
「そのつもりだよ。家でぐうたらしてても仕方がないしね。まだ行ってない土地も沢山あるし」
 そこまで言って。
 ティルは自分を凝視するセイのまなざしに気付き、ふっと笑んだ。
「まだ先の話だよ」
 そして、右手を伸ばしてテーブル越しにセイの髪をくしゃくしゃと撫でる。
「大丈夫、この戦いに決着がつくまでは、どこにも行かないから。そんな顔しなくてもいいよ」
「そんな顔って……」
「そういう顔。セイには似合わない」
 笑みを含んだ声と共にティルの手のひらが離れていき、くしゃくしゃになった髪を手櫛で抑えながら、セイは口を尖らせる。
「じゃあ、どんな顔なら似合うんですか」
「さあ?」
 ティルは笑って答えない。
 そのことにますます口を尖らせながらも、セイは心の中で考える。
 ──いつまでかは分からないけれど、必要な時は傍にいるという約束をくれた。
 この出口の見えないトンネルのような戦いが終わるのは一ヵ月後かもしれないし、数年後かもしれない。
 もしかしたら、ハイランドとジョウストンに平和が戻る前に、彼の気が変わって、やはり旅に出てしまうかもしれないし、それ以前にセイに愛想を尽かしてしまうかもしれない。
 でも、少なくとも今、ここに居てくれるというのなら、その事を嬉しく思って、一緒に居られる時間を精一杯、大切にすればいいのだろう。
(大切な人と一緒に居られる時間って、思ってるよりも長くないもんね……)
 大きな存在だった養父のゲンカクも年老いて逝き、たった一人の幼馴染もある日突然、隣りから消えた。
 胸にぽっかりと穴が明いたような、真っ暗な闇に吸い込まれてしまいそうなその悲しさをしっているからこそ、傍に居てくれる人を大切にしようとセイは思う。
「マクドールさん」
「うん?」
「僕、頑張りますから。絶対に強くなりますから、見ててくれますか?」
 その言葉を、彼はどう受け取ったのか。
 かなり唐突な発言に聞こえただろう。
 けれど。
「見てるよ」
 いつもと同じ、静かに深い湖のような瞳でうなずいてくれたから。
「約束する」
 小さく笑みながらの短い言葉は、涼やかな声の響きと共に無限に広がるようで、セイも笑顔でうなずく。
「はい」
 辛いことも悲しいことも沢山ある。これからもきっと、もっと沢山の悲しみ苦しみが待っているだろうけれど、それでも。
 誰かから約束をもらえた今の自分は、間違いなく幸せなのだと、セイは強く思った──。

...to be continued.

BACK >>