呼び声








 世界が遠い、と思った。
 たった一人の、誰よりも大切な人がいないのに、いつのまにか日はまた昇り、沈み、季節は移ろい、すべては流れていってしまう。
 世界は裏切り者だ、と思った。




 三蔵が姿を消してから、もう随分な時間が過ぎている。
 あまりにも空白が長く続いているせいなのか、悟空の中からは当初のようなひどい不安や焦りは、もうどこかに消えてしまっていた。
 別に、何か確信や証拠といったものがあるわけではない。
 だが、なんとなく三蔵は無事でいるような気がしてならなかった。
 もちろん、あの無茶な性格だから、他人と衝突したり、自分からピンチを招いたりして困ったことになったり、多少の怪我をしたりはしているかもしれない。というよりも、きっとしているだろうと思う。
 けれど、彼もまた、自分たちとは離れてしまっていても、ちゃんと何かを目指しているのではないか、と悟空は感じる。
 これまでは、あちこち寄り道をしながらも、大体まっすぐに西ばかりを目指してきたが、今、三蔵は何か別のもの──それも止むに止まれぬ何かを見つけて、追いかけているのではないか、と。
 悟空はこれまで十年近く、三蔵を間近で見ていた。
 確かに彼は好き嫌いが激しく、己の職務については役目を役目とも思っていないところがあるが、決して無責任ではない。
 西方行きを命じられた時も、かなり嫌がってはいたし、絶対に乗り気ではなかったが、それでも彼なりに、彼だけに通じる理由をちゃんと作って、上司からの命令と自分の行動の理由がある程度重なるよう、自分の方向を修正していた。
 結局の所、三蔵は真面目なのだ、と悟空は思う。
 気に食わない命令はとことん無視しようとするが、本当に大事なこと、三蔵にしかやれないことからは逃げない。
 もちろんどんな命令であろうと素直には従わないから、自分なりの理由付けをしてからでないと動かないけれど、やるべきことは必ずやる。
 だから、三蔵は今も西を目指しているのだということを、悟空は疑っていなかった。
 絶対に、三蔵は天竺行きを放棄したりはしない。
 天竺には、三蔵が取り戻したいと思っているものがある可能性が高いし、何より牛魔王一派のやり口を彼は気に入ってはいない。それだけで彼が西を目指す理由には十分に足りる。
 何しろ自分たちは揃いも揃って、チープな理由で動くのが好きなのだ。
 相手が気に食わないとか、ツケを返したいとか、八つ当たりをしたいとか。
 世界のためにとか、人類平和のためにとか言われても、けっと思ってしまう。
 そんな自分たちの性格は間違いなく三蔵にも通じるものだったから、きっと今も彼は、彼なりの理由で、自分たちの傍を離れて行動しているのだろうと、悟空は結論付けていた。


 もちろん、悟空にしても最初からそんな風に平静に考えられたわけではない。
 気がついたら八戒と悟浄が大怪我をしていて、自分がそれをしたという朧げな記憶があって、三蔵が姿を消していた。
 それでパニックにならないはずがない。
 混乱したし、自分を責めたし、不安で怖くてたまらなかった。
 けれど、どんなに叫んでも三蔵は戻ってこなかったし、八戒と悟浄も、傷つけたことを咎めてはくれなかった。
 だったら、自分で考えてどうにかするしかなかったのだ。
 考えて考えて、それでも腹が減るし、眠くなるから、食べて寝て、また考えて。
 そしてやっと、答えらしきものを見つけた。

 ──とにかく、西に行く。

 真っ直ぐに、ではない。
 真っ直ぐな道など自分たちには似合わないし、第一、目の前にそれがあったとしても、自分も二人の仲間も、きっと気を惹かれるものを発見するたびに横道に踏み込み、時には崖を転がり落ちたり、森の中で迷ったりする。
 だから、真っ直ぐという気はなかった。
 これまでと同じように、とにかく思った方角に、気持ちに正直に進む。
 そうしたら、そのうち三蔵にも再会できる。
 絶対だ、と悟空は思った。
 根拠などない。
 ただ、全ての感覚がそう言っている。
 この道のずっと先に、今の自分たちと同じように道なき道に踏み込み、イラつきながら歩いている三蔵が、そのうち現れる、と何かが耳元で強くささやくのだ。
 その声を──自分の本能を悟空は信じた。
 これまでも、いつもそうしてきたように。


 でも、と悟空は空を見上げる。
 今、ジープが走っている道は比較的平坦な荒野の道で、さほど真剣に身構えていなくても、車外へ放り出されたり舌を噛んだりする心配はない。だから、ぼんやりと座席に体を預けて空を見上げる余裕もあった。
 会いたい、と思う。
 この空の下のどこかにいる彼に。
 光を紡いだような純金色の髪とか、深く沈んで透明な紫の瞳とか、片時も手放さないマルボロ赤の煙の臭いとか、拳銃を握る神経質そうな長い指とか、低く無愛想なのに響きの良い声とか。
 顔を見て、話をしたいことがたくさんあった。
 ──沢山の事が、あったんだ。
 小さな街で、沢山の人にあった。
 沢山のものを見た。
 そして。
 沢山の人が……妖怪が、死んだ。
 目の前で、沢山の命が消えていった。
 消えてゆくものの前で、自分は何もできなかった。
 何一つ、救えなかった。
 もしあの場に三蔵が居合わせたら、どんな風に行動しただろう。
 目の前で、友達になった少女を喪った悟空を見て、どんな声をかけただろう。
 いや、何も言わなかったかもしれない。
 彼のことだから、「行くぞ」といつもよりも心なしか低く、感情を綺麗に消した声で一言言って、背を向けて歩き出したかもしれない。
 けれど、それでも良かった。
 この場所にいて欲しかった。
 自分の隣りにいて欲しかった。
 ああ、けれど、それさえも甘えだろうか。どこにも行かないと約束してくれた人にすがり付こうとする、自分の弱さだろうか。

「三蔵のバーカ、ケーチ、タレメ、ハゲ、オタンコナス」

「ンだ? いきなりあいつの悪口か?」
「うん」
 同じ後部座席で、手持ち無沙汰に煙草をふかしていた悟浄が、突然何を、という顔で悟空を見やる。
 そちらを振り返りもせず、空を見上げたまま悟空はうなずいた。
 こうして呪文を唱えたら、その辺からハリセン片手に青筋を立てて飛び出してこないだろうか。
 出てこれば良いのにな、と悟空は思う。
 殴られたって怒鳴られたって、こんな風に離れ離れになるよりはずっといい。
 三蔵だって、きっと本当はそう感じているだろう。
 彼は強いし、いつでも一人きりで生きてゆく準備はできているように見える。けれど、少なくとも数年前から始まった四人という数は、一人という数よりも良いものだと感じていたはずだ。
 そうでなければ、彼の気質からすれば、たとえ四人で組むことが上官からの絶対命令であっても平気で背いたに違いないのだから。
「三蔵ってさ、本当にすっげえバカだよね」
「そりゃあ今更だろ。あいつが馬鹿なのは、お天道様だって知ってるって」
「うん。でもって、俺たちが一番、あいつのバカなとこもみっともないとこも知ってんのに、今更一人で行っちまうんだもん。なんかすっげームカつく」
「まあ、三蔵にも三蔵なりの言い訳があるんでしょうよ」
 ハンドルを握りながら、八戒が声を投げてくる。
「もっとも、どんな言い訳をしようと聞いてあげる気はありませんけどね」
「トーゼン」
 にこやかな笑顔に浮かぶ青筋が見えるような爽やかな声に、ぷかりと煙を吐き出しながら悟浄が賛同して、悟空も大きくうなずいた。
「俺、三蔵に会ったら、そっから一番最初に着いた町で肉まん三十個、買ってもらう」
「三十個ぉ?」
「安いですよ、悟空。百個くらい買ってもらってもばちは当たらないはずです」
「んー。でも、三蔵が飛び出してったのは、俺のせいもあると思うし。だから、三十個でいいよ」
 それで許す、なんて彼の目の前で言ったら、本気で目の裏に星が飛ぶくらいハリセンで殴られるだろう。
 でもやっぱり、それくらいには腹が立っているし、寂しいのだ。
 三蔵には三蔵なりの理由がある。それも分かっているし、その一端が、自分が命が危ういほどの、誰もが一瞬諦めたくらい酷い傷を負ったということにあることも分かっている。
 だが、それでも感情は理屈ではない。
 どんなに殴られてもいいから、肉まんは買ってもらおう、と悟空は固く心に決める。
 思い切り不機嫌な顔をした彼が青筋を立てながら買ってくれる温かくてふかふかの饅頭は、きっと三蔵がいなかった間に自分の心に開いた穴を、きっと美味しく優しく埋めてくれるはずだから。

「だから、早く出てこーい。三蔵のハゲー! タレメー! ケチー!」
「ボケナスー。考えなしヤロー。ムッツリー」
「あははは。三蔵、色々言われてますよー」

 三者三様に青い空に向かって呼びかけながら、ジープは乾いた荒野を西に向かってひた走る。
 そして、追い求める人影は、まだ地平のどこにも見当たらなかった。




 ───話したいことが沢山あるんだよ、三蔵。
 ───だから、早く、早く……。







End.











半年以上前に半分書いて放ったらかしてあったものを、9巻発売記念に仕上げてみました。
やっと再会できましたねー。一体何冊の間、離れ離れだったのか。
でも再会するなり、ボケツッコミ入り乱れての漫才も再開してほっとしました。
この四人は、やっぱりこうでなけりゃね。
 






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