faith








 三蔵は静かに眠っていた。
 光を受けなくとも自ら煌いているような見事な金の髪に覆われた頭部にも、シャツを羽織っただけの上半身にも、痛々しいばかりに真っ白な包帯が巻かれている。
 八戒が深い傷口は塞いでくれたため、いまや表面的なものだけとなった傷口を覆うやわらかなガーゼには、もう赤い色は滲んではいない。
 だが、悟空の脳裏からは、全身を朱に染めた三蔵の姿が焼きついて消えなかった。




 旅の途中で立ち寄った町で、住民たちに欺かれたのは、昨日のことだった。
 聖なる結界の力によって妖怪を寄せ付けないのではなく、旅人を人身御供に差し出すことによって安全を買っていた町の人々は、おそらくは躊躇いもなく三蔵たち一行を害し、妖怪へと引き渡そうとした。
 安心して暮らしたいという彼らの気持ちは、分からないでもない。いつ食われるか、いつ殺されるかと怯えて毎日を暮らしたい者が、この世のどこに居るだろう。
 どちらから申し出たものかは知らないが、内容はともかくも、妖怪と取引するというのも、今の桃源郷では生き延びるための知恵の一つだ。
 そして差し出す人身御供が、その名や出身すらロクに知らない通りすがりの旅人であれば、湧き起こる罪悪感をも見てみぬ振りをしてごまかすことができるだろう人の心の仕組みも、既に一年以上旅を続け、様々な街や人を見てきた悟空には、決して想像できないものではなかった。
 だが、想像できることと、理解して認めることは異なる。
 雑魚妖怪なら一撃で倒せる自分の持つ力は、人間のものとは本質から違う。だから、弱い彼らの心理を、本当の意味で理解することはできないかもしれない。
 けれど、それでも、して良い事と悪い事があるのではないか、と思うのだ。
 弱さを理由にするのであれば、どんな罪も許されるのか。
 家族を守りたいという理由があれば、他人を殺すことすら認められるのか。
 そんなわけがない、と思う。
 命は命だ。一度消えてしまったら、二度と戻らない。
 悟空自身も、群がり襲ってくる妖怪たちを数数え切れぬほど手にかけている以上、綺麗事を言える立場にはないと分かっている。だが、殺意を向けられない限り、こちらから手を出そうとは決して思わないし、保身のために誰かを謀殺しようと考えたこともない。
 生きるために他者を手にかけているのだ、と表現してしまったら、あの町の住人たちも自分も同類だ。
 だが、悟空の中には、彼らのように命を奪うことに対する言い訳はなかった。
 ───絶対に死なない。
 ひたすらに生きること。そのためだけに、降りかかる火の粉は相応に振り払う。
 だから、妖怪の死骸の山を見て、時折はかない虚しさを覚えても後悔をした事はないし、言い訳めいたことを胸中に呟いたこともない。
 ───三蔵より先には、絶対に死なない。
 そう決めたのは、一体いつのことだったか。
 あまりにも前から在る想いであり、きっかけすら思い出せないほどだが、今の悟空にとっては自分が彼を置いて死ぬこと、それ以外の負の感情はすべて瑣末事に過ぎない。
 彼の傍にいられなくなること、彼を守れなくなることが何よりも怖い。
 だから、絶対に生きる。
 こちらを殺そうとする者には、同等以上の力をもって立ち向かう。
 そのことにためらいはなく、その結果、こちらが生きて相手が死ぬのは、もはや自然界の弱肉強食の摂理に近い。
 ゆえに、悟空の中には命を奪うことに対する言い訳も罪悪感も芽生えようがなく、結果的に三蔵に重傷を負わせた住民たちの行動に対しても、腹立たしいような悲しいような、そんな気持ちばかりが渦を巻いているだけだった。




「……責めてくれたらいいのに……」
 気巧術によって傷口は塞がれても、肉体そのものは休息を欲しているのだろう。
 当座の止血だけをして、町を出るべくジープに乗った直後から、三蔵は昏睡と言っていい眠りの中にあった。そして、数時間山道を走った後に、ようやく見つけた洞窟に彼の身体を移し、横たわらせた時も目覚める事はなく、一度だけ、昨夜の夜中過ぎに意識を取り戻し、水を求めたが、コップに三分の一ほどの水を飲み下すと、そのまま再び眠りに落ちて今もそれが続いている。
 昏睡しているのは出血が多かったからで、命には別状はないと八戒は診断していたが、それでも彼がなかなか目を覚まさないのは、悟空には不安だった。
 これまでにも、こういうことは何度もあった。
 そのうちで、一番悟空にとって痛い記憶となっているのは、四人で旅を始めてまだ幾らも経たない頃、三蔵が自分を庇って深手を負った時のことだ。
 その後のことは意識が混濁して覚えていないが、あの瞬間ほど恐怖を感じたことはなかったし、その後もしばらくは、妖怪たちと刃を交えるたびに彼のことが気になって仕方がなかった。
 あの時、八戒が悟空にくれた「その人に誇れる自分になればいい」という言葉は、無力感に苛まれていた悟空の心を鎮め、自分の在り方を定めるのには十分過ぎるほどに効き目があったが、それとこれとは別問題だった。
 無論、本当に戦闘中に庇うような真似をしたら、彼の激怒を買うことは分かっていたから、ちらちらと目で位置を確かめる程度には自分を抑えはしたが、それでも三蔵は大丈夫なのだと繰り返し心の中で呟き、恐怖心を宥めるのには一ヶ月以上かかった。
 はっきり言って、四人の中で純粋な人間であるのが三蔵一人である以上、そして彼が一行の最重要人物である以上、彼が敵の標的となることは避けられない。
 それは悟空も承知しているし、だからこそ、彼を失ってしまわないよう、そして自分が彼をおいて逝かないよう、強くなることに貪欲でいられる。
 だが、強敵にかち合ってしまったり、今回のように策によって引き離されてしまうと、守りきれずに三蔵は深手を負うことになるのだ。
 その度ごとに、悟空は自分の無力さにひどい怒りを覚える。
 彼を守りきれなかったことが、悔しくてどうしようもならなくなる。
 しかし、三蔵自身はといえば、己が負傷したことについて彼が誰かを責めたことは、意外なことに一度もなかった。
 一行のうちの誰か──確率としては悟空か悟浄の場合が殆どだが──が原因で厄介事に巻き込まれた時は、容赦ない言葉で非難するくせに、結果として負った怪我については、絶対に何も言わないのだ。
 おそらく彼の中では、厄介事に巻き込まれたのは他人のせいでも、自分が負った傷は自分の責任ということになっているのだろう。
「……お前のせいだ、って怒ってくれた方がイイんだけどな……」
 それが筋違いな思いであるということは分かっている。
 悟空が知る限り、彼こそが最も言い訳を口にしない人間だった。こんな思いを言葉にしたら、「何を勘違いしてやがる」と最高に冷たい侮蔑に満ちたまなざしが降ってくることは間違いない。
 けれど、悟空としては責められた方が気が楽だった。
 それを絶対にしないのが三蔵であり、彼のそういう部分こそが彼を唯一無二の存在に押し上げているのだと理解していても、こんな風に全身を包帯だらけにして、昏睡している彼を見ているのは、何よりも辛い。
「こんなん、駄目だって分かってるけど……」
 責められたいと思うのは、自分を苛む辛さから逃げたいからだ。
 八つ当たりでも何でも、怪我をしたのはお前のせいだと言われれば、その通りだと納得して、自分自身を責めずにはいられない辛さをすり替え、彼のために我武者羅に戦うことができる。
 だが、三蔵は、こちらを下僕だの何だの言いながらも、盲目的に臣従することは決して望んでいない。
 彼が、もし求めているものがあるとしたら、自分の足で立って共に行く者、それ以上でもそれ以下でもないだろう。
 それを分かっているから、悟空は自分の苦い無力感を飲み込むしかない。
 ───早く、目を覚まして。
 彼がいつものように、面白くもなさそうな顔で煙草を吸いながら、こちらを深い暗紫の眸で見てくれたら、こんな嫌な物思いは消える。
 安心して、腹が減ったと騒いだり、悟浄とどつき合いしたりできる。
 だから、目を覚まして。
 名前でなくとも、バカ猿でも何でもいいから、その声で呼んで。
 そう思いながら、悟空はぎゅっと自分の膝を抱きかかえた。






 不意に、堅く閉ざされていた三蔵の瞼が震えて、悟空ははっと身を乗り出した。
 悟浄と八戒は、日のあるうちに食料を確保するといって出て行ったきり、まだ戻ってこない。
 本来ならば八戒の方が怪我人の看病には適任であるはずなのに、二人だけで行ったのは、多分、意識の戻らない三蔵の傍から離れられない悟空の心理を思いやってのことだろうという見当はついていて、そのことには素直に感謝していた。
 悟浄などは普段からこちらを事あるごとにからかい、おかげで口論やどつきあいも絶えないが、そのくせ時折、八戒と同等以上の優しい気遣いを、さりげなく向けてくれたりする。
 それに対し、普段が普段であるから素直に礼を言えるわけではないが、やっぱり悟浄も大人なんだなと思ったりしていることは、おそらく彼の方も気づいているだろう。
 とはいえ、彼もまた悟空の考えていることに気付いたとしても、態度を変えるような男ではない。八戒も同じだ。
 だから、彼らの傍は三蔵の傍とは別の意味で、悟空にとっては居心地が良かった。
「さ、んぞー?」
 眠っているのであれば、起こしてはいけない。
 そう思うから、呼ぶ声は自然に小さくなる。まるで小さな子供のような口調で名を口にする。
 と、もう一度先程よりも大きく三蔵の瞼が震え、
「……ぅ…」
 微かな呻きと共に、ゆっくりゆっくりと暗紫の瞳が開かれた。
「三蔵?」
 直射日光の入ってこない洞窟内とはいえ、ぽっかりと開いた洞口はこの位置からでも十分に見えるし、傍らには、岩肌で体温を奪われることがないように火も焚かれている。
 ずっと眠っていた目には、それらの光すら眩しすぎるのだろう。何度かまばたきして、彼の瞳の焦点がこちらを捉えるのを、悟空は身を乗り出したまま辛抱強く待った。
「───…」
「大丈夫か?」
 返事はない。
 が、こちらを見つめる三蔵の瞳は、いつもと同じ強い光が浮かんでいる。
 だから、悟空は安心して、少しだけゆっくり目に言葉を紡いだ。
「ここは山道からちょっと外れた洞窟ん中。夕べ、夜中に一回、目を覚ましたの覚えてる? あの町を出てから、ちょうど丸一日経ったよ。今は昼過ぎで、八戒と悟浄は食い物探しに行ってる」
「……水」
「うん」
 半日前と全く同じ、少しばかりかすれた声で水分を要求される。
 そのことに嬉しくなりながら、悟空は八戒が置いていってくれた水筒の水をコップに注ぎ、それを一旦脇において、傷に触れないよう気をつけながら少しばかり三蔵の上半身を起き上がらせた。
 妖怪で良かったと思うのは、こんな時だ。
 この体格で只の人間の子供だったら、痩身ではあっても鍛え抜かれた肉体を持つ成人男性である三蔵を助け起こすのは、きっと苦になる。だが、悟空にとっては彼の重さくらい、何でもなかった。
「もう少し飲む?」
 水筒とセットのコップは、サイズが小さい。そこに満たされた水をゆっくりと飲み干した三蔵に問いかけると、ああ、と短い返事が返り、悟空は彼の身体を支えたまま、もう一杯の水を注ぐ。
 それを半分ほど飲んだところで、もういい、と彼はコップから口を遠ざけた。
 そうして再び、岩肌に敷いた毛布の上に横になると、眩暈がするのか、億劫そうな仕草で額の上に左腕を乗せる。
「気分、悪い?」
「───…」
「血が足りてないんだって。出血がちょっと多かったって、八戒が言ってた。何か食える?」
「いらねえ」
 返事は短く、気だるげではあるが、声はしっかりしている。
 それなら大丈夫だろう、と悟空は思った。
 怪我をしていようが、食事が満足に取れなかろうが、彼が彼らしくあるのであれば心配する必要はない。三蔵に関することで悟空が不安を感じるのは、先程までのような昏睡や、何かが彼の神経に障った時放たれる、常とは異質の殺伐とした気配だけだった。
「じゃあ、もう少し寝る?」
「……ああ」
「分かった」
 うなずき、さて、自分はどうしようかと悟空は考える。
 今までの経験からすると、ひとしきりの昏睡から覚めた後の三蔵は、比較的浅い眠りを繰り返すことが多い。そして、基本的に彼は、眠る時には一人きりになりたいタイプだ。
 他人が居ると眠れないということはないようだが、元々気配に敏(さと)いために、他者が同室に居ると、ふとしたことで目が覚めてしまうらしい。
 ましてや今は、傷のせいで感覚が鋭敏になっているに違いなく、自分がこれ以上傍に居るのは彼に障るだろう、と悟空は思った。
「俺、外に出てるから。遠くには行かないから、何かあったら呼んでよ」
 不安でいっぱいだった気持ちも、彼がこうして目覚めたことで落ち着いた。
 もう大丈夫、と色々な意味で思いながら立ち上がる。
 そうして彼の体温を守る焚き火が燃え尽きることのないよう、傍に積んであった枯れ枝を足し、出て行こうとした時。

「──悟空」

 こんな状態でさえ、よく透る三蔵の声が真っ直ぐに悟空の鼓膜を打った。
「ここにいろ」
 短く命じる言葉に、悟空は目をみはる。
 三蔵は額に己の腕を置いたままで、こちらを見ようとはしない。
 けれど、その言葉は、彼自身のためではないことは理解できた。
 何で、と問い返したら、おそらく怪我人に大声を出させる気かとでも何とでも、彼は理由を口にしてくれるだろう。けれど、そうではない。
 そうではないのだ。
「──うん」
 震えそうになる吐息を押さえ込みながら答えて、元通りに彼の傍らに座り込む。
 ───不安は、本当に落ち着いていた。
 けれどそれは、だから傍を離れたい、ということには繋がらない。
 いつだって、彼の傍には居たいのだ。
 具合が悪い時でも、そうでない時も。
 そこに三蔵が居る、と確信した時だけ、悟空は一時、自分の好奇心や食欲の赴くままにふらふらと出歩くことができる。
 結局、いつでも彼がいなければ駄目なのだ。彼の存在が、常にどこかに感じられなければ。
 パチパチ、と焚き火がはぜる音が小さく響く向こうから、山の小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。その楽しげな音に聞くともなしに耳を傾けながら、ただ、静かに深い呼吸を繰り返している三蔵を見つめる。
 そのままどれほどの時間が経ったのか、
「──三蔵? 眠った?」
 そっと呼んだ時、返る反応はなく、悟空はほっと息をついた。
 旅をしている時間を加えたら、かれこれ六年も傍で寝起きしているのだから、自分の気配には三蔵も慣れているはずである。
 だが、こうした手負いの状態の時に、彼自身の意思で傍にいることを許されるのは、また別格の嬉しさが、じんと心に滲む。
「ありがと、な」
 起こさないよう、そうっとそうっと呟く。
 ここにいろ、と言ってくれたのは、彼の優しさだと悟空には分かっていた。
 あの町で罠に嵌められ引き離されたと知った時、全身を血に染めた彼の姿を目にし、倒れかけたその身体を抱き止めた時、昏睡状態に陥った彼の傍に居た間。
 どれほどの不安と焦燥を悟空が抱いたか、三蔵が気付かないわけがないのだ。
 そして、それらを宥めるには何が一番効果的か。彼は全部、知っている。
 ───悟空。
 ───ここにいろ。
 たったそれだけの言葉で、どんなに救われるか。
 見透かされ、ツボを心得られていることが、とてつもなく嬉しい。
「三蔵」
 へへっ、と幼い子供のように小さく笑いながら、大切な大切な名前を呼ぶ。
 永遠にも思える長い長い時間を過ごした岩牢から連れ出してくれた後、三蔵が一番最初に与えてくれたものが、この彼の名前だった。
 初めて得た、『誰か』の名前。
 声に出して呼ぶことのできる名前。
 あの時からずっと変わりなく、この名前は悟空にとって命にも等しい宝物だ。
 そして、彼の声で呼ばれる自分の名前も。
 また、彼の名前に等しい宝物だった。
「早く、元気になってな」
 心の底からの思いを込めて呟き、そして悟空は大きな欠伸を一つする。
 考えてみれば、昨日から三蔵の傍に付きっ切りで、丸一日以上一睡もしていない。
 うーんと伸びをして、悟空は涙の滲んだ目元をこすりつつ、三蔵の傍らの岩の上にころんと身体を横たえた。
 岩肌はごつごつしていて寝心地は悪いが、まだ昼間ではあるし、焚き火のおかげで寒さは感じない。おまけに、直ぐ傍からは三蔵の静かな寝息も聞こえる。
「……おやすみぃ、さんぞー……」
 急速な眠気に襲われ、むにゃむにゃと呟きながら悟空は目を閉じる。
 悟浄と八戒が戻ってきて、焚き火の傍で仲良く転がっている二人を発見するのは、それから間もなくのことだった。






End.











初書き最遊記。
RELOADの最新刊を読んでたら、むらむらと書きたくなりまして、こんなことになりました。原作をご存知の方にはお分かりでしょうが、第26話の直後についての妄想です。
しかし私の認識だと、三蔵と悟空の間にあるものは恋愛云々より信仰に近いものに思えるので、二人の関係は色気ないです。
読む分には甘くても何でも良いんですけど、自分で書くとなると惚れ合ってることにはならんのですよ。

原作は現在、とんでもない展開になって三蔵はぶち切れ、悟空もヤバいことになって大変に面白いですね。というか、あんなこと(というには事態が深刻ですが)で三蔵がキレるとは思いもしなかったですよ……。峰倉先生のおっしゃる「血よりも濃い関係」というのは、こういうことですか。

というわけで、まだ幾つかネタが沸いてますので、また機会があったら書きたいです。今度はチビ悟空とかね♪






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