冬物語 〜14. 風邪〜













「それで、どうしてお前が風邪を引いていないんだ?」
「・・・・・どうしてと言われましても・・・・・」

心底つまらなさそうな顔で、そう言った主君をセレストは内心、途方に暮れた気分で見つめた。

「それはまぁ、日頃から鍛錬してますし・・・・」
「他の騎士団員だってそうだろう。なのに、同じように真冬の小川に飛び込んで、どうしてお前だけ風邪を引かないんだ」
「・・・・カナン様、おっしゃりようを聞いていると、何だか、私に風邪を引いてもらいたかったように聞こえるのですが」
「その通りだが?」
「・・・・・・」

けろりと、カナンは傍らの長身の青年を見上げる。

「だって、おまえは風邪なんて滅多に引かないじゃないか。少なくとも、騎士団に入ってからは寝込んだことなんかないだろう」
「・・・・確かにありませんが」
「だから、つまらないと言ってるんだ。僕だって、お前を見舞って看病してみたいのに」
「は・・・」

カナンの看病。
その恐ろしい単語に、一瞬セレストは白く固まる。

「ご冗談をおっしゃらないで下さい!」
「冗談じゃないぞ。いつでも僕は本気だ」
「余計にお悪いです!!」
「こら、病人の側で大声を出すな」
「──っ」

は、とセレストは我に返った。
見れば、室内に居た他の面々が困ったような──正確に言えば、爆笑しそうなのを必死にこらえている表情で、こちらをちらちらと見やっている。
それらの視線に一瞬うろたえ、セレストは傍らの主君を、じと目で睨んだ。

「〜〜〜カナン様」
「何だ」
「何だ、ではありません。お見舞いにいらっしゃったのなら、それらしくなさって下さい。見舞いの品を渡して、病人の負担にならない程度に会話したら、すぐに辞去する。それが礼儀というものです」
「それくらい、僕だって知っているぞ。失礼な奴だな」

軽く機嫌を損ねたように、ふん、とそっぽを向くと、カナンはすたすたと部屋の奥、病人のベッドへと近付く。
そして、打って変わって品のいい、いわば余所行きの笑顔でベッドを覗き込んだ。

「うるさくしてすまないな。──加減はどうだ?」
「お見舞いなど勿体ない・・・・見苦しい所をお見せして申し訳ありません、カナン様」

鼻声で答えるのは、昨日の演習で小川に落ちた騎士団員の一人だった。
日頃いかに鍛錬しているとはいえ、冷たい水にずぶ濡れになってしまったら風邪を引くのも仕方がない。
原因は確かに本人のドジだが、しかし、カナンは病人相手にそのことを責めたりはしなかった。

「別に構わないさ。騎士団員だって人間なんだから、怪我もするだろうし風邪も引くだろう。調子が悪い時はきちんと養生して、元気になったら、また前と同じように勤めに励んでくれたらそれでいい」

いかにも熱があるらしい赤らんだ頬をした団員に、穏やかにそう言うと、カナンは手にしていた小さなバスケットを掲げて、彼に見せる。

「それで、熱で辛いと思うが食欲はあるか? 姉上からのお見舞いも言付かってきているんだが・・・・」
「えっ!?」
「風邪には、やっぱり林檎が良いだろうとおっしゃられて、病人の喉にも通るものをと焼き林檎をおつくりになられたんだ。僕もさっき、おやつにいただいたが、本当にとろけるくらいに柔らかくて美味しかった。まだ熱々だから、もし食べられるようなら食べるといい。冷めてからでも、勿論美味しいけどな」
「いっ、いただきます! いただきますとも!!」

今にも起き上がりそうな勢いで、団員は叫んだ。
否、本当に飛び起きかけて、ベッドサイドに居た看病役の団員に肩を抑えられ、布団に戻される。
しかし、それも当然と言えば当然だろう。
忠誠を誓った主君の息女、第一王女リナリア手作りの見舞いの品である。
そうでなくともリナリアは、この国で王妃と並ぶ最も高貴な女性であり、しかも妙齢の美姫だ。若い男なら興奮しない方がおかしい。

「勿体ない・・・! リナリア様からのお見舞いを、カナン様にお運びいただくなど・・・・!!」
「そんなに畏まらなくてもいい。僕も、日頃からお前たちの勤めぶりには感謝しているからな、是非見舞いたかったんだ」
「カナン様・・・・!」

感極まった顔で、病人は第二王子を見上げ、傍らの看病役の騎士団員も感激と敬慕のまなざしをカナンに向ける。
その光景を、やや下がった位置からセレストは複雑な気分で見つめた。

カナンは決して、口から出まかせの心にもないことを言っているわけではない。
騎士団を尊重しているのも確かだし、団員の健康を案じているのも事実だろう。
だが、それ以上に。
滅多に経験することのない『病人のお見舞い』をやってみたかったのに違いないのである。
それも、できることなら『病気になった従者のお見舞い』を。
だから、聡明で思いやり深い、いかにも王子らしい振る舞いは半分、自分へのあてつけだとセレストは推測した。
おそらくカナンの背中は、こう言いたいのだ。

──羨ましいのなら、お前も風邪で寝込めばいいんだ、と。

「とにかく無理は禁物だからな。焦らなくていいから、ちゃんと風邪を治せ」
「はい! ありがとうございます!!」

カナンは笑顔でうなずく。
その笑顔さえも、完璧なまでに穏やか且つ、雲間から覗いた陽光のようなきらめきを漂わせて。
あーあ、とセレストは内心で嘆息した。

王家に仕える騎士団は、当然に国王一家に対しては忠誠が厚い。
穏やかな国王と、明るく華やかな王妃は勿論、次代の国王である第一王子リグナムも温厚且つ聡明な人柄で人望を集めている。
が、それとは似て非なる意味で、王女リナリアと、第二王子カナンは人気が高いのだ。
リナリアは、その可憐な美しさと、家庭的な器用さと不器用さ・・・というかドジさ加減でポイントを集め、カナンは、少年らしい明るくのびやかな気質と、年齢に見合わない聡明さでポイントを集めている。
そんな二人が、言葉を悪くすれば共謀して、ドジを踏んで風邪を引いた騎士団員を見舞ったのだ。
おそらく三人の病人は、若い団員たちの羨望と嫉妬の標的となり、一方で、王子と王女の人気も更にうなぎ登りとなるに違いない。
これから数日間の騒ぎと、カナンの従者である自分に向けられる羨望の言葉への対処法を思いやって、セレストは軽い頭痛を覚えた。

「そうそう、病人だけでは不公平かもしれないからとおっしゃってな。姉上は、騎士団宿舎の厨房にも、お手製のレシピをお届けになられたんだ。だから、今夜の食事には漏れなく焼き林檎のデザートがついてくるはずだから、お前たちもやっかんだりするんじゃないぞ」
「はい!」

看病役の団員にも笑顔でそう言うと、カナンはもう一度病人に声を掛けてからベッドサイドを離れ、セレストの方へと戻ってくる。

「何か言いたそうだな?」
「・・・・・いいえ、今は何も申し上げません」
「ふぅん?」

悪戯めいた、ふくみのあるまなざしを向けて、カナンはセレストの前を通り過ぎ、ドアへと向かう。
セレストもすぐその後に続いてドアを開け、二人は廊下に出た。

──そうして同様のことを、あと二人分、合計3回行って。
ようやくカナンは騎士団宿舎から、ルーキウス城主翼の私室に戻ったのだった。












「しかし、やっぱりつまらないな」
「まだ、そんなことをおっしゃっているんですか」

アームチェアにくつろいだ主君のために、茶の支度をしながらセレストは溜息とともに肩を落とす。

「嫌ですよ、私は。カナン様に御看病いただくなんて」
「どうしてだ」
「第一に、私はあなたの従者に過ぎないんですから、看病などしていただくわけにはいきません」
「・・・・・そういう理屈が嫌いだということを、まだお前は分かってないのか?」
「分かっておりますよ、十分に。まだ続きがあるんですから、黙って聞いていて下さい」

言いながら、セレストはカナンの前に、香りのいい茶を並々と注いだカップを置いた。
そして、カナンの青い瞳を真っ直ぐに見つめる。

「私が風邪で寝込んだりしたら、あなたのお世話ができなくなります。たとえ一日でも、非番以外の不可抗力で、このお役目を誰かに譲る気はありません」

その言葉に。
カナンは意表を突かれたように大きな瞳を、更に大きくみはった。

「──ちょっとずるくないか。その言い分は」
「カナン様お相手には、これくらいでちょうどいいです」
「どういう意味だ」

むー、とふくれながらも、カナンの機嫌はそれ以上悪くはならない。
反撃する言葉を探すように視線をあさってに向けながら、細い指を伸ばして、テーブルの上のカップを取り上げる。
そして一口茶を飲んでから、セレストを見上げた。

「仕方がないから、今日のところはお前に風邪を引かせるのを諦めてやる」
「・・・・引かせるおつもりだったんですか」
「でも、お前が寝込んだら、絶対に僕が宿舎に泊まりこんで看病してやるからな。覚悟しておけよ」
「・・・・・絶対に、何があろうと、寝込んだりなんかしません」
「言い切れるものか。お前だって人間だろう」
「それでもです!」

口調を強めて、セレストは言い切る。
が、カナンはそっぽを向いて、知らん顔でティーカップを傾けて。

窓の外の寒風など知らぬげに、痴話喧嘩めいた主従の押し問答は続き、冬の日は静かに暮れていった。















風邪にかこつけて、あっちもこっちもバカップル。

最初はセレストさんに風邪を引いてもらう予定だったんですけど、引かない方が会話が楽しいかな、と思ってひねってみました。
カップルのどちらかが寝込むというのは定番ですしね。展開が予想できるのでは、SSとして面白くないですし。

しかし、セレストさんて本当に頑丈だな・・・・。
これくらいじゃないと、カナン様の従者は務まらないのかしらん?



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