冬物語 〜6. 手袋〜











「ようやく晴れたな」

鮮やかに広がった上空の青を見上げながら、カナンが言う。
この数日、空をどんよりと覆っていた雲は跡形もなく消えた今日、風は冷たかったが、空気は晴れやかなほどに澄んでいた。

温室ならまだしも、冬の庭園に花らしい花は少ない。
雪の中でも咲く、白い花が風に震えるようにほのかに揺れている。

「カナン様、お寒くありませんか」
「寒くないといったら嘘になるけどな。これくらいなら平気だ」

いつもの宮廷服の上に、もこもこの裏地付きのコートを重ねたカナンは、セレストを軽く振り返って笑顔を見せた。
その蒼い瞳を、眩しいような思いでセレストは見つめる。

昨日一日、珍しくも部屋で大人しく本を読んで過ごした後の今日、正直なところを言えば、セレストはカナンが城下へお忍びに行きたがることを覚悟していた。
だが、意外にもカナンが今朝、セレストの顔を見るなり言ったのは、「城内を見て回ろう」だった。
大晦日を二日後に控えて、当然ルーキウス城内も年越しの準備に追われている。
市井の年越し準備は一昨日、自分の目で確かめたから、今度は自分の家の中がどんな様子なのか、気になったということらしかった。
そして、天気がいいからと、まずは庭園に出て今に至る。

幾つにも別れた広大な庭園は、洗練された、というよりも、むしろ植えられた樹木や草花の勢いや風情を殺さないことを念頭に置いて、その上で見苦しくないように手を入れてある。
葉を落とした木々は、それでも天に向かって枝を伸ばし、その根元では春を待つ宿根層が寒さに耐えるように姿勢を低くし、あるいは春咲きの球根がほんのちいさな芽を覗かせている。
それらの間で、幾人もの園丁や侍女たちが枯葉を拾い集め、草木の手入れをし、敷石を磨いていた。

「この寒いのに皆、御苦労様だな。僕が、こうしてうろうろしているのが申し訳ないくらいだ」
「そうおっしゃるのは立派な心がけですが・・・・カナン様自らが年越しの準備をなさっては、我々が困りますよ」
「それは分かっているけどな。でも皆、よく働いてくれているし・・・・・ボーナスというか、年末の給金の増額はあるのだろうか」
「ええ。毎年毎年・・・・、本当にありがたいことです」
「そうなのか。さすが父上と兄上だ」
「はい。我々も心から感謝しております」

微笑して、セレストは答える。
カナンは王子としては相当に破天荒で、手を焼かされることも日常茶飯事だが、こういう聡さや優しさは、やはり善政を敷く王の御子らしく、同年代の少年に比べても抜きん出ている。
そのカナンが自分の主君であるということが、純粋に誇らしく、嬉しい、と思う。

「あと、温室の方を回ったら、中に戻ろう」
「はい」

どこか物珍しそうに、大勢の人々が立ち働く庭園を見やりながらカナンが言い、セレストは頷いた。










「──ん?」
「どうなさいました?」
「いや・・・・」

城内へと戻る道すがら、ふとカナンが本宮へと繋がる回廊の脇に目を向け、立ち止まる。
そして、軽く屈みこんで、黒っぽいものを拾い上げた。

「手袋だ、女性用の」
「落し物でしょうね、こんな所に落ちているとなると・・・・」
「まず置いてあったんじゃないだろうな」

回廊の真ん中で、二人は落し物をしげしげと検分する。
黒い毛織物の手袋は右手用で、新品ではない。少なくとも二、三年は使い込んでいるもののようだった。
手首の辺りに小さな花型の金ボタンがついているが、それ以外には特に装飾もない。

「それほど高価な品ではないようですから・・・・侍女のどなたかの持ち物でしょう」
「そうだな」
「どうなさいますか? 女官長に預けておけば、持ち主が見つかるかと思いますが・・・・。もっとも新品ではありませんから、持ち主は諦めて探そうとはしていない可能性もありますけれど」
「──いや、僕は探していると思う」
「え?」

カナンの返事は、妙にきっぱりとしていて、思わずセレストは主君の顔を見直す。
が、カナンはそれ以上は言わず、セレストを見上げた。

「とにかく女官長のところに持っていこう。僕たちで持ち主を探してもいいんだが、これだけ皆が忙しく動き回っていると、大晦日の休暇までに返せないかもしれないからな」
「・・・・・はい、カナン様のおっしゃる通りです」

応じながらも、セレストは一瞬、引っ掛かりを覚えていた。
いつものカナンなら、間違いなく自分で落とし主探しをしようとするはずである。にもかかわらず、女官長の手に落し物を預けようというのが、ひどく奇妙に聞こえたのだ。
だが、カナンの言葉には理があり、セレストが敢えて落とし主探しを提案する理由も必要もない。

「では、すぐに女官長のところに参りましょうか」
「うむ」

腑に落ちないものを感じながらも、セレストはカナンの言葉に従った。







手袋の落とし主が見つかったのは、夕方近くのこと。
城内を一周して、部屋で寛いでいた主従のもとに、興奮で頬を赤くして訪れたのは、カナン付きの侍女の一人だった。

「ありがとうございました、カナン様、セレスト様」
「なんだ、ミーナのものだったのか」
「はい。昨日、城の外にお買い物に出た帰りに落としてしまったらしくて・・・・。でも探しに行きたくても、今日はその暇がなくて、気が気じゃなかったんです。なのに、カナン様とセレスト様が女官長様のところに届けて下さったと聞いて・・・・、本当にありがとうございました」
「やっぱり大事な手袋だったんだな」
「はい! ・・・・でも、どうしてそれを?」

不思議そうな顔になった侍女に、カナンは微笑む。

「何となく、かな。拾った時、すごく大切に使ってある感じがしたんだ」
「ええ、そうなんです。私がお城にお勤めに上がる時、兄が買ってくれたもので・・・・そんないいものじゃありませんけれど、とても大切な手袋なんです」
「じゃあ良かった。年の終わりに、僕も良いことができたしな」
「そんな・・・・。でも、本当にありがとうございました。これで、この手袋をして大晦日に実家に帰れます」
「うん」

侍女は大切そうに手袋を胸元に握り締めたまま、何度も何度も礼の言葉を繰り返してから、まだ仕事があるからとカナンの私室を退出していった。
その軽やかな足取りの後ろ姿を見送ってから、セレストは改めて主君の少年を、瞳に感嘆の色を滲ませて見つめる。

「落とし主が見つかってよかったですけど・・・・でも、カナン様、どうしてあの手袋が大切なものだと気付かれたんですか?」
「うん」

小さく笑ってカナンは手を伸ばし、じゃれつくようにセレストの袖口を軽く引っぱる。

「あの手袋、新しいものじゃなかっただろう?」
「はい」
「指先とか生地が毛羽だって、もう何年も使ってる感じだった。それが妙だと思ったんだ」
「どうしてです?」

驚きを込めて問いかけると、カナンは更に微笑を深めた。

「だって、あれくらいの手袋なんて、そんなに高価なものじゃない。侍女の給金でも気軽に買えるくらいのものだろう。それこそ毎年買い換えたっていいんだ」
「確かに・・・・」
「加えて、城の侍女は制服がお仕着せの分、ああいう小物には気を使うんじゃないのか? 皆、お洒落はしたいだろうし」

そう言って、カナンはセレストを見上げた。

「結論として、ぱっと見て分かるくらい古くなるまで使い続けた理由が、あの手袋にはあるのだと思った。たとえば、家族が病気で金がかかって買い換えられないとか、誰かにもらった大切なものだとか、何かの思い出の品だとか。となると、どんな理由にせよ、大晦日に帰省する時には、あの手袋をしたいんじゃないかと思ったんだ」
「そうだったんですか・・・・」
「感心したか?」
「もちろんです」

悪戯めいた微笑で見上げてくるカナンに、セレストは賞賛をこめたまなざしを返す。
その瞳を見つめながら、カナンは、近衛騎士の制服の袖口にじゃれついていた手を少し移動させ、セレストの手に触れた。
ほんのりと温かい指の感触に、セレストはカナンが何を求めているのか悟る。

「本当に御立派ですよ」
「うん」
「──そういうあなたのお傍に居られることが、何よりも嬉しいです」

ごく軽くやわらかな唇をついばみ、内心少しだけ照れを覚えながらも、そう告げると。
カナンは満足げに微笑んで、今度は自分からセレストにキスを返す。
そうしながら、そっと絡められた指を、セレストは優しく握り返した。

















珍しくまっとうにラブな主従。
もう少し書き込みたい気もしたんですけど、妙に間延びするのもな〜と思ってあっさり仕上げました。
賢く優しいカナン様を書くのは楽しいです(^_^)



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