Chanson de l'adieu 7







ゆるく抱きしめていた腕の中で、カナンが身じろぎする。
そのまま見守っていると、ぼんやりと青い瞳が開いた。

「──セレスト・・・?」
「はい」

答えると、カナンがこちらを見上げ、ふわりと花が咲くように微笑んだ。

「良かった・・・・夢じゃなかった」
「カナン様」
「様、じゃないだろう?」

小さく笑いながら咎めたカナンに、セレストは、すみません、と謝る。

「いいさ、そんなにすぐに呼び方を変えろと言っても無理だろうし。それに本当は、お前に呼ばれるのなら何でもいいんだ。もちろん、様をつけずに呼び捨てにされるのが一番嬉しいけどな」
「そうなんですか?」
「そうなんだ、実は」

くすくすと笑ってカナンは手を伸ばし、セレストの髪に触れた。
子猫がじゃれるように前髪を軽く指先に絡め、それからセレストの胸にぴったりと寄り添う。

「──本当に帰ってきたんだな」

そして、もう一度しみじみと呟いた。

「この四年間も、その前の七年間も本当に長かったから・・・・なんだか夢でも見てるような気がする。幸せ過ぎて・・・・・」
「カナン様・・・・」

本当に幸せそうな、だが、ひどく切ないその言葉に、セレストはカナンが愛しくてたまらなくなる。
自分も確かにカナンのことを想い続けてはいたが、相手の安全をある程度信じていられた自分に比べて、生死も知れない相手を探す立場であり続けたカナンの方は、どれほど辛い毎日だっただろう。
昼間に言った、いっそ気が狂った方が楽だと思ったという言葉は、おそらく誇張でも何でもないに違いない。
自分は軍人で、カナンはわずかとはいえユダヤの血を引いていて、時代の荒波の中、別離はどうしようもなかった。
それでも離れたくはなかったし、互いを失いたくもなかったのだ。

「私はここに居ますから・・・・。もう二度と、お傍を離れたりなどしません」

それ以外に言える言葉などなく、セレストはありったけの想いをこめて告げる。

「うん。分かってる」

その言葉にカナンは微笑んで、伸ばした手をセレストの首筋に回し、自分の方へと引き寄せる。
求められるままにセレストは唇を重ね、優しく口接けた。
互いを確かめるようにゆっくりと舌を絡め合い、甘い熱を愛おしく感じながら離れる。
そして、開いた瞳を間近で見交わした時、何かを思い出したようにカナンが小さく声を上げた。

「どうされました?」
「忘れてた。僕の服はどうした?」
「そちらに掛けてありますけど・・・・」

セレストが目線で背後、サイドテーブルの向こうにあるソファーを示すと。
カナンはセレストの腕の中から抜け出そうとして──失敗した。

「今、動かれるのは無理ですよ」
「う〜〜」

肘を突いて身体を起こしかけたものの、上半身を半分持ち上げたところで、それ以上動けなくなったカナンを、慌ててセレストは引き止める。
そして、代わりに自分がベッドを降り立った。
恨めしそうなカナンの視線を背中に感じながら、セレストはカナンの服を手に取る。

「こちらでよろしいですか?」
「ああ、スラックスだけでいいから」
「はい」

言われた通りに、部屋着の下だけを持って戻ると、どうにか根性でベッドの上に起き上がるだけは起き上がったカナンは、短く礼を言ってそれを受け取った。
そしてポケットを探り、あったあった、と笑顔になる。

「何です?」
「うん」

もともとポケットに入れてあったのだし、小さなものなのだろう。
何を取り出したのかはセレストには見えず、尋ねると、カナンは笑顔のままベッドの上に戻ってきたセレストを見上げた。

「手を貸せ。左手だ」
「はい」

言われるままに、手を差し出すと。
カナンはその手を取って。

手にしていたものを、セレストの小指に通した。

「え・・・・」

ひやりと冷たい金属の感触に、己の指を見てみれば、そこにあるのは眩しい銀の輝きで。
セレストは目をみはる。

「お前がくれたこの指輪のレプリカと言えばいいかな。ちゃんとKyrie eleisonの文字も内側に彫ってあるぞ」
「どうしてですか・・・・?」

驚いた表情のまま、カナンを見やると、カナンは自分の右手の薬指に嵌めたままの指輪に視線を落として、微笑んだ。

「四年前、お前とは何も約束できずに別れてしまったから。僕一人で約束を作ってみたんだ。いつか再会する時に、この指輪を渡すんだとそう思って・・・・」
「カナン様」
「少女趣味というか、僕らしくない気はしたんだけどな。こんな小さなものに頼るなんて。でも、この指輪とその指輪が、この四年間の僕の支えだったんだ」

かすかに自嘲するように、過ぎ去った時間を痛みと共に懐かしむように、カナンは微笑してセレストを見上げる。
その澄み切った青い瞳に、セレストは言葉を失った。

「この指輪はもう、返せないからな。それを新しいお守りにしてくれないか。僕もお前も左手の薬指にしてるわけでもないし、お守りならお揃いでも問題はないだろうし」
「カナン様・・・!」

たまらずにセレストはカナンを抱きしめる。
こんなに強く抱きしめたら苦しいのではないかと、ちらりと思いが脳裏をかすめたが、しかし加減などできないくらいに、ただ愛しくて。
もう二度と離れてしまうことなどないように、細い身体を強く抱きしめる。

「セレスト・・・・」
「大切にします。絶対に無くしたりしませんから」
「──うん」

セレストの腕の中で一つ頷いて、カナンは広い背に腕を回し、抱き返す。
そのまましばらく、言葉もなく二人は互いの温もりだけを感じていた。










「──それでな、セレスト。これからのことなんだが」
「はい?」

カナンがそう切り出したのは、そろそろ眠ろうかと二人が毛布にもぐり直しかけた時だった。

「僕の秘書兼護衛をやる気はないか?」
「秘書・・・兼、護衛ですか」
「ああ。兄上から任された欧州総支社の経営で、僕は年中ものすごーく忙しいんだが、スケジュールを調整してくれる適当な担当者がいないんだ。護衛の方はいることはいるんだが、こちらに来る時に兄上からお借りした人材だから、いずれは合衆国に帰さないといけないし」
「・・・・・もしかして、それはわざとポストを開けてあったのでは?」
「偶然でないのなら、そうかもな」

悪びれることなくそう応じるカナンに、セレストは溜息まじりの微苦笑をこぼす。
大企業のトップとして、忙しいのも、身辺が安全と言い切れないのも間違いなく事実だろうに、自身の負担やリスクは無視して、自分を待ち続けてくれていた相手に、もはや諌める言葉も出てこない。

「私でよろしいのでしたら。いくらでもあなたのために働きますよ」
「本当にいいのか?」
「ええ」

セレストが笑顔で頷くと、カナンも嬉しげな笑顔になる。
そして、ぽすんと枕に頭を落とし、セレストを見上げた。

「本当は傍に居てくれるだけでいいんだけどな。でも、仕事もさせずに金だけ渡すんじゃ愛人みたいだし、お前も嫌だろうと思って考えてたんだ」
「愛人って・・・・・」
「だって、愛人というのはそういうものなんだろう?」
「それはそうですけど・・・・・」

恋人の知識及び語彙に眩暈を感じながらも、セレストは優しくカナンの髪を梳く。
表現はともかくも、カナンの言葉は十分過ぎるほど自分を想っていてくれるのは確かで。
嬉しいとも愛しいとも思う。

「まぁその辺はともかくも、ありがとうございます。あなたの側で、あなたのために何かができるのは嬉しいですよ」
「うん」

本心から感謝の思いを告げると、カナンは満足げに微笑み、そして悪戯めいた笑顔になった。

「じゃあ、早速、僕の秘書に仕事なんだが」
「はい?」
「僕のスケジュールは本当に本気で、冗談にならないくらいに忙しいんだが、それをどうにかやり繰りして、クリスマス休暇を取らせてくれ」
「クリスマス休暇、ですか」
「そう」

笑顔のまま、カナンは続ける。

「そうだな、できたら23日から25日までの三日間」
「どうしてもということでしたら、明日、スケジュール表を見せていただいて考えますが・・・・。でも、どうなさるんです?」
「そんなのは決まってるだろう。お前と一緒に、エリックの教会へ行くんだ」
「は・・・あ!?」

思いがけない言葉に、目をみはったセレストを見上げて、カナンは実に楽しそうな笑顔を浮かべた。

「僕が教会学校に文房具を贈ったお礼に、子供たちからクリスマスキャロルを聞きに来て欲しいという招待状をもらったんだ。明日見せてやるけれど、手作りの押し花のカードで、すごく綺麗なんだぞ」
「はあ、なるほど」
「それに、この間エリックが来た時、フランツが小さい頃のお前に似てきたと散々聞かされたからな、是非会いに行きたいんだ」

四年前に一度会った時は、シェリル似だとは思ったけど、それほどお前に似てるとは感じなかったし、とカナンは微笑んで、セレストの顔に手を伸ばして触れる。

「お前は僕を赤ん坊の頃から知ってるけど、僕はお前の小さい頃を知らないからな。やっとその不公平を、ちょっとだけ公平にできる」
「・・・・・それは公平不公平という問題ですか?」
「僕にとってはそうだ」
「・・・・確かにフランツは私に似てると言われますが・・・・・。フランツはフランツで、私ではないですよ?」
「そんなことは分かってる。でも、お前の面影を忍ぶくらいはいいだろう?」

さらりと言われて、セレストは反論に詰まる。
だが、あれやこれやの理屈を差し引いても、カナンと共に、数年ぶりになる家族と一緒のクリスマスを過ごせるというのは、確かに魅力的な提案だった。

「──分かりました。詳しいことは明日になってからですが、努力してみましょう」
「本当だな?」
「ええ。ですが、その前後は、みっちり働いていただくことになると思いますよ」
「それは仕方がない。覚悟してるさ。どうせお前も一緒なんだし」
「・・・・ええ、そうですね」

真っ直ぐに向けられる想いの滲んだ言葉に、思わず微笑が零れる。
そしてセレストは、カナンの額に一つ口接けを落とし、毛布を肩まで引き上げた。

「仕事の話は明日にしましょう。今夜はもうお休みになられた方がいいですよ。お疲れでしょうし、今日は途中で仕事を放り出されてしまったんですから」
「本当は寝るのも惜しいくらいなんだがな。きっと一晩中、こうして話していても足りないぞ」
「それは私も同じですけれどね。でも、もうあなたを置いてはどこにも行きませんから。時間はいくらでもありますよ」
「──本当だな?」
「はい。何度でも信じていただけるまで、お約束しますよ」
「そんな必要はない」

くすりと笑って、カナンはセレストの左手を引き寄せる。
そして小指に輝く、真新しい銀の指輪に口接けた。

「分かってる。お前はもう、僕から離れたりしない」
「ええ」

そう言って微笑んだカナンに、セレストも微笑んでカナンの右手薬指の鈍く輝く銀の指輪に口接けを落とす。

「この身が果てても永遠に、愛してます」
「僕も・・・・永遠にお前を愛してる」
「はい」

何度繰り返しても足りないような気がする想いを告げ、触れるだけのキスをして、微笑を見交わす。
そして、互いの温もりと、共に在る幸せを抱きしめて。
十一年来、あるいはそれ以上得られなかった安らかな眠りの淵に、二人は静かに沈んでいった。
















End.








信じられないくらいに長くなりました、改訂版。やっと終わりました〜。
結果的に、元の話の倍以上になりましたよ。ファイル3つだったのが7つって、どういうことですか。

でも、あれやこれや山程付け加えたおかげで、綺麗に話がまとまってよかったです。
やっぱり一つの物語を作るのには、ある程度の時間がないとダメなんですね。ネタをこねくり回しているうちにエピソードが浮かんで、プロットが完成するんですから。

まあ、とにかく馬鹿みたいに長くなった話に、最後までお付き合いいただいてありがとうございました。最初からパラレルはどうかな〜と思ったんですけれど、意外に好評をいただいたようで、私も楽しかったです。
この改訂版に付いても、感想等ありましたら是非お寄せ下さいね〜(^_^)

しかし・・・この身が果てても永遠にって・・・ゾンビ?(笑) (←こういうこと書くから怒られるんだよ・・・)





・・・初回版あとがき・・・


ようやく終わりました、別れの曲。
前編から後編まで、のべ五日間で書き上げたんですが、さすがに疲れました・・・・。
というか、積もり積もった寝不足で脳ミソが回ってないというか・・・。きっとまた、この後編も数日後に修正を加えると思います(-_-)

しかし、私に戦争物を書けるとは、自分でも思ってませんでした。
この時代が嫌いなわりには結構、勉強のつもりで映画を見たり本を読んだりしているので、知識だけは何となくあったんですけど、やっぱり文章に起こすのは怖かったんですよね。
今回も終戦直後のドイツに関する資料が全然なかったので、「ドイツ連邦共和国 戦後処理」でネット検索していたら1件だけ使えそうな記事があったんですけど、それには捕虜収容所で死亡したドイツ兵士は80万〜100万人、連合国の占領下で、飢えや占領軍の暴力によって死亡した一般人は200万人以上、と書いてあったり。
どれほどの信用性があるものなのかは全く分からない数字なんですけど、ドイツ政府も、150万人以上の捕虜兵が未帰還であることは認めているらしいです。

でも、こういうぬるいハッピーエンド型の話であっても、一つ作品を書いて、自分の中で少しだけこの時代のことが消化できたような気がします。
素敵イラストを下さったまつのすけ様には、本当に薄暗い話で申し訳ないんですけれど、ラストはラブラブにしたので許してやっていただけると嬉しいですm(_ _)m
気が向いたら・・・というか余裕があったら、オマケもそのうちに書きますから・・・。

ではでは、薄暗い話を最後まで読んで下さってありがとうございました。
感想等ありましたら、メール・掲示板にてお知らせ下さると嬉しいです。





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