サヨナライツカ

「黒子っち」
 客だぞ、と日向に呼ばれて体育館を出てみれば、強烈な真夏の日差しを避ける木陰に黄瀬が立っていた。
 死闘、と呼ぶのが相応しく感じられるほど壮絶だった、桐皇学園と海常高校のインターハイ・ベスト8戦から中一日。
 黄瀬の表情は、試合前と何ら変わらないようであり、またどこか違うと思って見れば、そうとも見えた。
「練習中にゴメン」
 まず、黄瀬はそう詫びた。本当にすまなさそうな笑みを小さく口元に浮かべて。
「五分だけ。言うこと言ったら、すぐ帰るっスから」
「はい。……海常は、今日から練習再開ですか?」
「うん。でも、今日は半日で終わりだったから。オレもまだダメージ残ってて、体ガクガクっスよ。やっぱ青峰っちは強かったス」
 苦笑する黄瀬の悔しさとやりきれなさが隠しきれない表情を眺めながら、ダメージが残っているのは当然のことだろう、と黒子は思う。
 あの青峰と互角に戦い抜いたのだ。肉体的にも精神的にも、とてつもない負荷がかかっていたのは、試合中でさえ見て取れた。
「黒子っち」
 もう一度、黄瀬が名前を呼ぶ。
 そうして、やっと黒子は違和感に気付いた。自分を呼ぶ黄瀬の声は、やけに静かだった。いつもなら、はずむように明るいのに、今は真夏の木陰にしんと響く。
 その声のまま、黄瀬はまっすぐに黒子を見つめて告げた。
「オレ、やっと少し分かってきたんスよ。黒子っちが『分からない』って言ってたことの中身が。黒子っちが、何が帝光に足りないと感じたのか、少しだけ」

 それは、幾らか前の話だった。
 高校入学直後、誠凛と海常が練習試合を組んだ折に、何故、全中三連覇の後、バスケ部を辞めたのかと黄瀬に聞かれて、黒子は「分かりません」と答えた。
 その答えは半分嘘で、半分真実だった。
 自分が何を欲して帝光中学のバスケ部を辞め、新設校の誠凛高校に進学したのかは分かっていた。ただ、あの時の黄瀬に、それを言葉で説明しても理解しないだろうし、むしろ傷付けてしまうだろうと感じたから、言葉を濁した。
 加えて、自分のバスケを認めて欲しい、チームメイトから信頼されたいという子供のような我欲を恥じる気持ちもあったし、それを求める自分のやり方が絶対に正しいという信念もなかった。
 そんな迷いが総じて、「分かりません」という言葉になったのだ。
 だが、それを黄瀬は「分かってきた」と言う。
 何を分かったというのか。
 ただ、一昨日のインターハイ・ベスト8戦を最初から最後まで見ていた黒子には、黄瀬が何を言いたいのか、少しだけ予想ができたから、黙って言葉の続きを待った。

「一昨日、青峰っちとやった時、黒子っちも見てた通り、最後にオレがパスを出そうとして、青峰っちに負けたんスけど、そん時、青峰っちが言ったんスよ。オレのバスケに仲間を頼るプレイはない、って。仲間を頼る弱さがある限り、オレには勝てないって」
 それは、と黒子は思う。
「青峰君らしい台詞ですね」
 らしすぎて、どうしようもなく苦い記憶を誘う。すると、共感するように黄瀬も淡く苦い笑みを浮かべた。
「ホント、青峰っちっスよね。──でも、オレ」
 言葉を継ぎながら、黄瀬は青葉の向こうの夏空を仰ぐ。
「聞いた瞬間は、オレはダメなのかと思ったんスよ。どうしても目の前の男には勝てないのかって。──でも、すぐに違うと思った。コートの中の先輩たちを見て。
 先輩たちはオレを信じてくれてた。入学したばかりなのにレギュラーを奪って、なのに黒子っちたちと練習試合やるまでは、サボってばかりで不真面目だったオレを、あの苦しい試合で、最後の最後まで信じてくれた」
 あの試合の後、考えて考え抜いたのだろう。
 黄瀬の声には、そういう静けさがあった。
「あの最後の場面で、オレが先輩にパスを出さなければ、勝ててたかもしれない。勝ってたら、先輩たちも、オレのそういうプレイを許してくれたかもしれない。でも、あの時のオレは、そんなことは思い浮かばなかったんス。自分で行くより、笠松さんにボールを渡した方が青峰っちの裏をかけると思った。
 すげー悔しいっスよ。結果としては、オレの判断ミスなんスから。……でも、青峰っちのスタイルはコピーできても、青峰っちのチームメイトを信じないプレイまでは、オレはコピーできないスよ。それが、あの試合ではっきり分かったんス」
 そう言い、黄瀬は視線を真っ直ぐに黒子に戻した。
 黄瀬はいつも、他人の目を真っ直ぐに見る。彼の気質は陽性で、誰に対しても屈託はないし、負けず嫌いではあっても驚くほど素直で正直だ。
 だが、彼と出会ってから足掛け二年余りになる黒子にしても、これほど潔い目をした黄瀬を見るのは初めてだった。
「黒子っち、オレは黒子っちのバスケを尊敬してるし、また一緒にやりたいと思ってる。今まで何度も言ったっスけど、それは全部ホント。……でも今は、海常で、あの先輩たちと一緒にバスケをやりたい。オレのバスケを」
「……黄瀬君」
 思わず黒子は、彼の名を呟く。
 確かにそれは、黒子が誠凛で感じているものと同じだった。
 尊敬に足りる先輩や信頼を分かち合える同輩たちと、共にバスケをやりたい。──そう思えることが、どれほど幸せなことか。一旦はバスケットボールを嫌いにまでなった黒子だからこそ、骨身に染みて分かる。
「前にも、黄瀬君は言ってましたよね。最近、海常でバスケをやるのがちょっと楽しい、って」
「今は、メチャクチャ楽しいっスよ」
 黒子の言葉に、黄瀬は眩しいほどの笑顔になる。少しだけ、そう、ほんの少しだけ、どうしてもっと早く気付かなかったのだろうという苦さをも含んで。
「だから、黒子っち。オレはもう、海常に来いなんて言わないっス。そんなことを言うのは、黒子っちにも誠凛の人たちにも、うちの先輩たちにも失礼っスから」
「……はい」
 黒子がうなずくと、黄瀬もまたうなずく。
 黄瀬が言いたかったことというのは、きっとこの訣別の一言なのだろう。
 その表情に寂しさの影がないわけではない。だが、切れ長の瞳に浮かぶ光は強く輝き、彼がまた一歩、前に進もうとしていることは見て取れる。
 そんな黄瀬の表情に、ふと黒子は、言うつもりのなかったことを一つだけ、告げる気を誘われた。
「黄瀬君」
「ハイ?」
「一昨日の試合ですけど」
 青峰と黄瀬の死闘は、二人のことを良く知っていた黒子にとっても、驚きの連続だった。
 黄瀬が青峰に本気で勝とうとしたことも、青峰が誰かと互角に戦っていたことも。
 だが、一番、度肝を抜かれたのは。
「ボクも、君が最後のあの場面でパスを出すとは思ってませんでした。だから、正直驚きました」
「──あー、やっぱり?」
「はい。帝光時代の君なら、絶対に自分で決めようとしていたはずです。だから驚きましたし、……少しだけ、嬉しい気もしなかったと言ったら、嘘になります」

 黒子からしてみれば、黄瀬を含む『キセキの世代』は自分を捨てた面々だった。
 天賦の才能が開花してしまえば、黒子のパスワークなど不要になる。そして更なる飛躍を求めた彼らは、この先はお前のバスケでは勝てない、と容赦なく真実を告げて、成長の臨界点に達していた黒子を軽々と置き去りにした。
 そんな彼らの中で、黄瀬だけは高校進学後も黒子に執着を見せたのは、端的に言うなら、彼の才能の開花が他のメンバーよりも少し遅れていたからだ。
 当時の黄瀬の目には、まだ黒子と組むことの限界が映っていなかった。それだけの話である。
 だが、その目の曇りゆえに、黄瀬は無名校に進学した黒子を軽蔑せず、逆に黒子の言葉に耳を傾けた。
 その結果、彼が変わり始めたことが、本当に良いのかどうかは黒子には分からない。
 ただ、目の前で見た黄瀬の変化が、新しい道を見つけて今、やっと少しずつ癒えかけている傷の痛みを少しだけ軽くしたのは事実である。
 そして、その一方で、前へ進もうとしている今になっても、まだ慰めを欲しがる自分の浅ましさが、少々不本意でもあった。
 それでも、『キセキの世代』という唯我独尊の権化の一人だった黄瀬が、最後の最後にパスを出そうとしたことに気付いた時の衝撃はとてつもないものだったし、その後、沸き上がってきた感情も、また自分の中の真実だった。

「嬉しい、っスか?」
「はい」
 黒子の言葉に目を丸くした黄瀬は、少しその言葉の意味を考えるようにまなざしを逸らせた後、照れたように小さく笑って指先で頬をかいた。
「黒子っちがそう言ってくれるのは、すげ嬉しいんスけど。でも、『チームのために何をなすべきか』、考えろって言ってくれたのは、黒子っちスから」
「……そういえば、そんなことを昔、言いましたね」
「言ったっスよ。ずっと意味分かんなかったんスけど、やっと最近分かりかけてきたかなって」
 そう言い、黄瀬は黒子を見つめ、笑顔になった。
「色々全部、黒子っちのおかげっスよ。オレがバスケ始めたのは、青峰っちに憧れたからっスけど、俺に色々教えてくれたのは黒子っちスから」
「……ボクが君の教育係だったのは、ほんの一月だけですよ」
「でも、ずっと黒子っちはオレが一番尊敬するプレーヤーっス」
「────」
 そうあっけらかんと賛辞を口にされても、反応に困る。それに、黒子にしてみれば、黄瀬の才能の方が余程眩しい。
 『キセキの世代』の中に混じって、彼らのプレイを目の当たりにしていた帝光時代の二年間は、もっと自分に能力があれば、と心の奥底で歯噛みし続けた月日でもあったのだ。
 それでも、勝つために、チームの役に立つために努力し続け、自分のプレイスタイルを確立させたものの、最終的には彼らと対等に立つには足りなかった。
 それが悔しかったから、そして、何よりもバスケを好きだと、楽しいと思わせてくれたチームプレイを失ってしまったことが悲しかったから、新設校ゆえにスーパースターの居ない誠凛を選んで進学したのであり、そこに『キセキの世代』に対する逆恨みにも似た感情がなかったはずがない。
 黒子の中にあるそんなドロドロした後ろ暗い感情を、黄瀬は分かっていないだけだ、と思うものの、そうとは口に出さず、黒子は小さく、光栄です、とだけ呟いた。
「じゃあ、オレは帰るっス。練習の邪魔して悪かったっスね」
「いえ」
 そうして行きかけて、黄瀬は足を止め、振り返った。
「黒子っち」
「はい」
「今はオレ、海常でバスケやりたいんスけど、やっぱり黒子っちのパスも受けたいんスよ。だから、この次、大学は一緒のとこ行きたいんスけど」
 その言葉に、黒子はかすかに目を瞠る。
 中学の頃の『キセキの世代』は、誰として他人の進路など気にしなかった。自分の才能を最も高く買ってくれるところ。それだけを基準に、黄瀬も他のメンバーも進路を決めたはずだ。
 黒子自身は、スカウト話が賑やかになる寸前に部を辞め、その後は元チームメイトを避け続けて卒業式を迎えたため、『キセキの世代』の五人からは直接、進路を尋ねられたこともなかった。
 詰まるところ、黒子の存在は『キセキの世代』にとって、その程度のものだったのだ。居れば便利、居なければ自分の力でどうにかする、それ以上の存在には黒子はなれなかった。
 だが、今、黒子を見つめる黄瀬は、笑顔ながらもその影に緊張が見て取れる。
 真剣に、本気で言っているのだと伝わるには、それで十分だった。
「まだ、高校に入学して半年も経ってませんけど」
「だから、予約っスよ。先に言っておかないと、黒子っちは、さっさと自分で考えて決めちゃうっしょ?」
「────」
 否定はしない。そもそも進路に限らず、誰かに相談するということは黒子は滅多にない。
 そうと分かっているということは、黄瀬はそれだけ黒子をよく見ているということであり、少しばかり意外な思いを禁じえなかった。
 執着されているとは感じていたが、バスケットのプレイ以外の部分を理解されているとは思わなかった。
 だが、黄瀬は笑顔の中にも真面目な瞳で黒子を見つめている。
 大学。
 今年のウインターカップをどう戦うかで頭がいっぱいの身としては、三年後の進路など異次元ほどに遠い。
 だから、黒子は正直に告げた。
「そんな先のことは、返事はできません」
「あ、やっぱり?」
「でも、黄瀬君がそう言ってくれたことは、心に留めておきます」
「は……ええええっ!?」
 素っ頓狂な声を上げる黄瀬に、もう五分以上過ぎましたね、と黒子は踵(きびす)を返す。
「く、黒子っち!」
「ボクはもう練習に戻りますんで。また」
 『キセキの世代』との会話は、どうしても黒子の神経を削る。
 黄瀬は五人の中では一番マシな相手であり、お互いに変わりつつあることも手伝って、春先に比べると遥かに話しやすくなっている。が、それでも長時間の会話は、否応なく黒子の心を波立たせる。今日のところは、これが限界だった。
「黒子っち!」
 それでも、大声で呼び止められれば、振り返らざるをえない。そういう自分の奇妙な律儀さを、少しだけ疎ましく思いながら、黒子は体育館の入り口で肩越しに黄瀬を見た。
「おんなじチームになるのは高校の間は無理っスけど、3on3とかなら、いつでも大歓迎っスから! 火神っちにも、また遊ぼうって伝えて欲しいっス!」
 よく透る声でそう告げ、笑顔で手を振って立ち去ってゆく。
 その後姿を数秒だけ見送って、黒子は体育館の中に戻る。黄瀬は、よほど火神が気に入ったらしい。そう思いながら、「すいませんでした」とチームメイトに詫びて、練習の中に加わる。
 そうして、黄瀬の言葉をもう一度だけ考えた。

 『キセキの世代』ともう一度、一緒にバスケをやりたいか。答えはNOだ。少なくとも、彼らがチームプレイを求めないスタイルを変えない限りは。
 だが、黄瀬は変わりつつある。
 ならば、変われば受け入れられるのか。一度は自分を切り捨てた彼らを。
 心に浮かんだ答えは。
 やはりNOだった。
 少なくとも、青峰や赤司、紫原とは絶対に共にはやれない。そこまで、自分はできた人間ではない。緑間に対しては、もともと関係に距離があった分、そこまで強烈な感情はないものの、彼とは今一つ波長が合わないことは今も昔も変わらない。
 けれど、と黒子は考える。
 黄瀬は、『キセキの世代』の五人の中で、ただ一人、自分を切り捨てるまでには至らなかった相手だ。そのことに感謝していないといえば、やはり嘘になる。
 難しい、と思った。
 『キセキの世代』とは、今更チームメイトには戻りたくない。だが、黄瀬は五人の中でも少しだけ毛色が違う。あれだけ純粋に好意を示してくれる相手を嫌うのも、疎んじるのも難しい。
 そして、黄瀬も黒子の力を引き出し、使いこなすことができるだけのプレーヤーだ。少なくとも、青峰と互角に戦えるほどになった今の黄瀬ならば、黒子から見て何の不足もない。

「黒子」
 伊月に呼ばれて、黒子はパスを出す。
 ポイントガードとしての技能を進化させようとしている伊月は、海合宿が終わった直後から練習は黒子と組むことが増えている。おそらく彼は、帝光時代に全国の強豪と渡り合った黒子の経験が欲しいのだろう。
 伊月ばかりではない。誠凛のメンバーは全員がひどく貪欲だ。他の強豪校のメンバーと同じように。『キセキの世代』と同じように。
 ただ、誠凛のメンバーの貪欲さは、個人プレイには向かわない。チームで勝つために、全員が己を磨き続ける。
 そして、黒子が欲しかったのも、こんなチームだった。ずっと、こんな風に皆でバスケをやりたかった。
 ───もし。
 もし『キセキの世代』が、今の誠凛のようにバスケがただ好きで、楽しくてたまらなかったあの頃のままだったなら。
 青峰が、ただただ楽しそうにバスケをやっていた、あの頃のままだったなら。
 そんな幸せなことはなかっただろう。
 だが、今の誠凛の仲間にも出会えなかった。
 何がいいとも悪いとも言えない。黒子にできるのは、いつでも、その場で精一杯の力を尽くすことだけだった。
「もう一本、行くぞ!」
 熱の籠もった日向の声が、蒸し暑い体育館の空気を震わせる。
 今は、過去は無論のこと、何年も先のことを考える時ではない。
 先程見た黄瀬の笑顔を一秒だけ思い出し、そして、黒子はそれを心の中から追いやった。

End.

初書き黒子。
一応黄→黒で、本当はタイトル通り、もう少し望み薄な感じだったんですけども、黄瀬のポジティブ加減で、少し落下点が優しくなった感じ。
でも、黒子視点で原作を読めば読むほど、キセキの世代に対する複雑な心境が見えてきて、こっちまで複雑な気分です。
黄瀬のことは嫌いじゃないでしょうし、他の青峰たちのことも本当は嫌いではないと思うんですが、捨てられたことが傷になってる感じがしてなりません。
なかなか両想いを書かない私ですが、黄黒も滅多なことでは両想いになれなさそうな予感が、ひしひしとします……。

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