- stray cat lullaby -










lullaby ひとりで 泣いてちゃみじめよ
lullaby 今夜は どこからかけてるの?






 一人きり、簡単な夕食を取り、アルフォンスの待つホテルの部屋へと戻る途中。
 瞬き始めた星空の下、道端で静かに佇んでいた電話ボックスに、ふと目が留まり、足が止まった。
「────」
 吸い寄せられるように近づき、ガラス張りのドアを引き開けて中に入って。受話器を取り、コートのポケットに入っていた小銭を投入口に落としこむ。
 ちゃりんちゃりんと、少しこもった小気味のいい音を聞きながら、エドワードは少しばかりぼんやりと、ガラスの向こうの空を見上げた。
 宵の空はどこまでも深い濃紺に広がり、小さく瞬いている星々の光との対比が美しい。
 と、
「こちら、クラクトン交換台です」
 電話交換士の歯切れのよい声に、は、と我に返った。
「あ……と、イーストシティ126番を」
「イーストシティ126番ですね。しばらくお待ち下さい」
 反射的に答えて、しかしエドワードは、あれ、と思う。
 ──イーストシティ126番、って。
 それ以前に。
 ──俺、なんで電話なんか……。
   しかし、どうして、と考えているうちに。
「はい、こちら東方司令部です。外部からのお電話は関係者以外、お繋ぎできません。貴官の所属と氏名、個人認識コードをどうぞ」
「大統領府所属、国家錬金術師エドワード・エルリック、コードは……」
 間違えました、と切ろうと思ったのに、馴染んだ一連の台詞がすらすらと口をついて出てくる。
「──はい、確認しました。どちらにお繋ぎしますか?」
「……ロイ・マスタング大佐を」
「しばらくお待ち下さい」
 どうしよう、と思った。
 今日の自分はどうかしている。わざわざ東方司令部に、緊急事態にでもならない限り、普段は使わない電話回線を使って連絡をするなんて。
 絶対に普通じゃない。

 ──どうしよう?

「鋼の? どうした?」
 反射的に受話器を置きそうになった。
 落ち着き払った低い響きのいい声に、ぐ…と受話器を握り締める。
「……今日も残業してたんだ?」
「ん? ああ。なに、この二、三日だけのことだ。明後日にもなれば、また定時で帰れるようになる」
「──そう」
 どうして今、彼と電話線を通じて会話しているのか自分でも分からなかったが、しかし電話口で困り果てるほど、話題に窮しているわけではなかった。
 何かを突っ込まれる前に、とエドワードは口調を速めて話し始める。
「あのさ、今、クラクトンって町にいるんだけど」
「クラクトン?」
「うん。ちょっといけすかない軍人がいてさ。俺の裁量で、いつもみたいにノシちまったんだけど……」
「ちょっと待て」
 その言葉に続いて、彼が受話器のマイク部分を手で押さえ、クラクトンという町について部下に問うている声が遠く聞こえてくる。
 そのまま待たされるかと思ったのだが、公衆電話だという事を考慮してくれたのだろう。報告を受け取るのは後回しにしたらしく、「それで?」と問い返される。
「何か不慮の事態でも?」
「そういうわけじゃないんだけど。どうもそいつ、自分の上官が上層部のお偉いさんの腰巾着みたいなこと言ってたからさ。一応、報告書より先に連絡しとくかと思って」
 回線をチェックされている可能性を考慮して、言葉は曖昧にぼかしたが、おそらく彼には意味が伝わっただろう。

 この街に駐在してふんぞり返っていたのは、反マスタング派の急先鋒として名高い某将軍の部下の部下だった。
 エドワード自身は、軍部の誰に組しているつもりもなかったが、他者の目には間違いなくロイ・マスタングの派閥に属しているように見えているはずであり、そういう自分が今回、下っ端相手でもあり、さほど派手にというわけではないが立ち回りを演じたことが、東方司令部内の微妙なバランスにどう影響するか。
 ……そう考えなかったわけではない。ないけれど、別にそれは、わざわざ電話するほどの重大事ではなくて。

「なるほど。君にしては珍しく殊勝だが、律儀に報告してくれたことは評価しよう」
「……あんたに評価されても、全然嬉しくないんだけど」
「たまには素直に感謝したまえよ」
「まっぴら御免、だ」
 思いっきり小憎らしく答えて、用件はそれだけだから、と別れを告げようとしたが。
「待ちたまえ、鋼の。今日はこちらにもニュースがあってな」
「ニュース?」
「そう。君も知っているだろう? 中尉の飼っているブラックハヤテ号なんだが」
「……犬の話?」
 一体何を、とエドワードは眉をしかめる。
 あまりの脈絡のなさに、返って電話を切ろうと思った気持ちが萎えた。この男が一体何を言い出すのか、少しばかり気になってポケットの中で弄んでいた新たなコインを数枚、投入口に放り込む。
 と、妙に誇らしげな口調で彼が言った。
「そう、犬の話だ。あれがな、とうとうお手をするようになった」
「は……あ?」
 お手、と言われて、エドワードは、あれのことだろうか、とさほど遠くない記憶を掘り起こす。

 1ヶ月半ほど前に、東方司令部に顔を出した時のことだ。
 中庭に黒っぽい生後半年ほどの子犬が繋がれていて、誰のかと聞くと、アイホーク中尉の愛犬だという返事が返ってきてアルフォンスと二人、驚いた。
 確かに彼女は、少なくとも自分たちには優しい。凛として厳しいところは素晴らしく厳しいものの、綺麗で優しいお姉さん、という印象は、最初の頃から変わらない。
 しかし、あれだけ手のかかる上司の副官を務め、多忙を極めていながら、ペットを飼うような暇が彼女にあるとは思わなかったのだ。
 実際、中尉自身もあまり構ってやることができないため、上官の許可を得た上で、時々こうして東方司令部に連れてくるのだと教えてもらい、ようやく納得したのだが。
 もっと納得できない光景が、その直後、犬の傍にはあった。

「お手、ってアレ? あんたがブラハ号の前に座って、無言で右手を出してたやつ」
 最初見た時は、一体何をしているのだろうと思ったものだ。
 そう思ったのは犬の方も同じだったのだろう。尻尾を振りながらも困ったように首をかしげ、しばらく考えた挙句、ぺろりと差し出された手のひらを舐めていた。
「そうだ。ようやく何も言わずとも、私の手に前足を乗せるようになった」
「……それって動物虐待じゃねぇの?」
「何を言うか。命令されずとも主人の気持ちを察することが、犬の勤めだろう。正しい躾だ」
「それ、全然違うから」
 そもそも、あんたは飼い主ですらねぇだろ、と突っ込みながらも、エドワードは笑う。
 一体、何を言い出すかと思えば。
 東方司令部の司令官殿が、そんなことを、さも自慢げに。
 可笑しくて、小さく笑いながらガラス張りの電話ボックスの壁に、とんと背中をもたせ掛けて楽な姿勢になる。
 そして、刻一刻と深みを増してゆく濃紺の夜空を見上げた。
「それから、ポンレヴェック、覚えているだろう?」
「ああ、前にあんたに教えてもらった店。覚えてるよ、もちろん」
「あそこのメニューが一昨日から入れ替わった。月が替わったからな」
 言われて、そうかと気づく。
「君は先月のメニューも試していないだろう? トマトの冷製パスタも、燻製鳥のオレンジサラダ風も、実に美味だったぞ」
「……あんた、喧嘩売ってんのか?」
「まさか。ただ自慢しているだけだ。今月のメニューも幾つか試してみたが、ポークのデミグラスシチューは素晴らしく美味だった。キノコとチキンのクリーム煮は、私はキノコの匂いが少し鼻につく感じがしたが、ハボックは美味いと言っていたしな。まぁ、あいつの舌は雑巾並だから、あまり当てにはならんが」
「少尉は普通だよ。あんたの舌が無駄に肥え過ぎてんだ」
 まったく、と思いながらエドワードは目を閉じる。
 ──何故、彼が軍の回線を使ってまで、こんな馬鹿話を披露するのか。
 その意味が分からないはずがない。
「話はそれだけかよ? なら、切るぜ。もう小銭がない」
「ああ。──鋼の」
「何だよ」
 受話器の向こうから聞こえてきた彼の声は、全くいつもと変わりなかった。
「私がするべき事はあるか?」

 私に出来る事、ではなく。
 私がすべき事、そう問いかける彼が。

「ないよ。あんたにしてもらう事なんて、なーんにもない」
「そうか。ならばいい。今回の件に関しては、また報告書を提出してくれ」
「分かってる。──大佐」
「うん?」
「言い忘れてたけど、二、三日後に報告書の提出がてら、俺たちそっちに行くから」
「おや、そうかね。──ふむ、それなら明々後日にしてくれるとありがたいな。その日なら私も定時に上がれるだろうから、食事にでも行こう」
「あんたと飯食って、何が美味いんだよ。それに、あんたのスケジュールに合わせる義務なんて俺にはないね」
「私の階級は大佐、君は少佐相当。命令に従うのは当然のことだと思うがね」
「定時後に、一緒に飯食うことのどこが当然なんだよ? 公私混同すんな、この職権乱用野郎」
「……まったく君はつれないな」
 いかにもわざとらしく溜息をつく男に、ふん、と鼻で笑ってみせて。
「じゃあな。今度こそ本当に切るから」
「ああ。会えるのを楽しみにしているよ、鋼の」
「俺は全然楽しみじゃねぇ。それじゃな」
「ああ、GoodNight」
「……GoodNight」

 おやすみ、と最後の言葉を交わして。
 エドワードは受話器をフックに戻す。
 そして、ふう、と大きく息をついた。

 ──今日の自分は、本当におかしい。

 こんな風に、わざわざ電話をして、無駄話をして。
 ……別段、今日の昼間、大した事があったわけではない。この国では全然珍しいことでも何でもなく、旅の途中に通りかかっただけのこの街でも軍人が大きな顔で歩き回っていた、突き詰めればそれだけのことだ。
 舗装もされていない狭い道を、軍用車が人々を突き飛ばすようにして走り抜けてゆく最中、小さな女の子が撥ねられて、腰の骨を折る大怪我をした。そして、その女の子が担ぎ込まれた診療所で、初老の医者は怪我は治っても一生足を引きずるだろうと、苦い顔で診断した。
 それだけのことだ。
 決して、この国では珍しい事件ではない。当の軍用車を運転していた軍人も、その上官すらもエドワードの非難を、冷ややかに笑い捨てた。
 今までも似たようなケースが何度もあったことだ。

 ──けれど。

 何度遭遇したところで、苦い気分が、重苦しい憤りが絶えることはない。
 そればかりは決して慣れることが出来ない。──出来なくて。
「……かっこ悪ぃ」
 ちらりと公衆電話を見やって、エドワードは苦く笑う。
 聡い彼が、緊急時でもないのに電話をしてきた、その一点で気付かないわけはないのに。
 こんな風に、ふらふらと電話ボックスに吸い寄せられて。
「……俺はかっこ悪いし、あんたは馬鹿げたお人好しだ」
 なんで、そんなに甘いんだよ?と詰るように、けれど呟く口元には小さな笑みが滲む。
 ──犬の話と、イーストシティの食堂兼居酒屋の話と。
 下らない話を続けて、こちらをいつもの調子に戻してから、するべきことはあるか、なんて。
 厳しいのだか優しいのだか分からないではないか。
 おまけに、突き詰めるまでもなく、その厳しさすらも優しさの裏返しだと分かってしまうのだから、余計にタチが悪い。
「ホント最悪だよ、あんたって」
 呟いて、よいしょ、とエドワードはガラス壁に寄りかかっていた背筋をしゃんと伸ばす。
 電話ボックスを出ると、夜空は殆ど漆黒へと色を変え、先程まではさやかだった星々もさざめくように煌いていた。
 とんだ道草をしていた分、きっとアルフォンスは心配しているだろうとエドワードは、ホテルまでの残り少ない道程を急ぎ歩き始める。
 ホテルの明かりは、もうすぐそこだった。






end.






一応、精神的には両想いの二人です。
Heven's Doorの番外編みたいな感じ。
冒頭の詞は、中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」より。
彼女の書く詞は、妙にロイエドにはまります……。


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