Heven's Door  -05 meltdown.4 -









 轟音と共に建物全体が揺れ、襲い掛かってきた衝撃にバランスを取りきれず、コンクリートの床に倒れこむ。
 咄嗟のことで受身も取れず、右肩をまともに床にぶつけたエドワードは、機械鎧と生身の肉体の接合部へ直接響いた重い痛みに、思わずうめいた。
 十秒、二十秒。
 反射的に頭部を両腕で庇う姿勢を取り、そのままどれほどの時間が過ぎたのか。何かが崩れ落ちるような衝撃音が断続的に響く中、ゆるゆると上半身を起こしてエドワードは小さく頭を振った。
「兄さん、大丈夫!?」
「ああ……」
 すぐ傍から弟の声が聞こえて、心底ほっとした。
 アルフォンスは無事だ。自分もあちこち痛いが動ける。決して状況は最悪ではない。
 けれど。
「エドワード・エルリック! アルフォンス・エルリック! 無事か!?」
「あ、はい! こっちです、少佐!!」
 律儀にフルネームで点呼してくれる相手に、アルフォンスが答える。
 その間にエドワードは完全に起き上がり、何とか立ち上がろうと試みてみた。
 右肩の機械鎧の付け根が、かなり痛む。同じく、床に打ち付けた腰骨の辺りも痛い。
 だが、頭をぶつけたわけではなかったから、とりたててよろめくでもなく自分の足で立つことには成功して、エドワードは、照明が消えた薄闇の中、もうもうと白煙とも砂埃ともつかない白っぽい靄(もや)に遮られた周囲を見回した。
「ちくしょう……」
 何が起きたのかは、考えるまでもなかった。
 理不尽な話だが、こういう場面にはこれまで何度も遭遇している。
「兄さん、動ける? 大丈夫なら、僕たちも救助を手伝わないと」
 少しエドワードから離れて、アームストロングと会話していたアルフォンスが戻ってきて、呼びかけた。
「ああ。大丈夫だ。少佐は?」
「あっちに行ったよ。憲兵の詰め所の方」
「そうか」
 ならば自分にできることは、とエドワードは、一番手近な救助を求める声の聞こえるほうへと向かう。
 身動きすると、あちこちの打ち身が痛んだが、構っていられなかった。
 こんな非常事態では、一分一秒の遅れが命にかかわる。少しでも早く、瓦礫の下から怪我人を助け出し、止血を施さなければならない。
 幸い、錬金術の知識があれば巨大な瓦礫であっても取り除くことなど難しくもないし、応急処置の方法も子供の頃から散々に師匠から叩き込まれている。
 もはや何も考えず、エドワードはアルフォンスと共に怪我人の救出に没頭した。








「鋼の」
 そう声をかけられて、ふっと我に返る。
「……大佐」
 振り向くと、いつになく険しい表情をしたロイ・マスタングが立っていた。
 いつの間に、と彼が近付いてくることに気付かなかった自分の感覚の鈍さに内心、首をかしげる。
 いや、そもそも爆発が起きた時には、彼は確か東方司令部内に居たはずで、ここには居なかった。居たのは自分とアルフォンスと、アームストロングだ。
 いつの間に駆けつけたのだろう?
 それより、あれからどれくらいの時間が経ったのだろう?
 自力では答えの出せない疑問が幾つも脳裏に浮かび、エドワードは、ただ黙ってロイの顔を見上げた。
「大丈夫か?」
「ああ。怪我は……ないとは言わないけど、何箇所かぶつけただけだし、俺は大した事ねぇよ」
 そう言うと、ロイは顔をしかめ、小さく溜息をついた。
 そして、エドワードがその溜息はどういう意味だろうと思う間もなく、彼は右手に持っていた軍用水筒のキャップを外し、次いで、左手を伸ばしてエドワードの生身の左手をぐいと掴み、持ち上げる。
 彼らしくもなく、いささか乱暴に感じられる仕草だったが、それよりも前置きなく触れられたことに対する驚きの方が先について、エドワードは琥珀色の瞳を大きく見開く。
 と、その手のひらに、ロイは水筒の水を、ばしゃりと遠慮なくかけた。
「────」
 何を、と自分の手のひらを見ると、濡れた手から薄赤く染まった水滴が瓦礫の散ったコンクリート床にしたたり落ちてゆく。
 ああ、と思った。
 そういえば、いつもの白手袋は応急処置の邪魔になるから、外してしまったのだ。
 手袋はどこに置いただろう。確か、向こうの倒れた柱の辺りで……。
 そうだ。崩れた柱の下敷きになった、小さな女の子と母親を引っ張り出した時だ。二人とも意識がなくて、あちこちの傷口からかなり出血していた。表面に見える傷口は止血帯で抑えたけれど、おそらく頭部や腹部への衝撃も相当なものがあっただろう。
 救急車に運ばれるまで大分、時間があったが大丈夫だっただろうか。どこの病院に搬送されたのだろう。
 今頃、救急指定になっている中央病院ばかりでなく、イーストシティ中の病院が救急搬送された大量の怪我人に、パニックを起こしているに違いない。自分がアルフォンスと共に救助した怪我人だけでも、二十人では足りなかった。
 けれど、それこそがテロリストの狙いだったのだろう。
 この駅を終点とする最終電車が2路線から到着した直後で、最終のセントラル行き夜行が発車する直前だった。ホームがごったがえす最後の時間帯で、憲兵隊の詰め所も、夜間の宿直勤務に切り替わった直後。東方司令部自体も、宿直や残業の者以外の兵士や士官は帰宅して、そろそろ寝る準備をしている頃合いだったはずだ。
 そんな状況を狙い済ましたように爆弾は炸裂し、多くの怪我人を出した。きっと死者も少なくないだろう。
「────」
 手のひらに触れた、少し硬い布地の感触に、エドワードは思考を引き戻された。
 見ると、糊のきいた真っ白なハンカチで、濡れた手が拭われている。
 こびりついた血は、水筒の水だけでは落としきれず、雪のように白い布地が赤いまだら模様に染まってゆくのを見て、エドワードはロイの顔を見上げる。
「大佐」
 だが、ロイはエドワードの両手を拭い終えるまで無言だった。
 ゆっくりとエドワードの手を下ろし、それからようやく、真っ直ぐにエドワードの目を見つめる。
 そして、言った。
「君とアルフォンスの協力に感謝する。君たちが居合わせてくれなければ、死者や重傷者の数はもっと増えていただろう」
 静かな声に何と返せばいいのか分からず、エドワードは小さくかぶりを振る。
 何かが出来たという感覚はなかった。
 むしろ、出来なかった、という無力感の方が強い。
 自分にもっと医療の知識があれば、医療に応用できる錬金術の知識があれば、怪我人はもっと減らせただろう。
 しかし、ロイはそれ以上エドワードに自分を責めることを許さなかった。
「君は自分に出来る事すべてをやった。あとは、私の仕事だ」
「大佐」
「今日はもう、弟と一緒にホテルに行ったほうがいい。大丈夫だと思うが、万が一、ホテルに空室がなかったら、司令部の仮眠室を使ってくれて構わない」
「大佐、俺は……!」
「私の仕事だと言っただろう、鋼の」
 静かに、だが、はっきりと言われて、エドワードは思わず喉元まで出かけた言葉を飲み込む。
「君が役立たずだと言っているわけではない。だが、今の君に何が出来る? 無理にでも今夜はもう休みなさい」
 今の君は動揺し、疲労している、と冷静な声で指摘されて。
 答えられずにいるエドワードをそのままに、ロイは近くを通りかかった部下へと声をかけた。
「アルフォンス・エルリックに、こちらへ来るように言ってくれ。向こうで瓦礫をどける作業を手伝ってくれているはずだ」
「Yes,Sir!」
 若い兵士は即座に走ってゆき、それを見送ることはせずにロイは、再びエドワードへと視線を向けた。
「……言い遅れたが」
 落ち着いた口調で言い、立ち尽くしているエドワードを見つめる。
 夜の一番深い部分を集めたような漆黒の瞳は、生真面目で、見覚えのあるような感情の色をたたえていて。
「君が無事で良かった。ここに来て君の無事を確認するまで、正直な所、気が気ではなかったよ」
「え……」
 本気で言われている、と思った。
 皮肉でも嫌味でもない。社交辞令でもない。
 そういう上っ面だけの言葉であれば、聞き分けられる自信はある。
 けれど、今の彼の言葉は。
「無事で良かった」
 もう一度繰り返された言葉が、真っ直ぐにエドワードの心に響く。
 本気で案じてくれたのだと理解する一方、どうして、という疑問も浮かんで。
 何故、と問いかけを口にしようとした時。
「大佐、僕に御用ですか?」
 向こうから駆けてきたアルフォンスの声が聞こえて、エドワードの声はそのまま飲み込まれた。
「ああ。鋼のと一緒にホテルに行って、今日はもう休んで欲しい。君たちが居てくれて本当に助かった。事件の経過が気になるというのなら、日が昇ってから、また司令部に来てくれればいい。時間が取れる時に、出来る範囲で説明しよう」
「でも……」
「君たちは十分にやってくれた。鋼のには休養が必要だ。もちろん君にもな」
 生身ではないアルフォンスは肉体的に疲労するということはないが、精神面は別だ。
 放っておけば、痛ましい事故に遭遇した心が受けた衝撃と疲弊を、働き続けることで打ち消そうとしかねない少年の心理をロイは案じたのだろう。
 その言葉を聞いて、エドワードはようやく、アルフォンスもまた、崩れた駅舎とその下敷きになった被害者の姿を目の当たりにしていたのだということを思い出した。
「行こうぜ、アル。大佐が休めって言ってくれてんだし」
「……うん。兄さん」
 互いに互いの疲労を思い出した顔で、目を見交わしてうなずき合う。
 それから、エドワードは、はたと自分が手ぶらであることをも思い出した。
「俺、トランクはどこにやったっけ」
「あー。僕たちが居たのは、3番線に向かいかけてた途中だから……」
 あっちかな、とアルフォンスが指差す。
 だが、そちらもまた瓦礫の山で、旅行者の荷物らしい鞄や小物類が所々に散逸していて、容易にどこに何があるかは分かりそうもない。
 と、二人の困惑にロイの声が助け舟を出した。
「駅構内に残っている旅行者の手荷物は、全部まとめて司令部の方に運ぶ手配をしている。西改札口のほうへ運び出しているはずだから、元居た場所に見当たらないようなら、そちらへ行くといい」
「あ、そうなんですか」
「分かった。行ってみるよ」
「爆発の影響で、建物全体がグズグズになっている。くれぐれも慎重に行動して、崩落には注意しなさい。司令部の仮眠室ならただで泊まれるのだから、荷物に固執するんじゃないぞ。今は見つからなくても、朝になれば探し出せるはずだ」
「ああ」
 うなずき、ちらりと男のほうを見る。
 だが、それ以上言う言葉が見つからず、エドワードはアルフォンスを促して歩き出した。










 瓦礫の下からどうにかトランクを見つけ出し、昨晩泊まったのと同じホテルの一室に落ち着いた頃には、時計の針は既に午前三時を過ぎていた。
 自動人形のように、いつもと同じ手順でシャワーを浴び、寝巻きへと着替える。
 だが、全身を覆う泥のような疲労とは裏腹に、眠気は一向に感じなかった。
 横になる気はなれず、ベッドの上に片膝を抱えて座る。と、アルフォンスもベッドの脇の床の上に、直接座り込んだ。
「疲れたね」
「ああ……」
 ぽつりぽつりと交わす言葉は少ない。
「兄さん、横になったほうが良くない? 眠れなくても体は楽になるよ?」
「そうだな……」
 こういう時、大人はどうするのだろう、とエドワードは思う。
 たとえば、あの男なら。
 眠れないのに、どうしても眠らなければならない時、どうするのか。
 アルコールに頼るのか、薬に頼るのか。……それとも、誰かの体温を求めるのか。
 いつもなら考えない、思うだけで赤面しそうな事柄でさえ、今は白々と脳裏に浮かぶ。
 あの男の言う通り、本当にどうしようもなく疲れ果てているのだと、全身の重さを噛み締めながら、エドワードは窓の向こうに目を向けた。
「皆、まだあそこに居るんだろうな」
「そうだね……」
 利便性だけを考えて定宿にしているホテルは、駅から目と鼻の先にあり、この部屋の窓からも駅舎がよく見える。
 今は暗くて判別しにくいが、ホームの天井には大穴が開き、壁も柱もメチャクチャにひしゃげているはずだった。
 爆弾が仕掛けられていたのはホームとホーム内の線路の数箇所で、改札より向こうの待合室には、幸い被害はないようだったが、旅客の大半はホームに居たのであり、破壊されたのが駅舎の一部でしかないことは、死傷者の軽減には繋がっていなかった。
 崩れ落ちた瓦礫。床を濡らす大量の血痕。人々の悲鳴、うめき声、鳴き声。視界を遮る白煙と砂埃。
 そんな諸々のものが脳裏にフラッシュバックして、エドワードは思わずきつく拳を握り締める。
 けれど、あの男はまだあそこに居るのだ。
 いつ崩れるとも知れないテロ現場で、部下たちと共に、毅然と辺りを睥睨して。
「兄さん、やっぱり休もう」
 エドワードの様子を見かねたのだろう。アルフォンスが言った。
「朝になったら、司令部に行くつもりなんでしょ? その時に疲れた顔してたら、また大佐に追い返されちゃうよ」
「……そうだな」
 確かにエドワードはポーカーフェイスが苦手で、思っていることや体調が全て顔に出る。
 その自覚はあったから、反論することは出来ずに、ただもう一度、街の灯の中に暗く沈む駅舎へと視線を向ける。
 夜中の三時過ぎという時間帯にしては街明かりが多いのは、おそらくはイーストシティの市民の多くが、久しぶりの大掛かりなテロ事件に動揺し、事件の経過や今後を気にしているからなのだろう。
 実際、あれだけの惨状を目にして、眠れるわけがない。
 けれど、疲れ果てた顔で司令部に行っても、アルフォンスの言う通り、捜査に加わらせてもらうどころか追い返されるのが関の山だ。
 それも、きっと自分と同じように徹夜明けの疲労の滲んだ顔をした男に。
 向こうは大人で職業軍人で、こちらは子供で軍属に過ぎないという、ただそれだけの理由で。
「───…」
 やり場のない悔しさとも何ともつかない感情を溜息にすり替えながら、エドワードはベッドの上に横になる。
 と、それだけの動きにも安物のスプリングが、小さく軋んで抗議の声をあげた。
「……犯人は何がしてぇんだろうな」
「さあ……。全然分からないよ」
 目元を覆うように額に左腕を載せ、呟いた声は、同じように疲れの滲んだアルフォンスの声に受け止められる。
 それ以上、何を言う気も起きず、狭い室内はしんと静まり返って。
 重苦しい自分の呼吸を感じながら、エドワードは、今夜自分が目にした惨状の事と、今頃、不眠不休で陣頭指揮を執っているのだろう黒髪の男のことを考え続けた。






episode05 as end.




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